はじまりはベッドの上 その2
コーティの病室を出た後、自分の執務室へと歩くルイスは低く唸った。
理由は言うまでもない。隣の護衛騎士からさっそく小言をもらっていたからである。
「殿下……!」
「言うなマティアス、分かってる」
「いいえ、殿下はお分かりになられておりません」
西棟の階段を登り、執務室がある上階へ。ルイスは面倒になって、あえて聞こえるようにため息をついてみせた。
「過保護だよなあ、お前は相変わらず」
「当然です。殿下は次期国王になられるお方。その近くに彼女は危険です。万が一御身に何かあれば、国が揺れます」
周囲からの視線に慣れているルイスではあるが、相も変わらずここは窮屈だな、と内心舌打ちをしたくなる。意外と無視されがちだが、慣れと疎ましさは共存できる。結局ここではいつだって、彼は王子なのだ。
廊下に佇んでいるのは、王族を守る近衛隊。そして隣のマティアスはその精鋭たちをまとめあげる近衛隊長。そんな彼が直々に守る王子、それがルイスである。
「……マティアス」
「お考え直し頂けましたか?」
「俺はもう、親父の駒にはなれないんだぞ?」
思わず、と言ったように視線を向けた護衛を見て、ルイスは小さく笑った。マティアスがそんなつもりで口にした訳ではないと、知った上で言ったのだ。流石にキツい一言だった自覚はある。小言が止んだその隙をついて、ルイスは出来るだけ落ち着いた声を心掛けて言った。
「あの娘は、俺に似てるよ」
「……」
「なあマティアス。俺だって、お前の言いたいことは分かっているつもりだ」
窓の外から見える再建中の本城の向こうに、白壁の塔を見る。≪六の塔≫と呼ばれるそこは、ルイスの父親が捕らわれている牢獄である。
「かつて、龍神聖教会が誇った武装集団。……三年前の≪傾国戦争≫まで、彼女がその一員として≪百十四番≫と呼ばれていたこと。それをお前は気にしているんだろう?」
言うなれば、元は敵の戦闘員。それがあの使用人の娘の正体だ。硬い顔のまま頷いた護衛を引き連れて、執務室の中へ。
「だがな、今の奴はコーティ・フェンダート。港町出身の新米だ。教会再編事業の一環で、城付きの使用人として国が雇用した。それ以上でも、それ以下でもない」
部屋の奥に鎮座するビロード張りの椅子に深く腰かけながら、ルイスは机に置かれた書類の束を見つめた。部屋を出る前よりもうんと増えているそれにげんなりする。
「……ご存知ならば、猶更です。私は殿下の護衛として彼女を認めることができませんな」
「コーティの身元引受人はあのロザリーヌだぞ。身辺調査だって彼女がしている。それでも?」
「それでも、です。今は違っても、かつての彼女は敵の一員でした。……一介の城付き使用人であれば、国の方針として仕方ないと割り切ることもできましょう。ですが殿下のお傍に置くのであれば、わざわざ彼女を選ぶ理由がありません」
幼い時からのつきあいである近衛隊長の正論を聞きながら、ルイスは机の上に転がっていた金の印章に視線を落とした。
王族が一人一つずつ持っている、一族の証。王印を手に取って弄りながら、王子は幾分静かに口を開いた。
「理由、理由ねえ……。あいつは俺の恩人なのに?」
「しかし」
「なあマティアス、お前だって見ただろ」
つい数日前、彼女がまだ夢とうつつを揺蕩っていた時。薬の独特な匂いが漂う病室で、彼らは小さな悲鳴を聞いた。
「あいつ、あんなに魘されてたじゃないか。腕がないよと、どこにあるのと、子供みたいに呻いていたじゃないか。……傷と薬でぼんやりしていたあいつが、あの状態で嘘をつけると思うか? それでもあれを演技だと疑うか? なんにもなくなっちゃったと嘆いた、あのうわ言を疑うか?」
「……それを信用できないのが私の立場です」
「あいつは、自分の腕を犠牲にしてまで俺の命を救ってくれた。なら、たとえ独りよがりでも、たとえただの我儘でも、俺がその責任を取りたいと思うのは、おかしなことか?」
あの病室に同席したマティアスだって、それは分かっているのだろう。しかし彼は小言を言い続ける。
新米使用人が、夜半に用のないはずの執務棟にいたこと。浄水で満たされた魔導瓶と小ぶりな刃物を隠し持ち、戦闘に介入したこと。
それらはすべて、コーティ・フェンダート自身が情報を持っていなければ成り立たない状況だ。
彼女は王子の暗殺計画に気付いていた。その後の言動を考えるに、腕まで失ったのは計算外だったようだが、いずれにせよコーティには何か隠し事がある。それは護衛も分かっていて、だから苦言を呈しているのだろう。
そこまで理解した上で、王子は言うのだ。護衛として許容できないのも分かるが、そこはもう説得するしかない。
「俺は親父とは違う。馬鹿で愚図で臆病者だが、血も涙もない冷血漢であるつもりはない。……協力しろとまでは言わないが、これ以上騒ぐと言うなら命令するよ。今後一切彼女の処遇に口を出すな、ってさ」
おどけたように肩をすくめて、騎士と視線を合わせる。少しばかり睨み合った合ったのち、壮年の近衛隊長は諦めたように苦笑を漏らした。
「……また始まってしまった」
「悪いな、マティアス」
「こうなると聞きませんからね。承知しました、殿下」
声から棘が幾分抜けたことを察して、ルイスも肩の力を抜いた。ぐっと伸びをして、凝り固まった肩をほぐす。さて、身内を説得できたなら早速行動だ。
「これから俺は根回しに行く。どうする、ついてくるか?」
「もちろんです。方々からいただく苦言を受け止める、それも私の仕事です。……まったく、またしても≪我儘王子≫に振り回されてしまうことになるとは」
「それこそ今更だろ」
やはりまだ思うことはあるのだろう。なんとも渋い顔をしながら、それでも、幼い頃から付き合いのある近衛隊長は、そう言って頷いてくれた。