動き出す世界 その4
ルイス王子は笑う。
その笑顔の作り方に、今までと異なる点なんてなにもない。いつも通りに軽薄さの鎧をまとって、いつも通りに我儘を気取る。皆から嘲笑され、後ろ指を指され、苦言を呈される。すべてが普段通り、すべて同じだ。
慣れているはずだった。
自分のことを、人は≪我儘王子≫と呼ぶ。皆の期待を裏切ることに、今更躊躇いなんてないはずだった。
ただ一つだけ。普段と違う胸の痛みを逃がしたくて、ルイスはそうと分からないように、小さくため息を吐いた。声には出さず、心の中でその娘の名前を呼んでみる。ただ一言「コーティ」と。
今この瞬間、ルイスは本当に一人きりだった。
「本当に反省されているのか、殿下!」
「もういい、先に進めましょう。この方の言い分を聞くだけ無駄だ」
「そういう訳に行くものか! すべての元凶なのですぞ?」
王城の北側に位置する行政棟。その一階には中央会議場が鎮座している。
≪傾国戦争≫以後、王族がかつての影響力を失った代わりに、この議場は役割を強めている。政を司る中心地、そんな大仰な名前にも負けないだけの実績を勝ち得つつあるのだ。
そんな議場に集った面々の表情は一様に硬い。当然のことだった。
ルイス・マイロ・エスト・カーライル。この国の次期国王が、≪白猫≫襲撃という禁忌を犯した。それはすなわち、人知を超える存在に喧嘩を吹っ掛けたに等しく、事態を知った者は皆が顔を青ざめさせたのだ。
「だから、何度も謝ったじゃん」
重鎮たちがいきり立つ中で、ルイスは最後まで阿呆を気取る。
どうせ、誰にも理解されることはない。なら最後まで愚王の息子を演じてやるだけのことだ。
「だいたい、この状況で会議に出すなど! 信じられん、罰が甘すぎるのではありませんか!?」
「まったくだ。最低でも自室で謹慎。可能であれば≪六の塔≫にお入り願いたいくらいの蛮行じゃないか!」
事情を知らされず、激怒する国の重鎮。巻き込んでしまって申し訳ないと思った。
少し離れたところに佇むエレオノーラは、こうなることを許した彼女自身を一生許さないだろう。決して消えない棘を姉に突き刺した自覚はもちろんあるけれど、それこそ弟の甘えと思って許してほしい。
大丈夫、姉は自分と違って一人じゃない。共犯者のアルフレッドも隣に控えているのだから。
そして、敵。ルイスとこの国の敵。
そっと視線を巡らせて、ルイスは己の敵を見据えた。
ネルガン連邦共和国。国交開設の特使としてやって来た、異国の海軍のお偉方。
全権特使のトーリス中将。その側近と目されたプレータ・マクライエン少佐。護衛として軍人が数名……端の実直そうな男は、確か名前をバルヘッドと言ったか。
すべては彼らの来訪から始まった。戦後の復興に全力を注ぐカーライルに、水を差した連中だ。
王子は王女に、ほんの一瞬だけ視線をやった。
今のが、最後の後押し。合図は受け取った、そう言う代わりに姉が背筋を伸ばして。
そして、国が動き出す。
「いい加減になさい」
糾弾の場を貫いた王女の声は、決して大きくはない。けれど、凛とした声色は議場によく響いた。
「ここは他国の使者様をお招きする会議の場。これ以上、我が国の悪評を広める必要はなくてよ。……ルイス、あなたもいい加減、恥というものを知りなさい」
それを機に、罵詈雑言がピタリと止まった。大多数の重鎮が、それでも言い足りなさそうな視線をエレオノーラに向けていたが、彼女はそれすら意に介さない。王女はぐるりと周囲を見渡して、嘆息を一つ。
「さて。静まったところで、本題に入りましょうか。まずはネルガン大使の皆様、急な会議の要請に応じていただいたこと感謝いたします」
「……いえ、とんでもありません。どこの国にも、公にしたくない事柄があるのは承知の上です」
「ご理解、痛み入ります」
軍の正装に身を包んだネルガンの特使一行は、揃って警戒の表情を浮かべていた。少し離れた迎賓館に滞在していた彼らも、何かのっぴきならない事態が発生したのだと把握はしているのだろうから。
……と言うのは建前で、彼らは今の状況を完璧に掌握しているはずだ。≪白猫≫襲撃と同時刻に、ネルガン海軍の擬龍部隊が王都上空に侵入していたことなんて、報告が必要ないくらい分かり切っていた。
「我が国の状況は、この惨状が物語る通りです。そこの愚弟のせいで、我々が非常に厳しい立場に置かれたこと、お判りいただけたことと思います。≪白猫≫は行方をくらまし、いつ襲ってきてもおかしくない」
苦虫を噛み潰した表情のまま、けれどエレオノーラはすらすらと続けた。
「ネルガンの皆様にはなかなか理解しがたいことと思いますが、我が国にとって≪白猫≫は悪夢の象徴です。互いの理性を持って動きを抑えられている間は良かったのですが……そこの愚弟が均衡を破ってしまった。猶予はありません。最悪の事態に備え、我々は対策を取らねばならない」
対するトーリス海軍中将は、しばし悩んだ素振りを見せた後で、慎重さを滲ませながら問いかける。予想通り、彼らはこちらの出方を伺っているようだった。
「……対策、言いますと?」
「この後、カーライルは準戦時体制に入ります。実際に宣言を出すのは少し先になりますが、既に騎士団には非常呼集をかけました」
広間が揺れた。驚いたのは特使だけではない、カーライル側にも事情を知らされていない重鎮は多い。思わず椅子から立ち上がった者まで見えた。
この国は戦争準備をはじめたと、王女は今、そう言ったのだ。
「これに伴い、ネルガン特使であるあなた方にも、以後の行動に制限をかけさせていただきます」
特使の眉が、ピクリと震えた。
「過去二度に渡る貴軍航空隊の王都侵入。人的、物的破壊。状況が許せば厳重に抗議させていただきたいところですが、それも今は置いておきましょう。とはいえ以後、間違ってもないようにしていただきたい」
「……我々とて己の身は守る必要があります。自己防衛の手段を捨てろとおっしゃるのか?」
「そのお言葉も、前々から何度もお聞きしましたが……。本日こそはっきりとお答えしましょう。その通りです」
平然と言ってのけたエレオノーラ。こういう時、彼女は素の気弱さを見せないことも、ルイスは知っている。
続く言葉は、侵略を目論む外国の特使への、痛烈な一撃。
頼む。コーティの復讐心まで利用したのだ。これで上手く行ってくれなければ、ルイスはもう、誰にも顔向けできなくなってしまう。
「そしてもう一つ。艦隊の機能維持のため、貴国にはマイロ港を開いておりましたね。こちらの退去をお願いします」
自国も他国も問わず、その場が凍り付いた。ルイスにはそれが分かった。
「これは貴国に限った話ではありません。我がカーライル王国は、一時的に全ての国との国交を停止させます」
「……は?」
「事実上、カーライルは鎖国政策を行わざるを得ない。私は今、そう申し上げているのですよ。トーリス中将閣下」
ルイスは想像してみた。
もしもここにコーティがいたら、果たしてどんな顔をするのだろうか。
戸惑うことだろう、混乱することだろう。まずもって、彼女は話についていけないだろう。なぜなら、ルイスがコーティにだけは徹底的に隠していたことだから。
そう。今病室で臥せっている彼女は、最初から最後まで何も知らない。
「我々と敵対した≪白猫≫と、何らかの勢力が手を結ぶ。私たちはそれを危惧しているのです」
「ちょ、ちょっと待っていただこうか。話についていけないのだが。≪白猫≫だと? なんだか知らないが、それが我々とどう関係する?」
「……本当に、分かりませんか?」
王女の声は、底冷えするような重苦しさを伴って響いた。
「昨冬、ネルガン海軍のどなたかが、≪傾国≫に書簡を送ったそうではないですか。内容、教えてもらいましたが……。随分と酷いものでしたね」
「……」
「『ネルガンが手を貸すことで、現王制を転覆させる。その後、≪傾国≫を旗頭として、もう一度中央に返り咲かないか』と……。ネルガン連邦共和国カーライル自治州、そんな名まで嘯いて」
コーティは、きっと何も気付いていない。
この国が水面下で侵略者と戦い続けていたこと。圧倒的な軍事力をちらつかせ、隷属を強いる条約を提示してきた相手に、なんとか立ち向かおうとしてることを。
「≪傾国≫が誘いを拒絶してくれたから良かったものの、これで本当に貴国が望む、有効な関係が築けると言えるのでしょうか。あなた方はこの国を滅ぼそうとしているのではないかと勘ぐってしまいますわね」
「そのようなことは」
「断じてない、と言い切れますか。……我々と条約締結の交渉をする一方で、≪傾国≫に国家転覆の打診をする貴国。不平等条約を一方的に押し付け、建設的な交渉に応じない貴国。それを、今更信じろと?」
あまりの言い様に、言葉を失ったのかもしれない。その場に集った者達が一様に絶句する中、エレオノーラだけが要求を伝えつづける。
「傷つき姿をくらました≪白猫≫に対し、貴国が手を差し伸べる。圧倒的な軍事力を誇るネルガン海軍、そこに≪白猫≫という悪魔まで加わってしまうとしたら、それは我が国の滅亡そのものです。阻止するためには鎖国しか手がないと判断しました」
「……さ、流石に暴論がすぎるのでは?」
「我が国の内部に、貴国へ内通する人間がいることも存じています。その者たちの暗躍により、そこのルイスが二度暗殺されかけている現状、これでも決して大げさな対応ではないと思いますが」
世界最大の国力を誇ると言われている、ネルガン連邦共和国。
そんな大国が隷属を迫ってきたとして、カーライルの様な小国がどう対抗すべきか。
圧力を躱すためには搦め手が必要だった。それも空からの目を躱すため、ごく限られた人数で実行に移せる策が。
コーティに義手を渡したあの日。八方塞がりの王子が、侍女の復讐心を聞いたあの時。
ルイスは思い付いてしまったのだ。屁理屈だらけで、滅茶苦茶で、意味不明で、そして最少人数で実行可能な対抗策を。
「私のことを、蛮族の頭領と罵っていただいて結構。お恥ずかしい話ですが、我々はもう体面を気にできるような状況にありませんから」
「……つまり、エレオノーラ殿下はこうおっしゃられた訳だ。カーライルは、ネルガンを虚仮にする、と」
憂いを帯びた姉の横顔が、ルイスの視線の先で揺れた。
「まさか。言っておきますが、我が国は同じ対応をすべての国に対して取ります。決して貴国だけが対象ではないこと、ゆめゆめお忘れなきよう」
なあ、コーティ。
以前、言っていたよな。これは破滅へと続く道って。それ、半分は正しくて、半分は間違ってるんだ。
破滅するのはお前じゃない。これは俺の破滅と引き換えに、国家を存続させるための道なんだよ。




