彼のことが、掴めない その9
コーティとライラが城に戻ってきたのは、空が暗くなった後のことだった。
「少し買い過ぎましたね」
「コーティが全然服を持ってないのが悪い!」
なんだか随分買い込んでしまった気がする。抱える袋の中身は、コーティだけでは天地がひっくり返ったって手を出さないような、お洒落でかわいい服ばかり。
それもこれも王都の呉服店が悪い。新型の自動紡績機がどうとかというウンチクこそ聞いたことのあるコーティだが、こうも複雑で華やかな服に溢れているとは思わなかったのだ。綺麗な布の大量生産が成り立ち始めたのはここ数年。未だ地方にまでは浸透していないものの、この王都では安価で質のいい布地が既に日常風景の一部分になりつつあるらしい。
「そういえば、私には片端から勧めた割に、ライラはあまり買わなかったんですね」
「いーのいーの。着せ替えコーティで楽しめたし」
その結果が義手と左手で抱える荷物である。
城門を警備する騎士に身分証を見せて、持っていた袋も確認してもらう。「随分買い込んだな」と言われて赤面したコーティは、ライラにつつかれながら使用人寮へ。
ところ変われば文化も変わる。ここ数年で一度も過ごしたことのない種類の休日だったなと、コーティはそんなことを思う。
どうせ明日からまた仕事なのだ。寝るには少し早いかもしれないが、さっさと体を洗ってベッドに入ろう。
そう思っていたのに。
「おー遅かったなコーティ。待ちくたびれちゃったよ」
「えええ……」
なんで。
「……なんであなたがいるんです、殿下」
「なんでたあご挨拶だな、待ってたんだよ」
「……すまないコーティ君。殿下を止められなかった」
黄色い悲鳴があちこちで巻き起こる中、ライラが隣で目を点にしていた。
使用人寮の前に出来上がった人だかりの向こうに、見覚えのある顔が二つ。ルイスはなんだかニコニコしているが、側に控えたマティアスは何とも迷惑そうな表情。
周囲を取り囲んでいるのは女性使用人たちだ。それはそうだろう、我儘だなんだと言われていても王子は王子。自分たちの寮の玄関に王子様が来たら見に行くというものだ。
もちろんそこは使用人と主、彼女たちも節度も守らずまとわりつくような教育は受けていないはずなのだが、それにしては随分うるさい気が……。
「暇だったから、声かけたんだよ。こっちおいでよってさ」
お前の仕業か。恨みがましく睨んだコーティを誰が責められようか。
流石に主をほったらかしにして素通りするわけにもいくまい。仕方ないので、コーティは好機の目線のど真ん中に突っ込んでいった。
「殿下、どうかご自分のお立場をご自覚ください。先におっしゃっていただけたなら、私の方から出向きましたものを」
「んーそれじゃつまんないしさ」
面白いとかつまらないとか。そんな理由でごたごたに巻き込んだのかこいつは。
後でコーティは好奇の視線にさらされると分かっているはずなのに、この仕打ちである。目を吊り上げつつあるコーティを他所に、彼はなんだか意味ありげに片目をつむって「来てみないと分からないこともあるしさ」と続けた。
「さてと。コーティも来たことだし、本日はこの辺でお暇するわ。みんな悪いねせっかくの休日に」
「いえっ、そんな!」
「ぜひまた来てくださいね、殿下!」
「そゆこと言ってると、俺鵜呑みにしちゃうよ?」
「ちょっとコーティ! どういうことか、後でちゃんと聞かせてもらうからね!」
同僚の侍女たちはルイスに我先にと声をかけ、コーティには嫉妬とも激励ともつかぬ言葉を贈る。ルイスは一つ一つ言葉を返しているけれど、もしかして本気で暇なのだろうか。
「ほらコーティ、何突っ立ってんのさ行くよ」
「えっ。なんで」
「真顔で失礼なこと言ってくるよねこの人。話があるから迎えにきたんじゃん」
「……この状況なら私、断っても許されると思いませんか?」
不本意だが主からの命令、仕方あるまい。
地面に穴が開きそうなほどにため息をついてから、コーティはライラに体を向ける。心配そうな顔をした同僚に、持っていた籠と袋を手渡した。
「すみません、荷物を部屋まで運んでいただけませんか」
「コーティ、大丈夫……?」
「さあ……。でも≪我儘王子≫の我儘です。行かない訳にもいきません」
おーい聞こえてるぞーと王子の声。
人だかりから一際大きなどよめきが上がる中を突っ切って、コーティはルイスの後に続くしかなかった。
*
「その服似合ってんじゃん。俺てっきりお洒落とかあんまり気にしないもんだとばかり思ってた」
「はあ」
「なんだよー、せっかく褒めたのに」
「はあ」
コーティの前を歩くルイスは、楽しそうにそんなことを口にした。
確かに今着ているのは出先で買った、ライラ一押しの一着だけれど。それが今この時何だと言うのだ。答える気も失せて、コーティは適当に相槌を打ちつつ後に続いた。
「あれ、もしかして怒ってる?」
「はあ」
「……殿下。コーティ君に大変失礼なことをされてるご自覚はお持ちですね?」
休日の夜に付き合わされたであろうマティアスもどことなく迷惑そうな顔。
それでも、ルイスは一応は主なのだ。流石にぞんざいな態度をとり続けているのも良くないので、コーティは仕方なしに口を開く。
「一体何考えてるんですか、我儘殿下は」
「うわ本当だ。めっちゃ怒ってる」
「当たり前です。あんな、引っ掻き回すような真似して……。戻ったら私のことなんて噂されているか」
「んー、暗くなってから迎えに行ったから、まず間違いなく馬鹿王子の愛人説は出るだろうねえ」
よりによってそれを本人が言うか。面倒ごとを巻き起こす自覚がある上で強行するなんて、いくらなんでも質が悪い。
据わった眼で王子を睨んでしまうその視線には、もう敬意も何もあったもんじゃなかった。彼も彼で「おーこわ。その目は怖いわ、ゾクゾクする」とか煽るものだから、侍女の瞳はまるで氷のような温度だ。
「で、何の用なんです。こんな時間に」
窓の外には規則的に続く魔導街灯の光。まるで黒いインクを零したような一面の闇の中、ぼんやり灯る明かりが滲むように辺りを照らす。
「別に? 話があったのと、それから様子見に」
「は?」
「ほら、俺って自分の目で見たことしか信じない派だし。……つーかこの侍女、さっきからほとんど『は?』としか言ってないな」
「どうしてこうなったか、ご自分の行動振り返ってから言ってくれません?」
不敬に過ぎるとかなんとか、そろそろ言い出す頃合いかなとも思ったのに、彼はそんな素振りすら見せない。ただニコニコするばかりのルイスに、コーティが一周回って薄気味悪さまで感じ始めた頃。
そういやさあ、と語り掛けたルイスの声が少しばかり低くなった。
「妙なことしてるらしいじゃん、コーティ」
「……え?」
「魚料理、美味かった?」
王子の執務室がある西支城。その階段の途中で足を止め、彼は振り返る。
「ロザリーヌに色々と探り入れてたんでしょ。俺の弱みは無事に見つかった?」
さらっと言い放たれた言葉に、思わず怒りが凍り付いた。
たった一言、それだけなのに。なんだかものすごいしっぺ返しを食らった気がする。それはもう、コーティが息を飲むくらい。
「そりゃ、俺に対して思うことは色々とあるんだろうけどさ。聞いてくれたら話すのに、俺、寂しいなあ」
ちらりと隣を見れば、マティアスもまた、探るような視線でこちらを見ている。いくら休日の夜とは言え、看過できる問題ではなかったらしい。
どうする。主を疑っていることがバレた……。思いもよらなかった事態に戸惑いながらも、しかしコーティの口はちゃんと動いてくれていた。
「……私は十分な教育を受けずにお付きにしていただきましたから。ロザリーヌ様は上司ですし、気にかけていただいて。話の流れでお聞きしたに過ぎません」
「ふーん」
「ご気分を害してしまったなら謝罪します。ただ、私も慣れない環境で不安だった、そのくらいのお気持ちは慮っていただきたく」
見た目だけ取り繕って、ごまかしの文句。
嘘を吐いたはいいが、正直騙せた気はしない。確かめるように自分の手を握ったり開いたりしているルイスからも、何を考えているのか窺い知ることはできなかった。
ルイスが突然立ち止まる。「なるほどねえ……?」と漏れたその声は、普段馬鹿面の下に押し隠しているはずの彼の不愉快さを感じさせた。しばらくそのまま口を閉じた後、「マティアス」と唸る声が聞こえる。
「は」
「お前は戻っていいぞ。休みの日に付き合わせて悪かったな」
「しかし、殿下。今の話を聞いてこの娘と二人きりには……」
「気持ちはありがたく受け取る。だが今は下がれ。部屋はすぐそこだ、護衛はいらん」
ルイスはくるりと振り向くと、自らを見つめるマティアスをじっと見据えた。やがて諦めたように護衛が肩を落しても、王子は顔色一つ変えない。
「……対外的には私が同席していたことにしてくださいね」
「分かってる。今更妃がどうとかなんて野暮な突っ込みは受けないよう、言い訳は考えておく。……少しこいつと腹を割って話したいんだ。察してくれ」
彼の声にはいつものような遊びがなく、それはマティアスも気付いたのだろう。我儘に振り回されるときに口にするような、愚痴とも苦言ともつかない突っ込みを入れることもなく、護衛は代わりに茶化すように答えた。
「……我儘な主には困ったものです。散々振り回した挙句、私には大事なことを教えないとおっしゃる」
「お前には昔から迷惑ばかりかけるな。許せ」
「コーティ君、これだけは言っておく。殿下にもしものことがあれば……分かっているな?」
「……は、はい」
ピシリと引き締まった空気には、もう柔らかさの欠片もない。春も半ばを過ぎた時期というのに、何故かコーティの背筋には寒気が走った。
コーティを鋭い目で見つめたマティアスは、「ではまた明日」と言葉を残して去っていく。その姿が消えるのを見送ってから、王子は無言で足を踏み出した。




