叙勲式 その4
勲章をもらっても、コーティの毎日は変わらなかった。
朝起きて、駆け足と水やりが終わったら主を起こす。朝食をさっと平らげて執務室へ。軽く掃除をしつつ、会議をサボる主を部屋の物入に押し込んで重鎮の追及を躱し、その後は近衛隊の訓練に混ぜてもらい……。侍女ってなんだっけ。コーティは改めて分からなくなってきた。
強いて変化を挙げるとするならば、臨時のお給金をもらったことくらいだろうか。結構な金額だったので驚きはしたが、だからといって何に使う当てもなく、とりあえず寮に備え付けられている鍵付き戸棚に突っ込んでおいた。
そして、夕食の時の質問責め。コーティが食事に行くと、決まって周囲に人が集まる。自分を中心に一つの輪が出来上がるのは、慣れはしてもなんだか不思議な気分だ。
「んー」
今日のルイスは、執務室に来るなり図面と睨めっこしている。最近、下町の工房からコーティが届けるようになった小さな金属部品を、ひたすらこねくりまわしている。
襲撃の直後はあんなに手際よく事態の収拾に動いていたのに。状況がちょっと落ち着いたらこれである。今日の会議、連続でサボっているけど大丈夫なのだろうか。
「なあコーティ」
「なんですか?」
「上手くいかないんだけど」
「休憩ついでに、行政棟の広間まで散歩されてきたらどうですか?」
「……行ったら最後、そのまま椅子に縛り付けられて、会議中の議場に放りこまれそうだな」
「未来予知までできるなんて、流石ですルイス様」
軽口を叩きながら、コーティはルイスの机に歩み寄った。黒い機械油に染まった手を濡れた布で拭く彼の横から、机の上の金属の塊に目を向ける。
「いくら見ても、これが何の部品なのかさっぱり分かりませんね……」
「糸の巻き取り部になる予定なんだけどな。さっき試しに組んでみたら計算より巻き取る力が弱くなっちゃって……。やっぱ圧力管だよなあ、これ以上太くはしたくないんだけど」
そんなことを言われても、コーティには端からお手上げだ。布を机に置いたルイスは、椅子に腰かけたままでコーティの方を見上げた。侍女が義手ではなく自分をじっと見ていることに気付いたのだろう。きょとんとした顔でこちらを見返してきた。
「どうかした?」
「いえ、そういえばと思いまして……」
ふとコーティは思い出す。この間の夜会の後、ライラが首を傾げていたのだ。
「ルイス様って、ダンスは踊られないんですか?」
「ダンス?」
「ええ。夜会でも一曲も踊っていなかったみたいですし」
叙勲式では主役だったこともあり、コーティはあの夜王子付きを免除されていた。だからいつものように四六時中側にいた訳ではないけれど、それで主を気にする癖が抜けるものでもない。ちょくちょく様子は伺っていたのだ。
たまにこっちを見ていたり、誰かとしゃべっていたりすることはあっても、他の貴族のように女性をエスコートして一曲いかがですか、なんてことはなかった。
あんまりルイスが踊っている様を想像出来ないし、あの時は疑問を感じなかったコーティだが、ライラはどうやらそう思わなかったらしい。「王子様は華麗なダンスを踊れるものなの!」と謎の力説をされたのである。
そんな下地があっての質問だったが、どうやらルイスは違う意味にとらえたらしい。途中までポカンとして聞いていたルイスが、ふと妙な笑顔を浮かべた。
「なんだよ。俺と踊りたいなら素直に言えばいいのに」
「まさか。私そもそも踊れませんし」
「……少しは悩む素振りくらい見せてくれてもいいんじゃないのか?」
しょげた表情を見せたルイスは、けれど気を取り直したように顔を上げた。笑みをその顔に戻して、椅子から立ち上がる。
「よし。ちょっとやってみるか」
「何をですか?」
「踊るんだよ。付き合え」
「いえだから、私ダンスなんて全然知らないですって……。わっ……!」
グイっと右手を引かれて、コーティは目を丸くする。彼は有無も言わさずコーティを引っ張って、家具のない部屋の入口の方へ。
扉の前に控えていた近衛隊の若手が、すごい目でこちらを見てたかと思えば、慌てて場所をあけてくれた。なんだか猛烈に恥ずかしい。
「よし。まずは基礎のステップからだな」
「あの、私義手ですってば」
「知ってる。別に義手だからできないって法はないだろ、多分」
そんなにあっけらかんとした顔で言われても。コーティが眉を顰めても、ルイスはお構いなしだ。
「そもそも、片方だけ動けたところで、もう一人が踊れなければ成立しないのでは?」
「お堅いなあコーティ。曲もないし、真似事みたいなものさ。義手はそうだなあ……とりあえず手首そのままで指だけ閉じておいてもらえるか? 後は力抜いて、俺に任せとけばいいからさ」
コホン、と一度咳払い。コーティの手を離した彼が、柔らかく微笑む。
叙勲式で見た、物語から飛び出してきたような王子様の表情だった。そのままもう一度、同じ手をコーティへと伸ばす。
「俺と一曲、踊っていただけませんか?」
その顔と手を交互に見つめて、コーティは思わず苦笑を漏らした。
「……普段からそんな顔をしていれば、もっと王子様らしく見えるのに」
「明日から俺、ずっとこの顔してようか?」
「気持ち悪いんで結構です」
「ホント、この侍女言ってくれるよ」
そう零す彼の口調はやはり柔らかくて、気付けばコーティは自然と手を差し出していた。
「喜んで。仕方のない主様」
仕方のない人。口に出してから、彼を表す言葉としてぴったりだと思えた。なんだろう、胸の辺りがくすぐったくて、そんな自分に戸惑う。
義手の先を、彼の手が握った。金属の指に感覚はないはずなのに、大きくて暖かい手に包まれたように感じてしまって、またしても驚いた。右手はそっと体の外側へ導かれ。左手は曲げて相手の左腕の付け根の近くに。
王子らしい微笑から、彼らしい悪い笑みへ。あ、これは来るな、と身構えた。
「じゃ、ちゃんとついて来いよ?」
「えっ、わっ……!」
いきなり引き寄せられたせいで、一歩目から思い切り彼の足を踏みつけてしまった。謝ろうとしたのに、彼は気にする素振りも見せず、右へ、左へ。コーティはステップを踏むどころではない。ダンスの下手なお嬢様どころか、振り回されるカバンの気持ちを味わった。
「これやっぱり無茶ですって! どう動くのかさっぱり分からない……!」
「よっしゃ、しっかり掴まれ!」
「へ?」
彼が左手を腰元へずらす。どこ触ってるんだと目を白黒させたコーティは、そのまま思い切り抱え上げられて悲鳴を上げた。
「ふわあっ!?」
もはやどこからどう見てもダンスのステップではない。バランスを崩したまま、足が地面から浮き上がる。倒れ込むことだけは避けたくて、体幹を軸に体をひねるルイスに、思わずしがみついた。
今度は紛れもなく、現実の体温が伝わった。服越しでも分かる彼の熱にあてられて、ドキリと心臓が飛び跳ねる。まさか体ごと持ち上げられるなどとは思わず、思いがけない力強さに目を見開く。
その拍子に、侍女は彼の笑顔と、その後ろで回る世界を見た。
つかの間、呼吸を忘れる。
ああ、その表情は忘れられそうにない。我儘を言う時とも、王子を気取る時とも違う、心の底から楽しんでいることが伝わってくる、素直な笑顔。
そんな顔もされるんですね。心のどこかがそう呟き、顔に熱が集まるのが分かる。
「どうだ、俺も案外捨てたもんじゃないだろ?」
「……え、ええ。悪くは、ない気分です」
体の底に灯った熱に戸惑いながら、けれど気付けば侍女もまた、彼へと微笑み返していた。




