動き出す世界 その3
「で、向かってる最中に地面が揺れるわ、ケトの魔法が見えるわで。こりゃ間違いないと思って行ってみたら、ケトが倒れてたってわけ」
「……」
「……ゾッとした。ケトが血まみれで、ずぶ濡れで、しかもあのコーティって女がとどめさそうとしてるし」
ガタゴト動く馬車の振動を感じながら、ケトはルイス王子から渡されたという書きつけを読み返す。そこにはケトの知らされていなかった事実と、それに対するルイス王子の思惑がびっしりと書き込まれていた。
渡された紙から目を離して、ケトは毛布の山にもう一度凭れ掛かった。その内容は、一度読んだだけでは理解しきれないほどの複雑さだ。頭の中で整理する必要もあるだろう。
けれど、一応現状は掴むことができた。なんだか知らない間にとんでもない騒ぎに巻き込まれていることも分かったし。
「じゃあ、わたしはしばらく教会で身を隠す、ってこと?」
「≪白猫≫が教会と敵対って話は有名だからなあ……。まさかそこに身を隠しているとは思わないはず、っていうのも理解できるよ」
「……敵対っていうか、怖いっていうか」
ケト・ハウゼンの立ち位置が必要だった。そんな親書の一節を口に出してみた。
それが、この国の王子が考えた、海の外の脅威に対する一手らしい。
「……『そのため、≪白猫≫が王子の手によって襲われ行方不明、という状況そのものが必要』。そんなこと、巻き込んだ後に言われてもね」
「あの王子、クソ腹立つよな」
「でも、これが本当なら……」
「ああ。ほとぼりが冷めるのを待った方がいいってこと」
≪白猫≫の本拠地が北の田舎町ブランカだというのは、国のお偉方の中で結構有名な話だ。だから、隠れ場所から除外した。ジェス曰くそう言うことらしい。
「それで教会?」
「そ。だから教会」
二人して隣の教皇を見上げた。ニコニコと人好きのしそうな表情を見せる老人。どちらかというと近所のおじいちゃんなんて呼び方がふさわしく思える。
「このような時に頼っていただけたこと、本当に嬉しく思います」
「……信じて、良いんだよね?」
「エルシア様より、いざという時は頼むと言付かっております。龍神様に誓いましょう」
老人は、けれどそこで遠い目をした。
「とは言え、あなたを襲ったコルティナ・フェンダートは、龍神聖教会の信徒でもあります。彼女が行った仕打ちを思えば、『信じてくれ』などとは言えません。ですから、行動にして示すつもりです」
「……」
確かにあの侍女も、自分のことを教徒だと名乗っていたっけ。龍神聖教会に襲われたかと思えば、助けてくれたのも同じ教会の人間。一体どうなんているんだか。
襲われた時の記憶をたどって、ケトは小さくため息を吐いた。最後、目の前に迫りくる濁流に悲鳴を上げたところまでは覚えているものの、その後どうなったか記憶がない。妙に耳に残っている声はあるけれど、どういう状況だったか分からないのだ。ジェスの話を聞くに、朦朧としながらも地上までは脱出できたみたいだけれど、その辺りもあやふやだ。
「……怖かった。ジェスが助けてくれたんだね」
「俺もケトが死んじゃうかと思って怖かったよ。色々とサボんねえで良かった」
「ありがと……。死んじゃうかと思った」
「……別に、当たり前のことをしただけだし」
ジェスが故郷で磨いていたのは、何も剣の腕だけじゃない。応急手当やら野営の方法やら、それから隠密を真似て姿を見せない動き方まで。冒険者としても役に立つことから、冒険者として生きるだけならまるで必要ないことまで。彼は努力の人なのだ。
ケトはもう一口、水筒に口をつける。しばらく眠っていたからだろうか、さっきも飲んだばかりだと言うのに、喉が乾く。自然とうなだれていたら、ジェスが気遣うように覗き込んでいた。
「襲われた時、何かあったのか?」
「……こんなにやられたんだから、落ち込むよ」
そっと目を背けて、ケトは言った。
別に嘘をついたつもりはないけれど、本当のことでもない。あの地下で、コーティから言われたこと。それは、ケトの胸の中に突き刺さったままだ。
「……負けられない、だなんて」
ケトにしてみれば、そもそも勝ち負けを競うものですらないというのに、奴は自分にそう言った。憎しみを刃とし、命を武器として、ケトという存在にすべてをぶつけて来た。
思い知れ、なんて言われる筋合いはない。どうやら、かつてケトが教会の奴らと戦った時のことを根に持っているみたいだったけれど、あの頃はケトだって必死だったのだ。
教会から追われ、国から狙われ。大切な姉は命の危機に瀕して、大事な町は崩壊への道を辿った。
それがどれほど辛かったことか。どれほど怖かったことか。どれほど、自分の力を疎んだことか。
なのに奴は、こちらの苦悩を知ろうともせず、ただひたすらに殺意を向けて来た。敵討ちだなんて、そんな理不尽な話があるか、とも思う。
「コルティナ・フェンダート……」
けれど、何故だか突っぱねられない。多分、龍の目で彼女の心を視てしまったからだろう。
ケトの力に、人の心を全て読み取れるほどの便利さはないけれど、敵の目的や動きを推測する助けにはなってくれる。危険だと判断した時点で、他人の心を視つめることに躊躇いはなかった。
そうして覗いた彼女の心は、まるで……。
「……迷子の子供みたいだった」
やるせなさ、とでも言うのだろうか。行き場を失った者が抱える苦悩。悲しい、だとか。苦しい、だとか。そこまで明確な表現もできない、ただとても辛い感情。
「申し訳ありません……」
響く声に、ケトは思考を打ち切った。見れば、アキリーズが深く頭を下げていた。
「彼女を国との交流の使者として送ったのは、紛れもなくこのアキリーズでございます。その咎は、いかようにも」
「国との人材交流が何とかって言ってたけど……。どういう人か、調べたりしなかったのかよ」
ジェスが低い声で問いかける。怒っているような声色だった。
「ええ。王都に出すにあたり、もちろん調べましたとも。……教会に預けられた幼少期に始まり、≪付番隊≫にいた頃の彼女のこと。終戦の折、捕虜となり、復興作業に従事していた時期のことも」
「それなら、こういうことをするかもしれないって、分かってたんじゃないのか?」
「言い訳にはなってしまいますが……。人が胸の内に抱えた隠し事。それをどうして見抜けましょうか」
アキリーズは悲しそうに目を伏せた。
「……互いに信頼があれば、もしくは事が単純であれば、言葉に出さなくとも想いが伝わることもありましょう。ですが、人と人との関係というのはとても複雑です。誰が敵で、誰が味方か、などという悲しいことを考えたくはありませんが、しかし、そのような思考に陥ってしまうのも事実です」
「……」
「コルティナにとって、儂は敵だったのでしょう。身の回りの全ての事象が、敵だったのでしょう。ひょっとしたら無力な自分すらも敵のように思えたのかも。世界に見放されたような、そんな気分だったのかもしれない。……その彼女が、本当の意味で己の心を隠したら、もはやそれは誰にも見抜けません」
その言葉に、ふとある人の顔が脳裏をよぎった。
ケトの姉、エルシア。彼女もまた、そういう人だった。自分の生まれと過去に絶望し、人に好かれる自分を作り上げて、弱気な心を隠していた人。ケトの方から抱きしめてあげるまで、彼女は本当に素直じゃなかった。
……そんなはずはない。考えかけて、しかしケトは首を振る。
大好きな姉と、あの侍女が似ているなどと。そんなの、尊敬する姉に失礼だ。重ね合わせることすら嫌になる。思考を振り払うように、ケトは口を開いた。
「……教皇様」
「様付けなど。どうぞ、おやめください」
「じゃあ、えっと……アキリーズさん」
「はい」
なんだか、状況が酷く拗れてしまっているような気がするけれど。多分、ケトが言いたいことは一つだ。
「コルティナ? コーティ? ……名前がどっちか分からないけれど。ごめんなさいってするくらいなら、その人のことを教えて。それも、できるだけ詳しく」
「ケト様?」
「すごく変な人だった。すごく大人で、すごく子供。知らなきゃ、次に襲われた時に勝てないよ」
ケトを見るアキリーズが、目を丸くして。そのまま、穏やかな声で答えた。
「……エルシア様から聞いていた通りの方ですな、ケト様は」
「え?」
「自分の理解できないものごとを、恐れはするが怯えはしない。そしてなにより、とても素直でいらっしゃる」
今のやり取りでどうしてそんな感想が出てくるのか。ケトにはもうチンプンカンプンだ。
「……シアおねえちゃん、手紙に何書いてたのさ……」
思わず半目になったケトの前で、アキリーズが微笑んでみせる。
「ケト様。今向かっているマイロは、コーティにとって縁のある町。身を隠し傷を癒す間に、気になることを一つずつ聞いてみるとよいでしょう」
「一つずつ……?」
「ええ。儂が一気に話すより、その方が彼女をずっと深くまで知ることができるでしょうから」
見上げた教会の長は、微笑んでそう言った。
※次回は4/4(月)の更新になります。




