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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第三章 三年前の亡霊
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毒舌家とご主人様 その8


 図書館で借りた「侍女の心構二十選」は、存外役に立つのかもしれない。そう思う。


「……悪ガキ。確かに」

「悪ガキがなんだね? コーティ君」

「こほん。何でもありませんので、続けてください」


 執務室のマティアスは、訓練中の厳しい表情が嘘のような苦笑を浮かべていた。こうしてみると、何と言うか大人の余裕みたいのが感じ取れる。同僚の幾人かが「おじ様ー!」と騒いでいる気持ちも分からなくはない。

 かたや、大人の余裕も貫禄もないルイスが、ふと頭を上げた。今日の彼は迫りくる会議こそ躱したものの、書類仕事から逃れることに失敗したそうだ。先程から紙とペンを前にしてうんうん唸っている。


 こうしてみると、机にかじりつく彼の姿が、どことなく修道院で課題を前にしていたかつての自分たちに似ているなあ、と侍女はそう思ってしまう。


 もちろん、課題の内容は全くの別物である。

 彼が今取り組んでいるのは国の運営に関わる書類。対して当時、コーティたち教徒が受けさせられていたのは、ある種の洗脳教育。当時の国王の悪逆非道さと、龍神聖教会の必死の抵抗の歴史だった。


 洗脳が解けたからこそ分かることもある。

 枢機卿カルディナ―ノは、本来神様がいるべき地位に自らを置こうとしていたのだろう。枢機卿閣下がおっしゃったから。枢機卿閣下がお命じになったから。かつての教徒にとって枢機卿こそが全てであり、信者の行動は枢機卿閣下のために行われるべきであり、そのために自分たちは学ばねばならないと。


「悪ガキだって頑張る時はあるんだぞお」

「仕事溜め込みすぎなんです。普段の時間の使い方を見直してはいかがですか、殿下」

「マティアスも手伝ってくれよ」

「私は今、コーティ君の講師役で忙しいので。殿下がお命じになられたのを忘れましたか?」


 ぶうと口を尖らせてまた書類に視線を戻した彼を横目に、マティアスが再び説明を始める。コーティも意識を講義に戻した。話の中身は最新式の魔法。対≪白猫≫という目的にとっても、コーティの個人的な興味においても、大変ためになる話である。


 魔法には効率というものが存在する。いかに損失なく水を液体から気体に変換するかの指針である。

 効率が悪ければ損失分が光や熱となり、逆に効率を良くすれば、同じ量でもより多くの気体量に変換できることになる。


「コーティ君が使っている第四世代は、効率の悪さを重視したものだ。あえて光と熱になる損失分を増やすことで、より多くの力を取り出すことを主眼に発展したと言える。それこそ傾国戦争の時点で、既にこの世代が主流だったな」


 この世代の研究が作り上げた最たるものが魔導砲の存在だろう。今も城の壁のいたるところに配備されている、大型の砲台。浄水をしこたま使って光を照射する。直撃させれば石造りの建物すら破壊できるほどの威力を備えたそれは、かつての戦争でも猛威を振るった。


「そしてこれから教えるのが、第五世代魔法。現時点での最新式だな」

「第五世代」

「こちらはそれまでの魔法と真逆の発想で確立した。すなわち効率を極限まで高める方向に働く」


 そこでマティアスは、ちらりとコーティから一瞬だけ視線をずらした。


「損失である光と熱を抑え、いかに効率的に液体から気体へ変換させるかを突き詰めた理論ということだ。分かりやすいのは魔防壁の威力向上、そして衝撃波の圧力増大」

「そして魔導機構への転用だ」


 執務机にかじりついていたルイスが、いつの間にか二人に視線を投げかけていた。その表情がどことなく楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。少なくとも、仕事がどうとか言っていた時より機嫌が良さそう。

 どうやら付き合いの深い護衛騎士にはこうなることが読めていたみたいで、肩を落していた。


「仕事はどうされました、殿下」

「俺の十八番(おはこ)だぞ? 黙っちゃいられん」

「……では、休憩も兼ねて説明をお願いしましょうか。もちろん仕事は後程片付けていただきますがね?」

「えっ。ルイス様の魔法談義長いから嫌です」


 思わず口を滑らせたコーティが、あっ、と思った時には、すでに遅かった。何も考えずに思ったことを言ってしまった。これは失敗。

 とりあえず口元を義手で押さえてみる。別に言うつもりはなかったんですよと言う意思表示である。もっとも、隣のマティアスは皺混じりの目を微かに開いてから顔を背けて肩を揺らし、ルイスは苦虫を噛み潰したような顔を見せている。どうやら効果はないようだった。


「殿下、お気を落とさず。こんなこともあります」

「コーティ、お前……、お前ってやつは……」

「すみません、思わず本音が……」


 ルイスがのっそりと立ち上がる。つかつかと歩み寄り、机に手をついてコーティの顔を覗き込んできた。


「へえ? 随分といい度胸してるじゃないか、コーティ」

「……申し訳ございません。でもルイス様には負けると思います」


 目を逸らした侍女の横で、ふふん、と王子は口元を吊り上げる。どこからどう見ても、悪ガキがいたずらする時の笑みを浮かべていることに気付いて、コーティは遠い目をした。


「いいだろう。特別に俺が魔法の何たるかを一から語ってやろう」

「やめて」

「駄目だコーティ。最後まで付き合ってもらうぞ」


 ちょっとやりすぎたか。お付きになってからこの方、自分は彼に振り回されっぱなしなので、少しくらいやりかえしてもいいじゃないかと思ったのだが。

 勘弁してほしい、と助けを求めてマティアスを見上げたものの、彼は肩をすくめただけだった。


     *


 要約すると。


「より効率的に水を気化させることで、変換時の圧力も加速度的に大きくなる。この圧力を機械のからくり……例えば金属の歯車とかに伝達させることで、これまで人の手で動かしていたものが一気に自動化できるようになる。第五世代魔法はそれを主眼に置いて開発されたと」


 げっそりした顔でコーティは言う。


「この内容がどうして、こんな長ったらしい漫談になるんですか……」

「漫談言うなよ。ちなみにまだまだ語れるぞ」

「すみません。もう勘弁してください……」


 途中で軽い昼食を挟んで、既に午後もいい時間。ちなみにマティアスは騎士団の仕事があるからと言ってお昼過ぎに執務室から出ていった。王子、仕事は大丈夫なんだろうか。


 いつぞやと違い、開け放たれたままの扉を見る。部屋の中からは見えないが、扉の両脇に二人の近衛が直立不動で控えている。ずっと立ちっぱなしでいる仕事も大変そうだな、なんて現実逃避してみたり。


「私、別に船の動力源について知りたいとは一言も言ってませんから……」

「すごいじゃないか魔導機関。だってさ、船みたいなデカブツを動かすには第四世代魔法じゃ限界があるんだよ。どれだけ減速機噛ませたところで、元の力が小さすぎたらどうしようもないし、排熱も追いつかないし。ついでに強度問題だって解決のしようがない。そこで第五世代よ。つーか、そもそもの話だな、こいつの基礎となった第三世代って馬鹿にされがちだけど学術的には……」

「はあそうですかすごいですねありがとうございます」


 この人、魔法と機械のことになると嫌に饒舌だ。こちらが聞いていないことまでどんどん言ってくるのでうるさいったらありゃしない。

 ルイスが自慢気に話し出す気配を感じ取って、慌てて遮る。危ない危ない、また意味不明な漫談が始まるところだった。


 それでも収穫がなかったわけではない。

 コーティは右手の義手を机の上に乗せた。体を傾けて手のひら側を上に向けて、前腕に備え付けられた小さな扉を開ける。

 ごちゃごちゃに張り巡らされた歯車やよく分からない回転軸、そしてワイヤー。中央にある太い金属の棒が、この義手の骨に当たる部分だろう。その隙間を縫うように嵌め込まれている魔導瓶を取り出して、中の浄水の残量を見る。


「今朝から数えて三本目。これを取り換える手間がなくなるのは楽ですね」

「その義手は使用者の魔法に依存させる方式で作ったからな。魔法陣を組み込んだら開閉器の切り替えだけで誰でも使えるようになるんだけど、コーティの場合はなぁ」

「なにしろ手ですからね。(ボタン)を一々左手で押し込むのも手間ですし」

「そういう訳だ。コーティが第五世代魔法を覚えれば、その義手もちょっとは馴染むだろ」


 別に今日は右手を使って何かをしたわけではないけれど、それでも掴む動作というのは数えきれないくらいしているものだ。動かないな、と思ったら大体浄水が切れている証拠。


「その残量からするに、上手くやれば一本目がようやく取り換えるくらいに減ったってところかな」

「なるほど、そんなに」


 これは義手だけの問題に限らない。第五世代なら、同じ魔導瓶の本数であっても継戦能力は飛躍的に向上するし、同じ水量でさらに強力な攻撃を放つことも可能ということ。

 これだけ理解できれば十分だ。興味がようやく湧いてきて、コーティはルイスの方へ身を乗り出した。


「それで、本題の最新魔法の使い方は?」

「それはマティアスに聞けよ」


 へっ? と思わず変な声が出た。


「マティアス様、今日はもう戻られないって……」

「だから明日だな」

「ええ……。もしかして私今日、散々漫談聞かされただけですか」

「おうよ」


 してやったり、という表情を見せているルイスを、コーティはジロリと睨みつけた。なるほど、ようやく分かった。「侍女の心構二十選」はまさにここで使うべきだろう。


「はあ……。こんの悪ガキ王子め」

「なんか言ったか不良侍女?」

「夕ご飯に豆料理一品つけてもらうよう料理長に頼んでやります、と」

「やめろ俺は豆嫌いなんだ。つーかなんで俺が豆苦手だって知ってんだ」


 それからしばらく。

 魔法も仕事もそっちのけで、互いに黒い笑みを浮かべた主従はしばらく毒舌を交わし合ったのだった。


     *


 無言で佇むルイスの後ろから、呆れた声色が飛んできた。


「またこんなところに……。近衛が血眼になって探しておりましたよ?」


 読んでいた紙片を折り畳み、ルイスは胡乱な視線を声へと向ける。


「サボりに来たお前には言われたくないよ、アルフレッド」

「殿下と一緒にしないでください。私は考えをまとめに来ただけです」


 そこはかつて、≪玉座の間≫と呼ばれたこの国の中心部。けれど今は広間と呼ぶことさえ烏滸(おこ)がましい、何にも使われていないただの空間だ。瓦礫が残っていればまだ廃墟とも言えようが、それを放置するほどこの国も落ちぶれちゃいない。崩落した天井も崩れた柱も片付けられて、今は本当に何もなくなってしまった。


「侘しくなったな」

「……仕方ありません、で片付けたくはありませんでしたね」


 少し前まで、ここにはまだ活気があった。城下街の復興と言う大事業を終え、ようやく取り掛かる目途をつけた本城再建。それは残念ながら、始まる直前に延期を余儀なくされた。

 結果、ここには仮組の足場が放置されているだけ。人の姿はもちろんなく、季節外れの寒々しさすら感じさせていた。


 一人で考え事をしたい時。ルイスはここを訪れる。と言っても、最近はコーティやマティアスが近くにいることが多かったから、少しばかりご無沙汰だ。

 これも一種の癖、ということになるのだろう。若宰相と同じ習慣だったのは予想外だったけれど、お陰でたまに男二人、こうして並んで広間を眺めることがある。


「聞きましたよ。ルイス様が無理やり押し通された、例の一号艦の話」


 つい先日、ひいひい言いながら片づけた仕事が議会の審議を通ったからだろう。宰相はそんなことを呟いた。


「技術者としては三流の仕事だったよ。お陰で何とも胸糞の悪い気分だ」


 ルイスはため息を吐く。王族として、確かに必要な判断ではあったと思う。けれどやっぱりやりたいことではなかった。自分の人生、こんなことばっかりだ。あんまりに気が乗らなかったので、近くで魔法の勉強をしていた侍女にちょっかいを出してしまうほどに。

 計画変更もいいところだ。ベルエール――教会から接収した元軍事施設、その船渠(せんきょ)で働く者達にとってはたまったものじゃないだろう。そして、記念すべき最初の舟がこんなことになってしまったことも、ルイスは不服だった。


「ままならないねえ……」

「あの速さで審議を通ったのには驚きましたよ。何か根回しされたんですか」

「さあてな。みんな不安だから、自分を少しでも大きく見せようと必死なんだろうさ」

「まあ、騎士団は良い顔をしませんでしたが」

「前の戦争で親父側についてた連中だからな。武官は強くは言えないさ」


 ルイスは肩をすくめ、アルフレッド苦笑い。


「やはり殿下は変です。そういう人の機微が分かるのに、人付き合いが苦手なんですから」

「分かるから嫌いになることだってあるだろ」


 諦めていることだから、別に感慨は湧きやしない。ただの事実の羅列だ。凪いだ胸中にはため息の元すら出て来なくて、代わりに足場の骨組みが交差する先にある青空を眺めた。


「……ああそうだ、丁度良かった。後程正式にお聞きするかと思いますが、先にお伝えしておきましょう」

「なんだよ。改まって」

「≪鱗の会≫に、再び動く予兆があるそうです」


 思わず呆れた顔をしたルイスは多分悪くない。


「なんでアルフレッドの方が先に知ってるんだよ」

「王家の抑止力たる≪影法師≫が、殿下に情報を直接伝える訳ないでしょう」

「もうその言い訳聞き飽きたってば。ちぇっ……」


 なるほど、ロザリーヌからの意図的な情報共有か。そこまで想像してルイスはその場にしゃがみこんだ。服の裾が汚れるかもしれないが、別に今更気にするようなことでもなかった。


「やだねえ。うちから内通者が出てるって話。そっちについては?」

「未だ有力な手掛かりは。それはそれで、相当な権限持ちに絞れる訳ですが」

「相変わらずってか。絞り込めてるのに分かんねえってのはおかしいんだって。どっかで揉み消さない限り」

「同感です。ま、近衛隊のマティアス様も同様の所感だそうで」

「……最近忙しそうだからな、あいつ」


 少し前は四六時中ひっついていたのに。三か月前の襲撃の夜から、ルイス馴染みの近衛隊長は席を外すことが多くなった。

 某国との非公式の会談に臨もうとしたルイスが襲撃を受けた。しかも騎士は現場に駆け付けるのが遅れ、守ったのは城に来たばかりの女。当たり前だが騎士団、特に王族の身辺警護を担う者として、面目は丸つぶれ、無視することはできなかったのだろう。近衛隊長であるマティアスが直々に指揮を取り、調査に乗り出すのは当然の話だった。


 それからしばらく経った今。

 推察できるのは、内通者の存在によってあの日の警備計画が漏れていたこと。分からないのは、それが何者か、ということ。当初の思惑を大きく外れ、調査は遅々として進んでいない。


「コーティ・フェンダートなら、何か知っているのでは?」


 探るような目で、宰相がこちらを見ている。その視線に気づかないふりをして、王子は落ちた天井の縁を視線でなぞった。


「殿下?」

「……こういうゴタゴタに、あいつは巻き込みたくない」


 アルフレッドが驚いていることくらい、ルイスは目を向けなくても分かる。多分今の言葉は、自分らしくない我儘だった。


「前にコーティはちゃんと聴取を受けただろ? ≪鱗の会≫に勧誘されたあいつが、それを逆手に取って情報を持ち逃げしたんだって。だから、あの戦闘に介入できた。ちゃんと話は聞いたんだから、それでいいだろ」

「……殿下、あなたは」

「うるせえ。それ以上言うな」


 なんとも言い訳がましく続けたルイスを見て、呆気に取られていたアルフレッド。しばらくして、彼が微笑む気配が空気を揺らした。


「ついに来ましたか」

「……何が」

「殿下の反抗期」


 ぶへっ、と変な音を立ててむせてしまった。からかう笑みを浮かべてアルフレッドは隣にしゃがみこむ。文官の衣装が汚れるのもお構いなしだ。

 気品もへったくれもありはしない。片づけられた廃墟の中で、男が二人でボケっと空を見上げる。

 反抗期。それを言うなら、ルイスは万年反抗期だ。何か言われるのだろうか。バツの悪さを抱えつつ、隣の男を見た。


「何とでも言えよ」

「言えませんよ。女性の前で格好をつけたくなるのは男の性というもの、気持ちはいくらでも分かりますから」

「……あいつはそういうんじゃないから」

「はいはい」


 王子と宰相。立場は全く異なるし、意見が対立することだってある。特に、コーティに与するルイスは、≪白猫≫を守る側の宰相といずれ敵対することになるのかもしれない。

 けれど、こと男であると言う一点に置いて、ルイスとアルフレッドは同志と言えるのだ。


「彼女に面倒事を見せたくないなら、それはそれで手を打っておいたほうがいいでしょう」

「……」

「ま、分かっているようですし、これ以上は言いませんが」

「んだよもう。人のことは気にしないで、お前は姉上とイチャついてろよ」


 あははと、アルフレッドは声を上げて笑った。


「たまには何も気にせず羽を伸ばしたいですねえ」


 別に口にはしなかったけれど。国中のしがらみに絡めとられながらもがく若宰相に、内心でルイスは全面的に同意したい。


「ホント、全部放り出せたらどんなにいいか……」


 コーティを侍女にした直後、とある人物へ出した手紙に返信が届いたのはつい先ほどのこと。先程まで読んでいたそれを忍ばせた懐が一段と重みを持つのを感じながら、ルイスは崩れた城から空を見上げ続けていた。


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