雨音、外套を突き抜けて その1
――降伏せよ。
「どういうことですっ!? お亡くなりになられた!?」
「分かる訳ないだろうがッ! 戦況はどうなっている! 伝令はまだ戻らんのか……!?」
「≪二十三番 ≫、どうかご指示を……!」
――降伏せよ。我々には受け入れる準備がある。
「聞くな! 我らを惑わす敵の策だ!」
「で、ですが、国王が罪を認めた、とも……」
「惑えば負けるぞ! 今こうしていることこそが敵の思惑だと、なぜ分からんか!」
――降伏せよ。枢機卿は戦死し、国王は罪を認めた。既に第一王女と教皇との間で、終戦協議が開始されている。
「教皇、教皇様だと!? 今更アキリーズの名がどうして出てくる……?」
「あんな老いぼれなど捨て置け! それより枢機卿閣下、閣下だ! ……カルディナーノ閣下はどうなされたんだ!?」
――降伏せよ。もはや君たちが戦う理由はない。
≪百十四番≫――後にコーティと呼ばれることになる娘は、その時王都の片隅で、静かに大人たちの言い争いを聞いていた。
小さな両手で握る剣は、べったりと付着した血と脂のせいでなまくら同然。魔導瓶は残り二本を残すのみ。個人で残しておいたものの話ではない。この部隊中で搔き集めても残り二本なのだ。
彼女たちは噴水広場から撤退するところだった。騎士団の包囲網を突破するため、裏通りをジグザグに突っ切る、その道中だった。
ボロボロの建物の隙間から見える向こう側もまた、廃墟ばかりが広がっている。少しばかり背の高い時計塔だったもの……先程魔導砲の直撃を浴びたそれは、四階部分から上が崩壊し見るも無残な姿を見せている。高所を取るために別の隊が向かっていたはずだが、それから音沙汰がなかった。
……けれどそんな大砲の砲撃すらも霞んでしまうほどの魔法を、コーティは目撃した。
背筋の震えが止まらない。なんだ。先程のあれは、一体何だ。何か異常なものがそこにいて、何か異常なものを放ったことだけは分かった。一斉に撃ち放たれた魔導砲を防ぎ、それどころかその奔流自体を糧とした力の奔流。コーティの目には、それが一筋の光として映った。
種類は恐らく、単純な光の照射魔法。極限まで、かつ無理やり収束させたと分かるもの。そこまで理解できたのに。しばし呆けたように立ち尽くしたのは、それが、断じて人間に扱い切れる出力ではないと確信したから。
その一撃が、城下町の戦況を一変させた。
狙いは恐らく王城カルネリアそのものだろう。
王都ならではの背の高い建物に視界を遮られたせいで、コーティには光の先がどうなったか分からなかった。だが、それでも城を直撃したことは十分推測できたし、事実として敵である騎士たちの動きが変わった。
押し込み蹂躙しようとする動きから、退き防ぐ行動へ。敵の死角を突くために、別動隊をこれでもかと繰り出していたはずの騎士たちは、いつしか一か所にまとまりはじめ。
分かりやすく言うならば、その一撃を境に、騎士団の戦術が攻勢から防衛に切り替わったのである。
これならいける。枢機卿閣下の祈りが届く。城下街に攻め込んだ教会の大人たちがそう判断した、その矢先に、降伏勧告が降ってきた。
枢機卿が亡くなったなどと。そんな馬鹿げた敵の妄言を信じる者はもちろんいなかったが、しかし勧告の内容が要領を得ないことに、教徒たちは戸惑った。遮蔽物越しに向こうを伺えば、騎士たちの間にもまた、困惑が広がっていることに気付いた。
それは、白い修道着を纏った大人たちも同じことだった。
コーティにとっては、これまで目指すべき姿として憧れの対象であった人たち、≪付番隊≫二桁番台の諸先輩方。その彼らが唾を飛ばし合い、怒号をぶつけ合う様を見れば、幼いコーティに幻滅という言葉を抱かせるに十分だった。
そこに広がる混乱の中、十三歳のコーティは、僚友たちと肩を寄せ合って城があるはずの方向を見た。やっぱり建物に遮られ城は確認できず、隣の相棒の心細そうな声を聞いた。
「あたしたち、どうなっちゃうのかな……」
「……分かりません」
同い年の僚友にかける言葉もなく。コーティもまた不安で仕方なかった。
枢機卿の安否を気にする者達の間で、コーティだけは教官のことを思い浮かべる。
枢機卿と共に、この国の心臓部へ襲撃をかけているはずの、教会一の精鋭。コーティに戦う術を授けてくれた人。コーティを認めて、特別扱いしてくれた人。
「……ご無事ですよね、≪十三番≫様?」
先程の、人の域を超えた一撃。城を狙った収束光槍魔法。
射線から見て、あれは教官のいた広間を直撃したではないのか。
零れ落ちた不安は、戸惑い混じりの降伏勧告にかき消されていく。
――降伏せよ。既に戦争は終わった。
枢機卿が掲げた野望も、国王が夢見た未来も。そのすべてが傾き、ひっくり返された日。
この王国が、本当の意味で混乱の道に進みだした、早春の夕方。
≪傾国戦争≫の日、コルティナ・フェンダートは城下街で終戦を迎えた。
*
当時のことを振り返ってみれば。
降伏勧告を行った側である騎士たちもまた、教徒と状況はそう変わらなかったのだろう。
主の不正が白日の下に晒され、しかし第一王女エレオノーラの名で命令だけが降りてくる。城は砲撃を受けた上、≪傾国≫と≪白猫≫によって搔き乱されたと聞き、しかし続報は待てど暮らせどやってこない。騎士たちにとっても、きっと何が何だか分からなかったに違いない。
だからきっと、あの降伏勧告は欺瞞工作ですらなかった。騙そうなんて意志はなかった。ただただ、戦争を止めようと、彼らも困惑混じりに呼びかけるしかなかったのだ。
けれど、そんなことを知る由もない教徒たちとって、この宣告は二つの選択肢を突き付けられたも同然だった。すなわち、教義に順じ自爆覚悟で突っ込むか、それとも敗北を認め投降するかを選ばざるを得なかったのである。
本当なら、他にも選べる手はあったはずだ。
例えば複雑な王都の地理を活かして、組織的に撤退戦を図るとか。とにかくすべては逃げてからと、全てを囮にして自分だけ逃げ出すとか。成功するかは別としても、思いつくことくらいはできたはずなのに。
当時のコーティは……いいやコーティを含めた教会の人間たちは、当時それすらも考えることができなかった。
これこそが洗脳なのだと今のコーティは言いきることができる。無限の選択肢の中から自分で道を選ぶこと、そして行動すること。それらを一切考えることができなかった。思いつかなかったのではない、そもそも悩みすらしなかったのだ。
枢機卿の手駒であった自分たち。その全ては枢機卿の意思の元にあり、彼の命令に従うことこそが教義。それに背くなんて、勝手に動くなんてとんでもない。
だからその指導者が消えた時、まるで帰り道の分からなくなったの子供のように、彼らはぽつんと取り残された。
コーティの近くにいた≪付番隊≫の幾人かは意を決したように叫んだ。
彼らは残った魔導瓶をひったくると自爆の魔法を叩き込みながら突撃し、あるいは剣一振りと共に騎士に立ち向かい、刃を突き立てる前に集中砲火を食らった。
成功するはずもない突撃、成功したところで何も変わらない特攻。何もかも承知の上で、彼らはそうするしかなかったのだ。枢機卿と共に死ぬことしか思いつかなかったのだ。
コーティが投降を選んだのは、単純に死ぬのが怖かったから。
真っ青な顔をした僚友と一緒に、握っていた血まみれの剣を捨てた。気付けばそんな人たちも少なからずいて、彼らは武器を全て取り上げられて一か所にまとめられた。
その後の混乱が最小限にとどまったのは、前王ヴィガードが、終戦後の道筋を立てていたから、らしい。
何と皮肉なことだろう。前王自身も王の座から追い落とされたにもかかわらず、その施策だけが実行されたなんて。戦に勝つことを前提とし、事前に手を打っていた前王の施策が、よりどころを失った混乱の国に一筋の方向性を与えていたと聞いた。
その施策が何だったのか、コーティは噂でしか知らない。敗者を人間として扱うようなものではなかった、と聞いたこともある。
一説では、自由を剥奪し生涯強制労働に従事させるとか。一説では、全員処刑するつもりだったとか。今をもってしてもコーティはその中身を知らないし、知りたくもない。
まあ一つ言えるとすれば。終戦の翌日、教皇と第一王女エレオノーラまでもが慌てて収容施設までやって来るくらいには、とんでもない施策だったそうだ。
つまり一晩だけ、コーティは人として扱われなかった。
その、たった一晩。彼女が人ではなかった一晩。コーティが、生者と死者と、その狭間にいる者たちと過ごした一晩。
戦没者の遺体と同じ場所に押し込められ、見知った者達が怪我に呻きながら、あるいはひっそりと息を引き取る、その只中で。
コーティは、教官の変わり果てた姿を見つけた。
*
「龍神様のご加護がありますように……」
胸の前で組んでいた手をほどく。義手の関節が立てる金属音を聞きながら、コーティは目を開けた。
光沢のある石碑を見上げてから、小さく吐息をつく。
「……教官」
あれから三年。まだ三年だ。
ねえ、教官。
敬虔な教徒は、死んだら龍神様の御許に行けると聞きます。ならば、教官もまた、龍神様のお隣で私を見ていてくれたりするのでしょうか。
……あなたのことです、私などには興味ないかもしれませんね。
ですがもしも。今の私を見ていたとしたら、あなたは何を思うのでしょう。
白い修道着の代わりに黒いお仕着せを着て。自慢の腕の代わりに、鈍く光る金属の腕をぶら下げている、こんな今の私を。
褒めてくれるのでしょうか、叱るのでしょうか。例え腕を失ったとしても、あの時からは比べ物にならない程強くなった私を、認めてくれるのでしょうか。
何でもいいのです。ただ、声を聞きたい。
怖いのは、失望されること。あなたに蔑んだ目を向けられたら、私はどうすればいいか本当に分からなくなってしまうのです。だからどうか、何も言わずに立ち去ることだけはやめていただきたい、そう思ってしまいます。
「……」
何度考えても、答えは帰ってこない。帰ってくるはずがない。
当たり前だ、と自嘲の笑みをこぼしてから、コーティは立ち上がった。
「私、教官のことを何も知りませんでしたからね……」
≪十三番≫ほど熱心な教徒をコーティは知らない。
彼の目には、いつだって枢機卿しか入っていなかった。彼にとって他の人間は、使えるか使えないかの二種類。コーティはただ使える側だった、それだけのこと。それもまた理解している。
それでも、と思ってしまうのだ。
教会が誇る≪十三番≫目の駒。他の誰も知らない、番号ではなくて彼の本名を教えてもらえたコーティだから。
あなたを殺した化け物に、憎しみくらい、覚えてはいけませんか?
親替わりと慕った人の仇くらい、取らずにはいられなくたって、いいのではありませんか?
「……さて、と」
爪の間に土が入らないよう、左手に手袋を。
口で手袋の端を咥え、義手はあくまで補助に使う。片手で手袋を嵌めるのにも、だいぶ慣れて来た。……うん、これでよし。
小さな墓地の、草むしり。ほとんど毎日やっているから、それほど時間もかからない。
終わったら水やりだ。花の季節が終わり、鮮やかな緑の季節に変わろうとする今、小さな花畑の手入れは日課として体に染みついてしまった。
立ち上がって振り向けば。少し離れた別の墓石の前で、自分と同じく祈りを捧げ終わったヴァリーの後ろ姿が見えた。




