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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第四章 ドレスと帽子とお仕着せと
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たまには二人で抜け出して その4


「フォル爺と何話してたんだ?」


 少しばかり、と言うにはあまりに長すぎる時間が経ったものの、思う存分工房を冷かし終えたルイスは、大変に満足そうな顔をしていた。時刻は昼過ぎ。表通りの方に向かいながら、機嫌の良さそうな彼にどう答えるか侍女は悩む。


「ルイス……ジャンの我儘に付き合うのは大変だろうと、お気遣いいただきまして」

「あいつも分かってないなー。俺がコーティの我儘に付き合ってるのにな」

「ああん?」


 思わず変な声が出てしまった。この人の目は節穴か何かか。


「怖っ……。冗談だってば」

「いかに温厚な私でも、今の発言は看過できませんね」

「……温厚?」

「何か?」

「いや、なんでもない……あ、行き過ぎたな、うん、行き過ぎた」


 馬鹿話をしていたら、どうやら次の目的地にたどり着いてしまったようだった。ルイスは抱えていたカバンから布をコーティに突き出してきた。


「ちと不格好だが、建物の中にいる間は右手にこれを巻いとけ」

「……?」


 首を傾げながらも、渡されたストールを義手に巻き付ける。右手が布の塊で何とも不自然だが、まあ義手をそのままにしたところで人目を集めるのだから大した違いはないだろう。……最近周囲の視線から鈍感になりすぎているような気がするけれど、これでいいんだろうか。

 しかし義手を隠したいだなんて、はじめてのことだ。一体どこに行こうとしているんだろう。問いかけようとしたコーティは、彼が指さす看板を見上げて更に首をひねった。


「……冒険者ギルド?」

「最初に言っとくと、この中には≪影法師(シルエット)≫がうようよしてるから。気を付けてね」


 藪から棒に何の話だ。≪影法師(シルエット)≫ってあの、ロザリーヌの家である辺境伯管轄の隠密部隊の? そんな場所に一体何の用だ。


 侍女の質問は間に合わず、彼は既に入り口の小さな階段を登っていた。何の気負いもなく、両開きの扉を押し開ける背中を見て、慌てて後を追う。


 中は活気に溢れていた。外の通りと違うのは、たむろする人たちの大半が何かしらの武器を抱えていること。剣や弓、簡易な鎖帷子や、要所だけ鉄で補強した革鎧などなど。自分の服装を見下ろして、コーティは眉をひそめる。もしかしなくてもこの服は場違いなのではないだろうか。

 コーティがそわそわしていることに気付いたのだろう、隣で王子が笑っていた。その手にはいつの間にか、先程メモ書きに使っていたであろう紙の束が握られている。遠目からなら帳簿でも持ってきたように見えそうだ。


「気にする必要ないぞ。ここは出入りの商人も多いから」


 彼の隣を意識して、受付のカウンターに向かって歩く。五つのある列の一番右に並んで、ルイスはこちらを振り向いた。コーティはとりあえず近くに寄り添って、小声で彼に囁いた。


「こんなところに、何をしに来たんです?」

「手紙を出してたんだ。もう返事が来てる頃合いだと思う」


 手紙? それならコーティが受け取って、毎朝王子に渡しているではないか。そう言いかけてふと気付いた。

 おそらく、正規の手順で受け取れないやり取りをしているのだ。王族への手紙というのは、必ず中を確かめられてから届けられるもの。秘密の話なんてできやしないのだから。


 並ぶことしばし。前の人が依頼書をひらひらさせながら去って行った後に、ルイスはカウンターに肘をつく。向かいのギルドの受付嬢が、彼の顔を見てにっこり笑っていた。


「次の方どうぞー……ってジャン君。久しぶりだね、お使い?」

「んーまーそんなとこ。あっ、サボってるわけじゃないぞ?」


 ギルド職員の特徴的な制服に身を包む受付の女性は、そこで隣のコーティに目をやった。


「……あら? あらあら!? ジャン君にもとうとう春が来たかな!?」

「やだなあオーリカさん。俺は君に一筋さ」

「もー、お馬鹿な冗談言ってると隣の彼女から嫌われるよ?」

「大丈夫。この人うちの商会長の姪だから。手なんか出した日にゃ俺さらし首だよ」


 帽子の縁で目元を隠しながら、コーティはこっそり驚いた。

 ジャンと言う偽名、王子はもしかして昔から使っていたのか。目の前のギルドの職員と親交があるらしく、適当にでっち上げた与太話をするルイス。カウンターの向こうで、オーリカと呼ばれていた女性職員が懐から小さな鍵を取り出して手元の引き出しを開けていた。


「えっと、商会長宛てはっと……。これね」

「おっ、ありがと」

「確かに届けたからね」


 手渡される瞬間に、ちらと見えた真っ白な封筒。赤い蜜蝋に、何か鈴のような型が押されているようにも見える。ルイスがそれを懐に手早くしまい込んでいる間に、オーリカはニヤニヤ笑いながら声をかけて来た。


「で? この後はどうするの? 二人でお出かけ?」

「いやあ、いきなりのお使いだったもんでさ。せっかくだし、そこでレモネードでも飲みながら考えようかと思って」

「お、レモネード二杯ね、お買い上げありがと。……そうそう、見たところ彼女お洒落さんみたいだから、糸屋街の呉服屋通りなんてどう?」

「糸屋街?」

「最新の魔導紡績機で撚った布が出回ってて今大人気なの。あんなに上質な布が安く買えるんだからいい時代よねえ、出来合いの服も随分お洒落になったし……って商会勤めにわざわざ言うことでもないかあ」

「いやいや。それ、すげえありがたい情報かも。参考にするよ」


 にっこり笑って彼はオーリカの前から離れたので、結局コーティはペコリと頭を下げて続いた。まったく、嘘をつくならあらかじめ言っておいてほしいものだ。演技なんて器用な真似、コーティには敷居が高い。それ相応の心構えが必要なのに。

 ルイスがついでに頼んでいたレモネード二杯を持ったまま席に着くまでの間、コーティは頭を悩ませていた。


「なんで黙り込んでるんだ?」

「いえ……。商会長の姪としてどのような行動が最善なのかが分からなくて」


 そう答えると、目を丸くした彼が肩をすくめて笑い出す。なんですか、とじろりと視線を向けるも、彼は可笑しくて仕方なさそうに答えた。


「いやあ、相変わらず真面目だなと思ってさ」

「どうしてあなたは、いつも何も言わずに突っ走っちゃうんですか」

「まあ、突然だったのは謝るよ」


 彼がレモネードに口をつける。倣ってコーティもカップを傾けた。……目の覚めるような酸味とほのかな甘み。王城でも故郷の港町でも、飲んだことがない味だった。


「……おいしい」

「だろ? 結構好きなんだよ、ここのレモネード」


 視線をカップに落とせば、添えられたレモンが涼し気な感覚を与えてくれた。


「こんなところ知っているなんて、ジャンはもしかして何度かここに……っ!?」


 ぐいっと乗り出してきた彼に思わずのけぞる。布越しに机に当たった義手が、ゴンと鈍い音を立てた。

 レモネードを挟んで、彼と二人見つめ合う。驚きに心臓がバクバク言い始め、けれど彼の瞳はどこまでも真面目な色を湛えていた。


「さてと。ここに来た本題だ」

「……ほ、本題?」


 浅い海の色に、呆気にとられたままの自分が映っている。言っている意味が分からない。手紙を受け取りに来たのではないのか。


「俺の後ろ。コーティから見て、左に一列、奥から二つ目の机。右側に座ってるチビをちらっとだけ見てみろ」

「え……?」

「いいか、ちらっとだぞ? ちらっと」


 意味が分からず首をかしげたものの、表情を変えない彼に促される。顔の向きは変えずに、コーティは目線だけを彼の示したテーブルへ向けてみた。

 ロビーのあちこちに置かれている、四人掛けの丸机。ルイスの指定した一つには、長身と、若手の冒険者、それから子供が一人ずつ腰かけている。三人ともいずれも旅人に多い外套を被って、一番背の低い子供に至ってはフードまで深々と下ろしていた。暑そうだなと感想を抱きつつ、けれどどこかに違和感を捉える。


 ……なんだろう。あの背格好、どこかに見覚えが。


 三人は何かを話していたのだろう。一番小柄な影が笑って、ほんの少し体を傾けた拍子に。

 ルイスがその名を告げたのと、フードの下から微かに銀髪が覗いたのは、ほぼ同時だった。


「あれだよ。奴が、≪白猫≫だ」


     *


 ずっと不安に思っていた。

 いざあの女を視界に入れた時に、果たして自分はいつも通りでいられるのだろうか。激高して、これまでの努力をすべて吹っ飛ばして、なりふり構わず襲い掛かってしまうのではないか。

 胸の中に渦巻く感情を後先考えずにぶちまけ、宿敵に刃を振り下ろそうとするのでは、と。


 けれども、いざ実物を見てみると。コーティ・フェンダートが抱いた感想と言えば。


「……なあんだ。案外普通じゃないですか」


 その程度でしかなかった。

 何だかおかしくなってしまうくらいだ。奴を目の前にして、いっそ微笑んでしまえるほどの余裕があるなんて。

 ……まったく、自分は彼女に何を期待していたのだろう。報告書にもあったではないか、彼女はどこまでも人間であると。


「どうだ、奴を見た感想は?」


 だから、≪白猫≫ケト・ハウゼンを見て感じたことを表現するとしたら。


「あれなら、殺れる」


 そんな、落ち着いた一言。


 マティアスの忠告も、フォルジの言葉も。ああそうさ、正しいものの考え方だってこと、コーティにだって分かっている。自分の突き進む道が間違っていることくらい、自分自身が一番理解している。

 けれど今この時、コーティに説教を聞く気は欠片もなかった。自分のすることが不毛だ? 破滅への道だ? そんなことは百も承知。現に、王子を巻き込んだままで、引き返せないところまで来ているのだ。この私怨が、国を揺るがし、必死に作り上げた安寧を崩す行為となり得ることを、コーティはちゃんと理解している。


 それこそ、先日の≪鱗の会≫襲撃の時にも言われたではないか。コルティナ・フェンダートは彼らと何も変わらない。平穏を崩す復讐者そのものだと。

 全部知っている。全部分かっている。その上で、コーティは進むのだ。


「あんまり物騒なことを考えすぎるなよ? 奴の目は人の心を読む。今だって≪影法師(シルエット)≫の護衛に紛れて誤魔化しているだけで、殺気なんて向けたら一発で気付かれるはずだ」

「承知しています。油断なんてするはずがない」


 ≪白猫≫が何かに気付いたように、こちらを向く。言っている傍から、コーティは視線を向け過ぎたのかもしれなかった。

 あえて微笑み返して、宿敵に視線と頷き一つを返す。更に小さく頭を下げてやれば、何を勘違いしたのか小首を傾げてから、彼女は元の会話に戻っていった。

 やはりだ。彼女は自分に監視や護衛がつけられることに慣れている。どうせ今の自分と王子も≪影法師(シルエット)≫の一員か何かと勘違いしているのだろう。


「ありがとうございます」

「気は済んだか?」

「はい」


 レモネードの酸味を味わって、カップの中身を飲み干してから、コーティは席を立った。


「行きましょうか」

「だな」


 二人でカウンターにカップを返して、言葉少なにギルドから出る。少し離れてから、コーティは腕に巻き付けていた布を丁寧にたたんだ。

 なるほど、これはどうやら≪白猫≫から義手を隠すためのものだったらしい。確かめるように彼と目を合わせて、歩調を合わせて歩き始める。


 どちらともなく、進路を人通りの多い方へ取った。どこからか流れてきて、どこかへ通り過ぎていく人の流れの中で、互いに寄り添ってすり抜けるように進む。ルイスはやがて静かに聞いた。


「……コーティは、なぜそこまでケト・ハウゼンを憎む?」


 いつか問われることだと思っていた。むしろこれまで聞かれないことに疑問を覚えていた。

 コルティナ・フェンダートが復讐を望む理由を、彼には一応簡単には伝えたこともある。けれど、それはまだ彼を警戒していた頃のこと、そこまで深い話はしていない。


 つい最近のはずなのに、あの頃が懐かしい。

 そもそもこれだけ協力してもらっておいて、今までちゃんと話すらしてこなかったんだなと、自分の図々しさに苦笑い。


 いつしか二人の前には、高々と噴き上がる水が見えていた。王都の名所、噴水広場。雑踏の中を縫って、噴水の縁の石段に並んで腰かけて。コーティは心に覆うかさぶたを、そっとめくってみた。


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