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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第四章 ドレスと帽子とお仕着せと
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たまには二人で抜け出して その6


 それから後、特筆するようなことはなかった。


 否、世の中は目まぐるしく変わった。既存の秩序は崩れ去り、皆が手探りで新たな平穏を作り上げようと必死だった。


 終戦後の半年間、コーティをはじめとした教会の敗残兵は王都の復興作業に従事した。

 これもまた元を正せば前王の策だとかいう噂に、コーティは興味がなかった。教徒の生き残りに、諸悪の根源の象徴たる修道着を着せ続けることで、市民からの私刑を狙おうとしていたらしい、とか。

 けれど実際に国から与えられたのは、素朴な作業着だった。騎士からの監視の目は厳しかったが、自分から申し出なければ、自分たちが敵の捕虜だと市民に気取られることもなかった。


 今思えば、≪傾国≫と≪白猫≫の悪名が轟き渡っていたのがその辺りだったように思う。

 あの女はまともな人間じゃない。理解しようと努める必要なんてない。悪だ、邪悪だ。人を人と思わない怪物だ。前王ヴィガードや枢機卿カルディナーノを悪く言うものもいるにはいたが、それすらも所在不明の悪女の伝説の前にかき消された。なんなら王も教会もあの悪女の手のひらで踊らされた被害者だと言うものまでいた。


 その間に、失脚していた教皇アキリーズが教会に戻ってきた。

 人質として王城にいたことが幸いし、国の内情をよく知っていた教皇。彼は王女エレオノーラや国王代理キャバリエと共に終戦協定を結び、国との折衝に励んだ。

 もちろん教会内からの批判も多く、一部の、特に枢機卿に心酔していた者たちが、同志を募って教会に背を向けた。彼らは後に≪鱗の会≫と名乗りだした、と風の噂で聞いた。


 でもコーティにとっては、全部全部、どうでも良かった。


 気付いたら誰も自分のことを番号で呼ばなくなっていた。変わったのはそれくらい。

 どうやら教会が誇っていた最強の≪付番隊≫は解体されたそうだ。だから≪百十四番≫はコーティになった。


 本名はコルティナなのに、呼び方がコーティで定着してしまった理由は未だに分からずじまい。何と呼ばれようとどうでも良かったので、自分も取り立ててそれを直そうとしなかった。


「……許せなかったんです」


 そう。人生の指針を奪われたことに比べたら、全てがどうでも良かったのだ。

 背が伸びたことも、魔法の制御が上達したことも。胸が膨らみ始めたことも、武装解除命令のせいで鍛錬一つに苦労したことも。親知らずが一本生えてきたことも、≪鋼糸弦(ドラート)≫が自在に使えるようになったことも。

 全部が全部、取るに足らない出来事。


 自分にとって、大事なのは一つだけ。


「≪白猫≫」


 終戦の翌朝、別の場所に移される前に、コーティは教官から修道着をお借りした。真っ白だったローブは見る影もなく、血のシミは洗い落とせても、脇腹と胸の真ん中が大きく裂けていて、着られるようなものではなかった。


 彼女はとにかく噂話に耳を澄ませた。

 誰もが口を揃えて言うのは、当時の戦況が異常なまでに混乱していたこと。誰一人とて状況を把握できず、とにかく目の前の敵を抑えるのに精いっぱいだったこと。

 それでも、混迷の戦場を飛び回る≪白猫≫の姿に多くの者が目を奪われていた。この悪魔が戦場の均衡を崩したのだと、誰もが言った。教徒も騎士も関係なく、奴が純粋な暴力で吹き飛ばしたのだと口を揃えた。城門を破り≪玉座の間≫を崩壊させ、用意した道という道を瓦礫で埋め尽くしたのだと、口々に言った。


 戦場にいた同志たちは、憎き国王よりも≪白猫≫の話をした。意味不明な言動の≪傾国≫よりも、純然たる脅威としての≪白猫≫を語った。少なくとも、コーティが話を聞いた中でその少女の名を口にしないものは一人もいなかった。


 そしてやはり、教官は奴と戦っていた。

 人の皮を被った化け物に向かって、≪十三番≫は怯まず攻撃を続けていたという証言をいくつも聞いた。


「……ならば、奴を殺そう。全て、全て≪白猫≫のせいだから」


 ≪白猫≫の存在が何もかもを崩した。コーティがそんな考えに至るまでに、そう時間はかからなかった。

 この戦争には、元々綿密な計画が立てられていたはずだった。国王ヴィガードという明確な敵がいて、いくつもの策を巡らし、更には北の義勇軍という力も得た彼らは、制御された戦場で有利な戦いを仕掛けるはずだった。あの≪傾国≫ですら、≪白猫≫の力があったからこそ、誰にも理解できない暴挙に出たのだと聞いた。


 あいつさえ、いなければ。


 だから、コーティはひたすらに腕を磨き続けた。いつの日か、強くなって、強くなって、奴をこの手で殺すために。

 はじめはどこまでも無邪気だったはずの、子供の願い。それが(よじ)れて、暗く深い復讐心に変わった瞬間だった。


     *


「教官を殺したのが≪白猫≫とは限らないって、本当は分かっているんです。でも≪白猫≫がいなければ教官は死ななかった、そうも思ってしまうんです」


 噴水の端に腰かけたコーティの視界に、はしゃぐ女の子とお父さんが映った。ねーねーおやつ買ってー。おうちに帰ったらご飯が待ってるよ。二人のやり取りに小さく微笑んで、コーティは続ける。


「……私、教官と同じくらい強くなって、背中を守るのが夢でした。今考えれば、馬鹿なこと考えていたなあ、って思うんですけれど」


 隣に座るルイスもまた、親子の姿を目で追いながら、じっと聞き入っていた。


「一応手先だけは昔から器用でしたから。教官に目をかけてもらって≪鋼糸弦(ドラート)≫の使い方を教えていただいた。……あれ、本当の本当に特別扱いだったんですよ?」

「……その人を、殺されたから」

「ええ。だから、奴を殺す」


 それこそが、コーティ・フェンダートの存在意義だ。生きる理由だ。


 もう、何が悪かったのかなんて分からない。あの戦争がコーティの価値観をひっくり返したのは確かだし、当時の自分が枢機卿に洗脳されていたと言われてしまう理由も、今であれば分かる。

 けれどこの復讐だけは、コーティが自分の意志で決めたこと。≪白猫≫を殺すことこそがコーティの生きる意味で、それをしないと自分はどこかに消えてしまうような気がして。


「……随分、短絡的なんだな」


 長い沈黙の後、ようやく開いた彼の口からそんな呟きが漏れ落ちた。静かに視線を向けたコーティに、彼は淡々とした口調で続ける。


「それって、教官に向けていた依存心を≪白猫≫に移しただけってことじゃないか」

「……本人の前でよく言えますね」


 無意識に義手の指を弄びながら、けれどコーティには欠片も憤りが湧いてこなかった。

 返す声に芯が通らないことを感じる。目の前の王子が口にした辛辣な指摘。笑い飛ばせないし、怒ることもできないから当たり前だ。


「コーティ、お前自覚あるだろ」

「……」

「復讐したところで、そのやるせなさが晴れることはない。分かっているはずだ」


 彼を睨みつけるだけの気力は、どこにもなかった。


「……ここまで協力しておいて、今更諦めろとでも言うつもりですか?」

「そうは言ってないよ」


 恨めし気に見つめたのに、しかし彼は優しくコーティの手を取った。左手、コーティの元に唯一残った手。ルイスはコーティと視線を合わせず、しかし握った手には力を込めて、初夏の空を眩しそうに見上げる。


「仕方ない、どうしようもない。知らぬところでなにがしかの取引があった、政治的な判断があった。……そんな、血も涙もない因果関係で割り切れる程、人間は理性的な生き物じゃないんだよ。やるせなさに弱すぎる、それが人ってものだ」

「……」

「お前は教官を奪われた。その苦しみがいかほどのものなのか俺は知らないし、知ることもできない。ただ……」


 繋いだ左手から伝わる彼は、いつだって暖かい。ルイスは小さく息を吸い、コーティは小さく息を吐く。


「信頼していたんだろう。認められて嬉しかったんだろう。特殊な戦闘術、それを自分に、自分だけに教えてもらえたことが誇らしかったんだろう。……その人のために在りたいとすら、願うことができたんだろう」


 耐えきれなくなって、コーティはそっと顔を俯かせた。酷く、酷く、胸が痛んだ。


「≪白猫≫を殺った後のことなんか知らない。自分が憎しみの炎で焼け死んだってかまわない。以前、お前が言ったことだよ、コーティ」


 本当に、どうしてこんなにも、彼の言葉が刺さるんだろう。


「……こんなことを言うと怒るかもしれないけど、俺はコーティが羨ましいや。俺はもう、そんな熱すら失ってしまったから」


 ルイスはようやくこちらを向いて微笑んだ。いたずら好きな面影はなく、ただ心細そうな笑顔だけがそこにあった。


「一つ聞きたい。その教官に男女の情は抱いたか?」

「……彼は大人で、私は子供でした。いつか『お父さん』と呼んでみたかった、それがすべてです。当時はそんなことすら分かっていませんでしたが、今だからこそ、言葉にしてそう言えます」


 だいたい、あんなに歳が離れていて恋愛感情も何もないだろう。自分を捨てた両親の代わりに、親を求めてしまっただけのこと。そんなこと、今のコーティは理解している。


 コーティには恋がよく分からない。

 けれど、教官に対して抱いた、あの羨望は、あの憧れは、あの感情は、決してそんなものじゃないことくらい理解できる。もう少しだけ近づけたなら、もう少しだけ追いつけたなら、願うのはそんなことばかり。

 それこそ、父の背中に手を伸ばし続ける子供のように。


 だから、コーティは答えるのだ。「ただ、忠義です」と。短く、けれど強く。


「……そうか。ならやはり、お前は理想の侍女だ」


 彼は笑った。どこまでも嬉しそうに、どこまでも悲しそうに。


「なあ、コーティ。主として、俺はお前に命令するよ」


 侍女の手を取り、王子は重々しく言った。


「曲げるな。お前がお前であろうとすること、それと向き合い続けろ」

「……私が、私であろうとすること」

「後のことなんか気にする必要はない。良い子ぶる必要なんてない。お前が抱えるその苦しみを、そのやるせなさを、全力で奴に叩きつけてやれ」


 彼は空を見上げる。侍女もまた、握られたその手に力を込めて顔を上げた。その先の空はどこまでも青くて、まるでルイスの瞳の色みたいだと思った。


「……当たり前です。なんですか、急に」

「ここに来てから、きっと俺はお前を悩ませてしまったから」

「……ん、そんなことは」

「あるだろう? コーティはそういう人だ」


 ああ、やっぱり彼は聡いな。コーティの心の内なんて、もしかしたらお見通しなのかも。

 先日の王子への襲撃。あれと同じことを、コーティは≪白猫≫に対して行おうとしている。王子が憎しみの標的となることを厭った自分が、同じ過ちを犯そうとしている。

 復讐を止めた自分が、復讐する側に回ろうとしている。


 本当にそれでいいのかと、いつしかコーティは、事あるごとに自問するようになっていた。

 けれど、何度考えたところで変わらないのも、また事実なのだ。そんな押し潰されそうな気持ちを、縋るように彼に伝えた。


「……私にはもう、これしかないんです。こうするしかないんです」

「うん」

「私は奴に、負けられない」


 何度も自分に言い聞かせた言葉。口に出すたびに、その決意は固くなって。


「ああ、期待している」 


 そして隣に、その想いを認めてくれる人がいる幸運に、コーティは心の底から感謝した。


 小さく微笑む。彼の言葉がかつての教官と被って聞こえたのは、きっと偶然なんだろう。教官を知らないルイスが、狙って使える言葉じゃない。

 あの時の自分は、教官へ「はい」と答えただけ。それ以上深入りするなんて無粋だと信じていた。無邪気でお馬鹿なコーティは、嬉しくて舞い上がって、その先の未来を疑いもしなかった。


 けれど、今は違う。自分は彼との関係が不安定なことを知っていて、それでも彼の隣に安らぎを見出してしまっているから。想いは、言葉にしないと伝わらないから。


「もしも……」


 言ってもいいのだろうか。こんな夢物語を、こんな自分が。


「仮、仮の話です、万が一の話です……」


 彼は何も言わずに、ただ優しい瞳でコーティを見てくれていた。自分の言葉を待っているのだと分かって、それが背中を押してくれた。


「もしも、私が復讐を成し遂げることができて、それでもまだ、これまで通りの生活を続けられることになったら」


 侍女は深々と初夏の空を吸った。


「……これからも、私をルイス様のお側にいさせてくれますか?」


 そんなこと、出来る訳ない。

 この国における重要人物をその手にかけようというのだ。裏にいるはずの国が、そして≪白猫≫をかばう者たちが、きっとコーティを地の果てまで追いかけ罰をもたらすことだろう。もしかしたら、ルイス自身がコーティを切り捨てる決断をする。そんな時が来てしまうのかもしれない。


 それでも、伝えたかった。心を形にしたいと願ってしまった。精一杯の勇気でも蚊の鳴くような声しか出なくて、なんだかどんどん頬が熱くなってくるし、とんでもなく恥ずかしいことを言っている自覚だってあるけれど。

 ルイスが心の底から笑い返してくれたから。コーティにはそれが何より嬉しかった。


「そんときゃ、いくらでも根回ししておいてやるよ」

「お願いします……」

「任せてもらおう。主の底力ってものを、うちの侍女に見せてやる」


 コーティが彼の手の形を確かめるように指を動せば、ルイスもまた指を絡めてくれる。あったかくて、大きくて、男の子の手だと思った。


 それから、侍女は王子と街を回った。

 二人で遅い昼食を取って、二人で露店を冷かして、二人で安物の装飾品を買って、二人で本屋に入って、魔法の本を、二人で顔を突き合わせて読んだりして。


 表向きは、こっそり見ているはずの護衛の目から、二人の決意を隠すために。

 けれど二人、心の底から街歩きを楽しんでから。


 日が落ちる少し前に、二人、手を繋いだまま城へと帰った。


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