毒舌家とご主人様 その4
なんだかまたしても視線を集めている気がする。王子の隣を歩きながら、コーティは左右を交互に見渡した。
ルイスに付き従って歩く廊下は、これまでと何も変わらない。それでも、更に注目度が高まっているようにさえ感じるのは、決してコーティの思い違いじゃないはずだ。
「あの子……?」
「ほら、腕見てみなよ」
「……ほんとだ。あんな子を迎えに来たなんて」
ほうら、コソコソ話があちこちで聞こえる。
この間、殿下がわざわざ呼びに来たんだって。えーうそ信じられない、あんなにパッとしない子が?
≪我儘王子≫のお気に入り。そんな触れ込みで、義手の侍女の噂が城中に広まるのは早かった。こうなってしまうとコーティに為す術はなく、これからの毎日が思いやられるとため息を吐くだけ。
でも、何故だろう。これまで感じていたモヤモヤが、今はどこにもない。
この城に来てからずっと抱いていたはずの、いてはいけない場所にいる違和感。早いところ抜け出さねばという焦燥感。コーティの胸にいつだってあった所在なさが、今日はもう探しても見当たらない。
今日が何か特別な日という訳ではない、いつもの王城のはずだ。コーティの心一つだけが変わった世界で、いつもの日常が送られているだけのはずなのに。
気付いてしまえばどうということもなく、なぜか堂々と胸を張る今日のコーティがいる。
チクチクと視線に刺されながら、侍女は隣の王子を見上げた。彼は生まれた時からこんな視線に晒され続けていたんだろうと思うと、多少の我儘を許してあげようという気にもなる。……あれ、なんだかかわいそうになってきた。
自分のことを棚に上げ、謎の同情を浮かべる侍女を他所に、ルイスは呆れているようだった。
「なあコーティ。いい加減意地張るのやめろって」
「いいえ、これは意地ではありません。現実問題として、この程度は右手を使いこなせないと困るんです。日常生活はおろか、奴と戦うことなど夢のまた夢」
ついでに主に荷物を持たせるのも侍女としては失格だ。それだけでもコーティがうんうん唸っている理由になる。義手だから、なんて言い訳を並べるつもりはなくて、だからコーティはいつだって正しいのである。
右手の義手の上には、フラフラと揺れ動く机の天板が乗っている。左手は折り畳み机の端を持っているものの、反対の義手は湾曲した外板の上に乗っけているだけ。危なっかしくて仕方ない。
体の方に荷物の重心を預けて、腰元で支えるように歩いたなら。きっとこんなコーティでも机が運べると考えたのだが。
「実際どうだ?」
「とても、重心のおさまりが、悪いです」
それでもこの義手、案外耐えてくれるものである。いつだったかマティアスと手合わせした時に怒られたので、ペンより重い物を持てないのだと思っていた。訂正、ペンすら滑り落ちて持てないのは確かだった。
ふらつきながら机を運ぶ侍女。呆れ半分、不安半分でそれを見る王子。二人から漏れ聞こえる会話からすると、振り回しているのが≪我儘王子≫ではなく侍女の方に見えるらしく、それもまた周囲の興味に拍車をかけているようだった。
ああほら。廊下の端で、またしてもライラが目を丸くしている。今日もカートを押しているところを見るに、彼女は洗濯物の当番なのかもしれない。部屋に戻ったら話をしておこう。
「うーん……」
「どうしました?」
「いや、なんか閃きそうなんだけどなあ」
部屋を出る前には、その義手壊れないかなあ……とか言って、ものすごく不安そうにコーティを見ていたルイス。彼は侍女に歩調を合わせて、先程からブツブツと何か言っている。
階段をひいひい言いながら登り切り、王族のみが足を踏み入れられる五階へ。一気に減った周囲の視線と、直立不動の近衛騎士たちに軽く頭を下げようとして、危うく滑り落ちそうになった机を抱え直した。
「あの、コーティさん。お手伝いしましょうか」
「ありがとうございます。ですが大丈夫です」
見かねた近衛が声をかけてくれたけれど、丁寧にお断り。侍女は執務室へと足を向け、王子はまだ独り言を言っていた。
「やっぱ可動域が狭すぎるんだよな、それ」
「そうですか?」
元々コーティは、道具にこだわりを持つ方ではない。支給されたもの、もしくはその場にあるものに動きを合わせる、そうしてやってきたつもりだが、王子はそれが我慢ならないらしい。
アホかお前、作り手は使い勝手を気にするものなの、と正論を吐いた王子の言葉には頷くしかない。
「ほら」
「ありがとうございます」
わざわざ執務室の扉を開けてくれたルイスにお礼を言い、コーティは体を傾けて扉を潜り抜ける。よっこらせと部屋の片隅に折り畳み机を置くと、普段使わない筋肉があちこちで悲鳴を上げているのが分かった。
右腕がない分、負荷が余計にかかっている場所だ。この痛み、ちゃんと覚えておこう。力のかけ方を見直すか、もしくは開き直って鍛えなおす必要があるから。
「こんな体では、動かすだけで課題が山積みですね」
「あのさあ。こないだまで一応生死を彷徨ってたんだからな、そこんところ忘れんなよ?」
「模擬戦させた人に言われたかありません」
「……確かにそうだけど」
「それに、小さなことを気にしていたら≪白猫≫にはいつまでたっても勝てませんよ?」
小さなことかなあ? とかなんとかぼやく王子は放っておいて、コーティは執務室を見渡した。
ちなみに、またしても≪我儘王子≫ぶりを発揮したルイスは見事会議をサボることに成功している。言い訳として使った「どうしても外せない予定」の中身が侍女の机運びだと知ったら、重鎮がまた頭抱えそうだ。
マティアスも騎士団がらみの会議中らしいし、先程王子はごく自然にドアを閉めてきた訳で。すなわちこの部屋には二人しかいない。外の警護が慌てていないことを祈ろう。
だからこそ、ようやく本題に入れそうだった。
朝来たときに、部屋の隅にしれっと置いておいた手提げ籠。そこから一冊の書籍を取り出して、侍女は王子の執務机へ向かう。
「ルイス様、これを」
「お? そのまま持ってていいのに」
「いいえ、要点は頭に入れましたから。下手に自分の部屋に置きっぱなしでライラに見つかっても困りますし、読み返したい時だけ見せていただければ、それで」
「もう読んだのかよ、早いな」
コーティが差し出した本。それこそが昨晩、ルイスから渡された≪白猫≫の情報だった。
布装丁に輝く金文字。中身が論文であるにもかかわらず、まるで歴史書のような見た目のそれは、表紙をめくると「許可なき者の閲覧を禁ず」とある。
見た瞬間、コーティを総毛立たせた表題。金文字を撫でながら、侍女は静かに読み上げた。
「『指標名≪白猫≫に対する脅威判定及び基本戦略』」
「我が国のケト・ハウゼンに対する戦略は、この論文が元になっていると言っても過言じゃないからな。奴を倒すにあたってこれほど役に立つものもないさ。……で、どうだった?」
昨晩、ルイスと別れた後。
寮に戻ったら同期たちから質問責めに会うことは確実。そう考えたコーティは、無人の使用人食堂に立ち寄ってこの論文を読んだのだ。キリのいいところまで読んだら戻ろうと思っていたのに、一度ページをめくりだしたら手が止まらず、気づいた時には時計の針もてっぺんを回っていた訳で。
余計な勘ぐりを受けないようにと、昨晩早めに帰してくれたルイスの気遣いが台無しである。先程浴びた周囲の視線は、夜遅くまで寮に帰ってこない侍女を見るものでもあったのだろう。
でも、別にもう気にするつもりはない。言いたい奴には言わせておけばいい。
自分は今、それどころではないのである。胸の奥で何かがざわめくのを感じつつ、静かに何度も読み込んだ結論の一節を呟く。
「『≪白猫≫は、政治的に封殺が可能である』……驚きました」
≪白猫≫の娘こと、ケト・ハウゼン。
度を越した剛力、異常な魔法出力、そして人が持ちえないはずの飛翔能力。それらを少女の体一つに押し込めた存在を指して「人知を超えた」という表現する者は多い。
かつての戦争では数多の戦士を蹂躙し、国の中枢を襲った娘。最終的に廃王女と共に行方不明となったその少女に対して、国も手をこまねいていた訳ではない。それを思い知らされる論文であった。
≪傾国戦争≫において彼女に接触した部隊の戦闘詳報。更にはその半年前秘密裏に行われたという、宰相家主導の能力測定。集めた情報を、同年齢の平均的な子供の成長と照らし合わせた推測値。事細かに記載された内容こそ、まさしくコーティが長年追い求めていたものだった。
例えば、彼女の使用する魔法が第三世代、いわゆる旧式のものであるとか。にもかかわらず、攻撃魔法一つとっても、全力稼働の新型魔導砲の三倍の威力を優に超えるとか。具体的な数値が出るわ出るわ、よくもまあ、そこまで調べ尽くしたものだと唸ってしまった。
そんな彼女に対する戦術検討にも目を見張ることになった。
様々な問題を除けて、だだっ広い平地で真正面から殴り合った場合。騎士一個連隊五百名で包囲し、魔法と銃による波状飽和攻撃を敢行。更に味方を巻き込むこと前提の魔導砲まで導入。ここまでしてようやく撤退に追い込める計算だと、この論文の著者は言う。紛れもなく化け物だ。
そんな彼女の弱点に述べた一説を、コーティは諳んじた。
「『≪白猫≫は年齢相応の人間である。いずれの能力においても人間を凌駕する研究対象について、唯一の弱点を上げるならばまさにこれに尽きるであろう』」
見た目がどうこうではなく、彼女の持つ価値観の話である。
言い換えれば、彼女には人質戦術が効果的。その力を十全に奮えなくすることは、可能である。
先程の例を挙げよう。平地ではなく、休日の王都一番街を想定した場合。市民を巻き込む前提であれば、必要な戦力は精鋭一個中隊で事足りる。人的損害は三割。なお市民と市街地への被害は甚大。戦術とすらいえない内容だが、検討材料にはなる。
「そんなことするくらいなら、奴の人間としての弱みを握って、交渉と条約、取引でその行動を制限した方がずっとマシさ。だから俺たち……って言うか国は、政治的封殺が基本戦略として有効と判断している」
ルイスの言葉を聞きながら、コーティは思い当たる節を呟いた。
それが意味すること、つまり……。
「今の国と≪白猫≫は、水面下で接触している。そのように推測できるのですが」
「当たりだ。姉上とか宰相のアルフレッドとか、後はロザリーヌか。あの辺全部グルでさ、≪白猫≫の保護者と非公開の約定を結んでる」
知っている名前が出てきてコーティは目を丸くした。
ロザリーヌの顔を思い出す。まさか彼女がと驚きつつも、その一方で納得する自分がいる。もしかして、ロザリーヌにまつわるあれこれ……例えば廃王女の悪行に最初に気づいた云々についても、その辺が関わっているのだろうか。
「……この間の食事会で、気付かれなくてよかった」
「気を付けろよ? 姉上一派はマジで有能だからな。このままだと遅かれ早かれ、俺たちのたくらみもバレると思った方がいい」
「なるほど、その前に決着をつけなくてはいけない、と」
「そゆこと。でもって、こちらに戦える人間はコーティしかいないし、余計な人間に声をかけるつもりもない、そうだろう?」
にやりと笑う彼の言葉は、正にコーティが考えていることそのままで。
似ている、と自分でも認めてしまった主の口から、次にどんな言葉が飛び出すのか。それもまた、コーティにはちゃんと分かってしまった。
「さあコーティ。考えようじゃないか。奴と単騎で渡り合う術ってやつをさ」
「ええ」
ルイスの執務机の隣にくっつけて置いた、小さな折り畳み机。その天板を、侍女は義手の先で軽く叩いてみた。
「どうかあなたの知恵をお貸しくださいませ、我が主様」
コン、と義手が気持ちのいい音を鳴らした。




