動き出す世界 その8
なんだか距離感が狂う。
ケトが海に向かって叫びまくってから半刻は過ぎただろうか。その間も馬車はずうっと走り続けているのに、いつまで経っても見えているはずの町にたどり着かない。
どうやら、マイロという町は思っていた以上に大きいようだった。その先に広がる一面の海と見比べていたから、その規模が霞んでしまっていただけなんだろう。
目を細めると、海上のあちこちを行き交う船が見える。波間にポツンと頼りなく浮かぶあの船には、一体どれくらいの人が乗っているんだろうか。アキリーズに聞いてみたら、中型船なので三百名はくだらない、と教えてくれた。
「三百……、三百人も!?」
「近くで見たなら分かることでしょう。船はそれ自体が町そのもの。皆一人ひとりに役割があって、大海原という試練を渡っていくのです」
「町、そのもの……」
目を凝らして覗いてみる。船には大きな柱が何本も立っていて、それぞれに何故か布が張ってある。柱の上にも、下にも、沢山の人が走り回っているのだ。人のそれよりもずっと優れた目をパチクリ瞬かせながら、ケトは白い航跡を目で追った。
町が動いて跡を残す? ここまでくるともうケトの常識からかけ離れてしまっている。
「あれは?」
あちこちに目走らせるのに忙しいケトの隣で、ジェスは一点を見つめていた。
町と海の狭間。建物の影に見え隠れするように、停泊している船が見えるが、あれが港というやつだろうか。止まっている船が多すぎるせいか、港の外側にも数隻の船が波に揺られているのが見える。
「船ってあんなに多いんだな」
「今は少々事情がありますからな。船が渋滞するなんて、私も長年生きてきてはじめてのことです」
「渋滞……」
ケトは二人が指し示す方へ、視線を向けた。
何本も柱が乱立しているように見える辺りが、きっと港なのだろう。どことなく似たような船が多いように思えるのは気のせいだろうか。隣の教皇が静かに続けた。
「海の外から、使者が来ているのです」
「使者ってネルガンの使者?」
「はい。この国の門を叩いている、そのネルガンです」
「……ってことは、あそこにいる船みんなすっげえ遠くから来たってことか」
そのネルガン連邦がどこにあるのかよく知らないけれど。こんなに広い海を、沢山の町が渡ってきたのだと考えたら、なんだか不思議な気分になった。
魚のように泳げない代わりに、人間は船を作って海を進む。どこの誰が考えたのかは分からないが、最初に実行に移した人はとんでもないなと、ケトはそう思った。
*
異国の人が来ている、とは言われたものの。山育ちのケトにしてみれば、マイロ自体が異国みたいなものだ。
季節は夏。道行く人はみんな日に焼けて真っ黒だ。もしも夏中この町にいたなら、自分も日焼けしたりするんだろうか。そこまで考えて、でも無理だと肩をすくめた。
今のケトが着ているのは、龍神聖教会の教徒が着る白い修道着。
いくら正体を隠すためとはいえ、かつての襲撃者と同じ服を、よもや自分が着ることになるとは。人生どうなるか分からないものである。
意外にも、夏用の綿ローブは風通しが良くて驚いた。今は頭をフードで隠しているけれど、これを外したら頭を撫でる風が心地いいんだろうなと思う。翼の傷は完全に癒えた訳ではないものの、包帯は早々に取っ払った。翼が生えた人間なんて、一目で覚えられてしまうに違いないから。
ジェスに御者席の隣を譲ってもらい、石畳の敷かれた町並みを見る。あちこちの建物の上に旗が立っているのは、風向きを知るためらしい。
通行人の中には、船乗りらしき人の姿も多かった。
船を知らないケトですら、それに乗る人たちを判別できたのは、彼らがとてもがっしりした体つきをしていたから。半袖から覗く筋肉は並大抵の努力でつくものではなく、一体何を食べたらそうなるのか聞いてみたくなるほどだ。
「あそこです」
馬車の中からかけられたアキリーズの声に、ケトは視線を前へと戻した。
「これがマイロの……」
町の端、小高い丘の一角。周囲と調和のとれた外観だが、敷地は大きく、他よりも背の高い建物。あちこちに覗くガラス窓は見慣れた四角ではなく、どちらかと言うと王城の飾り窓に近い雰囲気を感じる。日差しを浴びて、ステンドグラスがキラキラと輝いていた。
入り口には両開きの大きな扉。その上に掲げられた紋章が、この建物の役割を物語っていた。
一見すると、水滴のような形に見えるが、これはどうやら龍の鱗を模ったものらしい。彼らの信仰対象である龍神の鱗部分を模しているのだとか。
「……龍神聖教会」
「戦後、総本山のベルエールは国に接収する形で収まりました。……私もこの目で確認しましたが、枢機卿の手で見るも無残な形に変えられていましたからな。あのような軍事施設は必要ないと意見が一致しまして。それ以来、このマイロが中心地です」
教皇は淡々と言うけれど、つまりそれが意味するところは。
「教会の人は? その町から追い出されちゃったの?」
「武器を捨てた我々にとって、あの場所は過ぎた力の象徴です。……馴染みのある町でもありましたから、追い出されたのかと聞かれてしまうと、見方によってはそうだ、とも言えますな」
「そう、なんだ……」
教皇の口調はのんびりしているけれど、ケトは何とも言えない気持ちになった。
町に住めなくなる。それはケトも一度は通った道だ。襲撃を受け、抵抗しようとして、結果的に北の町を壊した記憶は今も脳裏に刻まれている。
多くの教徒が同じように住む場所を追われた。その事実を、どう捉えればいいのか分からない。慣れ親しんだ土地を失う、追い出される、その辛さはケト自身よく知っているから。
「アキリーズさんは? そこに帰りたいと、思わないんですか?」
「それはもちろん。総本山とは、すなわち我らが信仰の中心地。聖地でもあるのです。それを捨てるのは身を切られるよりも辛い。少なからず抵抗はありましたとも」
「そんな……」
「仕方のないことなのです。お優しいケト様。どうかお気になされますな」
老人は柔らかな微笑みと共に、少女に向かって続けた。
「我らは、戦争に負けたのですから」
「……」
「ようこそ、ケト・ハウゼン様。龍神聖教会はあなたを歓迎します」
かつての敵の、今の中心地。そこへ向かうケトは、小さく頷くしかなかった。
*
馬車から降りて、正面扉まで数段。白い石でできた短い石段には、どこにも汚れは見つけられなかった。箒だけではこうはならないはずだ、毎日綺麗に磨いているのかもしれない。
先を歩く教皇に続いて、ギイと軋む大きな正面扉を潜り抜けた。高い天井に視線が向きかけた瞬間、ケトは目の前に立っている人影を認める。扉が開かれたことに気付いたのだろう、その人は白いローブを靡かせて、こちらへと振り返った。
「道に迷いし旅人よ、翼の御許へようこそ。……ってあれ、教皇様?」
若い女性だ。やはり修道着姿の教徒。フードは被らず、両手を組んで深々と腰を折りかけて、ケトの隣の顔に目を丸くした。
「おお、リネットでしたか。ただ今戻りました」
「ちょっと、戻ってこられるなら先に連絡くださいよ! シスターたちがまたびっくりするじゃないですか!」
「申し訳ございません。急に帰らねばならない用事ができましてね。……ミヤ様、紹介します。彼女はリネット、我らが教会の未来を担う鱗の一枚です」
教皇からケトへ。視線を移しながら、彼女はそばかす混じりの頬を綻ばせた。姿勢をピンと正して、今度こそ深々と頭を下げる。
「いらっしゃいませ、お客様」
「リネット。こちらはミヤ様とジェス様、以前、教会が大変お世話になった方です。しばらくこの教会に滞在することになりました」
「……こんにちは」
どことなく居心地の悪さを感じながらも、ケトはぺこりと頭を下げた。ジェスが隣に続くのを感じ取りつつ、上げた目線がリネットと呼ばれた教徒と合う。肩の辺りまで伸びた髪を揺らした彼女が、なぜか目を光らせていた。
「……訳アリです?」
「ええ、訳アリです。シスターに案内をお願いしようと思っていたのですが……そうですね、リネットに頼んでも良いでしょうか?」
「お任せください。最高のおもてなしをお約束させていただきます!」
心得た、と言わんばかりの笑みを浮かべた娘。なんだか教皇と信者というには明らかに砕けた口調に戸惑いつつ、ケトは二人の顔を見比べた。
「じゃ早速、宿舎にご案内します、二部屋ならすぐに用意できますから!」
「あの」
ジェスが手を上げ、一歩前へ。
「俺、ミヤと同じ部屋で大丈夫です」
「……わあおっ!」
リネットが目を見開き、その後何故かクネクネし始めた。アキリーズが苦笑を漏らし、首を横に振る隣で、ケトはジェスを見た。
「わたしもう、一人で寝れるよ?」
「……そういう意味じゃねえけど、俺も色々あって反省したんだよ。いい加減、人の目気にしてたら守れるもんも守れないから」
「教皇様、どう見てもこれは訳アリですね!?」
「……仕方ありません。本来であれば同衾は認めていないのですが……。お二人は教徒ではありませんし、まだそのような関係でもないことは分かっていますから。二人部屋へお連れしてください」
「ほほう。まだ、と来ましたな、教皇様?」
なんか面白がっていそうな雰囲気を感じ取りながら、ケトはコテンと首を傾げた。
王都のギルドに滞在していた時だって、ちゃんと別々の部屋を取っていたジェスなのに、一体どうしたんだろう。頬が微妙に赤くなっているのを見ると、十五歳にもなって一人で寝られないことを恥ずかしがってるんだろうか。
「それでは、ご案内しますね。ミヤ様、ジェス様」
「あ、お願いします」
「……ういっす」
顔を背けたジェスをちらちら伺いながら、ケトは歩き出したリネットの後に続いたのだった。
※次回は4/11(月)の更新になります。




