たまには二人で抜け出して その3
それはそうと、コーティは何にも予定を知らないのである。
今日も活気にあふれる王都の大通り。そこから東の街はずれへ向かいながら、コーティは呆れ顔を隠せなかった。せっかく褒められたと言うのに、一瞬でかわいいが台無しである。
「なんだったんですかさっきの」
「え? 王族しか知らない秘密の抜け道。ヤバくなった時に使うんだってさ」
「……私に教えちゃ駄目でしょう」
「だって誰もいないのあそこだけだし。俺が抜け出したくて非常事態だったから問題なし! 場所はちゃんと覚えとけよ?」
もう知らん、何も言うまい。彼の側では諦めが肝心なのだ。
「それで? わざわざ抜け出してどこに行くんですか」
「やりたいことが死ぬほどあるんだ、覚悟しろよ?」
なんでも、新型義手の開発に手間取っている部分があるのだとか。だからまずは下町の工房。その後にも頼んでいたものを引き取るために寄り道をして、後は適当にふらつく予定らしい。
進路を東側の職人街へと向ける。ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「あの、ルイス様」
その途端、彼は足を止めた。
「おいおい外で様付けはなしだろ」
「……じゃあなんて呼べばいいんですか」
「そうだなあ、適当にジャンとかでいいんじゃね?」
「ジャンって誰です?」
「俺のご先祖様の名前。知らんの?」
「いや知りませんが」
そう言いながら、この国の初代国王の名前がジャンだったな、と思い出した。だからなんだという話だった。
「では、ジャン様……ジャン」
「おう、何だい、コーティ?」
妙に気合を入れてしまった服装のコーティと、気楽な格好のルイス。これでは見た目から受ける印象が、普段とまるで逆だ。おしとやかなご令嬢と、お付きの下男。今の自分たちはそんな風に見えてしまったり、するのだろうか。
そんな深窓の令嬢は、儚げな微笑みを浮かべて囁いた。
「もしかしなくても、こうして抜け出すの、はじめてじゃないですよね?」
「えっ、まあ……。そうかも?」
下男はピクリと肩を震わせ、お嬢様はくすりと吐息を漏らしながら義手をカチン、と鳴らす。
「立場、お分かりですよね?」
「……すまなかった。今度からフォル爺とこ行くときはコーティも誘うから」
「違います。どうしてそうなったんですか……」
周りのことを考えろと言いたかったのに、ルイスはこれである。ここで食い下がっても気力を無駄にするだけなので、コーティは仕方なく話を変えることにした。
「フォルジさん、お知り合いなんですね」
「あれ、言ってなかったっけか」
ルイス、もといジャンが言うには。
彼はなんでもかつて王城お抱えの職人をやっていたそうだ。鍛冶屋出身だったこともあり、金属加工はお手の物。やがて魔法の理論が構築され技術が発展するに従い、魔導機関を金属製の機構に仕込む研究を始めたらしい。
それこそがすなわち魔道具の走りであり、すなわち魔道具開発の第一人者なんだとか。
「どちらかというと動力伝達系の設計が得意な人かな、でもぶっちゃけ魔道具の黎明期から携わってたからだいたい何でもできる。水道のポンプも、船の炉も……。現役時代はあっちこっち顔出してたよ。有名どころだと魔導銃とかな」
「……銃」
つい最近まで見かけたこともなかった武器だが、ルイスもその失敗作を使っていたっけ。
水を気化した際に生じる圧力を鉄の管に流し込み、その圧力で鋼鉄の弾丸を撃ち出す。装填にやたら時間がかかるから複数人で陣形を整えて使用する前提はあるものの、魔法技量の有無にかかわらず誰でも使えることこそが、その魅力らしい。
三年前に初めて実戦投入され、今では王国騎士団に正式配備されているのはコーティですら知っている。
すごい人じゃないか、と驚いてしまった。城の敷地内に工房でも持てそうな程なのに、どうしてあんな街の端っこに引っ込んでいるんだろう。
「ちなみにさ、今の魔導銃が後装式なの俺も口出したお陰なんだぜ? すごいだろ」
「こうそうしき?」
「ええ……そっからかよ……。いいかコーティ、そもそも銃ってのは気化した浄水の圧力を使ってるって話、前にしたよな。つまり銃には浄水と鉛弾を装填する必要がある。最初参考にした他国の設計だと、この二つを銃口側から……」
「はあそうですかすごいですねそうですね」
「……この侍女聞く気ないなあ」
そんな話をしていたら、工房に着くのもあっという間だった。
*
「おーおー、そういうことかあ! 両側とも直結させようとしてた俺が馬鹿だったんだ!」
「馬鹿だったんだあ、ではないわ! 先触れもなしにやって来たと思ったらまた抜け出してきたあ!? 現在進行形でお前は馬鹿者だ!」
「フォル爺うるせえ。気が散る」
「一度とっちめてやろうかこの小僧」
騒いでるのか騒いでないのかよく分からない調子で、ルイスは前のめりで図面を覗き込んでいる。普段城では見たこともないほど目が輝いているではないか。コーティとしては、公務にももう少しやる気を出してほしいのだが。
フォルジが肩を落とす。彼は机を離れてゆっくりと歩いてくると、主には我関せずを貫いて壁際のガラクタを眺めるコーティの隣に並んだ。
「あの小僧が抜け出すこと、誰かに言っとるのか?」
「……元々騎士様がいらっしゃるところでお話してましたから、今頃は近衛隊長のマティアス様にも伝わっているでしょう。私の方でも、一応侍女頭様に一声かけてきました。……急いで人を遣るから、とりあえずは殿下の護衛をと」
「お前さんが護衛?」
「私はあくまでお目付け役です。護衛としては、今日当番の近衛騎士様がもういるはずです」
流石のコーティでも、城外に出るのに護衛なしは良くないと思ったのだ。なので服を選ぶ前に、こっそり伝えることは伝えてきただけのことである。もちろん、融通を利かせてくれそうな人を選びはしたが。
散らかった机で何やら唸っているルイスを意識の片隅に置きながら、コーティは無造作に転がっているガラクタに手を伸ばした。
魔導カンテラのように形が分かるものならともかく、積みあがっているものの大半が何に使うのか想像もできない代物ばかり。暇つぶしに、隣の技師へ問いかける。
「これはなんですか?」
「魔導スキレット。火がなくても調理できる魔道具だ。が、重すぎて持ち上げられない」
「こちらは?」
「魔導鎧の足だけ改造したものだな。圧力で跳びあがる高さを伸ばせないかと考えた時の物だったか」
「すごいですね」
「下手に使うととんでもない方向に飛んでいくぞ。着地のことを何も考えていないしな」
「すごくないですね」
コーティが自前の魔法でやることが道具になっていた。もしも実用化できたなら、とんでもなく便利ではないか。一時期自分があっちこっちに体をぶつけて練習したように、魔道具も思った以上に試行錯誤は続いているらしい。隣にある変な形の鉄板をつまみ上げながら、コーティは先程から気になっていることを聞いてみた。
「フォルジさんは昔、王城でのお抱え技師だったと伺いました」
「……そんな時期もあったな」
「どうしてこんなところでお仕事を?」
何気ない質問だった。せっかくすごい方なのだから、どうせなら良いところに住めばいいじゃないかと、その程度の質問のつもりだった。けれど答えは中々帰ってこなくて、訝しみながら隣の顔を見上げたら。
彼はガラクタの山から取り上げた魔道具の一つを、皺混じりの目でじっと見つめていた。
「これが何か、分かるか?」
「……剣の柄、ですか?」
刃のない、ただの剣の柄。剣が剣であるために必要な刀身は、折れたのかそれとも整備のために外されているのか、どこにも見当たらない。いずれにせよ、このままでは役目の果たしようがないガラクタの一つ。よく見ると、持ち手に押し込めるような突起が付いているけれど、それだけ。
「……魔導剣試作二型、名前すら仮のままで放置された剣だ。光と熱を刃とし、大抵のものなら焼き切ることができる。儂が作ったんだ」
「すごいですね」
「柄の空洞部に魔導瓶をはめ込んで使うんだが、とんでもなく効率が悪くてな。三回ほど振るったら浄水が切れる欠陥品さ」
「すごくないですね」
「三年前、こいつを≪白猫≫が使っていた」
「すご……え?」
頭から冷や水をかけられた気分だった。想定外も甚だしい名前に、全身が硬直する。そんな侍女を他所に、フォルジは何とも言えない表情のまま、柄についた傷を親指で撫でていた。
「お前さんが知っているかどうかは分からんが、あの戦争には裏がある。事情を知る人間は≪傾国≫や≪白猫≫が巷で言われるような悪ではないと理解している」
「……何を」
「≪傾国戦争≫の少し前、国からも教会からも追われる身となった≪白猫≫は、泣きながら逃げ続けていたそうだ。当時は力の制御が未熟だったそうでな、金属剣を何振りも駄目にしていたらしい。ある時≪影法師≫から打診が来たよ。年端も行かぬ少女を守りたい、放置されている欠陥品を借りられないか、と」
泣いていた? 逃げていた? あの≪白猫≫が? そんなはずがあるものか。あの人の皮を被った化け物に限って。
渡された魔導剣を受け取る手が震えていた。こと≪白猫≫の話になると、コーティは冷静ではいられない。
「この剣が彼女を守れたのかは知らん。だが儂には分かってしまったよ。当時の儂らが必死になって作り上げた道具の数々、例えば魔導砲、例えば魔導銃。それらが年端も行かぬ娘に牙を剥いたこと。そんな彼女を守るために渡したこの剣が、やはり多くの人々を傷つけたことを」
「……」
表を見て、ひっくり返して裏を見て。いくつも刻まれた細かい傷の中に、コーティは特徴的な跡を見る。ぐるりと一周、鍔と握りを巻き込むように、斜めに刻まれた切り傷。
見間違うはずがない。これは≪鋼糸弦≫によってつけられた傷だ。それはつまり、教官が≪白猫≫と戦っていたという証拠。
「……儂ら技師は魔道具を作るのが仕事だ。この剣も、魔導灯も、壁の上の魔導砲も、水道のポンプも、儂ら技術者が設計した。……恥ずかしい話だが、当時はこんなことになるとは思っていなかった。理論を紐解き、応用し、形にし、使えるようにすることしか考えていなかった」
技師は、まるで恥じるような、責めるような、重々しい声色で続けた。
「だがな、作り上げると言うことは、すなわちこの道具が人に牙を剥くということ。それは時に儂らの想定を超える。この剣を、年端も行かぬ娘が使わざるを得なくなったように。魔導銃や魔導砲が、本来守るべき人々に向けて火を噴いたように。……そして右腕を失ったお前さんに、戦場に駆り立てる義手を与えるように」
「……」
「儂らは道具を作るまでが仕事で、その後のことは使い手次第。儂はそれを割りきれなかったよ。……お前さん、先程儂に聞いたな、お抱え技師をなぜ辞めた、と。今の話が答えになるか?」
首を一度だけ縦に振る。再び口を開いたコーティは、けれど思いの他芯の通らない声色に、自分のことながら驚いた。
「……でしたらなぜ、この義手を作るために手を貸していただけたのですか?」
「なぜだろうな。……あれを作ろうとしたのが、あの小僧だったからだろうか」
フォルジが振り返った先、その視線を追えば王子の姿がある。先程から図面に没頭し続けている彼に、こちらの声は耳に入っていないようだった。彼は今も、どこからか取り出した帳面に、ペンで何かを必死に書きつけている。
「あやつは技術の恐ろしさを知っとる。使う人間によって、道具はどうとでもなることをな。それこそ、父親に利用されたことを覚えているんだろう」
「使う人間……」
「あやつの父は悪王だった。だが為政者として有能ではあった。その結果が魔導艦隊による植民地政策などという過激な思想……やり切れんよ。天才の思考に周りがついていけない、などというのはありふれた話だ。父のようになることをあの小僧は怖がっているんだろう」
マティアスから、そんなことを聞いたことがある。
自動回転式魔導砲塔、だっけか。その機構を思いついたことが、父親に目をつけられるきっかけになったと。
「……義手の図面を見た時に仰天したよ。ヘラヘラ笑う阿保面の下でこんなものを思いついていたのかとな。技術の恐ろしさを知っているあやつが、それでも作りたいと願った。それは同じ技術者として、邪魔したくないものだ」
「……」
「難儀だな。今のお前さんがつけている義手のように、本来道具は人の役に立たせるべきものなのに、どうにもそれは後回し。嫌気がさして俗世から離れて、それでもああいう若造が出てくるから、つい手を貸したくなる」
天才。確かにルイスは天才だ。時折、彼が何を見ているか分からなくなるほどに。
人を統べるより、機構を制御する方が得意な少年。けれど生まれながらにして王の座に就くことを強いられた少年。父の意向に左右され傀儡として育てられ、けれど三年前その土台が崩れ去って。
酷い環境だ。多少ひねくれてしまうのも仕方ない。ある日突然、昨日まで信じていた人が、実は自分を利用していただけだったなどと聞いたところで、何が何だか意味なんて分からないだろう。事情の理解なんてもってのほかで、反発するに違いない。
だからきっと、コーティと同じくらい、ルイスは臆病なのだ。
これ以上裏切られるのは、嫌。自分を否定されるのが、嫌。進む道を間違えることが怖くて仕方ないのだ。
彼と自分の違いは、たった一つ。本当にこれでいいのかと、答えの出ない問題に突き当たった時の判断だけ。
コーティは復讐という、間違えた道を敢えて選んだ。
ルイスは茶化して、何も選ばない我儘になった。
「……これで、良かったんですか」
口の中で呟いた言葉は、最近になってようやく、侍女に芽生えた自覚。
自分はもしかして、彼を誤った道に引きずり込んでしまったのではないだろうか。そんな今更の不安に冷たいものを感じつつ、視線を主から離せないままで、隣の技師の言葉を聞いた。
「あいつが作り上げようとしている物。何であれ、その価値だけは忘れるな」
その言葉に、やはりコーティは何も答えられず。
侍女はただ≪白猫≫の剣の柄に刻まれた傷を、残された左手で撫でるしかなかった。




