我儘王子と側仕え その2
「では、解散」
班長の声で、制服姿の男女がそれぞれの持ち場へと散っていく。
講堂での朝礼が終わり、さあ、今日も仕事の始まり、という段階である。
コーティは一応、研修班の所属だ。怪我をする前と変わらず、新米たちの登竜門とも言える配属先。
役割は説明するまでもなく名前のままだ。仕事に慣れぬヒヨっ子たちが半年間持ち回りで各部署を回り、一通りの仕事をこなせるようになるための研修を受ける。彼女たちに正式な辞令が下るのはその後である。
新米使用人たちは、揃って職場に戻って来たコーティに目を丸くし、続いてフラフラと揺れるその右袖に目を見張った。
同期とは言え、ほとんど声を交わしたこともない人間だ。初対面も等しいコーティに、突然ズケズケと踏み込むのはためらわれたのだろう。好奇の視線をコーティに寄せるだけ寄せて、みんな結局話しかけずに持ち場へ向かった。
その中に、いくつか鋭い視線が混じっていたのは仕方ない。依然として教会に良くない感情を持っている人は多いのだから、当たり前。世の中とはいつだってそういうものだ。
ちなみに同室のライラは見事に周囲に溶け込んでいる。合わせる顔のほとんどに「おはよー」と交わす挨拶が、彼女の社交性の高さを物語っていた。
そんな彼女は今、コーティの隣に戻って来て、不思議そうな顔を向けているところだった。
「あれ? そういえばコーティ、担当の割り振り言われてなくない?」
確かに。先程の朝礼で、誰がどこ担当か一人ひとり確認していたのだ。その中にコーティの名前が挙がらなかったので、ライラも疑問に思ったのだろう。
さて、なんて答えたものだろう。使用人界隈の基礎知識もあやふやなコーティだが、流石に王子のお付きに抜擢されたのが普通でないことくらい察することはできる。
「あー……。それは……」
「フェンダートさん」
「あ、班長。コーティはどこの担当なんですか?」
無表情で悩みこんでいたコーティの近くまで班長が寄って来ていた。教導主任、とか言う肩書がついた女性で、着こなす使用人の制服が様になっている。コーティみたいに、制服に着られている、なんてこともなかった。
「本人より先に聞くのはどうかと思うわよ、バッフェさん」
「はーい。すみませーん」
ライラの返事に肩をすくめて見せた班長は、コーティの方に向き直った。
「フェンダートさんはここで少し待っていてもらえる? ちょっと変わった仕事を任されるみたいで、仕事の説明に人を寄越すと連絡を受けているから」
「なんですか、それ?」
「私にも詳しいことは知らされてないの。さて、バッフェさん、今日の担当は洗濯場でしたね。早く持ち場に……」
そこで、突然響いた黄色い声に班長の声が途切れた。
三人の声を遮るように、ホールの奥から広がるざわめき。コーティがライラと二人、どうかしたのかと班長の視線を追ったら。
「おはよう。みんな調子はいかが?」
「ロ、ロザリーヌ様……!」
ホールの奥から、すらりとした貴族令嬢が歩いてくるのが見えた。隣にはいつもの長身の従者の姿。
班長が弾かれたように姿勢を正したので、コーティも横に並んでおくことにする。ライラはと言えば、近寄ってきたご令嬢をボケっと眺めた後、慌てて横に立った。
「ま、まさかロザリーヌ様自らいらっしゃるとは」
「なあに、大仰ねえ。……忙しい時間でしょうし、仕事の邪魔をしちゃったかしら。ごめんなさい」
「いえそんな、滅相もございません」
班長が直立不動。ライラに至ってはプルプル震えている。
病室でコーティの意思を聞いて以来、彼女はちょくちょく顔を出すようになった。それに元々、身元を保証してもらっている立場上、コーティはロザリーヌに何度か会っている。
最初こそ、あの有名な才女が上司と聞いて随分と身構えたのだが、実際は拍子抜けするほど気さくな人だった。少なくともそんなに恐れられる人ではないのである。
コーティの顔を見て微笑んだロザリーヌ。彼女は班長だけを手招きすると何かを話し始めた。二人がこちらに背中を向けている間、コーティは隣のライラに少しだけ疑問をぶつけてみる。
「そんなに緊張しますか?」
「コ、コーティは何で平気なのさ?」
周りを見渡せば、散っていったはずの同僚たちが才女に憧れ混じりの視線を向けているのが分かった。
よく見れば側に立つ長身の従者にも、半分くらい熱い視線が注がれているようだ。ロザリーヌの後ろにいつも控えている彼は剣の覚えもあるらしく、腰元にいつも剣を携えている。確かに顔の整った従者で、この主にしてこの従者あり、とでも言いたくなる組み合わせ。どことなく皆の目がキラキラしているのは気のせいではないだろう。
「だって、あのロザリーヌ・ロム・ロジーヌ様なのよ?」
「あの、とは……?」
「≪傾国≫の悪魔から国を取り戻した才女、悪女エルシアの企みを真っ先に察知したお方!」
「……ああ、そういう」
≪傾国≫の廃王女エルシア。その名前を聞くと、胸がざわつく。その異名は、コーティにとっても特別な意味を持つから。幾分低くなった声は、幸運なことにライラに気付かれることはなかった。
「当時、ロザリーヌ様は軟禁状態にあった陛下代理を説得し、エレオノーラ王女殿下やアルフレッド宰相閣下との橋渡し役としてご尽力為されたの」
ライラの目もまた輝いていた。というよりこの場の誰よりも輝いていた。グーにした両手を突き出して、彼女は熱く語り出す。
「それでいてご本人はお優しく、お美しく、気品高く……。復興作業のため、自ら進んで城下街に降りられるほどのご献身。まさにこの国の誉れ!」
「へ、へえ……」
「すごい、きれい、ヤバい! それがロザリーヌ様なの!」
コーティが左手でツンツンつついてみても、ライラの熱弁は止まらない。仕方なく、小声で注意を促してあげることにする。
「あー、ライラ?」
「……そんなに褒められてしまうと、何だか照れてしまうわ」
くねくねしながら身悶えていたライラ。彼女は我に返ったようにこちらを見つめ返してから、目の前に立っているロザリーヌに飛び上がった。
「ほわっ! ロザリーヌ様!?」
「ありがとう、ライラ。……その、あなたの期待に応えられるように頑張るわね?」
「へっ? あ、すすすすみません! ……って、どうして私の名前を!?」
「ゆくゆくはこの国を支える一人なのだから、名前くらい覚えていて当然でしょう?」
目の前でロザリーヌが柔かい笑顔を見せれば、輝かんばかりの艶を放つブラウンの髪がふわりと靡いた。
後ろの班長は頭を抱えているから、ライラは後で注意はしっかり受けそうだ。そんな彼らをぐるりと見渡した後、ロザリーヌは制服姿のコーティへと視線を移した。
「コーティ」
「はい」
「良かった。まずは、復帰できて何よりだわ。……痛んだりは、しない?」
「ありがとうございます。もう問題ありません」
厳密に言うと、この回答は正しくない。朝晩はズキっとくるし、天気の悪い日は一日中右半身が重い。
けれど、その程度は些細な問題。動作の支障にならなければ十分だ。
「ならば、良し!」
ふわり、がにっこりに変わる。
この人のすごい所は、いつだって感情を隠さない所。王城にいれば、名だたる方々を遠目からうかがうことはあるけれど、そのほとんどが仏頂面か口元だけの笑みばかり。
けれどロザリーヌだけは素直に笑う。口元に小さなえくぼが浮かぶと、彼女の吊り目も途端に愛嬌が増して見えるのだ。
「さて、早速あなたに任せたい仕事を説明しようと思うんだけど……、まずその前に」
コーティの近くに寄ってきて、彼女は少し声を潜めた。
「最後にもう一度だけ確認させて。……本当に、いい? 今ならまだ断ることも可能よ」
「……それは」
「一旦就いてしまえば、辞めますとは中々言えなくなるわ。殿下の体面にもかかわるし、なにより殿下ご自身を説得するのに骨が折れそう。何回か話したけれど、どうもそんな雰囲気を感じるの。……現に、あなたの城への武器持ち込みに対する指摘、殿下ご自身が庇っているようだし」
「……」
「病室で前にも話したけれど、これは異例の抜擢。嫌が応にもあなた自身への注目も上がる。もちろん私が守るけれど、このことで辛い目にあう可能性もある。……その上で、受ける?」
黒い瞳で、令嬢の目を見返す。評判の通り彼女はどこまでも真っ直ぐに、そして誠実にコーティに問いかけているように見えた。
「やります」
悩む余地などどこにもなかった。誰にも、それこそロザリーヌにすら話していない、コーティ自身の目的のために、コーティは王子の側に近づきたいのだから。
「敬う相手が、かつての敵の息子であっても?」
瞬間、空気がピシリと引き締まった。この時ばかりはロザリーヌも笑っていなかった。その目に、国を担う者の責を滲ませていた。
前国王ヴィガード。かつて龍神聖教会の敵だった男。今は塔の上に幽閉されているはずの男。
ルイス王子はその息子だ。それだけで筋違いの恨みを抱くものは山ほどいる。お前はどうかという問いかけに、コーティは落ち着いて口を開いた。
「今更です。国や前国王にわだかまりを持っていたなら、そもそも殿下をお守りなんてしませんでした」
そう。コーティ・フェンダートは国を恨んではいない。王族を嫌ってはいない。貴族を憎んではいない。
恨んでいるのは、嫌っているのは、憎んでいるのは、ただ一人。
「本当に?」
「龍神様に誓って。……私にはもう、誰が敵か分からないのです」
龍神様に誓う、というのは龍神聖教会の信徒にとって最上級の保証だ。命を張るのと同義とすら言える。
教会内での言い回しだったが、彼女には理解できたのだろう。少し驚いた顔を見せたロザリーヌは、考えるそぶりを見せた後、自嘲気味に囁いた。
「……敵が分からない、それは私も同じね」
才女がそっと身体を離す。その時には既に表情を変え、彼女は再び明るい笑顔を見せていた。
「よろしい。あなたの誓い、しかと受け取ったわ」
「はい」
「それでは、覚悟なさい。コーティ」
――彼の傍は、毎日が戦争よ。
そんなことを言って、ロザリーヌはコーティに背を向けた。
歩き始めた才女の後に続く。さあこれからだ、気合を入れろコーティ。腕一本すらも犠牲にしたのだ。なんとしても、成し遂げよう。すべては、己を駆り立てるただ一つの目的のために。
※次回は1/3(月)の更新となります。