たまには二人で抜け出して その5
今から十六年前。コーティ・フェンダートは、南の半島の付け根にある港町マイロで生まれた。
この国一番の港を有するマイロ。当時、その領主の娘が王妃に選ばれたことから、町中が盛り上がり、人が集まる一大都市を形成していた。
「港ですから異国の船乗りも多くて、そんな町には娼館も多い。私はその娼婦の娘だそうです」
母がどうして自分を堕ろさなかったのか、今をもってして分からない。仕事柄子供なんて邪魔にしかならないだろうに、と想像してみるも、あえて生んだからには相手の男になにかしらの思い入れがあったのかもしれない。
もっとも、コーティは母の顔も覚えていないし、父親はどこの馬の骨とも分からない。全ては推測に過ぎないのだけれど。
この国にも黒目黒髪はいるが、みんな揃って夜のような髪色で、光の加減によっては群青色に輝くようにも見える。自分のように光を吸い取ってしまうほどに真っ黒な髪の人間を、コーティは他に知らない。
だから、コーティの血には、半分海の外のものが入っているんじゃないかと考えている。……まあ、血筋の話なんてどうでもいいことだ。
「結局、母は私を修道院に送りましたからね」
「そうなのか……」
「母の髪は黒くなかったと聞いています。……探そうとしたこともありませんから、もしかしたら違うかもしれませんが」
あの港町に、孤児院は存在しない。代わりと言うべきか、頼れる人がいない子供は揃って、町の外れの修道院へとたどり着く。そして母も、例外なくコーティをそこへ送った。
送り出す親にとっても、送られる子供にとっても、龍神聖教会がどのようなものかは二の次だ。この世界のどこかにいるという龍神様を崇める教義さえ勉強すれば、ちゃんと三食ありつけて、毛布に包まって眠ることができる。それが望む全てだった。
コーティは昔から手先の器用な子供だった。
幼い頃から、お料理だって、お裁縫だって、他の子よりずっと上手くできた。空いた時間には薪の切れ端をもらってきて、せっせと削って小物を作った。お気に入りは最初に掘った龍神様のロザリオ。普段は滅多に笑わない修道院のシスターが、目を丸くして誉めてくれたから。
やがて十歳を過ぎた頃。コーティはその器用さを買われて、訓練を受けることになった。
だだっ広い食堂で、他数人と共に枢機卿閣下直々にお呼ばれした時の驚きは、今でも鮮明に覚えている。緊張でカチコチになりながら聞いた話によれば、枢機卿閣下はある偉業を成し遂げようとされていて、コーティたちはそのお手伝いをすることになるらしい。
びっくりしたけれど、嬉しかった。感情を出すのが苦手なコーティはコクリと頷くだけだったけれど、他の子どもの中には飛び上がって喜ぶ者もいた。なんだかんだで、お役に立てるというのは嬉しいものだ。閣下は一人ひとりの手を握られて、新しい名前までくださった。コーティは≪百十四番≫と名付けられ、胸がポカポカ暖かくなった。
「……戦争の三年前のことです。当時もう、枢機卿閣下は開戦へと動くつもりだったんでしょう。私たちは≪付番隊≫の三桁番台として、マイロから少し離れたベルエールで訓練を受けました。選ばれなかった者は後にスタンピードの復興援助と言う形で、各地へ送られたそうです」
「ベルエールって……」
「ええ、マイロから少し下った小さな町。戦後、国に接収されましたね。もうあそこに、私たちの居場所はありません。捕虜として復興作業に従事した後、帰ったのはベルエールではなく、マイロの教会でしたから」
戦後の調査で、国の人間は驚いたらしい。
ベルエールの修道院は、聖堂に代表されるような、いわゆる宗教施設などではなかった。兵隊を養成する、訓練場そのものであったと。こんなものを教会の管轄にしておくわけにもいかず、国の管理下に置くしかなかったのだと、コーティはそう聞いている。
「……すまない」
「謝られることではありませんよ。あの修道院は、正しく枢機卿の洗脳の象徴です」
そんなベルエールで、コーティたち三桁番台の教官を担当した中に、≪十三番≫という男がいた。
彼が枢機卿の腹心の部下だという噂は聞いたことがあった。実際、彼はよく枢機卿の傍に居た。
「どんな人だったんだ?」
「……他人に興味のない人でした。私と同じように」
事情を抱えた者が流れ着く。教会はそんな場所だ。だから、コーティと同じ境遇の者なんて、数えきれないくらいたくさんいる。
その誰もが、自分に欠けた何かを埋めようと必死だった。
だから。ある者は教義に、ある者は枢機卿の教えに、ある者は龍神聖教会の繁栄に。皆が心の底から傾倒し、半ば危うさを抱えた目で猛進した。
コーティ・フェンダートにとっての何か。それが教官であったことに、恐らくそれほど大きな理由はない。
そして、別に特別なことがあった訳でもない。彼は教官で、自分は教え子。手先の器用さを買われて個別の特訓を受けさせてもらったけれど、逆を返せばその程度。まあコーティはそれだけのことで、自分は案外出来る人間じゃないのか、なんて馬鹿な思い込みをしてしまったけれど。
まあそれも、言ってしまえば子供の盛大な勘違いでしかなかった。結局、≪十三番≫とコーティの間では、師と弟子以上の関係は築けず、コーティの夢もまた、夢のまま散った。
「そして……」
彼を指して、どんな人かと問いかけられたなら。今のコーティは迷わずにこう答える。
「父と呼びたい人でした」
コーティの場合、自分を捨てた親の代わりとして誰かを求めていて。それが、コーティを特別扱いしてくれる教官であった、それだけのことなのだろう。
*
教官が、死んだ。
そのことを人伝に聞いただけなら、まだマシだったのかもしれない。
けれど、コーティは自分の目で見てしまった。終戦の日、怪我人のうめき声と弱々しい息遣いが徐々に数を減らしていく中で。自分は、真正面から見てしまった。
今でも鮮明に思い出せる。あの暗い、夜の中のことを。
教官が倉庫の片隅で、静かに眠っていた時のことを。
「……名前を何度も呼びました。恐れ多くも、必死に傷口を探りました」
最初は彼の目元ばかりに注意を取られた。彼の閉じられた両目からは、まるで涙を流したかのように血の跡がべったりと付着していて、心底慄いたものだ。
多少の治療の心得があったコーティは、一も二もなく手当てすることにした。
彼の胸から、既に鼓動は消えていた。それでも、教わったことを思い出しながら、胸の大穴に自分のシャツの切れ端を当てて押さえる。固まり切った血をそれでも外に逃がさないようにと強く、強く。
魔法の発展がこれほどありがたいと思ったことはなかった。魔法の源となる水の謎は人体との関係性をも解き明かし、巡り巡って人の体をいじる医術すらも連鎖的に発展していたから。
コーティは鼓動の止まった人間を起こす方法を知っていた。なんでも、患者の口に自分の口をつけて、呼吸を送りこむと死んだ人間が生き返ることがあるらしい。龍神様へ救いを求めるのは、その後で構わない、と。
押し込められた倉庫には、幾人もの知り合いがいた。放心したままの者、外を覗けないかあれこれ試す者、そして怪我人を生き永らえさせるために手を尽くす者。
誰もが必死に治療を施すコーティを見て、「やめろ」と言った。彼を指して「死んでいる」とも言った。
けれど続けた。無駄なあがき、それがなんだ。ここで止めたりしたら、教官は本当に死んでしまうじゃないか。
意を決して息を吸い込み、コーティは黒ずんだ教官の唇に己の唇をつけて。
馬鹿、泣いている場合じゃない。早く息を吹き込んで……。
呻きながらじゃ、ちゃんと彼の胸に息を届けられないのに。早く、早く……。
結局、コーティは一度も彼に息を吹き込めなかった。初めて触れた教官の唇は、死後硬直のせいで冷え切った石みたいになっていて、コーティに現実を突きつけた。
もう無理だ。だって、こんなに……。
「……泣きながらじゃ、死んだ人を生き返らせることはできなかったんですよ」
「……コーティ」
私、ずっと強くなる練習をしていたんですよ。けれどまだ分からないことだらけで、難しいことだらけで。この戦争が終わったら、もっと教えていただきたいって、でもお忙しかったらどうしようかと悩んでいて。教官、どうして。教官、教官……。
すすり泣き、嗚咽し、コーティは神へ祈った。お願い、何でもする、自分の命だって捧げられる。だから、教官を戻して。
床にへたり込んだコーティに、近づいてきた者がいた。教官の戦いを見ていたという同志の一人だった。
教官は≪傾国≫を追って、塔の頂上に上がっていたそうだ。あと一歩と言うところまで追いつめて、そこで≪白猫≫の強襲を受けたのだと。
当時の戦場は混乱の極みにあったらしい。≪白猫≫が塔へ飛び込んだ直後に、教官が落下するところを多くの人間が見ていた。
もちろん、かの教会の精鋭がその程度で死ぬことはなかったらしい。こと切れた教官が発見されたのは塔の階段で、その後の奮戦も推測できた。
結局その夜、コーティは体を丸めたまま、教官の側に寄り添って過ごした。
やがて朝が来ても、龍神様は教官を見放されたままだった。他の教徒が縋るように神へと祈りを捧げる中。コーティは一人ぼっちで、悪態をついた。
「くそったれの龍神様め」




