叙勲式 その6
王城で≪六の塔≫と言う時、大抵の人は声を潜めるものだ。
他の建物と調和のとれた、美しい外壁と屋根を持つ塔。その姿が上辺を取り繕ったものに過ぎないことを、誰もが知っているからだ。
かつての政治犯収容施設。それがこの場所の正体である。
独裁の野望を打ち崩された前王の収容。戦後になって政治犯という定義こそまるで別物になったとはいえ、特殊な囚人を捕えて置くというこの場所の役目自体は、今も昔も変わっていない。
それこそ前の国王自身であるとか、剣を握れなくなった元騎士団長であるとか、更にその側近数名であるとか。……戦争中に市街への被害もやむなしと判断した人間などを含めて、今の塔にいるのは、いずれも前の戦争の関係者が多い。
その中に、つい先日、二人の人間が入ることになった。
どちらも教会残党≪鱗の会≫の人員だ。
片方は女。突然空から降ってきた光に巻き込まれたものの、≪白猫≫の近くにいたお陰で辛うじて難を逃れた人間。本隊唯一の生き残りであった。
もっとも、目の前で味方が全員溶けて消えたのが、あまりに堪えたのだろう。彼女は既に話ができる状態になく、ブツブツと視線を床に向けたまま、意味をなさない呟きを漏らすだけ。その憔悴っぷりには、騎士ですら憐みの視線を向けていた。
だが捕らわれたもう一人、≪二十三番≫にしてみれば、彼女はまだマシだと恨み言の一つも言いたい気分だった。
最低限の治療を施されたものの、侍女に貫かれた腕はもはや使い物にならない。動かないどころか感覚すらなくなっているそれは、今ではだらりとぶら下がっているだけの肉塊だ。
取り調べは何度か行われたものの、尋問官の態度が妙に生ぬるいように思える。恐らく内通者が手を回しているからなのだろうと、彼は踏んでいた。
この二十年で異常ともいえる速度で発展した医療技術。それはすなわち、人が人の限界に対して詳しくなったということでもある。強力な鎮痛剤を使って思考を麻痺させた隙にしゃべらせることくらい、この国の奴らなら訳なくやって来ると思ったのだが。
城の警護に、刺客の手引き、そして捕虜への尋問。
その全てにおいて影響を及ぼす内通者。その人物は襲撃事件後も自分の立場をこれ以上なく使い、依然として巧妙に立ち回っている。自分がまだ正気を保っているのは、間違いなくその根回しのお陰だった。
それでも≪二十三番≫は、少なくとも自分の処遇について楽観視などしていなかった。ほとぼりが冷めた頃に牢から出してくれるのでは、なんて幻想はこれっぽっちも抱けない。
だから内通者がわざわざ目の前にやってきたとき、隣の牢で泣き叫んだまま絶命した同志とは異なり、彼はすべてを察することが出来たのだ。
「……口封じか」
「物分かりが良いな。……貴様の身柄について教会側と交渉している、そんな理由で稼げる時間は過ぎたよ。一部のお偉方がうるさい、いい加減吐かせろとな」
「それは勘弁願いたいものだな」
「こちらとしても全てを話されるのは困る。利害が一致したな」
静かに答える内通者の後ろに、≪二十三番≫は別の人物の影を見た。初めて見る顔だったが、すぐに分かった。
「……後ろの女、異邦人か」
「プレータ・マクライエン海軍少佐。どうぞお見知りおきを」
「随分と、この国の言葉が上手なんだな」
「ありがとう。ほら、よく言うじゃない? 懐に入り込むには、まずは相手を知ることからって」
彼女が着こなしているのは遠く離れた異国の軍装だろうか。恐らく上着は脱いでいるのだろう。ブラウスの胸元を大きく開けていて、見せつけるような肌がひどく白く見えた。
にもかかわらず、どことなく硬い印象を抱かせるのは、武を司る者たち特有の佇まい故か。服の意匠は全く別物なのに、王国騎士団の平服とどことなく似た雰囲気が漂う。
「……結構難しいのよね。発音記号って感覚が今でも理解できないわ。……私の上官はどうにも苦手みたいでね、併合したら言語教育を施そうかって言ってるくらい」
「それは困るな。言語もまた国としての財産だ。一言申しつけておこうか」
「あら内通者さん、トーリス中将は芯を曲げないわよ?」
「こちらにも譲れない一線はある。必要だから協力しているだけであって、ネルガンの要望の全てを受け入れるつもりはないと言っておこう」
≪二十三番≫は目の前の会話に薄く笑った。こいつらの口調の平坦さときたら、国をおもちゃと勘違いか何かしているのではなかろうか。言語を奪うなんて統治方法など考え付いたこともなかったが、それがネルガンのやり方という訳だ。憎きこの国を言葉から殺す、それは彼にとって新たな発見だった。
「それで、この先の筋書きは? どうせ喋れなくなるんだ。それくらい教えてくれてもいいだろう?」
その声に、内通者と異国の軍人がこちらを向く。内通者は無表情だったが、何某少佐とやらは艶やかな笑みを浮かべていた。
「ルイス王子が今墓穴を掘ろうとしているの。彼がやらかしたら、こちらも行動開始よ。混乱に乗じて一気に圧力をかける。後は内通者さんのお仕事ね」
「王子殿下は裏で何か企んでいるようだが、今回ばかりはいつものように逃げられる段階を越えている。どう足掻いても今以上に厳しい立場に置かれるはずだ。その隙を突く。……エレオノーラ様にも王位を厭う事情はあるが、馬鹿をした≪我儘王子≫よりマシだという風潮が出来上がればこちらのものだ。国内の力関係は変わるだろう」
「それこそ、内通者さんの希望通りにね?」
フン、と鼻を鳴らした内通者が、肩をすくめた。
「エレオノーラ様は常識というものをお持ちだ。人の機微にも敏感で、その分圧も受けやすい。そして我が国とネルガン連邦の力量差をこれ以上なくご理解されている。ロザリーヌやアルフレッドやら有能な側近は多いが、ご自身はそこまでお強くないさ」
「……流石、側で見ていた者の説得力が違うな」
そんな言葉を漏らして、≪二十三番≫はせせら笑った。そこまで聞いて、この国の未来がある程度は読めてしまったからだった。
「王家の混乱に乗じて、一気に押し切るつもりか。……なるほど、体内に毒を抱えている国に成す術はない、と」
「カーライルの上層部は重圧に耐えきれず、やがては折れるでしょうね。内通者さんは国内の権限を掌握したいみたいだし、既存の権益をひっくり返すまたとない機会、という訳」
「誤解を招く言い方はよしてもらいたいな、少佐。我々は権益の奪取など考えていないし、納得もしていない。大前提として貴官らの強欲がなければこうはならなかった、それを忘れないでいただきたいな」
「あら。ごめんなさい、訂正するわ。けれどまあ、目的はどうあれネルガン連邦カーライル自治州の誕生という形に変わりないでしょう?」
「ふん」
聞けば聞く程、酷い企みだ。
仮にカーライルが抵抗すれば全面戦争になったっておかしくない。もちろん侵略者の軍事力をもってすれば、この国は早晩落ちるだろうけれど。
自由を管理されるか、それとも敗戦国として搾取される道を選ぶか。どちらを選んでも、カーライルに未来はない。
「素晴らしいな。これで心置きなく龍神様の御許へ逝ける」
「……満足してくれたようでなによりだ」
≪二十三番≫は笑みを深めた。これ以上深く聞く必要はなかった。内通者はまたしても嘆息し、プレータはくすくす笑った。
「さて、死ぬ前に他に聞きたいことはない?」
「ないな。先に逝って、あちらで貴様らを嘲笑っているよ」
戦え、抗えと。憎め、奪え、殺し合え、と。
つくづく救いようのない人間どもめ。欲望に身を燃やし、満たされぬ飢えに苦しみ続ければいい。
≪二十三番≫は冷たい床に両膝をついた。手を胸の前で組もうとして、力の入らない片腕に苦笑を漏らす。まったく、この体はどこまでも罪深い。目の前の黒幕共や、過去に背を向けた薄情なこの国そのものと同じだ。
「最後に、祈りの時間をもらいたいのだが」
「好きなだけ、どうぞ。それは神を持つ者の特権よ」
「この国、必ずや亡ぼしてみせろよ、侵略者」
「オーケー」
頼もしい笑みを浮かべたプレータ少佐に見下ろされ、≪二十三番≫はそっと目を閉じる。
それはもう、悔いはないという程に祈りを捧げてから。ふと気になって、彼は不思議に思ったことを問いかけてみた。
「……オーケー、とは?」
「え? ああ、ごめんなさい、私たちの言葉ね。意味は色々あって……、『はい』とか『許可する』とか色々な場面で使える言葉なのよ。……でも、そうねえ」
しばし顎に手を当て考え込んだ後、プレータは口を開いた。
「今のは、『任された』って訳すのがいいかしら」
「なるほど。また一つ知恵を蓄えられた、感謝する」
女が剣を構える。腰元のサーベルはそのままで、代わりに借り物であろうこの国の騎士剣が頭上に振り上げられていた。
「準備はいい?」
なるほど、きっとこういう時に今の言葉は使うのだろう。跪いたまま、笑みを浮かべて≪二十三番≫は答えた。
「オーケー」
空気が切り裂かれる音、直後首元に何かが叩きつけられて。
そこまでしてようやく、彼は復讐から解放された。




