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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第三章 三年前の亡霊
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毒舌家とご主人様 その7


「お疲れ様だねえ、コーティ……」


 同室のライラが、コーティに憐みの視線を向けている。


 残念ながら、と言うべきか。それとも幸運にも、と言うべきか。マティアスの忠告に頭を悩ませる暇さえ、神様はコーティに与えてくれなかった。もしかしたら今朝のお祈りをサボったのがバレたのかもしれないし、先程の誓いを龍神様が聞いていたのかもしれない。


 既に日は沈み、同僚たちの質問責めの合間を縫って、夕食のポトフをつついた直後のことである。

 なんだか最近食べる速度が早くなってきた気がすることを、果たして喜べばいいのか悲しめばいいのか。いずれにせよ気は遣うから、それなりの疲労感があるのは致し方ない。


「いつもいつも、すみません」

「謝ることはないでしょ。コーティは何にも悪くないんだしさ。……あたしとしては、むしろあの王子様に謝ってもらいたいくらいだよ」


 本当に、ライラには頭が上がらない。


 使用人寮に戻ってきたコーティが、ライラから同僚たちの荒れ狂いようを聞いたのは少し前のこと。昨日王子に呼び出され、そのまま夜更けまで戻ってこなかったコーティにみんな興味深々らしい。無策で食堂に行った日にはそれこそ暴動が起きかねない、なんて言われてしまえばコーティも肩をこわばらせるしかなく、二人で頭をひねった末に一つの策を練った。


 名付けて、ライラが先に聞いちゃおう作戦。


 計画はこうだ。

 食堂に直行しながら、とにかくライラが騒いでおく。殿下はなんて言ってた? やっぱりコーティのこと好きなんだよ! などなど、みんなが聞きたがっているであろうこと。で、コーティはコーティで困った風を装いつつ質問に答える。いずれにせよ人垣はできるだろうが、少なくとも無秩序に騒がれるよりはましだろう。


 狙いは見事にはまり、コーティは質問責めに耐え抜く傍らで夕食を取ることに成功していた。

 ライラはその辺り良く心得ていて、「もしかして話しちゃダメなやつ?」とか「流石にこの質問は答えたらヤバいかあ」とか、それとなく誘導してくれるので本当にありがたい。

 他の同期たちは外野で騒ぎ、気になることは身を乗り出して質問する。なんだか妙な統制が取れつつあるのがちょっとおかしかった。


 食事を終えて自室にさえ逃げ込んでしまえば、もうこちらのものだ。風呂は人気(ひとけ)の少ない消灯間際を狙えば問題あるまい。扉の鍵を閉めて深く息を吐いたコーティに、ニヤニヤ笑うライラは言った。


「でもさ。コーティ、今日はルイス殿下のことを話すの楽しそうだったよね」

「……そうですか?」

「なんて言うか、お茶目?」


 お茶目。

 なんて自分に似合わない言葉だろうか。良く言えば落ち着いた、悪く言えば枯れた人間。それがコーティのはずだ。首を傾げて義手のベルトを外しながら、侍女は風呂前にもかかわらずベッドに飛び込む同期の顔を見た。


「あたしの見立てでは!」


 仰向けのまま顔だけこちらを向けて、ずびしっと人差し指を向けたライラ。


「コーティ、ルイス殿下のことを好きになっちゃったでしょ!」

「は?」

「あっ……。その顔はどう見ても違うわ。今の取り消し」


 低い声を出したコーティの向こうで、すぐに見立てを撤回した同僚。失礼な、一体どんな顔をしていたというのか。推測が外れたらしい彼女は、頬を膨らませて問いかけてきた。


「じゃあさあ、コーティには誰か気になる人とかいたりしないの?」

「気になる人……?」


 義手の外板を開けて魔導瓶を外しておく。後で瓶の浄水も補給しておかなければいけない。片手間で質問の内容を考えていた脳裏に、ぽつんと一つの疑問が浮かんできた。


「……あの、ライラ」

「お、いるのかい? ぐへへ、おねえさんが相談に乗ってあげようじゃあないか!」

「では、遠慮なく。……気になる人って、どんな感じなんでしょうか」


 目を真ん丸くした新米使用人が、一拍置いて深々とため息を吐いた。


「おおう……。これは思ったよりもずっと重症ですぜ、お嬢さん」

「難しいですね。こればっかりは、未だによく分からなくて」


 とうっ、と軽やかな掛け声を上げながら起き上がって、ライラは言う。


「そだねえ……。ふとした拍子に顔を思い浮かべちゃったりとか、話しているとドキドキしたりとか」

「ふむ……?」


 そういう人が、コーティにはいる。そもそも考えこむほどのことじゃない。すぐに思い当たった。


 その姿は三年前、城下町で遠目から見たことがある。話したことはないけれど、その人と声が交わせるほどにお近づきになれたなら、心臓がバクバク音を立てているに違いない。


 言うまでもなく≪白猫≫ケト・ハウゼンである。


「嫌いな相手なんですけど、当てはまります?」

「ええ……。なんでその人が出て来ちゃったのさ」

「まあ、色々な意味で気になる相手なので」

「……脈はないだろうねえ、その人」

「あったら困ります」


 義手を右の脇に抱えて、左手でベルトが邪魔にならないよう義手に巻いておく。ライラとのやり取りに、コーティは自然と口元を吊り上げた。


 愛と憎悪は表裏一体。どこかの誰かそんなことを言っていたけれど。

 確かに執着しているという意味で、彼女は気になる相手になるのだろう。もちろん、ライラの求める関係とは全く別の方向で。


 ケト・ハウゼンを追い詰める自分を想像してみた。

 嵐と共に荒れ狂う魔法の中、化け物に一歩も引かず相対する自分。その様子はいつでも変わることがないけれど。


 そんな自分の隣に堂々と並び立つルイスを思い浮かべたのは、初めてのことだった。


      *


 最近、コーティは仕事の合間に短剣を振り回すことがある。


「……ぐっ!」


 左肩から体の芯まで突き抜ける不快感。顔をしかめながらも、咄嗟に地を蹴った。向かいに立つ若い近衛騎士からは、更に追撃。左から迫る剣を必死に受け流した。


「いつまで下がるつもりだ、コーティ君!」

「私も、下がりたく、ないんですけど……!」


 刃を交わす若手二人、その横合いから響くのは近衛隊長マティアスの叱責。

 重い音で空気が断ち切られ、コーティは飛びのきながら模擬短剣を構えなおした。騎士団に支給されているダガーよりも若干小ぶりなそれは、かつて教会の人間が使っていたナイフに近い。ダガーよりも軽いことから、投げて良し、隠し持って良しの万能武装だ。

 片手でロングソードなんて重量物を扱えるわけがない。ショートソードくらいなら握れる程度に体は戻って来たものの、元来の強みである敏捷性を殺す結果になりかねないと判断。どうせ魔法を主体に戦うつもりだったのだ。獲物はナイフで十分だろう。


 そもそもコーティは≪白猫≫に力勝負を挑むつもりもない。外面の言い訳と本音が一致して選ばれた武器だった。


「貴様もだオレット! ナイフ相手にいつまでもたついている!」

「はっ!」


 向かいの近衛騎士は、残念ながらそうもいかないようだ。まだ若い彼は重い鎧を身に着け、両手剣を握りしめているから、どうしても動きが重くなる。オレットと呼ばれた彼は、隊長に一挙手一投足を観察されているせいか、酷く動きづらそうだ。汗の滲んだ顔に、必死な色が見える。


 近衛隊の戦闘訓練。その一部にコーティは混ぜてもらっているのである。しばらく寝込んでいたツケは大きく、思うように動かない体を元に戻そうと必死なのだ。


「……届かない!」


 戦闘員時代から、魔法を主体、剣を補助として使っていたコーティだから、左手で剣を振るう感覚自体に慣れはある。そのつもりだったのだが。

 片手での間合いの取り方がこれほど違うなんて。重心のかけ方も違うし、常に右半身に隙を作っているようなものだ。


「当たり前だ、剣の長さを意識するのは基本中の基本と学ばなかったか!」

「知ってます、教官にも言われましたっ!」


 苦し紛れに振るった模擬短剣に手ごたえはなく、コーティはすぐさま脇を閉めた。体の真正面に戻ってきたナイフをほんの少し傾けて、若騎士からの斬撃を右から左に。金属同士がガリガリと打ち鳴らされ、火花が目の前で飛び散るのを見て冷や汗をかいた。


 自分の十八番であるはずの魔法を使わないのには、ちゃんと理由がある。

 ≪白猫≫の論文に気になる記述を見つけたせいだ。展開中の魔法が化け物に吸収された、そんな騎士の報告である。


 研究者たちは≪白猫≫の周囲で稀に発生するその現象を、一般的な吸収魔法と推測しているようだ。ただ、その効果範囲と対象が化け物級なだけであるのだと。

 敵から体力を吸い取るとか、吸い取った水をすぐに変換させれば魔導瓶の代わりとしても使えるとか。意外と用途の多いその魔法自体はコーティも知っているが、≪白猫≫の使うそれは正に異次元。

 継続して展開するせいで、液体から気体に変化する瞬間の不安定な状態を狙って吸い取る。報告書の内容は、もう何を言っているのか意味が分からない。


 が、大事なことは原理じゃない。

 つまり、場合によっては魔法を使わずに切り抜ける必要があるかもしれないのだ。最新の魔道具に目がないルイスが、わざわざ魔法と関係ない剣術を教えるようにマティアスに頼むほどだ。


 化け物の馬鹿力を防ぐなど侍女の細腕にできるはずもなく、そうなれば全ての攻撃を避けるか受け流すかしか方法はない。奴は翼を持っており変則的な機動を見せると言うのだから、回避だって一筋縄ではいかないだろう。

 それらを考えた結論として、コーティは土にまみれて転げ回っているのである。


 いくら鈍っているとはいえ、体の動かし方の基礎はできているつもりだ。体力は何とか追いつかせる。後は慣れない道具の使い方。どれだけ策を練ろうとも、コーティの技量がついていかなければ元も子もない。


「……ハッ!」


 この間の図書館での忠告について、あの後にマティアスから何かを言われることはなかった。

 が、同時に何か感じることもあったのだろう。跳ねまわるコーティを見つめるマティアスの目には、いつもの柔らかな笑顔も、主人に振り回されるときの苦笑もどこにもなかった。


「これならッ……!」

「はあッ!」

「っ……! もう!」


 ナイフが弾き飛ばされ、視界の外へ消えていくのを見ながら、コーティは怯まず飛びずさる。下段の薙ぎ払いは足を上げて躱し、もう一度踏み込んだ。武器がないくらいで怯むと思ったら大間違いだ。間合いの内側に入り込んでやろう。


 騎士の中でも選りすぐりを集めた近衛の訓練に混ぜてもらっている身だ。技量を身に着けると言う点で、これほど恵まれた環境もない。

 厳しい訓練を乗り越えた精鋭たちの剣筋は、教会の精鋭に負けず劣らず。けれど何度も受け止めている間に、コーティは騎士団の方針にも気づき始めていた。


 彼らは一撃に力を込める傾向にある。そこで生まれる隙は僚友との連携で補うことができるからこその動きだ。今相手にしている若手も例外ではなく、総じて大ぶりな攻撃が多い。

 片や教徒は全てを一人で完結させたがる傾向にあるから、一撃一撃の動作を小さくし、連撃に繋げようとする癖がある。コーティの剣筋も当たり前だが教徒寄りだ。地面に落ちたナイフに近づこうと悪戦苦闘しながら、コーティはふと思う。


 ……≪白猫≫はどうなんだろうな。そんなことを考えた瞬間、視界からオレットの剣先が消えた。


「わっ、わっ」

「一本です、コーティさん」


 胴にピタリと突き付けられた剣先。刃引きしてあると分かっていても、背筋が凍る。


「何をしている! よそ見など、剣士の風上にも置けん!」

「も、申し訳ありませんッ……」


 うん。しばらく余計なことを考えるのはやめよう。そう思った。


※次回は2/14(月)の更新になります。

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