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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第五章 侍女は少女に
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動き出す世界 その6


 ケトはなんとか無事に逃げられたようだ。

 推測が確信へと変わり、ロザリーヌはほうと息を吐いた。ある意味で自業自得とはいえ、この数日が自分にとって最も胃の痛んだ日々になったのは間違いなかった。


「……後は、追加調査はいらないから」

「いいんですか、お嬢?」


 隣のローレンが、心配そうにそんなことを聞く。


「大丈夫よ。今の状況を見れば、あの子の行動を知る者を一人でも減らすに越したことはない。もしもまた協力が必要になったら、向こうから声をかけてくることでしょう」


 近況報告をしたためた手紙をまとめ、≪白鈴(はくれい)≫の封蝋を押し付ける。目の前に控えるコンラッドに手渡そうとした拍子にその顔を見たら、ふと苦笑が漏れてしまった。


「あなたもお疲れ様」

「いえ、失態です」

「気が緩んでいたことは否定できない。私もあなたも、戦争なんてとうに終わったものと捉えていたのは確かだもの。……負けた側にとって、そうでないってことも分かっていたはずなのに」


 彼女の前に立って頭を垂れるコンラッドは、疲労を滲ませながらも、酷く硬い顔をしていた。少女に最も近い場所にいた護衛としては、王子に出し抜かれた自分が許せないのだろう。

 だが、異変に気付いてからの彼の行動は早かった。それはそれで、評価すべきだと思う。


「……護衛対象をケトからジェスに変更。その周囲に近づこうとする全ての人間を遠ざけ、騎士は全て無力化。彼と≪白猫≫の脱出経路をこっそり作り上げてくれた。あなたの働きとしては十分よ」

「ジェス君はどうやら何か確信があったようでしたから。その身を守るのが、ケト嬢の安全につながると判断したまでです」

「彼の確信がどこから来たものなのかは、聞かなかったの?」

「彼は話すつもりがなさそうでした。それをわざわざ聞こうとは思いません。それこそ、ロザリーヌ様のお言葉の通り、知る者は少ない方がいいでしょう。……またしても巻き込んでしまった。であるならば、状況が落ち着くまで、≪白猫≫は≪傾国≫と同様、行方知れずであるべきです」


 くす、と微笑んだ。まったく律義な隠密だった。

 彼が≪傾国≫の廃王女に心からの忠誠を誓っていたことは、記憶にきちんと残っている。そんな彼だから、少しばかりの安心を渡すくらいなら、罰も当たりやしないだろう。


「では、これが最後の情報よ。……(いとま)を出していたヴァリーが帰って来たわ」

「……それは!」

「ヴァリーったら、すっとぼけた顔するもんだから笑っちゃったわ。慌てて出て行ったのが嘘みたいに」

「侍女頭殿の、丸一日の休暇、ですか」

「一体どこで何をしていたのやら。無事に逃げ出せた、と判断したのはあの顔が根拠。取り急ぎ、しばらくは安心でしょう」


 今度こそ手紙をコンラッドに託し、ロザリーヌは命じた。


「これを必ずエルシアに。最優先よ、心得なさい」

「はっ!」


 隠密が立ち上がる。扉には向かわず、窓からするりと消えていったのは、なんとも彼らしい。今のこの城で、正規の経路を使う気など元からないのだろう。

 窓が音もなく閉じ、静寂が戻った部屋で、ロザリーヌは椅子にもたれた。


 これで、あの人が許してくれたらいいのだが。

 どうやらルイス王子は裏でエルシアと交渉をしていたらしい。そうは聞いていたが、だからと言って、ケト・ハウゼンが実際に血を流すことまで許されているとも思えない。あの襲撃は、果たして不幸な事故か、それとも王子の独断か。多分後者なのだろう。


 まったく。託されておいてこれとは、彼女に見せる顔がない。ロザリーヌは目元を手で覆って、深々とため息を一つ。


「……不甲斐ない」

「そんなに自分を責めるものじゃありませんよ、お嬢」

「いいえ。あの人の大切な妹を傷つけたの。私は私が許せない」


 あの王子と侍女の計画に気付けなかったのは自分の落ち度だ。身辺調査までしていたにもかかわらず、大事なことを見落とした結果だった。

 正直言って、コーティの行動には、その兆候が各所に出ていたはずだ。王子暗殺に介入したことなんて正にその象徴で、あれは王子に近づくための行動であると推測できる。


「それで、コーティには会えそう?」

「相変わらず面会謝絶ですって。病室には王子と医者以外出入りしていないようです」

「……庇い方が不器用すぎるのよ」


 普通に考えたら、襲撃の主犯と実行犯が密会しているなど許されるはずがない。

 けれど、ルイスの真意に気付いた者は思ってしまうのだ。それくらいの自由、認めたっていいじゃないかと。彼は王族として、十分にその役目を果たしてくれた。ならばせめて、後は静かな時間を過ごさせてあげたいと。


 現に彼の真意を知り、その策を実行したエレオノーラは、けれど裏で泣いてばかりいるらしい。

 立場上表立っては言えないものの、ロザリーヌは今でも王女殿下を敬愛している。けれど同時に、矢面に立たされて耐えられるほど強かな人間でないことも知っていた。臣下としては、何ともやるせない気分だった。


「……さて」


 状況は既に動いてしまった。ならば、それに応じた対応を取るのは必然。

 鎖国宣言に対する、各国の反発。既に上がりつつある抗議の報告。それを前にして呆けている時間はない。鎖国は見せかけに過ぎず、やることがいくらでもあるのだ。


 とにもかくにもネルガンの退去を。そして各国との交渉を。更にエルシアにも謝罪を。それに付随する問題は数えきれないが、一刻も早く事態を鎮静化させねばならない。

 それが、ルイス王子の真意でもあるのだから。


     *


 後遺症が残らなかったのは奇跡だと言われた。


 切り傷、擦り傷、打撲に捻挫、それはもう酷い状態だったらしい。無理やり引っ張られた右肩はやはり脱臼していて、最低ひと月は固定しておくようにと言われた。出血の量を考えれば、しばらく貧血が続くはずとも。


 意識を取り戻した時には、コーティはもうベッドの上にいた。

 周囲を見渡してみて、部屋の内装に既視感を覚えたのも当然のことだった。なにしろ、腕を失くした時に運び込まれた場所に、またしても放り込まれているのだから。

 それ以来、重い体をベッドから体を起こす気力もなく、数日間このままだ。夢とうつつを何度も彷徨いながらも、コーティは薄く開けた目でそっと隣に座る男を見上げた。


「……ルイス様」

「おう、起きたか」

「いらしてたんですね」

「なんたって暇だからな」


 奴に、とどめをさせなかった。

 最後の最後で、立っていたのはコーティだったのに。銃を構えていたのはコーティだったのに。奴の守り手の一人に邪魔をされた。既に精魂尽き果てて、意地だけで意識を繋いでいたコーティに、抗う術はなかった。

 あれからどうなったんだろう。≪白猫≫は? 国の様子は? 地下水道の心臓部を破壊してしまったのだから、復旧までには相当時間がかかるはずだ。状況からしてそれがコーティの仕業であるというのが、誰の目にから見ても明らかなはずなのに。

 何から聞けばいいのか分からなくて、思ったことをそのまま問いかけてみた。


「……大丈夫なんですか? 私なんかと一緒にいて」

「根回しするって言ったろ」


 不敵な笑みを浮かべる彼に、けれどコーティは笑い返せなかった。


「申し訳ございません……」

「ん? 何を謝ってんだ?」

「あれだけお力をいただいて、それでも私は……」


 目を閉じるたびに、あの地下の惨状が脳裏にちらつく。自分がこの手で引き起こした、それこそ生きているのが信じられないほどの破壊の嵐と、それすらも跳ね返す奴の光。


「……私はいつ、罰されますか?」

「今んとこ予定はないなあ」


 気の抜けたのほほんとした顔で、彼は言ってのけるけれど。コーティの気持ちはその程度で楽になることなんてないのだ。


「私、これ以上ルイス様にご迷惑をお掛けするのは本意ではないのです」

「えー……。今更何言ってんだよコーティ」

「ですが……」


 彼がぐっとコーティの方に身を乗り出す。亜麻色の癖っ毛が、目の前で揺れた。


「つーかコーティ、突然しおらしくなったな。ははっ、なんだよ。普段からこれくらい素直なら、もう少し可愛げもあるのに……」


 軽く笑い飛ばそうとしたのだろう。ニヤッと口元を吊り上げた王子がこちらを覗き込んだ瞬間、しかし彼の減らず口も止まった。少しばかり沈黙したのち、一転して声色も柔らかいものに変わる。


「……そんな顔するなよ」

「だって……」

「大丈夫だから。安心して俺に任せとけって」

「……」


 安心、なんて。今のコーティには程遠い。

 あれだけの大惨事を引き起こしたコーティが、未だ取り調べの一つも受けていないなんておかしいのだ。それこそ王子が何か手を打っていない限りは。


 医師に聞いたところによると、王都のほぼ全域で今も断水が続いているらしい。

 それだけでなく、侍女が少女と死闘を繰り広げていたのと同時刻、街中で突然地下から水が溢れたり、地鳴りのような音が鳴ったり、地面が陥没したりというような報告が多数寄せられているとか。

 季節は初夏。王都でも一気に気温が上がり、日差しも強さを増している中の水不足。今まで見向きもされていなかった古い井戸は、蓋を開けられて人々が長蛇の列をなしている。


 そこまでの事態を引き起こしてなお、コーティは本懐を遂げられずに、こうして王子に守られている。


「申し訳ありません……。私……せっかく作っていただいた右手まで……」

「疲れてるんだよ。ゆっくり休めば、また減らず口を叩けるくらいに元気になるさ。……だからそんなに思いつめなくていいんだ」


 部屋の隅に置かれた籠。その中には、回収された戦闘用の義手が入っている。その中身を見せてもらった時、コーティは言葉を失った。

 これが本当に腕だったのかと目を疑ってしまうほどの有様。ひしゃげた外板の隙間からは破断した骨格が覗き、歯車はあちこちが欠け、割れた魔導瓶の破片が入り込んでしまっている。外れた魔導盾と潰れた銃身、糸が垂れたままの≪鋼糸弦(ドラート)≫はあちこちの部品が欠落していた。

 ただの鉄くず、鋳溶かして何か別のものにするしかない、そんなガラクタ。大切な腕は、もう動かない。


 そして、コーティの体も似たようなものだ。

 痺れて靄がかかったような頭。これは傷のせい? 血が足りていないから? 寝たきりなのにクラリと来て、酷いめまいと気持ちの悪い浮遊感。少しでも気を抜けば、意識が宙を彷徨い出す。

 せっかくルイスが来てくれているのに。もっとちゃんと謝りたいのに。


「ルイス様……」

「いいんだ」


 微睡に落ちる寸前。聞こえた彼の声は、とても優しい音色をしていた。


「……これ以上、コーティが戦わなくて済むのなら、こんな腕はない方がいいよ」


     *


 病室から出た瞬間、ルイスは騎士に取り囲まれた。帯剣した彼らの間から、一人の文官がすり抜けて前へと歩み出る。


「アルフレッドか」

「お時間です。部屋へお戻りを」

「分かってる。……あいつのこと、ちゃんと見てやってくれよ?」


 周囲の騎士は、ただ厳しい顔をして取り囲むだけ。彼らはもう、王族に付き従うのではない。重要人物を害した被疑者としての視線を、彼に向けていた。


 それこそが、ルイスの想定通りに世界が動き出した証拠だ。その全てを承知した宰相は、厳しい顔で頷き、手で廊下の先を指し示す。

 このまま自室に直行して、後は軟禁状態。それがルイス王子の今の立場だ。


 地下水道の破壊とそれによる混乱。突如行われた蛮行への対策で、今の王城は上へ下への大騒ぎだ。

 上水道の心臓部ともいえる施設が完全に動きを止めていて、更には機械室ごと冠水してしまったせいで、未だ正確な被害状況が掴めない。季節は夏、川に挟まれたこの街が水不足に悩まされることになるとは、何たる皮肉か。


 だが、この城はもうそれどころではないのだ。

 ≪白猫≫襲撃事件。そしてそこから始まった、暴挙ともいえる対外政策。


 最悪なのは、それを為したのがこのルイス王子であるという点。

 尋問官による聴取によると、彼は自分の侍女に戦闘術を授け、武装を設計し、自らの私兵として教育したそうだ。そうして育て上げた彼女を実働部隊として≪白猫≫にぶつけた、それが襲撃事件の真相だと。

 愕然とした顔の尋問官に向かって、ルイスは動機をこう話した。


「だって、あいつ怖いんだもん。即位する前に排除しておこうかなって思ってさ。なんか妙に忠誠心の強そうな奴見っけたから、信じ込ませてお願いしただけ」


 王子ルイスが愚行を犯し、今は王女エレオノーラの政治手腕が国を導いている。表向きには、そういうことになっている。


 先程の病室で、侍女本人にああは言ったものの、今回の一件ついてルイスは余計な根回しを一切していない。己の我儘一つを理由として、自分の信用を地に落としただけ。結果としてルイスはこうして武装された騎士に四六時中監視される羽目になっている。


 コーティが今の状況を聞けば真っ青になるだろうなあ、なんて苦笑する。

 彼女はあの傷だ、しばらく動けないだろう。部屋には厳重に鍵がかけられ、医師を除いた誰の立ち入りも禁じているから、出歩くことなんてできやしない。


「……」


 まあ、本音を言うなら出歩けるくらい元気でいてくれた方がいいのだが。魂が抜けたような彼女の表情を思い出して、ルイスは肩を落した。医師の話では、目が覚めてからずっと彼女はベッドから出てこようとしないらしい。ひたすら目を閉じているか、ぼんやりしているかのどちらか。


 本当に、彼女は復讐に全てを賭けていたのだ。彼女の言葉に偽りはなく、本当にそのために生きて来たのだ。

 そして、事態は進み始めた。ルイスが彼女の復讐を実行に移したことで全てが動き出した。その矢面に立たされているであろう宰相に、ルイスは問いかけた。


「……姉上、大丈夫そう?」

「それをお聞きになりますか」

「……」


 廊下の窓から外を見る。夏の日差しの元、城の庭にはこれまで見られなかった完全武装の騎士が見えた。暑そうだな、と罪悪感を覚えた。


「……もう一人の姉貴は?」

「沈黙を保っています。……まあ、ケト嬢の行方が完全に分からなくなったところを見るに、水面下で動いてはいるのでしょうが」


 内心でため息を吐く。

 良かった。怒ってはいるのだろうが、≪傾国≫は理性的だ。手紙程度でこちらの真意を伝えきることができたとは思えないが、それでも最悪の事態は避けられた。

 計画通り、即開戦ということにはなり得ない。


「なら、やることをやるだけだ」

「……殿下」

「国が動き始めたんだ。今更後戻りできるものじゃないだろ。……アルフレッド、お前は俺みたいになるなよ」


 ルイスの計画の全てを知る若宰相は、真っすぐ前を向く。どことなく悲しそうな顔をしていて、周りの騎士に聞こえないよう、声を潜めて呟いていた。


「……あなたをお止め出来なかったこと、私は一生後悔しますよ」

「悪いな。でも必要だと思ったことだから」


 短く答えて、ルイスもまた姿勢を正した。我儘のツケを払う時は、もうそこまで迫っていた。


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