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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第五章 侍女は少女に
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動き出す世界 その2


「うぅ……」


 ケトはずびびっと鼻をすすった。しがみついていたジェスのシャツがべちゃべちゃだ。これじゃあ濡れちゃって気持ち悪いに違いない。


「落ち着いたか?」

「……うん」


 そっと彼の胸から顔を離して、ケトは視線を上げる。少年の焦げ茶の瞳に映り込むのは、乱れた銀の髪に、泣き腫らして真っ赤になった銀の目。ああ、自分はなんてひどい表情をしているんだろう。ホッとした顔で笑う彼に、ケトはどんな顔をすればいいのか分からない。


「体はどうだ?」

「……すごく痛い」

「だろうなあ……」


 少年の苦笑に促されて、ケトは自分の体を見下ろした。

 着ているのは、柔らかい布地の素朴な上下。少なくとも、ケトは持ってきた覚えのない服だ。その下では体中が包帯でぐるぐる巻き。特に右手は指の上から固定してあるせいで、見た目はまるで丸々とした猫の手みたいだ。

 そっと後ろを振り返れば、背中に真っ白な包帯の翼が見えた。翼自体は見えなくても、上に巻いた包帯は目に映ってしまうらしい。怪我をした部分だけでなく、翼全体が覆われているのは、何処を怪我したのか手探りでしか判断できないからだろうか。ケト自身、こうして翼の形を見るのは新鮮で、意外と大きいのだな、なんて思ってしまった。


 しばらくは飛べそうにない。理解が追いついてきて、ため息を一つ。


 この程度の傷で済んだこと。同時にその意味も分かってしまったケトは、自分の体から目を背けた。

 並の人間だったなら、いったい何度体がバラバラになっていたことか。執念の塊のような女から受けた猛攻、そのすべてを受け止めて、けれどケトには四肢も翼もしっかりくっついている。

 そんな自分の異常さを、改めて理解してしまうから。


「……ねえジェス、ここは?」


 ガタン、と床が揺れて、それでケトは自分が移動していることを知る。ぐるりと見渡してみて、思ったことを口にしてみた。


「……馬車?」

「ああ。大分南に来てる」

「南って……」


 またしても床が揺れ、ケトは無意識にジェスのシャツの裾を握る手に力を込めた。……右手の刺すような痛みに顔をしかめながら、状況を朧げながら掴んだ。

 樽やら木箱やら、所狭しと詰み込まれた荷物の隙間に、こんもりと積まれた毛布の山。自分はどうやらそこに包まっていたらしい。


「水、飲めるか?」

「あ、ありがと……」


 渡された水筒を左手で受け取って傾ける。飲み下した水が心地良くて、ケトは目を細めた。喉の調子を確かめて、吐息を一つ。


「お目覚めになられましたかな」


 木箱の山の向こう、おそらくは御者席の方向からかけられた声に、視線を振り向けた。めくられた幌から目を焼き尽くさんばかりの光が差し込んでいて、何度も目をしばたたく。

 先程まであれだけ泣いていたのだ。目を潤ませているのが悲しみの残り滓なのか、それとも生理的なものなのか。それも把握しないままで、近づいて来る人影を見上げる。


 男性、背はそれほど高くない。こめかみの左右に少しばかり残された頭髪が、かなりの老齢を感じさせる。

 そして何より目を引くのは彼の服装だろう。王都でも、北の町でも忌避の対象となっている、白い修道着。それは教会の人間の証だ。あの刺客の侍女の姿を思い浮かべ、無意識に右手に力を……。


「……っ」

「大丈夫、心配いらない」


 しっかりとしたジェスの声。思わず浮かせた背中から、力を抜いた。

 ……いい加減、自分は学んだ方がいい。右手の怪我、かなり酷そうだ。さっきから力を込めると刺すように痛い。


「どうして、龍神聖教会(ドラゴニア)の人が……」

「お初にお目に掛かります……で良いのか疑問もありますが。以前お見かけした時には、お話できるような状況でもありませんでしたからな。やはり、はじめまして、と言わせてもらえますかな」


 老齢の男性が、ゆっくりと腰を折った。


「アキリーズ、と申します。今は縁あって、龍神聖教会(ドラゴニア)の雑用係をしております」


 どこかで聞き覚えのある名前に、ん、と首を傾げた。頭の芯がまだぼやけていて、しかも泣き疲れたせいかフワフワしている。ジェスがそんなケトの背中に手を添えて、毛布の山にもたれかからせてくれた。


「まだ無理はしない方がいい。寄りかかっとけ」

「ジェス……?」

「教皇様だよ、今の教会の」


 きょーこー、という響きを口の中で繰り返してみる。しばらく記憶を探って、不意にパチリと何かがかみ合った。


「教皇!?」

「まあ、そう呼ばれることも増えましたな。きっと名前より呼びやすいのでしょう」


 柔和な笑みを浮かべた老人のことは、ケトも知っている。

 一度は武装集団となり果てた龍神聖教会(ドラゴニア)。その枢機卿亡き後、教会をまとめ上げ、三年で立て直した人物。かつての戦争で、姉に手を貸してくれた一人。ケトも遠目からならその姿を見たことがある。廃墟と化した王城の中心で、特攻を繰り返し続ける教徒の前に立ちふさがっていた人だ。


 そう思えば、不思議な挨拶にも頷ける。

 ケト自身、見たことはあっても、この老人と会話した記憶はどこにもない。当時は第二王女エルシアの元に集った者同士、目的を一にしていた人物ではあるが、自分とこの人ではその役割があまりにも違い過ぎたのだろう。しばらくボケっと眺めていたケトは、挨拶ができていないことに気付いて慌てて口を開いた。


「あ、えっと、ケト、です。……教皇様って、偉い人だよね?」

「教会で一番すごい人だろ」

「いえいえ、私は決してそのように讃えられる人間ではございません。形式上、どうしても長がいなければならない状況でしたから。ちょうど動きやすい立場にあった私が、ひと時だけ立場をお借りしているだけのことです」


 目を細めたアキリーズは、そう言ってケトの前に座り込んだ。ガタン、とまたしても馬車が揺れ、老人が眉を下げる。


「申し訳ありませんな。……如何せん荷が多く積めることを優先したので、乗り心地はあまり良くないのです。本来であればケト様に別の馬車をご用意すべきだとは思ったのですが……」

「無理言って乗せてもらったんだ。文句なんかないよ。それに、今は目立たないに越したことはないしさ」

「そうおっしゃっていただけるなら良いのですが……。実際、これは怪我をされた方を乗せる乗り物ではありませんからなあ……」


 平然と答えたジェスと、恐縮仕切りといった老人の顔を交互に見ながら、ケトは頭をゆるゆると振った。


「わたし、あのコーティって人にやられて、それで……。ねえジェス。あの後どうなったの……?」 


 もう、何処から聞けば分からない。への字にした眉で二人を見返せば、少年と老人が苦笑を交わしていた。


「ま、起きたばっかじゃそうなるよな。ものすごく簡単に言うと、この馬車は海に向かってるんだ。ケトをもう一度、行方不明にさせるために」

「……どゆこと?」


 説明するよ、色々と。困惑するしかない少女に向かって、少年は大人びた瞳で微笑んだ。


     *


「あっれえ? そこにいるの、もしかしなくてもジェス君じゃん!?」


 襲撃の直前、ギルドでルイスに見つかってしまったジェス。

 仕方なしにカウンターの方へ歩き出した彼の後ろでは、今もケトがコーティなる女と話をしている。何の話か気にはなっていたが、ジェスにそれに注意を向けるだけの余裕はなかった。


「あ、やっぱりそうだ! おーいジェス君、何だよつれないなあ、こっちこっち、俺だよ俺!」


 ルイス・マイロ・エスト・カーライル、だったか。長ったらしい名前の、この国の王子様。王様不在という不思議な状況の今の国で、一番偉い人と言っても過言ではない。

 そんな御仁が、どうしてこんなところにいるというのだ。しかも、ジェスみたいな田舎の一般人に声をかけてくるなんて。そもそもの生まれが違い過ぎるのに。

 向かう先で王子と騎士が「ちょっと誰ですか彼は!?」とか、「え、知らないの? 俺の親友」とか言っているのが聞こえて、ジェスは思わず遮った。


「いや、親友って……」

「え、違うの? そう思ってたのは俺だけ!?」

「話したことだってないのに」


 騎士が迷ったようにジェスの顔を見、剣の柄に手を置く。突然知らない少年が近づいてきたのだから当然と言えば当然なのだろう。変に警戒されたくなかったので、ジェスもまた彼から少し離れた場所で立ち止まる。

 あちこちから聞こえるコソコソ話に、ジェスは自分の胃がキリキリと音を立てるのを聞いた。


「誰だよあの坊主……」

「さあ? 最近よくチビっ子と端のテーブルに座ってるやつじゃないか?」

「あれ王子様だろ? なんであんなに親しげなんだ、まさかあの坊主も偉い人だったりするのか?」


 少しずつ集まってくる人だかり。マズい、と思った。ジェスはともかく、いつも一緒にいるケトまで詮索されたら、正体を隠しきれなくなる。

 知られないこと、それが今のケトの生命線だ。かつて国を傾けた少女が王都にいる。それが白日の下に晒された時にどんな混乱をもたらすのか、ジェスには想像がつかない。少しでもこちらに視線を集めるために、ジェスはあえて大きな声で問いかけた。


「何の用ですか?」

「友達と話すのに理由なんかいらないっしょ! ……なあ、ちょっとさあ、護衛したいのも分かるけど、ここからは男同士の話し合いだ、盗み聞きは良くないからな! な!?」


 制止しかけた騎士の手を振り払って、つかつかと歩き出す王子。その先の人の山が戸惑ったように分かれて、ジェスの前まで一本の道を作り出す。いや、本当に勘弁してほしい。


「俺、そんなに目立ったら困るんですって」

「その気持ち、超分かる。やっぱ親友だわ!」

「分からんでください。殿下と俺じゃ全然意味違うでしょう。そもそも俺、あんまりミヤから離れたくは……」


 近くに寄った彼の顔に、ふとケトの姉の面影がかぶる。そうか、王子は一応あの人とも血縁関係にあるんだなと、そう思った瞬間。ジェスははっとしてルイスの顔を見つめ直した。

 その目の光をジェスは知っている。何か良からぬことを考えている時の色だ。


「……何のつもりですか」

「お。すげえ、気付いたっぽい」


 先程までとは一転。ジェスが声を低くして問いかければ、ルイスも軽薄な表情のまま、軽さの欠片もない声色で返す。

 ざわつくギルドの中心。ジェスはすっと目を細め、ルイス王子の瞳が笑っていないことを確かめた。


「ジェス・リゼル君。君って案外厄介だよね。流石は≪傾国≫の懐刀、≪白猫≫の鈴ってだけのことはある」

「……用件は? ミヤではなく、俺に話したいってことですか」

「へえ、そこまで察してくれるとは嬉しい誤算だ。……正直さ、俺は君をどうすればいいのかってことに一番悩んだよ。敵に回したくないが、敵に回さざるを得ない相手。俺の真意を伝えられる時間は、今この時を除いて存在しないから、会いに来た」


 光の加減によっては淡い金色に輝く髪、そして水を思わせる青の目。対するこちらはありふれた茶髪に焦げ茶の目。

 この時点で生まれ持った差を感じずにはいられないものの、だからと言って退くつもりは欠片もなかった。


 少年と少年が睨み合う。

 王子が、ケトではなくジェスを呼んだこと。この様子では穏やかな話ではなさそうだと、そこまで考えて。


 直後、ジェスは確信した。後ろを振り向くまでもなく、既にケトがギルドにいないことを理解する。警戒を敵意に変えて距離を詰め、周囲に話が聞こえないよう、静かな怒気を込めて呟く。いくら王族とは言え、もう敬意を払うつもりはなかった。


「ケトに何をする気だ」


 王子もまた、ジェスへと一歩を踏み出す。「やっぱり気付くんだ。鋭いね」と。


「謝罪はしよう。だが、今の我が国には≪白猫≫の立ち位置が必要だった」

「ふざけんな、分かるように言え」


 剣呑な空気を察したのだろう。王子の我儘で離れていた騎士が、慌てたようにこちらへと足を踏み出す。その直前、ルイスが手を突き出してきて、ジェスは自分の手に何かを握らされたことを感じ取った。


「俺はジェス君が羨ましいよ。好いた娘の傍に居られることがどんなに幸福か」

「……幸福? あいつがどんな立場に置かれているかも知らないで」

「知ってるさ。≪白猫≫の立場は彼女自身が作り上げた。全て、あの娘が力を振るった結果だろう?」

「違う、大人が寄ってたかってあいつを傷つけた結果だ……!」


 それ以上、言葉を交わす余裕はなかった。騎士が二人の少年の前に分け入って、体をジェスの方へと向ける。既に密談などできる雰囲気ではなかった。


「よっしゃ、お目付け役にも見つかっちゃったことだし、帰るとするか! あ、そうだ。ねえ帰りにレモネード飲んでってもいい?」

「殿下、いい加減にお収めを……」

「最後に、ジェス君!」


 騎士に背中を押されるように、ギルドの正面扉に向かうルイス。彼は最後に、ちらりとこちらを振り向いた。


「あの子にごめんねって言っといてね!」

「……!」


 小言を言う騎士と共に扉の向こうへ消えた王子。ドアが閉まるのを見届けることもなく、ジェスはすぐに振り返って、ケトの姿を探す。

 嫌な予感は的中した。人ごみの中に見知ったフード姿は見えず、彼は唇を噛んだ。


「ちくしょう!」


 どこだ。まだ遠くには行っていないはず。王子がどんな手を使ったのかは分からないが、ジェスの知る限り、ケトという少女は、人の言うことを信じてしまう素直さはあるのだ。

 目を凝らして、近づいてきたコンラッドの険しい顔を見る。各所についていた≪影法師(シルエット)≫の警備すらかいくぐったのか、それとも嵌められたのか、ジェスにはまるで状況が分からない。


「ジェス君。すまない、隙を突かれた」

「どういうことだよ」

「王子が出歩くこと、護衛騎士たちはどうやら何も知らされていなかったらしい。慌てて追ってきたせいで、我々≪影法師(シルエット)≫の一部を刺客と誤認し小競り合いになった」

「……警備に隙が出来て、その間にケトが消えた?」

「……ああ」


 ジェスは深呼吸を一度した。こういう時に慌てるのはもっとも悪手だ。孤児院の院長に教えてもらった、落ち着くための数秒。それが案外重要だったりする。


 考えろ。今言えるのは、事態が悪い方へ動いたと言うこと。

 知らず握りしめた手に、くしゃりと潰れた紙の感触。それを開いた彼は、丁寧に描かれた地図と、道筋に引かれた印を見た。


「ここに、行けと……?」


 書いてあるのは、城下街の地下の見取り図。まるで迷路のような新旧地下道と、配された施設の図面。そしてもう一枚、びっしりと文字が書き込まれた紙。


「……これって」

「少し待つことはできるか? すぐに状況を確認して……」

「……コンラッドさん。頼みがある」


 隠密の言葉を、少年は静かに遮った。


「ジェス君?」

「すぐにケトを見つけ出して王都を離れる。その援護を≪影法師(シルエット)≫に頼みたい」

「それは……」

「いざって時どう動くか、あいつの姉さんから助言はもらってるんだ。今がその時だと思う。……コンラッドさん、あんただって手紙受け取ってただろ?」


 黙り込んだコンラッドを、ジェスは静かに見上げた。わずかな沈黙の後、≪影法師≫は抑揚を感じさせない声で問いかける。


「……援護と言ったな。具体的には?」


 ジェスは手元の紙に視線を落とした。王子から渡された走り書きには、これからケトが通るであろう場所が示されている。で、あれば……。


「まずは俺の護衛を。道を選んでる余裕がないし、向かう先に誰がいるか推測しかできないんだ。おそらく来るであろう連中……特に騎士。近づけさせないでほしい」

「……無茶を言うな、君も」

「難しそうかな?」

「誰にものを聞いている」


 ソードベルトに手をかけて、ジェスは手に持っていた剣を背負う。コンラッドも、旅人の外套の襟元をしっかりと合わせて、腰元に携えた剣を隠した。


「これでも私は怒っているんだ。任せてもらおうか」


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