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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第三章 三年前の亡霊
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毒舌家とご主人様 その1

挿絵(By みてみん)



 あれは確か、冬のことだったように思う。

 開戦を間近に控えたある日、龍神聖教会(ドラゴニア)の訓練生≪百十四番(三桁)≫を、心の底から驚かせる出来事があった。


「ど、どうなされたのですか、教官!?」


 まだ幼い彼女だって、作戦を終えた教官たちが帰ってきたことは知っていた。大人たちに状況を教えてもらえないままなのは相変わらずだったものの、それ自体はまあ当たり前のこと。

 そもそも、教官は教会が誇る精鋭の一員だ。≪百十四番≫のような下っ端に内情が知らされないのはいつも通りだし、彼に限って失敗などありえないと思い込んでいた。


 だが、その朝見た教官の様子はおかしいと、≪百十四番≫は瞬時に察知した。彼の頬に当てられた小さな布切れ。つまりそれは、無敵のはずの彼が怪我をした証拠だった。


「……≪百十四番≫か。大したことはない」


 振り返った彼から放たれる、抑揚のない声。

 両手を握りしめてぐっと背筋を少しでも伸ばす。こうでもしないと身長差のある教官には追いつけないような気がして、いつからか教官の前に立つ教え子の、無意識の仕草となっていた。


「ですが……」

「人のことを気にする暇があったら、まずは体を鍛えてこい。朝の訓練はどうした」

「はっ。駆け足、基礎型、全て終わりました!」


 切れ長の目を少しだけ見開き、「そうか、早いな」と教官。


 そうでしょう、あなたにお会いしたくて早く終わらせたんです。……とは言えずに≪百十四番≫――後にコーティと呼ばれる娘はできるだけ真面目な顔をするのだ。


 だって、最近の教官はお忙しそうですから。

 私も一人でできることはちゃんとやって、お手を(わずら)わせないためにも聞きたいことをまとめた上で、ここに来ました。そこまでしないと、いつまでも教官にとってのお荷物になってしまう。それは嫌。

 剣術、槍術、短剣術、魔法、偵察、潜入、監視……。覚えることは山ほどあるけれど。私は少しでも、憧れのあなたに近づきたいのです。


「ですが、あの……お疲れでしたら改めます」


 この時のために眠い目をこすりながら早起きをして訓練を終わらせたコーティだけど。大前提として、教官を嫌な気持ちにさせたら本末転倒なのだ。

 ちょっと寂しいけれど、仕方ない。しょげた心は見せないようにと少しだけ下げた頭の上から、けれど声が降ってきた。


「構わない、別に疲れている訳ではないからな。貴様、もう朝食は取ったか?」

「あ……! いえ、まだですっ!」


 勢いよく上げた視線の先に、既に歩き出している教官の背中が映った。


「では食べながら話すか。付き合え」

「は、はい!」


 口元が綻んでしまうのを抑える。教官に気付かれてないかな。こんなことで平静を乱すなんて、戦士としては失格なのに。

 朝食はいつものオートミール。炊き出し当番から受け取って、食堂の簡素なテーブルに着く。向かいの席の男の顔色を気にしながら、コーティは静かに木のスプーンを運んだ。


 質問と言うのは、教官から教わっている≪鋼糸弦(ドラート)≫のことである。

 他人との連携こそ人並みのコーティだが、単騎での戦闘であれば他の訓練生の追随を許さない。

 教官曰く、この妙な糸は、他の人間と大きく動きが変わるから連携には向いていないらしい。だからこそ単身での動きに秀でたコーティには適しているのだとか。

 扱いにとにかく癖があり、教会内で扱える者はごく一部。それすらもただ使える、という程度のものだ。普段から攻撃の一つとして活用しているのは教官のみで、だからこそ、コーティはよく彼とお話ができる。


 糸の巻き取り方について、人差し指と中指の添え方。用意していた質問をぶつけてみると、教官はさらりと回答してくれる。極力無駄を省いた会話ですぐに疑問を解決できたコーティは、しかし食べかけのオートミールがなくなるまで気になっていることを聞いてみることにした。


「あのう……、教官?」

「何だ」

「私、どこか変ですか?」


 考えすぎかもしれないが、今日は妙に彼からの視線を感じる気がする。

 ひょっとして頬っぺたに食べ物がついていたのだろうか。そんなの嫌だ、恥ずかしい、と擦ってみるも何も拭った感触はない。そんなコーティの様子をじっと見ていた教官は、しばらくして変なことを聞いてきた。


「……貴様が訓練を受け始めたのは何歳だ?」

「は、当時は十になった頃でした」

「そうか、そうだったな。……そう、俺も似たようなものだった」

「教官……?」


 ゆっくりとスプーンを口に運び、彼は何事かを考えているようだった。普段は決して迷いを見せない彼からしたら、とても珍しい光景だ。


「そうだ。俺も貴様もそうだった。なのに……」

「あの、作戦中に何かあったんですか?」


 恐れ多くもそんなことを問いかけてしまったのは、彼の食事の進みが明らかに遅かったから。

 聞きながら、けれどすぐに後悔する。自分は何をやっているんだ。作戦中のことなんて機密事項の塊、話せるはずもないのに。早速背筋を縮み上がらせたコーティだったが、意外なことに彼はちゃんと答えてくれた。


「十歳の小娘と戦った」


 コーティの匙が止まった。


「それは……、えっと」


 聞いておいてなんだが、答えに窮する。教官を相手にした十歳児なんて、それこそ勝負にすらならないのではないだろうか。ごくごく当たり前のことを考えたコーティは、続いた彼の言葉でより混乱することになる。


「化け物だったよ。こちらには大半が愚図な私兵しかいなかったとは言え、二十数人を揃えていたんだ。それをたった二人に蹂躙(じゅうりん)されたよ。お陰で作戦は失敗、第二王女はいまだ健在だ」

「え……!?」


 黒い目を丸くしたコーティの向かいで。教官は苦虫を踏み潰したように、べちゃべちゃのオートミールをスプーンでつついていた。


「どうやら、国もあの娘を探しているらしい。騎士団では≪白猫≫という指標名がつけているそうだが、まさか王都に紛れていたとは……」

「えっと、よく分かりませんが、十歳の女の子が教官を退ける程に強かったのですか? ……いえ、もちろん教官を疑っているわけではないのですが!」

「構わん。奴とはこれまで数度顔を合わせた俺でも、まだ信じられんからな。……ここで排除できなかった以上、開戦後の戦闘に介入してくる可能性もある。失態だ」


 その話を聞いた時のコーティの感情を表すならば、驚き、なんて言葉が当てはまるのかもしれない。

 いつだって教官の背を目で追うコーティなのだ。彼が枢機卿閣下の目的に心の底から賛同していて、それ以外はどうでも良いと考えていることすらも、薄々感じているというのに。

 普段は部下や生徒にすら興味を示さない、そんな≪十三番≫様が、あろうことか自分の前で十歳の小娘の話題を口にしている。


 コーティよりも三つも年下の子供が、それほどの人物なのか。彼に注意を向けられるその子供に、内心腹立たしささえ覚えたものだ。

 だから、コーティは張り合うように言ってやった。それこそ、今考えたら恥ずかしくなるような言葉を、胸を張って。


「なら、私がやっつけてやります!」


 教官が顔を上げた。変な顔をしていたのを覚えている。初めて見た表情で、多分だけど呆れ顔だった。


「貴様が……?」

「はい。だって、その≪白猫≫とやらはまだ十歳なのでしょう? 私はもう十三です、三つも下の子供に遅れは取りません!」


 まくし立ててから、一拍置いてコーティは我に返った。

 勢いだけで何意地張っているんだ、自分は。顔が真っ赤になるのを感じて、啖呵を切った口を半開きにしたままで固まってしまったけれど。

 そんな恥ずかしさなんて、すぐに立ち消えてしまった。

 

 俯きがちの頭、上下する肩。

 彼が、笑っている。くつくつと声も立てず、けれどさもおかしそうに。はじめて見た教官の笑顔は、なんだか笑い慣れていない不器用さを纏っていて、思わず二回り以上年の離れた彼の顔をじいっと見つめてしまった。


「そうか、貴様がやってくれるか……」

「は、はい……」


 一度言い出した手前、撤回することもできず。コーティは間髪入れずに返した。彼は更に笑みを深くしていて、コーティは尚のこと驚く。


「ならば安心だ。そうだな、奴を殺すことができたなら、以前言っていた俺の隊に入るという話、前倒しで考えてやろう」

「ほっ、ほんとですかっ!?」


 コーティのお尻の下で、椅子がガタンと音を立てる。身を乗り出したりして、行儀が悪い。シスターに見られたらお説教だ。


「≪白猫≫を殺せるほどの手練れならば、その時の貴様は俺よりも強くなっているはずだ。褒美をやるには十分だろう?」

「お、お任せください、必ずや私が倒してみせますっ!」

「ははっ、なんなら、俺が貴様の部下になってもいいかもな」

「へっ!? そんな、恐れ多いですって、≪十三番≫様っ!」


 もうコーティの頭の中は滅茶苦茶だった。

 信じられない。普段余計なことなど何一つ言わない教官が、あろうことかコーティの前で笑っていて、あまつさえ冗談を言うだなんて。自分が言ったことが何か響いたんだろうか。

 さっぱり分からなかったけれど、当時のコーティに決意させるには十分だった。


 私の手で、≪白猫≫とやらをやっつけてやろう。

 それが生半可なことではない偉業なのだということくらい、当時だって想像できた。教官の言葉から、間違いなく今のコーティの手に負える相手ではないことも理解できた。


 だが、それがなんだというのか。弱いなら強くなればいいだけのこと。これから一層訓練に励んで、その≪白猫≫にも負けないほどの力をつけよう。


 それはまだ、コーティ自身が無邪気な子供でしかなかった証拠。

 単純に、彼の役に立って認められたい。≪白猫≫をまだ、踏み台としか捉えていなかった頃の、微笑ましさすら感じられる決意だった。


「……馬鹿な私」


 だからこそ、全てを理解した三年後のコーティは、王城の片隅で呟くのである。


「……本当に、何も分かっていませんでしたね」


 自分はもう番号で呼ばれていないし、教会は枢機卿や教官が思い描いたものからかけ離れた形へ変貌を遂げた。かつて≪百十四番≫が憧れた精鋭≪十三番≫の部隊は全滅し、今のコーティは修道着の代わりに白と黒の侍女服を纏っている。


 そして今朝も、コーティは慰霊碑の前でひざまずいていた。


 ねえ、教官。

 私、不思議な人に会いました。


 傍若無人で、あちこちで噂されているような人で、よく怒られていて、それでもヘラヘラ笑う王子様。

 でもなぜでしょう。この人の側にいると、色々なことが気になってしまうんです。


 周囲の人たちは、彼と私が似ていると言います。こんな落ち着きのない人と一緒にされるなんて心外ですが、とは言え心のどこかで認めている自分がいます。

 彼は私によく似ていて、私と同じくらい傷ついている。そのことが、ようやく分かってきたので。


 教官。

 今の私は侍女をやっています。

 ≪白猫≫に対抗する手段を探るため、この国の王子に協力していただいているんです。彼はとても頭が良くて、その知恵があれば奴に勝てるのではないかと、最近そう思うことが増えてきました。

 ですから、今日も今日とて彼のお付きとして、頑張ります。


 だから安心して、どうか龍神様と一緒に見守っていてください。


「龍神様のご加護がありますように……」


 頭上で時刻を知らせる鐘の音が鳴り、侍女はそっと立ち上がった。空になったじょうろとバケツを抱えて、さあ、今日が始まる。


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