たまには二人で抜け出して その7
王都カルネリアの地下に張り巡らされた地下道は、大きく二つに分けられる。
一つは旧地下道。王城よりもその歴史は古く、三百年以上前の建国時には既に存在していたのだとか。そんな昔のものだから、通路よりも洞穴という表現の方がふさわしい見てくれをしている。壁も天井もただ掘りぬいただけで、あちこちから岩が飛び出し、天然の起伏はそのままという有様。道はうねうねと曲がりくねっていて、いつ行き止まりに突き当たっても不思議ではない雰囲気を醸し出す。
そしてもう一つは、新地下水道。こちらは王都中に水道網を張り巡らせるためのものである。前王ヴィガードが計画から十年という月日をかけて建造した、魔法都市の象徴。網の目のように秩序を持って張り巡らされた水路の脇に、もれなく滑らかな石壁と床を持つ道が敷設されているのが特徴だ。
この二つの道が、時折交差する場所がある。元々、数か所存在していた天然の洞窟がその最たるもので、コーティが今いる地下空間もその一つであった。
王都の名所、噴水広場の直下。城下街の中心部に近いそこは、地下でも同様に、王都にとっての心臓ともいえる役割を担っていた。
「ええと、ここが上水道機械室。……室?」
ぐるりと周囲を見渡しながら、コーティは呟く。目の前に広がる光景を一言で表すとすれば、こうなるだろうか。
「まるで配管の迷路ですね……」
恐らく、元はかなり広い天然の空洞だったのだろう。そこを活用し、魔法で動くポンプと、高圧蒸気を通すための太い金属管があちこちに配置することで、王都中の水の供給を担っている。心臓、という表現は比喩でも何でもなく、血液代わりに水を送り出すポンプ場なのだ。
明かりは全て魔導灯で、剥き出しの天井に備え付けられている型のもの。機械が所狭しとひしめく様は、酷く煩雑で、それでいて荒々しい雰囲気を感じさせた。
そして音。辺りは呟く程度ではかき消されてしまいそうな騒音に満ち溢れている。これらすべてが機械から発しているものだなんて、すごいものだ。
王子も人が悪い。この間、お忍びで城を抜け出すときに使った秘密の通路とやら、まさか襲撃準備のためにコーティに使わせるつもりだったとは。そういう話はもっとしっかり伝えて欲しいものだ。
とは言え、その出入口を知らなければ、コーティとてここまでやすやすと地下の重要施設にはたどり着けなかっただろう。これもすべて、ルイスの思惑通りという訳だ。
コーティは、ルイスから借りた地図に目を落してみた。
北側に旧地下道との接続口。そちらは比較的配管群も少ない。体を動かすだけの場所は十分にありそうだった。
「となると、貯水湖は東側の壁向こう、ですか……」
「そこで何をしている」
かけられた声に振り向けば、そこには騎士の姿があった。当たり前だが、ここにも警備は常駐している。もちろんそれも事前に聞いていたので、コーティは声を張り上げて答えた。
「ルイス殿下付きの侍女、コルティナ・フェンダートと申します」
「王子殿下付き……? って、二本指の侍女さんじゃないか。本物だ」
今の自分は一体何と噂されているのだろう。知らない顔相手に問いかける気にもならず、しかし警戒心が和らいだのはありがたい。懐から引っ張り出した身分証を見せれば、警備の騎士は首をかしげながらも頷いていくれた。
「侍女さんが、こんなところに何の用だ?」
「午前中に、次回の配管点検で使う機材を運び入れたはずなのですが、ご存じだったりされますか?」
「ん、ああ。わざわざ荷車で運んで来ていたよ。なんだか大がかりな点検をやるってな」
コーティは大仰に頷いて見せた。
「それ、その件です。ルイス様が機材の中に書きかけの図面を置いたままにしちゃったらしくて……」
「ああ? なんだそりゃ」
「ルイス様が機械馬鹿なのは有名でしょう? 昨日も興味本位で部品見てニヤニヤしていらしたんですけど、今朝、やっちまったって頭抱えてらして……」
「……毒舌の侍女がいるって聞いてたけど、あんたのことだったのか」
「毒舌って……」
そんなことまで言われているのか、自分は。なんだかちょっとショックを受けながら、何かに気付いた様子の騎士の苦笑を受け止めた。
「……さては探して来いって言われたな?」
「よくお分かりで」
肩をすくめて「どこですか?」と聞くと、あっちだと指を示された。少し見させてくださいと一声かけて、コーティは広場の端へ向かう。
ああ、ルイスに聞いた通り、確かにあった。資材置き場も兼ねているらしいその一角には、棚やら樽やら箱やらがいくつも積み上げられているのが見える。その脇に目当てのものが並んでいるのを見て、コーティは小さく呟いた。
「これですね……」
上にかぶせられていた布を除けて、一抱えはありそうな木箱の蓋をそっとずらしてみる。
中に入っている小さな金属片をよければ、そこにあるのは大きな陶器の箱。その脇に取り付けられた起爆用の魔導瓶も確かめる。
配管の点検資材だなんてとんでもない。ここに積み上げられているのは、ルイスが兵器庫からちょろまかしたという大型の魔導爆弾。もちろん一つなんてケチなことは言わず、壁際にはいくつもの木箱が積み上げられている。ちらりと周囲の騎士の視線を気にしつつ、こちらに注意を向けていないことを確かめてから、コーティはそっと蓋を閉じた。
懐からもう一度、機械室の見取り図を取り出す。目印となる配管の場所を見上げて、静かに木箱の一つをずらす。
爆発が最も効果的に威力を発揮できる場所。その地点はルイスが計算してくれた。後はコーティが寸分も違うことなく、魔導爆弾を設置できれば問題ない。
「ふふっ。……ルイス様、濡れ衣被せて申し訳ありません」
機械馬鹿だとか、ニヤニヤしてたとか。先程騎士に話した毒舌の内容は、もちろんコーティのでっちあげだ。主人に対して酷い言い様だったが、こちらの計画がバレてしまっては元も子もないのだ。彼には黙っておこう。
ルイスとコーティ、二人で考えた≪白猫≫への対抗策。侍女は一心不乱にその準備を続けながら思う。
「こんなもの、私一人では絶対に準備できませんでしたね……」
大量の魔導爆弾に、そしてその設置場所、爆発規模の計算。
更には、万が一にも怪しまれぬよう、コーティの作業時間まで綿密に計算されている。この場所の警備担当は当番制。先程声をかけて来た騎士も、明日からしばらく別の場所の警邏に回る予定だ。代わりに別の警邏がやって来るはずだが、他のガラクタと相まって積み上げられている木箱を気にする者などいないだろう。
それらすべて、ルイスが立案した作戦の内。
まったく、どこまで考えているのか。その聡明さに末恐ろしくなるほどだ。
出会ったのが彼で良かった、なんて本人の前では絶対に言えないけれど。それもまた、侍女の本心だった。
「これで、良しと」
後はもう、コーティの技量次第だ。
*
出来たぞ。
二人きりの執務室で、ルイスは厳かに呟いた。
城を抜け出したことを各方面からしこたま叱られてから、数日後のこと。それは奇しくも、今年の雨期が開けたと学者が宣言した日であった。外では次々と、溜まりに溜まった洗濯物たちがバサバサとはためいているはず。王子の執務室でも、タッセルで端にまとめられたカーテンが初夏の風に揺られていた。
……あれだけ命を狙われている人間が窓を全開にしているなど言語同断。護衛の近衛騎士にはそう叱られてしまいそうだけれど。
それすらも、もう気にする必要はなかった。
「随分、暑くなりましたね」
「ああ。最初にコーティに命を救われたのは、まだ寒い頃だったのにな」
「あの時、どうしてお一人だったんですか?」
「んー、先方とそういう約束してたから?」
「……仕方のない人。またそうやってはぐらかすんですから」
「……ごめん。この戦いが終わったら、教えてやるよ」
ため息をついてコーティは苦笑した。ルイスも眉を下げて、申し訳なさそうな笑みを漏らした。二人で笑い声を響かせながら、彼と目が合う。
ああ、近くで見ると、彼のまつげは本当に長い。普段よりずっと距離が近いせいで、少し突き出た喉仏まではっきり見えてしまって、コーティは思わず凝視している自分に気付いてしまった。
「……んっ」
「きついか?」
「いえ、大丈夫です」
彼の指先が、服越しにコーティへと触れる。
括り付けられた革ベルトに腕を通させて、背中から前へと。分岐の一つを脇の下から通し、もう一つは胸の下に回して、ってちょっと待って、これは流石に……。
仕方ない、仕方ないって分かってるし、彼に他意はないのも理解している。けど、彼の顔が近い。顔に熱がたまる。心臓の鼓動がうるさくて。ああやめて、緊張していることが彼にバレてしまう。掠める指先に翻弄されてしまう。
「……」
「……」
右肩にきゅうっと締めつけられる感触。胸の中もきゅうっと締めつけられる感覚。
最後に、バックルの位置を微調整すれば。長いような、短いような、そんな時間はおしまい。互いに赤らめた顔を見合わせて、照れてはにかんでから。
コーティは静かに視線を右腕に落とした。
「……これが、新しい腕」
「ああ。世界で一つだけの、コーティ専用の義手だ」
体中を這いまわる革ベルトを辿った先。金属の二本指の代わりに付けられているものこそ、コーティのための新型の義手。ルイスが遂に作り上げたこの国の技術の集大成。
驚くべきことに、新しい腕には指が一本もない。
代わりに配されているのは、銃把のない魔導銃。普通の銃と異なるのは、その銃身が六本も伸びていること。それぞれに一発ずつ弾と浄水を仕込んでおくことで、計六発の連続射撃が可能な特注品である。ルイスは回転弾倉式の新型銃を取り付けたがっていたが、コーティに言わせれば信頼性のない兵器なんて願い下げ。多少の取り回しは犠牲にしても、剛性と信頼性が欲しかったのだ。
その下に平行して取り付けられているのは、教会内でも一部の精鋭だけが使うことを許された武器、≪鋼糸弦≫である。これまでコーティが扱っていた箱型と異なるのは、バネ仕掛けではなく、魔法の圧力で錘を撃ち出せる機構にしたこと。魔導銃と同じ原理で、軌道が直線的にはなるものの、飛距離と到達速度がこれまでとは段違いになる。
手の甲を向ける感覚で腕をひねれば、連装銃と≪鋼糸弦≫を外側から覆うように取り付けられた魔導盾がこちらを向いた。出力を抑える代わりに、動きに邪魔が出ないよう小型化したのは、コーティたっての希望である。敵の攻撃が桁違いの威力を持っているのは承知の上。ならば防ぐことなど端から考えず、すべて受け流すための装備。盾の縁の下半分は研がれており、近接兵装としても十分に機能する。
「……対≪白猫≫複合兵装」
≪白猫≫と戦うために作り上げた、コーティだけの力。この国の技術を総動員して、人ならざる少女に追いつき、空から堕とし、殺すための武器。
「具合はどうだ?」
「……うん。良い腕です」
「なら、良し」
後はもう、コーティがこの腕を使いこなせるようになるだけ。
重量による重心の変化と、銃の使い方。引き金を引く方式ではなく、使用者の魔法使用に依存させる方式は魔道具として前時代的だが、指のないコーティでも使えるという点でこれ以上適したものはない。左腕との連携、撃発と出力のコツも掴む必要がある。
あらかじめ重さの理論値は聞いていたから、それと同じだけの重量の錘をつけていたのが役に立った。思いのほか、取り回しにも違和感はない。
「大切にします」
「いいや、これは兵器だ。壊す気で使え」
「……ですが」
「おいおい、舐めるなよ?」
不敵に笑い、彼はコーティの目の前で腕を組んだ。
「うちの侍女直々の要望だ。戦闘に耐えうるだけの剛性と耐久性は持たせてあるし、そもそも壊すくらいの気概でなければ、奴は倒せない」
そういえば、はじめてマティアスと手合わせした時に、侍女はそんなことを言って王子のことを揶揄ったのだったか。ちゃんと覚えていてくれたことが、なんだか嬉しい。
王子は執務机に向かい、侍女を見た。侍女もその後に付き従い、主を見た。
「計画実行の日を決めた」
「はい」
「決行は七日後。詳細はこれから説明するが、基本戦術は閉所に引き込み動きを封じて罠にかける、これに尽きる。……まずはこの地図を見てくれ」
革張りの椅子に腰かけて、彼は机の上に広げられた地図の一点を指さした。まるで迷宮のような、王都の地下を詳細に記録した地図。新地下水道と旧地下道の全てが書き込まれた図面。
その一か所である上水道機械室を彼は示す。侍女は身を乗り出して、その空間を見た。
城下街の直下。そこが決戦の舞台になる。
彼の隣に寄り添って、紡がれる一つ一つの言葉のすべてを、頭と心に刻み込みながら。
コーティはそっと、左手で新しい義手を撫でた。
「よろしくね。新しい右腕さん」
※次回は3/21(月)の更新になります。




