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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第三章 三年前の亡霊
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雨音、外套を突き抜けて その10


 王子襲撃事件から三日後。王都カルネリアは本格的に雨期に入った。


 外は言うまでもなく雨。西支城に駆け込んで雨避けの外套を脱いだコーティは、いつもの時間に、いつもと同じ寝室のドアを叩く。


「おはようございます、ルイス様」

「ちゃんと休んだか、コーティ」

「もちろんです。ルイス様こそ」


 少し前まで布団を引っぺがさないと起きなかったルイスも、襲撃の日から随分忙しそうだ。少しやつれた顔を見せながらも、髪も撫でつけて部屋から出て来た。


 廊下に出れば、騎士が山ほどついてくる。

 二度も王子が襲われたとなれば、騎士団の沽券にかかわるらしい。まあコーティに言わせれば、何を今更、と鼻で笑う程度の話なのだが。ルイスはやっぱり窮屈そうで、コーティにだけ見えるように苦笑いをちらと見せた。どうやら思っていることは主従で同じらしい。


 互いに何も言わないけれど、襲撃の夜から変わったことが一つ。

 侍女の歩く位置である。ルイスが右を、コーティはその左に並び立つ。少し前まで、コーティはルイスの後をついて歩いていたのに、今はその位置に騎士が沢山いるのだ。そんな大所帯で、執務室に向かって歩き出した。


「≪二十三番≫から新しい情報は取れましたか?」

「いいや、相変わらず口を割らないそうだ」

「……そう、ですか」

「気に病むなよ。時間の問題だろう」


 彼の声は淡々としている。更に警備が増やされた廊下を歩む途中で、コーティは少しだけ彼の前へ。主に先んじて、執務室のドアをノックした。


「おはようございます、殿下」

「なんだマティアス、早いじゃないか」


 中には護衛の近衛騎士が二人、そして隣にはマティアスの姿まである。


「コーティ君も、おはよう」

「おはようございます。マティアス様」


 あの襲撃の後、マティアスはコーティに向かって深く頭を下げてくれた。彼から告げられたのは、内通を疑ったことに対する謝罪と、独断でルイスを守りに動いたことへの感謝。


 事情を聞いたライラは「コーティを疑うなんて」と怒っていたが、かつて戦闘員だったコーティにはよく分かる。

 近衛の長であるマティアスが直々に頭を下げる。上の判断が絶対の軍事組織において、それがどれほどのことか。下手な者に見られでもしたら、それこそ彼の立場そのものにまでかかわる。それはすなわち、近衛隊の力の低下にすらつながる問題で、本人の感情は関係なく、生半可な覚悟でできることではないのだ。許す許さないの問題ではなく、コーティから慌てて頭を上げてもらうようにお願いしたくらいだ。

 ついでにその警戒心は持ち続けてもらいたい。マティアスがコーティを疑うのは正しい反応だから。


「調査は?」

「こちらを。コーティさんも、どうぞ」

「え、わざわざ私の分も作ってくれたんですか?」


 ルイスに続いて渡された報告書の束に、コーティは目を丸くする。皺混じりの目に微笑を浮かべ、壮年の騎士は頷いた。


 あの夜、ルイスの部屋から出たマティアス。空から城下町を砲撃されたと言うのは、もはや賊の侵入という次元を超えており、そのせいで対策に時間がかかっていたらしい。


 ルイスの部屋の前を陣取っていた近衛が言うには、マティアスが去った後で伝令から受けた交代命令によって、あの場を外していた。交代要員は見ない顔だったそうだが、≪鱗の会≫壊滅の情報が独り歩きしていたため、通常警備に戻ったのだと思い込んだとかなんとか。


 いやいやそんな雑な言い訳があるかとまたしても鼻で笑ったコーティだったが、どうにも事態はもう少し深刻なようだった。

 上は出していない命令を、下は聞いたと言う。あの夜、そんな話が城中で見受けられた。指示内容の整合性が取れない、そんな事例が数多く発生していたのだという。一人二人なら追うこともできようが、ここまで多いと誰が嘘をついているのか分からないらしい。そんな事情を、マティアスは端的にこんな言葉で表した。


「……まるで私の亡霊がいるみたいです。気味が悪い」

「今は何人だ?」

「四人です」


 何がどうなっているのか。同時刻に下されたとされる命令は全部で四種類。なんなら偽の命令書の現物まで見つかったせいで、騎士団のお偉方は揃って頭を抱えているらしい。

 そして、もう一つの戦場の方も、分からないことだらけ。


「街の方はどうだ?」

「空から光が降って来た、南外壁の不寝番が妙な影を見た……気がするという報告。それだけです。他、状況に変化なし、引き続き調査中です」


 簡潔な言葉のやり取り。ルイスもルイスでまっすぐに机に向かった。コーティも隣の折り畳み机に腰かけようとしたら、ふとマティアスが声をかける。


「ああそうだ、コーティ君」

「はい」

「ロザリーヌ様からご伝言を承った。後で顔出しなさい、と。なんだか怒っているように見えたが」

「……はい」


 勘弁してほしい、と窓の外を仰ぐ。心当たりはもちろんあるけれど、結果的にはまともなことをしたのだから許してはくれないか。

 昨日もライラと二人で、班長にこってり絞られたばかり。やっぱりどんな理由があっても、待機命令を無視したのはいけなかったらしい。


「俺も行こう」

「えっ?」

「コーティには命を救ってもらった。少しは庇ってやりたい」


 忙しいだろうに、彼はコーティの方を見てそんなことを言う。雨の夜以降、なんだか妙な優しさを見せられる場面が増えて、コーティは背筋がモゾモゾする。


「よし、善は急げだ。行くぞコーティ」

「え、今から? まだ心の準備が……」

「あ、マティアス。言っておくが、護衛はいらないからな?」

「この状況でそれを許すと思いますか、殿下」

「なに、信頼できる侍女がいるさ」


 肩をポンと叩かれて、コーティは主を見た。またもやソワソワする背筋をやり過ごして、左足に巻き付けたナイフを服の上からそっと撫でる。


「そう言う台詞は、日ごろの行いで私を信用させてからにしてください。……と言いたいところですが、まあコーティ君ならいいでしょう。廊下にも騎士は配備されていますからね」

「……信頼されてんなあコーティは」

「あの夜の行動は信頼に値する。私はそう思っていますから」


 それ以上は何も言わず、ルイスは部屋を後にする。コーティもまた、ぺこりと頭を下げてから彼の後に続いた。


     *


 先程から階段を登ったり下りたり、何とも忙しない。

 黒いパンプスの足音を響かせながら、踊り場の窓からコーティは外を見上げた。


 雨期は嫌いだ、じめじめするから。そう言ったルイスの気持ちが、今なら少しだけ分かる。


 廊下で等間隔に立っている騎士とは、少しばかり距離があった。だから、気になっていることを聞いてみたのは、ほんの少し、気まぐれのようなものだった。


「……郊外の事件、≪白猫≫が関わっていたんですね」

「ああ、思うところはあるけど、そのお陰で生存者がいたから何も言えねえよ」


 彼は足を止めて小さく息を吐く。


「≪影法師(シルエット)≫三名が重症、家屋が数棟倒壊、火事はなし、というより燃えるものが一瞬で炭化しちまったそうだ」

「魔導砲の被害と似ていますよね」


 コーティたちが刺客とやり合う前に、城下街で突然観測された光。どうやら≪鱗の会≫の本隊がその場にいたらしく、一人を除いて全滅したのだとか。さらっと語られた状況を聞いた時には、流石のコーティも思わず絶句したものだった。


「あんまり悠長なこと言ってられなくなった。……落雷という言い訳で市民が納得してくれたらいいんだが」


 ルイスはそこでちらりとコーティを見る。口にした言葉は重い響きを纏っていた。


「安心しろ。事件には関係しているものの、少なくともあれを撃ったのが≪白猫≫じゃないことは確かだから」

「すごいですね、安心できる要素がまったくありません」


 コーティはルイスの隣に立ち、二人で雨の空を眺めた。


 思えば、コーティには分からないことだらけだ。

 内部から無力化された騎士団も。城下街の不可解な事件も。そして、隣にいる主が命を狙われていることも。そのことを彼自身がどう思っているのかも。


 ただ、彼を心配に思っていることだけは確かで。だから、その言葉は自然と侍女の口から零れ落ちた。


「……大丈夫ですか、ルイス様?」

「ん? 失礼だな、頭は大丈夫だ」

「いえあの、そういうことを聞いているんじゃなくて……」


 別に頭とは言っていない、なんて突っ込みは飲み込んだ。ちらりと横顔を伺い、口をもにょもにょと動かす。


 どうして、そんなに平然としていられるんだろう。あれだけ理不尽な憎しみをぶつけられたのに。その後動き詰めで、事態の収拾に努めている彼なのに。


 ルイスは何も悪くない。コーティはそう思う。

 彼の罪は、彼が王子であること、その一点に尽きる。たったそれだけで彼は命の危機に晒され続ける。だというのに当の彼だけが笑っている現状が、何とももどかしい。


「どうしたんだよ、妙に歯切れ悪いな。騎士団からの聴取でなんか言われたか?」

「……ルイス様が我儘を気取っている理由、やっと分かりましたから」


 もう一度、視線を灰色の空へ。彼は黙り込んだ。


 そう。≪我儘王子≫が我儘を気取っている理由。

 これまではただ、伝え聞いた話にしかすぎなかった。けれどあの襲撃は紛れもなく現実で。ナイフの刃よりも鋭く突き立てられる負の感情は、実感としてコーティの体に刻まれた。


 ねえ、ルイス様。あなたはずっと、あんな狂った感情を向けられ続けて来たんですか? それでも王子として立ち続けて来たんですか?

 ……だとしたらそれは、どれほど苦しいことなのでしょう。どれほど悲しいことなのでしょう。私には想像もつきません。


 主の苦しみの一端、ようやく思い知ったそれを、侍女はまだ消化できない。

 横暴な言動を続ける王子に対して、近しい者が強い言葉をかけない理由も理解した。


 こんなもの、一人で背負えるはずがない。

 そう思えてしまうからこそ。当の彼の声が痛々しいほど冷静なことに、コーティは胸が痛むのだ。微かに顔を空へと向けたコーティの側で、ルイスもまた肩を落していた。


「……三年ってのは短い。心の傷を癒すには、誰にとっても」

「……はい」

「親父は確かに人間としてクソだった。政治の能力だけはあったって言われてるけど、結果的にあれだけの事態を引き起こして国を滅茶苦茶にしたんだから、実際のところはどうなんだか。そりゃあ愚王だなんだと言われて当然さ。だけど……」


 しとしとと降り続ける雨。きっと今日は一日こんな天気だ。


「そんな亡霊どもから恨まれるのは正直キツいよ。ふざけてないとやってられない」

「……亡霊」

「ああ、みんなを変えちまった三年前の亡霊だ」


 あの刺客も。内通者のせいで誰一人いなくなったあの廊下も。

 そして何より、復讐を望むコーティ・フェンダートも。みんなみんな、三年前の亡霊。


 少しだけ下がったルイスの眉。それでも背筋を伸ばして立ち続ける彼に、侍女は心のどこかが揺れるのを感じ取る。


 人付き合いの苦手なコーティだって、彼の苦しみが分からない程鈍感じゃない。こんなルイスの顔は見たくない。そう思ってしまったから。


「……え、コーティ?」

「ええっと、その……。ご無礼を、お許しください」


 右手の指をそっと動かして。手持ち無沙汰な彼の左手を、そっと掴む。

 掴む力の弱すぎる、不格好な鉄の指。ペンも、カップも持てない指だけれど。


 誰かの手を握るには、ちょうどいい力加減のはずだから。


「私は、ルイス様の侍女ですからね」


 考えた末に出て来たのは、本当に今更の言葉。目を丸くしてこちらを見た彼の視線に、頬に熱が集まるのを感じるけれど。


「……助かる」


 それでも、彼がそう言ってくれたから、今はこれでいい。


「早く、夏になるといいですね」

「ああ。雨、上がると良いな」


 王子と侍女は、同じ空を見上げて。しばしの間、二つの影はそっと寄り添っていた。


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