我儘王子と側仕え その3
侍女。
この役職、実は非常に特殊な立場にあったりする。
当たり前の話だが、王城には多くの使用人がいる。料理、給仕、洗濯、貯蔵庫、掃除、来客、その他もろもろ。それぞれの部署に専門の人員が配置されており、ライラたち新米使用人は、この数多くの役割を一通り学んでいるところだ。
しかし、侍女だけはそのくくりの中にいない。
侍女と使用人の違い。端的に言ってしまうと、特定の主を持つか否か、という一点に尽きる。侍女とは言うなれば、高貴なお方の専属秘書となる立ち位置。であるからには、本人にも技量と気品が要求されるのは当然で、間違っても新米が、それも王城にも貴族にも疎い女が就くような職務ではないのである。
制服だってそうだ。使用人のものと基本的な意匠は変わらないものの、その胸に輝くリボンの色が異なる。そして筆頭侍女ともなれば、主の持ち物を一つ、身に着けることが許されるらしい。
このすべてを、コーティは説明を受けるまで全く知らなかった。
ちなみに、ロザリーヌ曰く。
「とりあえず、あなたに≪影法師≫の一員としての立場を与えておいたわ」
「……つまり?」
「≪影法師≫は国の裏側で暗躍する隠密集団。そして、場合によっては王家に対する抑止力として機能もする。簡単に言えば、あの好き放題の王子のお目付け役として、私が派遣したことにしたのよ」
「……お目付け役」
「本当に、あなたを遣わしてくれたアキリーズ教皇様には平謝りね。ああ、もちろん私から何か命令を出すつもりはないから、そこを不安に思う必要はないわ」
ロザリーヌはぼかして言うけれど、とんでもなく面倒な立ち位置。すなわち、コーティはいつの間にか彼が暴君にならないための監視役、となっているらしい。
たった数日でどうしてこうなった。そんなことはコーティだって言わなかったけれど。……まあいい。どれだけ面倒な役職であっても、コーティがやるべきことが変わる訳じゃない。
西支城の四階。その一部屋が、新たな主の執務室なのだそうだ。
ロザリーヌとコーティが近づくと、部屋の扉の両脇に立つ近衛騎士が恭しく頭を下げた。なるほど、やっぱり護衛がいて当然なんだな、と考えるコーティを他所に、ロザリーヌが「ご苦労様」と一声かけていた。こちらを見た新米侍女に頷き返してから、そっとノッカーを打ち鳴らす。
「殿下、ロザリーヌです。コルティナ・フェンダートをお連れしました」
扉の中はシンと静まり返ったままだ。ロザリーヌはしばらく黙り込んだ後、もう一度扉を叩いた。
「……殿下?」
「お待たせしました、どうぞ」
部屋の中から男の声。ガチャリと空いた扉の隙間から、平時の略装をまとった騎士が姿を現した。
「おはようございます、マティアス様」
「おはようございます。ロザリーヌ様でしたか、申し訳ない。実は、殿下が今……」
「また、ですか……?」
「はい、またです」
肩をすくめたマティアスに、呆れた表情を隠そうともしないロザリーヌ。よく分からないやり取りに何とも言えない空気を感じ取りながら、招かれるままコーティは部屋に入ると。
「うわあ……」
コーティが思わずそう口にしてしまうくらい、部屋は酷かった。
部屋の手前に備え付けられた、応接用と思しき机とソファ。そこは広げられたままの本と大きな紙の束でいっぱいだ。奥の執務机はもっと酷く、一見してガラクタが積み上がっているように見える。
床に落ちている金の輝き、あれはまさか王印だろうか。
コーティですら知っている、王族が王族であることを証明する印。王子という立場であればなによりも大切にすべき権威の象徴が、執務机の端から転がり落ちている。
そして、その向こうに彼がいた。
ルイス・マイロ・エスト・カーライル。この国の王子にして、コーティの新しい主。
前父王から受け継いだと言う亜麻色の癖っ毛。けれど母親から受け継いだと噂される線の細さが繊細さを感じさせる。病室で彼の顔をまじまじと見る度に、まるで壊れ物の芸術品のようだと思ったものだ。
そしてそのどれよりも、コーティを引き付けたものがある。彼の目。水深の浅い、明るい海の色だ。
そんな王子は、しかし今、繊細さとは無縁の表情を見せていた。
その頭はボサボサ。目の下には濃いクマ。グッと伸びをしてから彼はゆったりと立ち上がった。
「来たな、コーティ」
「……はい」
果たしてこれが一国の王子の顔なのだろうか。これでは寝不足の役人にすら見える。とりあえずまずは顔を洗うところから始めたらどうだろうか。
内心では顔をしかめながら、けれど表情にはおくびにも出さず、コーティはゆっくりと頭を下げた。
「コルティナ・フェンダートです。本日より殿下の側仕えとしてお供させていただきます」
「ああ、よろしく頼む、コーティ」
コルティナ、と名乗っても「コーティ」と呼ばれる。
自分のことをコルティナという本名で呼ぶ者はほとんどいない。言いにくいのだろうか、口に出してみてもそんな感じはしないのだが。でもなぜか皆が大抵コーティと口を揃えるのだ。それは彼も例外ではなかった。
椅子の背もたれを軋ませながら、彼は落ち着いた声で問いかける。
「腕はどうだ?」
「お陰様で、仕事に支障はございません」
ライラに結んでもらった侍女服の袖を振って見せる。さくらんぼ色のリボンが、ふわりと風をはらんだ。
「痛みは?」
「もうありません」
「そうか」
聞くだけ聞くと、彼は「ふわあ……」と大口を開けて欠伸をする。
「ロザリーヌ、案内ご苦労。戻って良いぞ」
「……殿下、彼女にはきちんとお心遣いをお願いしますね」
ロザリーヌの瞳がルイスからコーティへ移る。そこに浮かぶ心配の光を見た。
「いいかしら、コーティ。何かあればすぐに私に言いなさい? ……まあ、マティアス様もいらっしゃるから大丈夫だとは思うけれど」
「なんだよロザリーヌ。俺が何かするとでも言いたげだな」
「ええ。胸に手を当てて考えてみることをお勧めしますわ、殿下」
「ま、伊達に≪我儘王子≫と呼ばれちゃいないからな、俺も」
「……開き直っていらっしゃるのが最も良くないと、何度も申し上げたはずですが」
ゆるゆると首を振ったロザリーヌと、口角を上げたルイス。
最後にコーティに向かって「後でね」と囁いてから、彼女は静かに部屋の出口へ。やがて、コーティの後ろでドアが閉まる音が響いた。
「やれやれ……。良かったじゃないか、随分気に入られているみたいだぞ、コーティ」
ルイスがのそりと立ち上がる。
意外にも、と言うと失礼かもしれないが、彼は思った以上に背が高い。考えてみれば、これまで王子と会う時は大抵コーティが横になっていた。だからよく分からなかったのかもしれない。
「ロザリーヌはあれで≪影法師≫の主人だからな、あんまり無下にしてもマズいんだが……」
「忠臣としては、是非ともその諫言に耳を傾けていただきたいところです」
「忠臣? おいマティアス、お目付け役がよく言うよ。……コーティ、紹介しておこう。こいつはマティアス・ディ・ファールラフェッテ。お前と同じで、まあ、国が俺につけた手綱みたいなものだ」
説明の内容とは裏腹に、ルイスがマティアスに向ける声色には棘がなかった。対するマティアスも特段気にした様子はなく、にこやかな笑みを見せた。
「病室で何度かお会いしましたが、お話しするのは初めてですね。ご紹介にあがりました、殿下のしがない護衛です。よろしく、コーティさん」
「よろしくお願いします」
にっこりと人のよさそうな笑みを浮かべたマティアス。その名に、コーティは聞き覚えがあった。
近衛隊長マティアス・ディ・ファールラフェッテ。剣の腕は王国騎士団の中でも五本の指に入るとかなんとか。なるほど、王子の護衛兼お目付け役としてはうってつけの人物なのだろう。
人となりがどうとか、コーティにそんなことは分からない。彼について知っているのは一つだけ。かの戦争時、高脅威目標として警戒されていた一人だ。
「歓迎の印に一つ耳寄りな情報を。……コーティさん、殿下にはお気を付けください。これほど厄介な人を私は知りません」
主人の前だというのに、マティアスは悪びれず言ってのける。
「そ、そうですか」
「嫌なことは嫌と言った方が良いです。本当に」
そう言ってかつての敵は、屈託ない笑顔を見せる。目尻に皺が浮かんだ。
差し伸べられたのは、しなやかな左手。余りに自然な動作だったので、彼の心配りに気付くまで、コーティには少し時間がかかった。
大抵の場合、握手は右手でするもの。別に取り立てて理由があるわけではないけれど、強いて言えば、単純に右利きが多いからだろう。
それは完全に癖になっていて、コーティ本人ですら無意識に右手を動かしたと言うのに。少し戸惑いながら、マティアスの手を左手で握る。ゴツゴツした剣だこが、彼の剣に対する姿勢を感じさせた。
「なんだよ、酷い言い草だな」
ゆったりとした歩調で執務机を回り込みながら、そんなことを言うルイス。「事実を言ったまでですよ、殿下」と返した護衛も、口調は柔らかい。
「ったく。主人に対する礼儀がなってないところ、誰に似たんだか」
腰に手を当てて、ルイスは言った。
「さて、マティアス」
その青い視線が、コーティをちらと見る。
「早速だが、少し外してくれ。コーティと二人で話がしたい」
せっかく挨拶したのに外してくれとはどういうことだろう。内心で驚くコーティを他所に、マティアスは先程から浮かべていた笑みを消して一転、苦虫を噛み潰したような顔を主に向けた。
「殿下、後が面倒になりますよ?」
「その話はさっきもしただろう? 分かってるよ。後で何とでも言え」
「……せめて私が同じ部屋にいることは? 後ろを向いていますから」
「最初だ。察しろ」
簡潔な言葉の応酬。一体何のやり取りだろうか。
マティアスの眉がほんの少しひそめられたものの、王子の意思は強いと分かったのだろう。結局護衛は肩をすくめるに留まり、肩をすくめた。
「仰せのままに。……コーティさん、また後程。頑張ってください」
「……あの?」
コーティは、そうと分からないように警戒を引き上げる。
ルイスに関して女性がらみの噂を聞いたことはないけれど、王族ともあろう者が若い女性と二人きりになるのはよろしくないのではなかったか。うろ覚えだけれど、確かどうしてもという場合は部屋のドアを開けておくとかなんとか。
病室で体を動かす練習をしていた頃に、急遽あてがわれた女官はそんなことを言っていたはずだ。
そんな新米を置き去りにして、後ろで扉がパタンと音を立てる。よりにもよって、マティアスはドアを閉めて行ってしまった。
考えてみる。
王子と年頃の女が部屋で二人きり。これはもしかしなくても、コーティが諫めなくてはいけない状況ではなかろうか。でも新米侍女が、碌に挨拶も交わしていないうちから注意なんかしていいものなのか? 悩んでいる間に、ルイスの方から声をかけられてしまった。
「さてと。まずは座ってくれ」
「……はい」
示された応接用のソファに、ゆっくりと腰かける。
部屋の中はとても静かだ。王子の意図が分からないから、せめてもの抵抗で部屋の間取りを確認する。元戦闘員の習性だ。大抵のことは看過できるが、流石にこの男に命までくれてやるつもりはなかった。
「これからお前には俺の侍女として働いてもらうことになる」
「はい」
「だから、先に色々とはっきりさせておきたくてな」
逃走経路を確認するのは、無意識に刷り込まれた癖のようなもの。目だけを動かして静かに周囲を観察するコーティの視界に、本の背表紙が映った。目の前の応接机に所狭しと積み上げられた本の文字を読み取る。
「機械工学」や「魔導入門」あたりは小難しいながら何とか意味が分かる。その下に積まれている「伝達機構全集」とか「魔法世代の変換効率」とか。この辺りは見ているだけで目が滑りそう。
「俺のことをどこまで知っているかは分からんが、相当の曲者であることは分かっているだろう?」
「……」
「碌に政務に携わることもせず、会議という会議をすっぽかす。その癖あれやこれやと厄介事を撒き散らす大馬鹿者」
王子はゆっくりと笑みを浮かべた。
「そうしてついた蔑称だ。人呼んで≪我儘王子≫」
自分を貶める呼び名を、彼は楽しそうに口にする。
「あらかじめ言っておこう。その指摘は正しいし、俺もそれを否定するつもりもない」
「はあ……」
「俺は自他ともに認める我儘野郎なんだ」
彼が何が言いたいのかさっぱり分からない。曖昧に頷く以外、どうしろというんだろう。王子が近づいて来るのを見ながら成す術のないコーティは、ぐっと身を乗り出してきた彼の目に柔らかな青を見る。
「と、いう訳で最初の我儘だ」
彼の亜麻色の癖っ毛が、哀れな侍女の目の前まで迫っていた。
「服を脱げ、コーティ」