叙勲式 その2
「分かります。ずっとオートミールばっかりだと辛いですよね」
「分かってくれる侍女さんがいるなんて……。そうかそうか俺は嬉しいよ」
「野営の時のオートミールはホントに酷いですから……」
「そう、それなんだよ! 塩だけだと飽きるんだあれ」
近衛騎士隊に所属するオレットは、隣を歩く侍女をチラチラ伺っていた。一応、それなりに美人の部類には入るはずだが、それを凌駕する変人っぷりで有名な人物である。
そんな彼女と正直ここまで話が盛り上がるとは思ってもいなかった。それはもう一人の相棒も同じようで、変なやつもいるもんだ、と苦笑交じりの視線を交わす。
先日の襲撃で活躍した、王子付きの専属侍女。オレット達が命じられたのは、城下町へとお使いに出かける彼女の護衛である。下町での仕事をつつがなく済ませた後は、大きなカバンを抱えた娘の後をのんびりとついていくだけの任務だ。
元々その侍女とは顔見知りではあった。
いつぞや、隊長のマティアスが訓練に連れて来た女である。片腕を戦場で失くしたはずなのに、それを押して訓練を続ける彼女は、近衛隊の中でもよく知られた存在なのだ。
ちなみに彼は何度か手合わせしたこともある。かわいい顔をして、すばしっこくてえげつない戦い方をする女だった。右腕が十全に動かせず、苦労する様子を見せながらもこれなのだ。本来の力が出せたなら、一体どうなることやら。
「せめてチーズくらい入れたいよなあ」
「いいですねチーズ。あと乾燥させた果物も合うんですよね」
彼女が教会の出身というのは知られた話。近衛にとってはかつての敵だったこともあり、はじめは結構警戒していたのだが。しかしまさか、作戦行動中の食事なんて話題についてこられるとは。話してみるものである。
恐るべし、塩と水だけで煮込んだオートミール。今なら教会の人とも友達になれそうだ。
「……おっと」
そこで彼女は足を止めた。ずり落ちそうになったカバンを抱え直す。それを見て、彼は何度繰り返したか分からない問いかけを、もう一度口にした。
「コーティさん。荷物、よければ持つけど?」
隣を歩いていた侍女が、こちらを見上げる。
「いいえ。これくらい運べなくてはルイス様の護衛など務まりません」
「……コーティさんは侍女では?」
彼女は重そうなカバンを決して渡そうとしない。先程訪れた下町の鍛冶屋で受け取った荷物だが、何が入っているのやら、随分と大事そうに抱えている。
相変わらず空模様が怪しい。雨が降りはじめる前に王城にたどり着きたいのかもしれない。
「ただでさえ今は片手しか使えないんですし、今のうちに鍛えておけば、いざという時役に立つでしょう? たぶん、護衛であっても侍女であっても同じことです」
「……マティアス隊長がおっしゃっていたよ。あなたを侍女にしておくのはもったいない。騎士に転向するなら、歓迎したいと」
「私にはもったいないお話ですが、ルイス様の侍女ですから」
「護衛なのか、侍女なのか……」
彼女は右肘にひっかけたカバンの取っ手を左手でいじる。せめて左手でも支えればいいのに、どうしてそうしないんだろうか。そう考えて、彼はふと思い出す。
「そう言えば、最近の訓練で、コーティさん右腕に錘をつけてるよな。あれ、どうしてなんだ?」
数日前の訓練から、彼女は二本指の義手に、これまた重そうな錘を括り付け始めた。その場にいた近衛たちは揃って変なものを見る目をしたものだ。また妙な侍女の奇行が始まったと。
「……先日の戦闘で、私は自分の未熟さを痛感しました。右腕がない、それがこれほどまでに弱点になるとは、と」
いやそこで儚げな笑みを浮かべられても。あなた侍女でしょう? 戦わないでしょう? とは口に出さないけれど。
「コーティさんを戦わせるような状況に陥ったことこそ、我々近衛の力不足なんだ。気に病む必要なんてない」
「いいえ。私は強くならねばなりませんから」
「……侍女ってそんな仕事だっけか?」
「最近、私にもよく分からなくなってきました」
言葉とは裏腹に、彼女がピンと背筋を伸ばす。こちらを向いた黒い瞳。そこに宿った意志の強さに彼が息を飲んだ瞬間。
「あ」
彼女の肘からカバンが滑り落ちかけたのを見て、彼は慌てて手を伸ばした。
いやほんと、しっかりしてるのかしてないのかよく分からない御仁だ。王子殿下を守り抜いてくれたことには感謝しているが、なんだか危なっかしいなあと、オレットは思ったのであった。
*
ライラの口がわなわな震えていた。
「どっ」
「ど?」
彼女の方を見なくたってコーティには分かる。青い顔をしている同僚が、先程から泣きそうな顔でコーティを見ているのだ。
「ど、どどど、どうしようコーティ!」
「これはもう、どうしようもないでしょう……」
ふかふかのソファに腰かけていたコーティは、隣のライラに「覚悟は早めに決めておいたほうが楽ですよ」と続けた。絶望的な顔を見せたライラには何を言っても仕方ない気がするけれど、こういう時は諦めが肝心。コーティはよく知っているのだ。
「大丈夫よ。二人とも、よく似合っているもの」
「ロザリーヌ様までっ!」
わざわざ様子を見に来たらしいロザリーヌが、ライラを見て表情を崩していた。
「ほら、化粧が崩れないようにね。変に身構えず、いつも通りの振る舞いを心がければ何にも心配はないのよ、ライラ」
「あああー」
「怒られるなら別だけれど、今回は褒めてもらうのだから。堂々と胸を張っていなさい」
憧れのロザリーヌに間近でそんなことを言われ、ライラはもう笑っていいやら泣いていいやら。
目の前で頭を抱えようとしたのだろう。ライラが両手を中途半端に上げてから、思い出したようにピタリと止まった。化粧どころか、髪の毛まで整えてもらったことを思い出したのかもしれない。
「私はロザリーヌ様に叱られましたけどね……」
固まったライラの隣でぼそっと呟くコーティには、ロザリーヌはにっこりと笑ってみせた。
「ええ。だってあなた、また誰にも言わずに勝手に動いたでしょう? それで助かったのは確かだけれど、味を占めちゃいけないもの」
「……私はただ、必要なことをしたまでです」
「この間も言ったけれど、意固地になりすぎるのも考えものよ? ……なんてね」
ロザリーヌは肩をすくめて笑った。
「別に私だって怒っていないし、むしろ感謝もしているわ。それでもね、誰かが言わなくてはいけないことだから話したの。コーティにも、ライラにも」
「褒めていただけるのは嬉しいのですが、そう思うなら騒ぎ立てないで欲しかったです」
「それは私にはどうにもならないわ、ごめんなさいね」
うんざりした顔を隠そうとしないコーティと、おかしそうに口元に手を当てたロザリーヌ。
悩み顔のライラは、しばらくコーティとロザリーヌを交互に見つめていた。
「どうしてコーティは平気なのさ」
「こういうことにいちいち驚いていたら、ルイス殿下のお付きは務まらないですし」
「その苦労に、最近あたしが巻き込まれてる気がするんだけど?」
「……それはなんか、すみません」
実際、コーティも慣れないことをしている自覚はある。
自分が身につけているのは、いつもの制服なんかじゃない。濃い青のドレスは、見た目通り中々の動きづらさ。肩なんて普段露出することはないから、剥き出しの両肩がスースーする。そのうえ右側はいつも通り、義手を固定するベルトが引っかかっているから、目立ってしまって仕方ない。左手にだけ嵌めた長手袋は、肌触りがいいと言ってしまえばそれまでだけれど、コーティにしてみれば柔らかすぎて心もとない。
まったく、生きていると驚くようなことが起こるものだ。お墓の前で報告したいことが、また一つ増えてしまった。
ねえ、教官。何が一体どうなっているのでしょうね。
私これから、勲章もらうそうですよ。
*
「勘弁してください」
当たり前だが、叙勲式なんてコーティも最初は全力で拒否した。
王子のお付きというだけで、ただでさえ目立ってしまっているのに。その上ドレスを着て勲章をもらうだなんて、とんでもない。
それこそ、これから本格的に≪白猫≫討伐に動き出そうと言う時にこれでは、更に色々な人に顔を知られてしまうではないか。やりづらくてかなわない……と、ルイスには視線で訴えかけてみたのだが。
「いやあ、俺もそう思ったんだけどさあ。周りがうるさくてさあ」
数日前、いつもの執務室でこの話を打ち明けたルイスは、酷くげっそりして机に突っ伏していた。隣に立つマティアスは、珍しく苦言を一言も漏らさず、けれどコーティを気の毒そうに見る。
「コーティ君。君に助けられた立場として、私もできる限り希望は叶えたいと考えている」
「マティアス様……」
「だがいかんせん、殿下の命を二度も救ったとなると、流石にどうにもならなくてな。一応、君だけに矛先が向かないよう、ライラ君にも褒美を取らせる方向で調整中だ」
おっと、ライラまで巻き込んでしまった。コーティも内心で頭を抱えた。
「……ごめんコーティ。俺、護身術がんばるから!」
「努力の方向を履き違えないでいただけますかな、殿下。励んでいただきたい公務が他に山ほどありますが」
見当違い甚だしいことをおっしゃった主を前に、表情を変えず苦言を呈する騎士。彼らの前で、侍女はがっくりと肩を落とした。向こうで王子ももう一度倒れ込む。机からゴンと鈍い音が鳴った。
「……やり過ぎましたか、私」
「ああ。……いや、我々近衛としては感謝してもし足りないのだが」
何とも低い声で、マティアスが続ける。
「真面目な話、殿下が二度も暗殺されかけたとなると、国の威信にかかわる。王子殿下健在を知らしめる式典が必要だろうと判断があってな」
「襲われてる時点で威信も何もあったもんじゃないだろ」
「おっしゃる通りで、殿下」
あの夜のことを振り返ってみると、コーティにもやりすぎた自覚がある。
待機命令の無視、西棟への侵入と、その後の城内での騒ぎの誘発。更には王子の寝室での大立ち回り……。一歩間違えば城から叩き出されても文句は言えない行為であることは間違いなく、戦闘の熱が収まった直後は、コーティも冷や汗をかいたものだ。≪白猫≫云々とはまるで関係ないところで、何をしているんだろう自分。
そもそもの話、一番はじめに立てた計画では、自分はどうするつもりだったんだっけ。
一回目の襲撃を退けて王子に取り入り、情報を持ち逃げして城から脱出。身を隠しながら奴のいるであろう北へ向かい……。いや本当にどうしてこうなった。
「……畏まりました。そのお話、お受けします」
「すまないな、コーティ君」
「自分が招いた不始末ですし……。まあ、働きを認められたという意味で、本来これは喜ぶべきことなのでしょう」
「式典の後には夜会も予定しているから、せめて良い経験になると思って楽しんでくれたまえ」
「……」
式典だけでは解放されないことを知ったコーティは、うわ、と口から零れそうになった呻き声を、慌ててひっこめたのだった。




