毒舌家とご主人様 その3
≪傾国戦争≫には、いくつかの特異性がある。
戦後の調査で真相が明らかになるにつれて、そんなことを囁く人間が増えた。
その一つとして挙げられるのは、被害が発生した場所が限定されていたこと。
言い換えよう。国の根幹を揺るがした大戦争の割には妙に制御された戦場であった、学者たちは口を揃えてそう言うらしい。
王都の市民、特に冒険者の中には、それすらも≪傾国≫の廃王女の所業ではないかと嘯く者までいるらしい。
曰く、当時王都の冒険者ギルドに依頼された避難指示書には、どの通りのどこまでが対象、という内容まで事細かに語られていたことがその証拠なのだとか。
開戦直前に国から発布された正式な避難命令は、北門と南門付近を対象としたもの。≪傾国≫が独断で発布した指示と、王城からの命令の両者を付き合わせてみれば、どういうことかはおのずと知れる。事実上、戦域のほぼ全ての住民に危機を知らせていることができていたのだ。
偶然だ、そんな神の所業を成し遂げられる人間などいるものか、と鼻で笑う人間がほとんど。他方、騎士団や教会すらも、すべては≪傾国≫が牛耳っていたのではないかと、彼女を気味悪がる者も多い。
当時の戦火を免れた王都西側。
その下町の一角に、少々近寄りがたい空気を纏わせている場所がある。一応は壁の内側とはいえ、明らかに粗雑な建物が立ち並ぶそこは、まともな人間ならまず足を踏み入れることはない。
どこの町にだって出来てしまう、流れ者たちの巣窟。いつしかそれが一つの社会を為し、やがて一つの文化を形成し、やがては「近づくな」と子供を叱る文句になる場所。
だからこそ、まともではない人間にとって、またとない潜伏場所になるのだ。
「裏が取れた。奴はやはり正式な王子の付き人になったらしい」
例えば、そんなことを口にする教会残党の男もその一人。戦後の王都では嫌悪の対象となってしまった修道着を好きこのんで纏っているあたり、まともな人間ではない証拠であろう。
「≪百十四番≫め。国の犬になり果てたな……」
「まったく嘆かわしい。奴には修正が必要だろう」
今この部屋にひしめいているのは、≪鱗の会≫を名乗るほぼすべての構成員たち。十数名という規模であっても。その誰もが修道着を纏っている様を見れば、彼らが碌でもない存在と言うのは分かりそうなもの。異色を追い越して薄ら寒さすら感じさせる集団のあちこちから、裏切り者の女を糾弾する声が上がる。
しかし、その男≪二十三番≫だけは、欠片も表情を変えなかった。
「……絶好の機会だな」
「≪二十三番≫?」
この集団を統率する彼は、読み込んでいた書類から顔を上げた。王城の内部にいる、とある協力者が寄越してきた報告書である。
「……人心、綻ぶは易し、か」
戦争を経てまで、この王国があれほどに苦労して勝ち得た平穏。だがそれすらも、一部の権力者たちにとって納得できる結末ではなかったらしい。
二十年以上もの歳月を費やして築き上げた前王の権勢。仕上げの段階で、その全てを小娘二人に崩されたという事実。認めることができない人間は、教会だけでなく国にもいるのだろう。
特に騎士団。かつて彼らは、前王と近しくなることでその威信を強めた。一部の高官たちの中には、乱入してきた娘たちに振り回され、権力のほとんどを失った者だっている。
当時広まっていた貴族主義と相まって、それこそ面子で生きていた連中だ。失脚するなら死んだ方がマシ、そう考えているものも多い。
≪二十三番≫が思い浮かべた内通者。≪鱗の会≫に声をかけ、王都に引き込んだ人物もまた、その一人。
奴からもたらされた情報によると、既に国によって自分たちの行動は把握されているそうだ。つまり、今の自分たちは泳がされている状態であり、殲滅されるのも時間の問題。
が、自らの助力により、更にその裏をかくことが可能であると、内通者は≪二十三番≫に言ってきた。
どうせ奴もこちらを利用するつもりなのだろうから、もちろん全てを信用するつもりはない。内通者の思惑をそこまで理解した上で、しかし≪二十三番≫は申し出を断るつもりなどなかった。
「どうするおつもりで……?」
「誘いに乗る。たとえ罠であったとしても、城内に入り込める機会をみすみす逃すわけにはいかん」
「罪の全てを被せられるかもしれません。それでも向かうと?」
詰め寄った同志に、彼は微笑んだ。……そう、自分は微笑まなくてはならない。≪二十三番≫が今なお崇拝する枢機卿閣下は、最後まで決して余裕を失わなかったのだから。
彼が率いる集団の中の、まだ年若い女信者を見ながら思う。
この中の全員が、本懐を遂げるまで死ぬつもりはない。けれど同時に、全てが終わってなお生還するつもりもないのだ。この命、必要とあらばいつでも差し出す覚悟はできている。
残党の名がふさわしい彼らに残された戦力は余りにも少ない。だからこそ切り札が使えるうちに動く必要があった。
「今の我らだけでは、王子に手など届かん」
「ですが……!」
抑えきれず声を荒げた同志は、我に返ったように口をつぐんだ。その隙をつき、落ち着いた声で諭す。
「内通者が城内に入れてくれると言うのであれば、それを使わん手はないだろう」
「ですが、≪二十三番≫まで失ったら、我々は……」
「心配するな。例え死しても、我らはまた龍の創りたもうた世界で会える」
そうだろう。これだけ心を捧げ、この身すらも糧としているのだ。死者の集う場所で、きっと枢機卿閣下にも満足していただけるはず。三年前に死に損なった自分なのだ。今更何を恐れることがある。
「予定通り両面作戦で行く。貴様らは陽動だ。私が城内に侵入し王子を殺す間、敵の目の攪乱を担ってもらう。……終わっても私を待つ必要はないぞ。時間が来たら、王都から脱出しろ」
「……≪二十三番≫様!」
「いつまでも私にしがみついていたら、内通者に利用されるぞ」
ここはそういう国だった。三年前も、そして今も。誰もが誰もを利用し、蹴落とし、利益だけを吸い取ろうとする。小さく呻いた部下から視線を逸らして、彼は自分の剣を見た。
枢機卿閣下の手足となる真の教徒は、もはやここにいる一握りになってしまった。
枢機卿亡き後に返り咲いた指導者による友和路線のせいで、今の教会は国に媚を売ることしかしない。気高く、理想のために進み続ける龍神聖教会は既に滅びた。
≪百十四番≫……今はコーティと呼ばれている女も、戦後のぬるま湯に牙を抜かれた一人だ。あろうことか王子を守ろうとするとは、なんという愚か者だろうか。
報告書には、彼女が王子の側近の地位にのし上がったという内容が語られていた。
なんとも不愉快極まりない。前回の襲撃の時、腕だけでなく息の根も止めておけばよかった。
奴は思いのほか手ごわい相手であった。彼女の右腕を叩き切った時には笑みの一つも零した彼だが、こちらも同志を三人も殺された。その上、ちぎれた腕すら投げつけ破裂させてきたあの判断力。その気迫に押された自分が恨めしい。
「王子の側に奴がいるならば、道連れにしてやろうか」
裏切り者には死を。
どんな時代でも、どんな場所でも変わらない、昔からの不文律。もしも懲りずに王子の側近などやっているなら、奴にも絶望を味わってもらおう。
取り入ろうとした王子を殺され、憎々し気にこちらを睨みつけるあの女の顔を思い浮かべる。それはいい気味だろうと、≪二十三番≫は少しばかり目を閉じた。




