彼のことが、掴めない その4
ちなみに食事会の建前はこうである。
城に滞在中である外国の使者に出す食事に、海沿いの郷土料理はどうかと考えている。港町出身者の意見も取り入れたいので、ちょうど近くにいたコーティに白羽の矢が立った。以上。
ロザリーヌは白身魚のパイを口に運びながら、話を続ける。
「ほら、魔導保管庫のお陰で、ここみたいな内陸でも新鮮な魚が食べられるようになったでしょう? 我が国が誇る技術力の高さを知らしめるいい機会だーって、息まいてるおじ様がいらしてねえ」
「頭ごなしに否定しても面倒だし、そこまで労力もかからないから試してもいいかという結論に至ったんです。……まったく、こんなまどろっこしいことする必要あります? 断らないお嬢も人が良い」
「……そんなことまで考えるんですね、ロザリーヌ様」
「考えるのは別の人よ? 私は参考として意見を求められているだけ。そもそも私みたいな北西の田舎者に、海のこと聞くのもどうかと思うもの。……詳しい人に手伝ってもらわないと私も何にも言えないわ」
フォークでちょいちょいとパイをつつく。初めて食べた料理だけれど、パイはサクサクだし魚はふわふわで、すごくおいしい。
偉い人は偉い人なりに苦労しているみたいだ。ただ昼食を取るだけで、こんなに面倒だとは。お陰でコーティは貴重な食事の機会を得たのだけれど。
そうは言っても、コーティは生まれ故郷の港町マイロで、こんな高級料理を食べたことはない訳で。たまに町の大衆食堂に行くこともあったけれど、そんなものが参考になるのだろうか。
修道院の食事? 毎日毎日オートミールかパン粥だ。
苦い、というより単調な味の記憶をたどりつつ、無意識にフォークで刺したものを口に運んでいたら。三人は同時に目を白黒させた。
「うっ……」
「んん……。なんですかこれマっズい……」
「ちょっとローレン、これはいったい何?」
眉根を寄せたロザリーヌが、顔をしかめた従者に問いかける。
「えーと? 魚のゼリー寄せ、ってありますね。ノイバウ子爵閣下のおすすめだと」
「……毒見係の子、この味でよく通したわね」
ブヨブヨした食感と、何とも言えない磯臭さ。互いに視線を合わせて、これは却下と暗黙の了解を交わした。
「いけない、非常によろしくない……。こんなものを使者の方にお出したら宣戦布告になってしまうわ」
「むしろこれ食べさせたら国に帰ってくれるんじゃないすか?」
半ば黒い笑みを浮かべているロザリーヌ主従のやり取りを聞く。これなら味気ないオートミールの方がずっとマシだった。
しばらくゼリー寄せについて屈託ない意見を交わした後で、ロザリーヌは気を取り直したように微笑んだ。
「さて、と。それで、どうかしら。殿下付きというのは?」
「……」
パンをちぎりながら問いかける彼女の雰囲気が、お茶目な女性から、気品ある才女のものに戻ったような気がした。コーティから話を切り出す前に、向こうから聞いてくれたのはありがたい。侍女は少し悩んで、ありのままの感想を答えることにする。
「一言でいえば、謎、でしょうか」
「謎?」
「あの人、なんで馬鹿を気取っているんでしょう」
目を真ん丸にした彼女が、一拍置いて笑い出す。ちぎったパンをわざわざ皿に置きなおして、本格的に腹を抱える笑いっぷりである。隣のローレンも何ともおかしそうに、横を向いて肩を震わせていた。
「あの……?」
「ふふふ、殿下ったら……! 会って数日で見抜かれちゃって」
「……頭の良いお馬鹿、ってロザリーヌ様が評していた意味が分かりました」
仮にも一国の主を評する言葉遣いではないが、それこそ今更だ。やはりと言うべきか、ロザリーヌがそれを見とがめることはなかった。
「そうでしょう?」
さもおかしそうに言って、令嬢は向き直る。
「この間の予算会議で、早速コーティ振り回されていたわね。無茶させられたりしていない?」
その目に映る柔らかな心配の色に、視線を逸らした。この人を嫌いになれないのはこういうところがあるからだ。ちゃんと心配してくれることが分かってしまうから。
復帰してからの日々を振り返ってみよう。自分はいったい何をしたっけ。
すぐに思い出したのは、服を脱ぐ羽目になったこと。それから弱みを握られたり、模擬戦させられたりと続く。
「……」
どこまでが許されて、どこからが無茶なんだろうか。自分でも分からなくなってきた。
思い返して黙り込んでいたら、「えっ……」という声が聞こえて我に返る。おっと、これでは肯定したことになってしまう。良くない。
「大丈夫です、よ?」
残念ながら、自信を持って言い切ることができなかった。そもそも胸を張って言えるような主人なら、彼女に相談なんて持ちかけていない。
煮え切らない態度に、何かを察したのだろう。ロザリーヌの眉が徐々に吊り上がっていくのがコーティからも分かった。
「……ルイス殿下、とうとう一線を越えたかしら?」
「いえ大丈夫ですホントに。……それよりも、ちょっと聞きたいことがあって」
遮ってまくし立てたコーティの声に、ローレンが主をつつく。彼に感謝だ。
怒って王子のところまで怒鳴り込みに行かれでもしたらたまったものじゃないので、コーティはすかさず言葉を繋いだ。
「殿下って、どうしてあんななんでしょう」
「……どうしてとは?」
「会議は途中で抜け出しますが、実際は権力争いからうまく逃れるための演技だったり。私みたいな素性も定かではない女に、手間をかけてこんな腕を作っていただいたり」
王子が自慢気に話してくれた、この自動義手の構造。全部聞かされたコーティだが、中身は今でもさっぱりだ。
けれど分かったことが一つ。彼はこの機構を熟知している。それこそ専門家の領域まで。
これまで義手なるものがなかった訳じゃない。が、所詮それは手で動かすことを前提にした代物。
こと魔法で動かすと言う点において、コーティの魔導義手は完全に新作らしい。それこそ構造や動作の基礎理論から彼が組み立てたとか。たかだか三か月程度でもちろん間に合うはずもなく、その結果が可動一か所、二本指の義手ではあるのだが。
ロザリーヌはただ黙って聞いていた。ずばり直球、話の流れとしても悪くないし、このまま聞いてみよう。
「世間で囁かれている≪我儘王子≫の噂は、半分事実で半分は嘘なのでしょう。殿下は馬鹿ですが無能じゃない。ならば私を……食事をするのも手間取ってしまうこんな女を側に置いた理由だって、絶対にあるはずなんです」
コーティはナイフとフォークすら同時に使えない。この右手ではテーブルナイフの持ち手が滑ってしまうから握れないのだ。どれだけ頑張ったって、カチャカチャ音を立てて、どちらかを置いたり持ち上げたりの繰り返し。
彼がコーティを傍に置いた理由。そこに何か考えがあることに、ロザリーヌとて気付いていたのだろう。どこか神妙な面持ちで、彼女は誰もが考えるであろう言い訳を挙げた。
「あなたが彼の命を救ったから側に置いた、とは考えないの?」
「殿下がそんなお方でしょうか。確かに褒章くらいは出す方かもれませんが、その程度で側に近づける人だとは思えないのです」
令嬢はゆっくりと姿勢を崩す。片肘をテーブルについて、右手のフォークでムニエルをつつく。褒められた姿勢ではないけれど、ここには才女主従とコーティしかいない。窘める者はどこにもいなかった。
「彼のこと、よく見てるわね。うんうん、それで?」
「殿下の行動は、突き詰めればちゃんと理にかなっているはずだと感じています。……だからこそ、私を近くに置いたことだけが腑に落ちない」
「と、言うと?」
「だってそうでしょう? 私は教会の女。その中でも元戦闘員という、面倒な立場にいるのですから」
更に付け加えるとしたら、≪白猫≫のこと。
例えコーティが復讐を遂げる時まで隠し通したとしても、≪白猫≫に手を出した時点で絶対に問題になるであろう蛮行。国に波風立てないという意味で、本来であれば、ルイスにとって絶対に止めなくてはいけない暴挙であるはず。
それが分かっていたからこそ、コーティだって半ば脅してでも王子に取り入ろうとするくらいなのである。
だというのに、肝心の彼がおかしい。協力してやろうと言ったり、対抗するための武器を作ろうとしたり。コーティとしては戸惑うしかない。完全に弄ばれている気分だ。
実際、王子の側に控えた数日間、コーティは完全に翻弄されていた。彼にしてみれば、いい遊び道具を見つけたに過ぎないのではと勘ぐってしまうのだ。
「おかげで同期の人たちから毎日質問責めですし。夕ご飯もゆっくり食べられないし……」
もしもこの考えが正しいのだとしたら、コーティは一刻も早く彼の弱みを握り返すべきだ。王子の気まぐれに対抗する術を持っていく必要がある。
「大体、なんですか≪我儘王子≫って。我儘でいること自体が我儘みたいなものじゃないですか」
そこまで続けてはたと気付く。なんか愚痴っぽくなってる? うんうんと頷くロザリーヌの表情がいつの間にか楽しそうだ。彼女の従者も、それは見事なニコニコ顔である。
「この何日かで、あなたがとても苦労していることが伝わって来たわ」
「……すみません。こんなこと言うつもりじゃなくて。本当はただ、殿下のこと聞きたかったんです」
「ふふっ。流石にああも跳ねっかえりじゃ困っちゃうものね」
「はい……」
困る。その言葉がすとんと腑に落ちた。
なるほど、どうやら自分は困っていたらしい。
ただでさえ人付き合いの苦手なコーティが近づいた、常識はずれの王子。その一挙手一投足に振り回されても当然なのかもしれない。そんな中、コーティが必死に頭を使って無理やりつけた道筋が、どうやら彼の弱みを握るという形で現れたようだった。
「抱え込まずに伝えてくれてありがとう。そうね、あなたはやっぱり、混乱しているみたい」
「……それはロザリーヌ様が聞き上手だからです」
「いいえ、コーティが話そうと思ってくれたからよ」
うんうん、とか、それで、とか。相槌こそ打っていたとはいえ、彼女は話の腰を折ることをしなかった。だから口下手なコーティもなんだかんだ口を滑らせてしまったのだ。
「……昔、変な人がいてね。私と同い年だったんだけど、抱え込むだけ抱え込んでから大暴れする人だったから、もう大変。散々私たちを振り回した挙句にしっぽ巻いて逃げちゃったのよ」
「お嬢、未だにそのとばっちり食ってますからね」
「ロザリーヌ様をそこまで困らせる方がいらっしゃったのですね」
そう返したコーティの向かいで、ついと目を伏せて「お陰でこっちはずっと尻ぬぐいよ」と苦笑してから。令嬢は手を口の前で組んで、少しばかり身を乗り出した。
「それに比べたらあなたはとても素直で素敵だわ。言葉にして伝えること、それは本当に大切だから」
次の瞬間、その目がすっと細まった。
「ねえコーティ。今の話、殿下には言葉にして伝えたかしら?」
「……いえ」
「直接聞いてみたらいかが? 彼があなたに何を求めているのか。どうしてあなたを側仕えにしたのか。多分、私が推測でものを言うより、ずっといいわ。別に殿下だってあなたを取って食べたりはしない、そこまで肝の据わったお方ではないから」
「……ですが」
ルイスに真正面から聞く? そんなこと考えたこともなかった。
だってそうじゃないか。「あなたの弱みを教えてください」だなんて、面と向かって問いかけるのは馬鹿のすることだ。下手したらこちらがまた襤褸を出してしまいそう。
「そのまま聞くのは不安?」
「それは、そうです……」
「俺、コーティちゃんの気持ち分かりますよ。どこまでも真っすぐなのはお嬢の美点ですけど、だからと言って誰もができる真似じゃありませんから」
「……そうね、つい私だったらと考えてしまったわ。反省しなくては」
ロザリーヌは眉を下げた。苦笑を漏らしながら、食後の紅茶にミルクを溶かす。
「ねえ、コーティ。これは私の感覚だから、あまり参考にはならないかもしれないのだけれど」
「はい」
「あなたとルイス殿下はある面で似ているように思えるわ」
カップを口元まで持ってきて、けれど目だけはしっかりとコーティを見て、才女はそんなことを言う。
「え」
「あ、ちょっと。そんなに嫌そうな顔しないで頂戴な。別におかしな意味で言っているつもりはないのよ。そうね、何と言うのか……」
そこで思案するようにロザリーヌは目を閉じた。
「……怖がっている、かしら?」
「怖がる? 何を?」
「ごめんなさい、この表現が正しいのか分からないわ。けれど、あなたも殿下も、何かを怖がって、怯えている。そんな気がするの」
コーティが怖いもの。なんだろう。
最初に思い当たったのは、≪白猫≫への復讐が失敗してしまうこと。でもそれは、怖いとは少し違う。自分は奴を刺し違えてでも殺すつもりだから、怖いという感情にはなり得ない。次点でルイス王子。コーティの計画を壊す鍵を握っているから。
うーん、やっぱりよく分からない。頭を悩ませた侍女は、ロザリーヌの「つまり、ね」という響きで引き戻される。
「きっと、腹の内を見せて話し合えばうまくいくと思うの。あなたたちはよく似ている。だからお互いを伝え合って理解し合えたなら、きっとその混乱もおさまると思う」
「はあ……」
こちらの腑に落ちない様子が分かったのだろう。才女はクスクス笑った。
「ねえ、コーティはそこまで殿下に嫌悪感を抱いていないんじゃないかしら」
「……!」
「それはきっと、あなたと殿下に共通点があるからだと、そう思うの。……滅茶苦茶なことをしているはずのに、どこかで何故か共感してしまう、あなたにとって殿下はそんな人、違う?」
なんで。なんでこの人、そこまで分かるんだろう。
言葉にできていなかったモヤモヤ。まるで絡まった紐のようにごちゃごちゃしていたそれが、彼女の言葉で解かれていくのを感じた。
ルイスに対しての嫌悪感。それを抱いたのは服を脱がされた初対面の時だけ。それも自分の腕に取り付けられた義手を見てからは、どれほど彼に振り回されようが、仕方ないなあと許す自分がいる。
なんだか混乱は深まるばかりだけど。
王子との直談判。信用くらいはできる上司の言葉は、あくまで最終手段として一応頭の片隅に入れておこう、そう決めれば気持ちが楽になって、コーティは紅茶を飲み干した。
なお、会食の建前である料理に関しては。
「どうだった?」
「白身魚のパイとスープがおいしかったです。でもゼリー寄せは論外」
「おおむねコーティと同意見ね。ゼリー寄せにしてやられたことも含めて」
「俺は全部うまかったと思いますよ。ゼリー寄せ以外」
三人の意見は見事に一致したのであった。




