叙勲式 その1
『やはり駄目だったか』
≪鱗の会≫の全滅。報告を受けての上官の反応は、そんなつれない一言だった。
まあ無理もない答えだ。ネルガン連邦全権特使たる男のつむじを見下ろしながら、プレータ・マクライエンはそう思う。
上官の本来の役職は第一機動艦隊総督。階級は中将、すなわち上から数えて数番目の地位まで上り詰めるような御仁だ。頭のてっぺんが少し薄くなっているような年齢であることに、プレータ自身何ら疑問は持たない。
ネルガンが誇る主力艦隊の長も兼任する人物とあらば、その手腕を疑う余地はない。とは言え、若かりし頃の猛者ぶりは鳴りを潜めつつある今、ただの歳を食った男に見えてしまうのも、また事実だった。
そんな中将の補佐であるプレータ自身は、ブラウス一枚という薄着のままだ。別に大した理由はない。単純に海軍の白い詰襟は、プレータにとって胸元がきついだけの話。
元より軍属などという柄でない。そんなことは自分が一番承知している。身分を示す海軍少佐の襟章を見せる必要がない時は、大抵この格好だ。
ついでに、薄着というのは男共の目も引ける。野蛮で下卑た笑みを向けられる不快感はすでになく、むしろその方がなんだかんだでやりやすかったりするのだ。
ここはカーライル王国が王城カルネリアの敷地内。遠い西の国から来訪したプレータ達に割り当てられた滞在先である迎賓館の一室で、客人からの報告を受けた直後である。
客人、すなわちカーライル側の内通者曰く、こうだ。
意図的な情報操作により、≪影法師≫を囮に食いつかせることに成功。騎士団に対する誘導工作はほぼ予定通り。ルイス王子の寝室の近くに警備の穴を作り出すまでは順調だった。
が、ここで想定外の事態が発生した。
騎士団とは別の管轄下にあった、とある侍女の介入である。その女は警備が無力化されていることに目ざとく気付き、単身で寝室へと突入。時を同じくして、彼女にそそのかされた同僚が、危機を叫びながら城中走り回ったと言うのだ。
これが致命的であった。不特定多数への異変の共有は最も避けるべき事項の一つであったのに、まんまと出し抜かれた形である。
あの夜、内通者自身も庭を走り回る使用人の姿を目撃したそうで、すぐに作戦の失敗を悟ったらしい。結局、王子は無傷で健在。刺客は捕縛されたことで、事実上≪鱗の会≫は消滅した。
そんな間抜けな顛末を聞けば、プレータや上官がいる応接室に呆れ混じりの空気が漂うのも仕方ないことだった。プレータは内心で嘆息しつつも、初老の上官の呟きを耳聡くとらえた。
『……時代に取り残された者の末路だな』
交渉のため苦労して覚えたカーライルの言語だが、内々の話でわざわざそれを使う必要はない。
二十六文字のアルファベットからなる彼らの言語で話すのは、当然のこと。慣れ親しんだ響きに、プレータは含みを持たせて囁いた。
『どうされますか、トーリス中将閣下』
『どうすることもない。カーライル上層部への圧力という、当初の目的は達成できている。後処理さえきちんとしておけば問題あるまい』
後処理、とは≪鱗の会≫の生き残りについての話だろう。≪二十三番≫と、郊外の廃屋への航空攻撃から難を逃れた女性信徒一人、どちらも今もなお生存していると聞いている。
プレータは一つ頷いてから、彼女の上官である男へ口を寄せた。
『捕縛された≪鱗の会≫の残党は二名。余計なことを話される前に、その口は封じておきたいと考えます。手筈を整えてもらえるよう要請しましょう。可能であれば私が同行します』
『一応、今回の航空攻撃に対するカーライル側の対応も探らせておけ。限定的であっても、国外の人口密集地に対する攻撃だ。過敏に反応するようであれば手を打つ必要はある』
『かしこまりました、中将。では、そちらはバルヘッド大尉にお願いしましょうか』
部屋の隅で直立不動を貫いていた軍人が、眉を顰めるのが分かった。
『バルヘッド大尉? 聞こえたかしら?』
『……は』
彼の返答までに若干の間があるのは、いつものことだ。プレータを指して、権力者を色仕掛けで篭絡し士官の地位までのし上がった女と嫌う者も多い。それは確かに事実なので、プレータは何も言うつもりはなかった。
現に今だって、プレータと上官の距離は少し近すぎるのだ。先程の報告を耳元で囁く必要なんてどこにもない、そう言われたらそれまでで、けれどこの部屋に意見できる者は誰もいない。
もちろん、プレータは敢えてそうしているのである。
堅物は堅物らしくやっておけばいい。その間に、自分は権力者を最大限利用してのし上がるだけのこと。
そういう意味では、暗殺を阻止したというカーライルの女は、プレータにとっても気になる存在でもあった。机の上に散らばる書類の中には、その女に関する調査書も混じっている。カーライルの言語で書かれたその名を、プレータは口の中で呟いてみた。
『コーティ・フェンダート』
襲撃を阻止した専属侍女。
報告を聞くに、その女は完全な一匹狼を気取っているらしい。確かにそういう立場の人間でなければ、今回の介入は不可能だ。
報告に来た内通者も彼女に対する苛立ちを募らせているようで、プレータはそれが少しばかり痛快に思えた。権力者に取り入って目的のために利用する。自分とコーティとやらは、立場こそ違えど、どうやら似通った思考をする人間のようだ。
『ねえ、中将閣下?』
『なんだね』
『私、その侍女とお話してみたいのです。先程話のあった叙勲式で、接触の許可をいただけませんか?』
しなをつくってすり寄れば、上官は一も二もなく頷く。
『構わんよ。警戒すべき人物であることは確かなのだ、顔を見ておいたほうがいいだろう』
『ありがとうございます』
思ったよりもすんなり通ってしまったことに、プレータは少し気分を良くした。今夜は少し色を付けてやろうか。何事も、お願いを聞いてくれたら対価は必要。それがこの世界の決まりだ。
本当、英雄だろうと上官だろうと、男である以上はろくでもないことに変わりはない。女をちらつかせてやればすぐこれだ。内心でせせら笑い、しかし表情にはおくびにも出さず、代わりにプレータは艶っぽい笑みを作ってやった。
*
義手を動かした拍子に、パチンと妙な音が聞こえた気がした。
「……?」
コーティは動きを止める。不思議な異音はルイスの耳にも入ったらしく、青い瞳がこちらを見ていた。
一体どこから響いたのだろう。あちこち音の出元を探したものの、いまいち分からなかった侍女は首を傾げた。
「何が鳴ったんでしょう……?」
視線を戻し、左手で布巾を掴み直して、掃除中の窓に向き直る。窓枠の乾拭きは終わったので、脇にまとめていたカーテンを義手で掴もうと魔法を展開した。
「あれ?」
掴もうとした指が動かなかった。もう一度魔導瓶を起動させてみても、金属の板切れは全く動いてくれない。更にもう一回、やはり駄目。またしてもコーティは首をひねる。魔導瓶が起動している音はするのに、どうしてだろうか。
「どうかしたか?」
「いえ……」
執務机の椅子にもたれてルイスが顔を上げた。コーティも振り向いて、右腕を前にかざして見せた。
「突然動かなくなってしまって……」
「そこに座って見せてみろよ」
ペンをインク瓶に立てて、彼が手招き。素直に従って、侍女は自分用の折り畳み机の前に置いてある椅子に座った。「よっこらせ」と王子も自分の椅子を引っ張ってきて、侍女のすぐ隣にやって来る。
「どうしちゃったんでしょう」
「うーん、何だろな。……ちょっと指動かしてもらえるか?」
「これでいいですか……?」
「……んー、起動はしてるみたいだなあ。ちょっと魔導瓶取るぞ?」
相槌を打ちながら、彼はよく分からない工具を手に取った。金属製の棒のようだけれど、先端が変な形をしている。
「義手外しましょうか?」
「うんにゃ、一々外すの面倒だろ? そうだな、肘は軽く曲げたままで、義手を机の上に乗せて……。うん、そんな感じ」
「はい」
彼が身を乗り出す。義手の外板にいくつかあるネジに工具を当て、くるくる回して取り外す。四隅のネジを外し、鈍い銀の外板を取り上げて脇に置く。
コーティはあっという間に姿を変えていく義手に目を見張った。外板が外され、内部機構の露出した腕。この義手をもらってすぐの頃に構造についてのうんちくは聞いたことがあるし、今も定期的に機械油もさしてはいるけれど、ここまで分解されているのを見るのは初めてだ。
「軸受は問題なさそうだなあ。となるとこっちかな……?」
更に顔を近づけて、彼は義手の内部に工具を突っ込んだ。
すごい、と思う。コーティの目で見たって何も分からない金属の集まりなのに、ルイスの目にはまるで別のものが映っているみたい。更に小さな部品がいくつか取り外されて、机の上に整然と綺麗に並べられていく。
「……こんなにネジが入ってたんですね」
「ちょっと野暮ったいよな。もう少しまとめられたらよかったんだけど」
すぐ右隣りで亜麻色の癖っ毛が揺れて、コーティはふとそちらに視線を移した。ついと伏せられた浅い海色の瞳。コーティ顔負けの長いまつげに、シミ一つない滑らかな頬。前髪が柔らかな影を落としていた。
「……」
義手に集中しているせいだろうか、彼は頬の筋肉がすっかり緩めて、穏やかな表情を浮かべていた。こんな顔もするんだ、となんだか不思議な気持ち。
「あ、これだ」
「ルイス様?」
彼が義手の中に指を突っ込む。何かをいじる微かな音と共に引き上げられた手には、少し太めの糸のようなものが握られていた。まるで≪鋼糸弦≫の糸みたいだ。
たらんと垂れた糸をコーティに見せながら、ルイスはにこりと微笑んだ。
「中のワイヤーが切れちまってた。だから魔法も起動するし減速機も生きてるけど、肝心の指が動かないんだ」
「へ、へえ……。そうなんですか」
コーティにはやっぱり何言っているか分からないけれど、ルイスはちゃんと故障の原因を見つけてくれたみたいだった。
「ちょっと待ってろよ? 確かそこの籠にいくつか部品が余ってたはずだから」
立ち上がったルイスの背中に、思わず声をかける。
「直るんですか?」
「もちろん。こんなの壊れたうちに入んないよ」
腕を机の上に置いたまま、コーティはホッと胸を撫でおろす。
戻ってきた彼の手には、巻き取った針金のようなものが握られていた。掃除している時に籠からはみ出しているのは見たことがあったけれど、まさかこんなところに使われているとは。
彼が説明してくれたところによれば、これを義手の内部にある減速機と指の根元にのビスに巻き付けるのだとか。言葉で言われてもさっぱり分からないが、一つ一つ指で示しながら教えてくれたら、なんとなくどうやって動いているのか想像できるような気がした。
「あの……」
「ん……?」
ワイヤーを切り取ろうとしていたルイスに、頭を下げる。
「すみません。義手を壊してしまって……」
「なんだ。妙に静かだと思ったら、そんなこと気にしてたのか」
彼は面食らったように目を瞬かせていた。
そんなこと、と彼は言うけれど。この義手がどれほどすごいものなのか知っている身としては、申し訳ない気持ちでいっぱいなのに。
「元々、こういう部品は定期的に交換するもんなんだ。自動義手を作ったのは初めてだったから、俺も耐久性がよく分からなくてさ、気付くのが遅れちまった。悪かったな」
「そんな、ルイス様が謝ることでは……。私の不注意ですし」
「それを言うなら、こないだの戦闘で壊さなかったのは流石だよ。中を見りゃ分かる。教えた通りに油もさしてくれてるみたいだし、大事に使ってくれてることもな」
彼がこちらを見て笑う。その顔をまっすぐ見返せなくて、コーティは思わず目を伏せてしまった。
「当たり前ですよ。私の右腕になってくれているんですから」
「そう言ってくれると、作った甲斐があるってもんだ。……そうだ! なあコーティ、そのうち伸び縮みする義手とか作ったらいるか?」
「いえいりませんけど」
「ちぇっ、面白そうなんだけどなあ」
掃除はお昼までに終わらなかったけれど、なんとなくその後の義手は軽やかに動いてくれるような気がした。




