たまには二人で抜け出して その1
走る、走る。
右手に城の壁を見ながら、塔をいくつか通り越して。噴水を横目に、執務棟の間の小道を経由して。東から北門へ。西から南門へ向かって。
最近になって変えたことが一つ。コーティは、義手に錘を括りつけることにしたのだ。当然、体の右側がとても重くなるけれど、まあ仕方ないだろう。対≪白猫≫用の義手は、どう見たってかなり重くなりそうだから。今のうちに慣れておかなければ。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
呼吸を乱さないように、上体を揺らさないように。ちょっときついかな、と思える速度で。
左手中心の生活にもだいぶ慣れて来た。魔法にも自信はあるし、瞬発力だって問題ない。片腕という点で近接戦闘はちょっと苦手だけれど、それでも最近、騎士たちにだって遅れを取らないようになってきた。
そんなコーティの弱点。それは体力。
右手を失う前と同程度まで戻ってきたとはいえ、コーティは元々持久戦が苦手なのである。だから基本、搦め手による勢いで押し切る。それが基本戦術。
だけどもちろん、それがまかり通る状況だけを選べる訳ではないとも分かっている。特にコーティは立場上、単独で動くことが多いことを、先日の襲撃で改めて思い知らされたから。
だからとにかく、走る。かつては教会の周りをぐるぐると。今は城の壁に沿ってぐるぐると。義手と錘と体を引きずって、ただ走る。
そんなコーティはある場所で足を止めて、息を整えながら脇道へと進路を変えた。
城の端の更に端。いくつかの若木が折り重なるように植えられているその場所へ。ここに寄るのが日課になってから、それなりに経っただろうか。石畳も敷かれていない細い土の道は、この城では珍しい。
開けた視界に、花が終わった後の緑が映った。ちらほらと種が付き出したから十分熟すのを待って、次の季節のために取っておこう。
この庭を造った侍女頭は、きっといたずら好きなんだろうなと、そう思う。幾重も分かれた道、それぞれの先に墓石を見つつ、コーティは先客に声をかけた。
「おはようございます。ヴァリー様……と、ロザリーヌ様?」
侍女頭の隣に意外な人影を見た。華やかさと気品を併せ持つ姿。まさかこんなところでと驚くコーティに、ロザリーヌは楽しそうに微笑みながら声をかけてきた。
「おはよう、コーティ」
ヴァリーの手にいつものバケツがあるのはいいとして、ロザリーヌも珍しく明るい茶髪をひとくくりにまとめて、手には作業用の手袋を嵌めている。
「……ロザリーヌ様も、庭のお世話をされるのですか?」
「私はたまに手伝うだけ。ヴァリーみたいに毎日来られたらいいのだけれど、これが中々難しくてね……」
ちらりと隣のヴァリーを眺めて、草刈り用の小さな鎌を掲げて見せた令嬢が微笑んだ。年嵩の侍女はバケツを地面に置いて答える。
「この老体をお気遣い、お忙しい中を縫って来ていただいているのです」
「まだ老体って歳でもないでしょうに……」
「朝、日が上る前に目覚めるような婆ですよ」
令嬢の呆れ顔を受け流し、花の終わったグロメラータにヴァリーは目を細めた。
「……今年もいい花をつけてくれました」
「ええ。ゆっくり眠らせてあげなくてはね」
優しそうな顔のロザリーヌ。彼女は草刈り鎌を片手に花畑の近くにしゃがみこんで、雑草を抜き始めた。ローレンと言ったか、彼女の従者は側で立っているだけだけれど、主人だけに作業させておいていいのだろうか。
まあ当のロザリーヌが楽しそうだから、問題ないのかもしれない。この才女と従者は一見して不思議な関係性だな、とコーティは苦笑する。それを言うなら、コーティとルイスだって、端から見れば首を傾げられるような主従だ。人のことなんか言えなかった。
「いやあ、最近忙しくてこういうことが全然できなくてね……」
「もしかして、以前は手入れされていらしたのですか……?」
「元々、ヴァリーと私の二人で始めたのよ。戦争が終わって、ほんの少し落ち着いた頃だったかしらね」
≪傾国≫の支配から国を救った才女と、侍女の中の侍女。二人が揃って土いじりにいそしむ様子は、ひょっとするとこの城の大半の人が驚く光景なのかもしれない。でも、どんな英雄だって、それこそ王族だって、一皮むけばただの人間だということを、コーティはこの城に来て学んだ。
右手の錘を外して脇に避け、コーティもまたしゃがみ込む。
この場所を花で満たしたい。その思いの理由は人それぞれだし、聞くことじゃないというのも分かってはいる。それでも、今まで問いかけたことのない疑問を投げかけたのは、もしかしたらいつもとほんの少し違う、ロザリーヌのせいかもしれなかった。
「お二人は、どうしてここを花畑にされようとお考えになられたのですか……?」
訪れた小さな沈黙に、やはり聞いてはいけないことを聞いたのかと焦ったコーティだったが、二人はどうやら言葉を探しているだけみたいだった。一心不乱に小さな雑草を引っこ抜くロザリーヌが、「そうねえ、これはヴァリーが答えるべきかしらね」と口にした。
「……どう説明すべきか悩みますが」
上げた視線の先、雲の隙間から微かに差し込んだ朝日に反射して、侍女頭の撒く水がきらきらと宙を踊っていた。
「ここは、私たちがお仕えし損ねた方が残された庭なのです」
「ちょっと。私はあの人に仕えるつもりなんかなかったのだけれど?」
「これは失礼」
仕え損ねた? 主従関係に損ねるとかあるのか? こちらの頭に疑問符が浮かんだのが分かったのだろう。ヴァリーは静かに微笑みつつ、けれど質問の答えとは異なる話を振ってきた。
「コーティさん。あなたは、主であるルイス殿下のことをどうお考えですか?」
「え? どうって……」
藪から棒に飛んできた質問。あまりに抽象的で、どう答えたものか分からない。首を傾げた新米侍女の様子を見て取ったように、侍女頭は続ける。
「お側にいれば思うこともあるでしょう。それを言葉にしてみなさい」
「……言葉」
そう言われて考え込む。
まあ、彼に対して思うことは沢山ある。それこそ主としてと言うなら、あの人は王子の役目も果たしているか怪しいし、全力で我儘を言う、なんとも酷い王子様。けれどその裏には複雑な事情があることも知っているし、彼の立場の辛さも知った。
それを、どう表現すればいいのだろう。彼を示す言葉が、まだコーティには見つけられない。
……まったく、何を自分はそんなに考え込んでいるんだろう。もっと適当に、それこそ「我儘ですよねえ」とか答えておけばいいのに。何故だか簡単に答える気分にはなれなかった。
「……お仕えするあの方が、もっと光の元を歩けたらいいのに」
探していた言葉。それが気負いない口調で侍女頭から聞こえた時、だからコーティは思わずピクリと肩を震わせてしまった。
「……どうして」
「このヴァリーが、この庭に花を贈られた方に抱く感情です」
心の底で考えていたことをずばり言い当てられたような気がして、コーティの手が止まった。
見つめた先、ヴァリーは一つの墓の前にいる。
なぜだろうか。柔らかな布で墓石を拭う彼女の手つきが、まるで女性の髪を梳かすような仕草に見えて、コーティは戸惑った。
やがて、彼女は持参した花を墓石の上にそっと乗せた。……これもそうだ。どうして自分には、まるで女性の髪に花を飾っているように見えたんだろう。
「あなたがルイス殿下に抱く想いと、どこか似ているのではありませんか?」
「それは……」
ルイスに対する感情。彼を少しずつ知るうちに芽生えた感情。
そう。侍女としてのコーティはいつからか思うようになった。
彼がもっと堂々と、自由に、自分の考えを表に出せたらいいのに。怯えることなく、胸を張って歩けたらいいのに。国とか、父親とか、くだらない呪縛から解放されたらいいのに。
彼が、もっと彼らしく生きられたらいいのに。
本当はあんなに頭が良いのに。絶対色々なことを考えているはずなのに。彼はそのほとんどを胸の内にしまいこんだままで、≪我儘王子≫として生きることを強いられている。それは酷く窮屈で悲しい人生だと、恐れ多くも侍女はそう思う。
じっくりと考えてみて、その感情に疑いを抱かないことを確かめてから。コーティは「はい」とだけ答えた。
「良かった」
「……え?」
侍女頭と話していると、なんだか謎解きでもさせられているみたい。振り返った彼女が、コーティの奥底を見透かすような目でじっと見つめているからだろうか。
「そう思えるということは、あなたにとってルイス殿下が誇れる主であることを意味しますから」
「……誇れる?」
予想もつかない言葉に心底驚いてしまって、コーティは呆気に取られてしまった。
そんな話があるのだろうか。コルティナ・フェンダートという女は、ただどす黒く濁って凝った衝動に突き動かされるだけの復讐者のはず。制御できない破滅願望に燃やされながら、憎しみをぶつけるだけの存在に過ぎない。誇りなどという高尚なものは、とことん似合わない。自分はそんな人間だ。
「ええ。誇りです」
そんなコーティの心情を理解しているはずもないだろうが、侍女頭は考え込んでしまう新米侍女に歩み寄ってきた。皺の奥から覗く目を見上げて、新人は疑問に思う。
彼女と、彼女が誇りに思う主は、一体どんな人生を送ってきたのだろう。
「……こんなことをロザリーヌ様の前で言うと叱られてしまいそうですが」
「私、耳塞いでおきましょうかー?」
「聞かなかった振りだけで大丈夫ですよー」
気の抜けそうなやり取りを挟んで、侍女頭はのほほんとした口調で続けた。
「誇れる主にお仕えできること。それは侍女にとって最上の幸運、私はそう考えます」
「……」
「我らは侍女、主が少しでも心地良く過ごされる環境を作り上げるのが使命です。たとえ主となる方が何を考えられていようと、それだけは守らねばなりません。それこそが侍女の矜持、私たちの根幹を為す心得」
もしかして。コーティがちゃんとした手続きを踏んで侍女になっていたら、こんな指導を受けた上で彼に仕えられたのだろうか。そうしたら、彼に対する態度も変わっていたのだろうか。そうでないことを、ちょっと寂しく思う自分がいる。
「ですが、主もまた一人の人間です。そのお考えを厭うこともありましょう。私たちにとって、本意ではない命を受けることもありましょう。……考えたくもないことですが、悪事に手を染める主すらいるかもしれません」
そう言われて思い浮かべたのは、自分が彼の侍女として働き始めた日のこと。コーティが義手をもらい、震える声で忠誠を誓った、最初の一日。
もしもの話だ。もしもあの時、ルイスが≪白猫≫襲撃を咎め、王子としての権利を持って脅してきたなら。
それは可能性として十分あり得た状況。ルイスが物語に出てくるような王子様であり、悪行を許さぬ清廉潔白な人物だったら。彼が復讐を咎め、コーティを諭して来たら。
復讐は何も生みやしない。そんな手垢まみれの正論を突き付けてきたら、果たして自分と彼はどんな関係になっていたのだろう。
もしかしたら、コーティはそんな立場に置かれる可能性だってあったのだ。
今過ごす現実が、そんな悲しいものにならなかったこと。自分が抱えるやるせなさを、彼がありのままで受け止めてくれたこと。それをコーティは、本当に幸運に思うべきなのかもしれない。
「その時、主に対してどう接するのか。諫めるのか、従うのか、それとも別の方法を考えるのか。選択一つで未来は変わります。大仰な言い方をしますが、主に近しい私たちの、存在意義を問われることになるかもしれません」
「……」
「ここに花を贈られた前の主は、もうこの城のどこにもいません。彼女がそれを願い、私はその願いを己が望みとして共に突き進みました。……結果として、同じ想いを持つ主と私の道は分かたれた。それが良かったのか、悪かったのかは分からない。ですが、少なくとも今の私は一切の後悔をしていません」
クスリと笑い、侍女頭は「……話が思い切り逸れてしまいましたね」と眉を下げた。
「そんな主に、花を植えてほしいと頼まれたのです。……ここに花畑を作るのは、それが答えなのでしょう」
コーティは、胸が詰まって何も言えなかった。
侍女。それは≪白猫≫を殺すために得た一時的な身分だったはずだ。可能かどうかは別として、復讐を遂げたらトンズラするつもりで、後のことなんか一切考えてなくて……。
思わず左手で二本指の義手を握りしめて、どこか無理のある口調で問いかけてしまった。
「……その主様は、とても素晴らしい方だったんですね」
そう聞いたら、向こうで、何故かロザリーヌがいきなり噴き出した。ついでにヴァリーもいい笑顔で「ええ、それはもう」と答える。
「ねえ、コーティさん。主と従の関係と言うのはいつだって悩ましいもの、そうではありませんか?」
確かに、コーティはこの城に来てから悩むことばかりだ。
幼い頃は経典に従えばよかった。名前の代わりに番号をつけられてからは、教官と枢機卿こそが答えだった。どちらも失ってからは、憎き≪白猫≫さえ殺せたらそれでよかった。
「でも、今は……」
どうなのだろう。自分が≪白猫≫を殺した後のことを、コーティはどう考えればいい?
だってそうじゃないか。近々コーティは死ぬだろう。別にそれでいい。そのために生きて来たのだから今更迷いなんてない。
けれど彼は? コーティが散々利用したルイスは?
コーティが罰を受けて死んだ後、それでおしまい、めでたしめでたしという訳もなかろう。調査は続けられ、王子が協力したことはすぐに明るみに出る。
……ああ、そうか。
「そういうこと、なんですね……」
そこまで考えて。自分の胸に漂うモヤモヤを、コーティはようやく言葉にすることができた。
自分の復讐のために、彼を罪人にしてしまう。前提条件として考えていたそのことに、分かっていたはずのそのことに、コーティは今更になって悩んでいるのだ。
侍女である自分が、主であるはずの彼を貶める。そんなもの、侍女の風上にも置けない。必死に我儘王子を背負って生きる彼への冒涜だ。
では、復讐を止めるのか。それもまた、あり得ない。止めてしまえばコーティがコーティでなくなってしまうから。
答えなんてない。それが分かっているから、悩んでしまうのだ。
「ちょっとヴァリー。コーティもっと困っちゃったじゃない」
「……おかしいですね。誇りに思えと元気づけたつもりだったのですが」
顔を見合わせた侍女頭と才女を前に、コーティは二本の指を左手でいじった。
何か大切な心得を受け取ったような気がする。それはきっと、決して無駄にはならないはずで。苦しくとも今気付けたことに、きっと意味がある。
「ありがとうございます」
コーティは深々と頭を下げた。
「ようやく私、自分が何に悩んでいるのか分かりました」
まずは一歩目、自分の悩みを言葉にすること。多分、意識してこんなことをしたのは生まれてはじめてで、とても心細いけれど。グラグラ揺れる自分に気付くことができたなら、きっと今はそれで十分。
空になったバケツと、集めた雑草を抱えて、ついでに錘を右手に括り付けなおしてから、コーティは立ち上がった。
「私、もっとルイス様のことを誇りに思うことにします」
「力不足かもしれませんが、困ったことがあったらお話においでなさい。他者への伝え方を考えることで、心は自然と言葉になる。それもまた、とても大切なことですから」
「あ! 殿下に、今日の予定サボらないように言っておいてね!」
「善処します!」
もうすぐ時計塔の鐘が鳴り響く時間だ。そうしたら、今日もコーティは侍女になる。
顔をあげて、くるりと振りむいて。コーティは緑の間を駆け出した。




