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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第五章 侍女は少女に
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負けられない その6


 時間の感覚はとっくに消えていた。気絶していたのか、それとも呆けていただけなのか。もはや自分の体のことすら分からないのに、しかしピクリとコーティの体が震える。


 多分、自分は生きているのだろう。死んでいたなら、こんなに痛くて苦しいはずがないのだから。

 どうやらコーティは床に倒れているようだった。脳がグラグラと揺れて、耳もなんだか変だ。ポタポタと目元を濡らす液体がうっとおしくて額を無意識に拭った左手には、べったりと血がついていた。それで、左手がまだ繋がっていることに気付くことができた。


「ぅ、ああ……」


 本来は安全な位置まで下がってから起爆させる予定だったのに。もう、そんな余裕はどこにもなかった。

 二人とも、防御も回避も捨てて殴り合い出したせいだ。力で劣るコーティの負けはこの時点で確定していて、だからこそ無理やり使った、最後の奥の手だった。

 コーティ自身の魔防壁に加えて、≪白猫≫が張った魔防壁と、≪白猫≫自身。三重の防御があったとはいえ、死んでいないのが不思議だ。


 ただし、その目的は爆風自体にはない。収まったはずの爆発とは別の、臓腑を揺るがす振動こそがその証拠だった。麻痺した聴覚ではとらえられなくとも、圧倒的な何かが襲い掛かろうとしている、そんな気配。


 無様に手足をばたつかせて、コーティは予備として腰の左側に括り付けていた通常の箱型≪鋼糸弦(ドラート)≫を手に取る。真っ赤に揺らめく視界に、辛うじて映る天井の配管。爆風を受けてあちこちがへこみ、途中から折れて垂れ下がっている鉄の管。

 仰向けに倒れたまま、背筋を死ぬ気で跳ねさせて、命綱となるそれに錘を放り投げた。何とか絡んでくれた糸を頼りに、旧来のバネの力で無理やり巻き取って飛び上がる。いくらちぎれて吹き飛んでいる配管でも、自分の体重くらいで鋼鉄の管が壊れることはない。そう信じた。


 一気に浮き上がる体が痛みを訴える。怪我の程度を把握するだけの余裕もなく、けれどボタボタと液体が垂れる感触は出血の酷さを物語っているのだろう。泣きそうな自分を無視して、砂ぼこりに毛煙る視界の中、コーティは≪白猫≫の姿を探した。


 彼女は存外近くにいた。崩れた瓦礫に力なくもたれかかっている様を、コーティは腫れぼったい視界で睨みつける。

 奴は生きていた。あれほどの猛攻を受けて、コーティが爆風の盾にしたにもかかわらず、奴はまだ生きていた。虚ろな視線を宙に彷徨わせていて……けれど大丈夫。それも長くは続かないと、コーティは知っているから。

 コーティに遅れること十数秒。ようやく顔を上げたケトは、目の前に迫った濁流に目を見張った。


「へっ……?」


 魔導爆弾を炸裂させたのは、上水施設の壁際。石壁どころか天井をも崩落させかねない地点であったが、それこそ王子の計算の内。コーティが巻き込まれたのは下がり切らずに使ったからで、完全な自業自得だ。

 機械室の東側の石壁の向こう側。そこにあるのは貯水池からつながる水の通り道。莫大な量の水を機械室へと運ぶその場所に、魔導爆弾で巨大な穴を開けた。それが意味するのは。


「……ぁぁあああああああ!」


 悲痛な叫びが途中で途切れ、少女の小さな体が濁流に潰される。瞬間的に見えなくなった銀の髪、その上から覆いかぶさるように、濁った水が押し包む。

 一気になだれ込む貯水湖の水。それは王都で使用される総量の、実に半分にも匹敵する。言い換えれば、この城と街を支える水を、少女一人へと叩きつけているに等しい。


 これこそが、王子と侍女の出した結論。対≪白猫≫戦術の総仕上げだった。

 圧倒的な質量による押し潰し。知恵を結集して尚その程度かと思わせるような、しかし単純で、強力な作戦。


 王都の生命線である地下水道を破壊し、すべてを化け物にぶつける。

 すなわち王都への水の供給は、今この時を持って止まったことを意味していた。上水道機械室とは、言い換えれば巨大なポンプ場。心臓が止まれば血流が止まるように、ポンプが止まれば水道が止まる。地上では、ありとあらゆる蛇口が置物と化し、噴水は絶え、魔導灯はただの棒に成り下がることになる。

 後にも先にも一度しか使えない切り札だったが、その破壊力は人が生み出す兵器の非ではない。


「けほっ、けほっ、ああ……」


 侍女は痛みに呻きながら、どんどん水かさを増す地下空間を見下ろした。急いで移動しなければコーティ自身も危険だと分かってはいたが、それでも茶色く濁った渦から視線を離せなかった。

 一体どこに流されたのか、≪白猫≫の体はどこにも見えない。元は分厚い壁だったはずの破孔、そこから流れ込む大量の水は衰えを見せることもない。それでもせめて、宿敵の最期を看取りたいという我儘くらいは許してほしいというのが、コーティのささやかな希望で……。


「……嘘」


 けれど、それに気付いた瞬間、コーティの全ての思考が止まった。意図せず吐息が口の端から漏れ、けれど濁流の音にかき消されて、耳鳴りの酷い自分にすら届かない。

 ただ茫然と、左腰から伸びる命綱にぶら下がりながら、侍女は目を奪われる。


 眼下に広がる一面の茶色。渦を巻き、荒れ狂う水の中。崩れ続ける壁と天井の雨の中で。


 視線の先で、ただ一か所だけが光っている。煌々と、まるで彼女の力を主張するかのように。濁った水をものともせずに、押し流された彼女のいる場所を示すかのように。


「これが、≪白猫≫の力……?」


 教官は、こんな化け物と戦っていたのか。コーティがここまで死力を尽くし、この国最高の知恵と技術と設備を用いて作り上げた幾重もの罠。そのすべてを受け止めてなお、ケト・ハウゼンは健在だ。

 濁流は勢いよく流れ込み、しかし≪白猫≫の放っているであろう光もまた、弱まる気配を見せない。


 彼女が使っているのは恐らく、吸収魔法。コーティも使える、別に珍しくもない魔法だけれど。……ああ、確かどこかの研究者が、論文に書いていたっけ。


「出力が、桁違い……」


 高出力の魔法使用を躊躇させるために、こんな閉所での戦闘を選んだというのに。

 コーティは、最後の最後でやらかした。箍を外したコーティが、今度はケト・ハウゼンの箍をも外してしまったのだと、ようやく理解した。


 侍女が呆然と見つめる中で。

 すべてを飲み込むはずの濁流を割って、天井すらもお構いなしに、空へと光の奔流が放たれた。


「……ぁ」


 同時にコーティはもう一つ、己の失敗に気付く。


 ひしゃげて滅茶苦茶になった、コーティの義手。

 その先端から伸びる糸。その先の錘が、未だに≪白猫≫の翼に絡みついたままだ。


 全身から血の気が引いた瞬間、侍女は義手ごと猛烈な勢いで体を引かれた。配管に巻き付けていた箱型≪鋼糸弦(ドラート)≫の基部がいとも簡単に引きちぎられて。なんだか間抜けな、ピン、と糸の弾ける音を最後に。


「やっ……」


 どうどうと逆巻く濁流。巻き込まれたら二度と出れない水の渦へと落ちていく。ボロボロと崩れて、かき混ぜられる石の破片が目に移り、為すすべもないまま視界一杯に広がった茶色に弄ばれた直後、しかしコーティの体は一気に持ち上げられた。


     *


 ごきり、と右肩から嫌な音が鳴ったのは分かった。突き抜けた痛みのせいで頭がグラグラするし、視界が白くちらつく。奇跡的に右腕はちぎれなかったものの、意志に反してだらりと力が抜けたのは分かった。


 壁に何度も打ち付けられながら、しかしコーティは自分が上に引っ張り上げられていることを自覚する。ようやく認識が追いついて、見上げた視界に映るのは、灼熱に色付いた土の壁。


 何が起きた。≪白猫≫が直上に光の奔流を撃ち放ち、脱出経路を作り上げた? ようやくそこまでを理解し、猛烈な速度で過ぎ去る縦穴を、コーティは釣られた魚のように上る。


 義手から伸びる糸は、今も奴の翼の付け根に絡まっているに違いない。義手の魔導瓶を起動させてみたものの、発射口が潰れているせいかうんともすんとも言わない。濁流から身を守るために張った魔防壁をそのまま展開し続けて、幾度も壁に体が当たる衝撃を和らげることしかできない。

 先程からずっと義手から軋る音がする。受け止めた少女の拳は、義手の外板をひしゃげさせ、≪鋼糸弦(ドラート)≫の発射口と巻き取り基部を直撃していたはずだ。中の機構がどんな有様か、想像もつかない。

 破断しかけた鋼鉄の芯材が必死に耐える音を聞く。今のコーティにはそれしかできることがない。


 義手を引こうとして、欠片も力の入らない右腕に諦め、侍女は別のことを思い出した。

 二人が戦っていた地下上水施設。新水道の貯水池と、莫大な圧力で通り道に水を押し出す魔導ポンプが設置された機械室の直上は……。思い当たった瞬間、侍女の視界が一気に開けた。


 初夏の太陽が、引きずり回される侍女を照らす。地下の暗がりに慣れ切った目に、その光はあまりにも眩し過ぎて、目が焼ける、と口から悲鳴が飛び出した。


「ああッ!?」


 空へと飛び出した≪白猫≫もまた、惑うように方向を変えた。

 それが認識できたのは、痛みを通り越して痺れる肩へ、追い打ちのように負荷がかかったから。滲んだ視界に目を凝らし、コーティは必死に方向を掴み直そうして、絶句した。


「……!」


 休日の王都、人でにぎわう一番街の一角。ああ、そうだ。良く知っている。ここは……。


 まるで蛇がのたうつような軌道を描きながら、侍女は空を踊り狂う。上に、下に、丁寧に敷き詰められた石畳と、広場を囲う店の色鮮やかな色彩が、頭上を、左右を、足元を流れていく。中でも特に目を引くのは、中央にそびえる大きな魔法仕掛けの噴水と、どちらを向いても輝く青。


 そう。ここは王都の名所、噴水広場。≪白猫≫に叩きつけた高圧蒸気は、水道の水を送り出すためのものであると同時に、この噴水に水を噴き上げさせるための動力源も兼ねている。それを壊した今、名前の由縁たる魔導噴水からは水が絶えているはずで……。


 どうして広場が水浸しなんだ!? 声にならない驚きに翻弄されながら、けれど広場一面に張った水が太陽をキラキラと反射して、幾度となく侍女の目を刺す。

 青い、光って、どうして、どこを向いても……。痛みと出血で正常な思考ができない自分に気付く余裕はなく、辛うじて青と光の世界での己の立ち位置を認識したコーティは、必死に左手を右肩のバックルへと伸ばした。


 万が一、義手が重荷になった時は……。

 義手をもらった時に、ルイスから聞いた説明を、コーティはちゃんと覚えている。バックルの端の出っ張りに指を突っ込む。金具同士を引っ掛けることで固定していたバックルがするりと外れ、ちぎれんばかりに引っ張られ続けていた右腕から、すっと抵抗が抜ける。勢いだけはそのまま、コーティは文字通り空中に放り出された。


「うぐッ……!」


 足を何とか地面に向けて、体勢を整えようと試みる。

 視界の左に黒い塊が落ちていき、そのまま噴水の目の前に叩きつけられるのが見えた。広場に派手な水しぶきが上がる中、侍女もまた、落ちる、落ちる。


 お願い、どうか最後まで。縋りつかんばかりの呼びかけに応えるように、魔導瓶が光を放った。靴底を意識して、右足に決死の衝撃波。強すぎても弱すぎても失敗する、曲芸のような出力を求めて。

 右足の下が光る。朦朧とした頭では、緻密な制御にも粗が出ていたらしい。足元から響いた金属音は、ブーツに仕込まれた踏み抜き防止の鉄板がへこむ音。右足にまで鈍痛が走り、けれど魔法は確かに落下の速度を遅らせてくれて。


 勢いよく迫る水面、水面に映るのは、血と泥でまみれた自分の必死の形相。それを最後に、コーティの視界は暗転した。


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