彼のことが、掴めない その2
走る、走る。
道は適当に選んだ。
右手に城の壁を見ながら、塔をいくつか通り越し、噴水を横目に、執務棟の間の小道を経由して。東側から北門へ。西から南門へ向かって。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
正直、今のコーティは戦士の風上にも置けやしない。ベッドに臥せっていた三月の間に衰えた体力は相当なものだ。こんな体では≪白猫≫と張り合うなど、夢のまた夢。
怪我をする前の感覚で走ったら、一瞬で息が切れた。
呼吸を乱さないように、上体を揺らさないように。ちょっときついかな、と思える速度で。以前こなしていた訓練からは想像もつかないほどに、景色の進む速度が遅かった。
体が鈍ったとはいえ、技術はそれなりに器用と言える段階にあるだろう。魔法にも自信はある。この間の模擬戦を見るに瞬発力だって大きくは問題ない。
だけど体力。これが致命的。
元々持久戦が苦手だから、基本的に搦め手による勢いで押し切る。それがコーティの得意とする戦術である。
だけどもちろん、それでまかり通る状況だけを選べる訳がないことは分かっていた。この間の襲撃がいい例だ。特にコーティは立場上、これから単独で動くことが多くなることだろうし。
だからとにかく、走る。昔は港町の聖堂の周りをぐるぐると。今は城の壁に沿ってぐるぐると。
一に体力、二に体力。昼間にマティアスが気を利かせてくれて、左手での剣の扱いを教えてくれているのだから、それについていけるだけの底力を。
そんなことを考えていたら、ちょっと負荷をかけすぎたみたい。一気に上がった息をぜえぜえ切らしながら、ふと足を止めた。
城の端の更に端。いくつかの若木が折り重なるように植えられているその場所から、ちらりと青い花が見えたような気がしたのだ。城の構造は一通り頭に入れているはずのコーティだったが、けれどその場所に何かあった覚えがない。
なんだろうと、ちょっとした興味が湧いた。石畳の敷かれていない、土の小道へと踏み出す。
妙な場所だった。
一般的に城というものは、必ずどこからか視線を通せるように設計されている。警備の問題で、覆い隠されることを嫌うのが常だ。この王城カルネリアもその常識から外れることはなく、屋外は大抵開けた庭になっている。
それなのに、壁際のここだけはひっそりと木々に紛れて隠れているようだ。それこそ何かを隠しているのではと勘ぐってしまう程に。
「……」
足を向けて、思わず感心する。視線を遮る若木たちは、どうやらそこまで厚い層を作っている訳でもないらしい。その上で向こう側が伺えないのは、すなわち意図的に木々を植えている証拠のように思える。
曲がりくねった道をほんの少しだけ歩むと、それでもう、視界が開けた。
「あ……」
その先の景色に、コーティは息を飲んだ。
「綺麗……」
木々に囲まれたその場所は、花の王国。青と白が、城の一角を我が物顔で占拠して咲き乱れていた。そこここにぴょこんと飛び出ている石碑の周りを彩るように、一面に広がる花畑だ。
きれい、だなんて。分かり切ったそんな感想しか出てこない自分に苦笑い。もうちょっとこう、なんかないのだろうか。口下手なりにもう一度、感動を表すちゃんとした言葉を探してみたものの、やっぱり見つからない。
これ以上つまらない言葉で静寂を乱さないよう、口を閉じて歩き出す。小道は奥までちゃんと続いていて、コーティはそれをたどって進むことができた。
まるで花の迷路みたい。くねくねと入り組んでいて、この庭を造った人はきっといたずら好きなんだろうなと、そう思わせる道筋。幾重も分かれた分岐点、それぞれの先に墓石を見ながら。花々の間をかき分けて、突き当りにある一番大きな石碑に、侍女は自然と足を向ける。
つるりとした、平べったい石碑。近づいて、目の前に立って、表面の文字を口に出して読んでみた。
「戦没者慰霊碑……」
刻まれているのは三年前の春の日付。奇しくも建国記念日と同日に巻き起こった戦乱。そして、コーティのすべてが崩された日。≪傾国戦争≫の日だ。
他の墓と比べれば真新しいとすら言えるその墓標に、コーティは思わず息を潜める。
曲りなりにも戦争だった。
多くの人が死んだ。あの日、コーティだって騎士を殺したし、同年代の僚友が何人も殺された。教会の大人たちはもっと死んだ。
そして、コーティの教官も、帰らぬ人となった。
仕方のないことだった。それは戦争で、犠牲は承知の上だった。迷いを抱けば死に、敵を殺せた者だけが生き残った。
自然とひざまずいて、コーティは目を閉じる。
三年、たった三年。当時十三歳だったコーティは十六になったけれど、あの頃から何もかもが変わったように見えて、その実何も変わっていない。
この胸の痛みも、不安定な日々も、崩れた理想も。
そして復讐への決意も。
「どうか、龍神様の思し召しがありますように……」
別に知り合いがここに眠っている訳じゃない。教官だって、そのご遺体は丁重に運ばれて、南の聖堂の裏手にある墓地に埋葬されている。それでも祈らずにはいられなかった。
今朝部屋で捧げた祈りよりも、ずっと心を込めて。手を組んで、静かに。
「……」
どれくらいそうしていたんだろう。ふと、コーティは足音を聞いた。
「ああ、ごめんなさい。お邪魔してしまいましたね」
「いえ……」
立ち上がって、声のした方を振り向く。そこには一人の女性が立っていた。
整えられた侍女服、きちんとまとめられた髪。積み重ねられた経験こそが醸し出す落ち着いた雰囲気は、年嵩の侍女のもの。
そうだ、いつだったか巻き込まれて顔を出した会議の場で見た記憶がある。名前を思い出そうとするコーティの前で、そんな彼女から不思議な一言が飛び出した。
「ありがとうございます」
「え?」
「とても熱心に祈っていただいたようですから。ここに眠る方々も、報われることでしょう」
「いえ、そんな……」
皺混じりの顔に、微笑みを纏わせた彼女。何と返していいか分からず、コーティは立ち上がって腰を折った。
「コルティナ・フェンダートと申します」
「そう、あなたが……」
何かに納得したような彼女。優美に頭を下げたその所作は、コーティなんか比にならないくらい様になっている。
「ヴァリー・アントと申します。今は、エレオノーラ王女殿下の側に仕えさせていただいている者です」
「あっ、もしかして……」
聞き覚えがあった。王女付きの侍女、ヴァリー。その人は確か。
「侍女頭様……?」
「一応、そのような役職も賜っていますね」
まさかの侍女の中の侍女だった。
そういえば新米なのに、コーティは侍女頭様に挨拶したことがない。一応立場上、ロザリーヌが上についているからではあるが、流石に何もしないのはまずかったかもしれないと、今になって思い当たった。
「申し訳ございません。ご挨拶も遅れてしまい……」
「……え? ああ、気にすることはありませんよ。主ともども、ロザリーヌ様から事情は伺っていますから」
ほんの少し呆気にとられた侍女頭は、すぐに笑顔を見せた。
「こちらこそ遅くなりましたが、ルイス殿下をお救いいただいたことに、改めて感謝を。ルイス殿下は、我が主にとっても大切なお方。そんな方が傷つくことなかったのは、偏にあなたのお陰です」
「いえそんな、私は何も……」
襲撃に介入したことに礼を言われてしまうと、なんだかおさまりが悪い。コーティは自分の目的のために状況を利用しただけなのに。
もぞもぞしながら、コーティは話を逸らすことにした。
「あの、ヴァリー様もお祈りに?」
わざわざ墓地に足を運ぶのだから、祈りに来たのではなかろうか。そんな短絡的な考えに、侍女頭は頷く。
「ええ。毎朝の日課なんです。この石碑と、かつての主の墓参り。……後はこれですね」
ヴァリーは持ってきたじょうろを掲げて見せた。もう片手に握ったバケツには水がなみなみと張ってある。意外と力があるんだなあなんてことを思ってしまったが、じょうろと言うことは、もしかして……。
「この花畑、まさかヴァリー様が?」
「ええ。最初はちょっとだけ植えるつもりだったんですけれど、いつの間にか凝ってしまいまして」
「……」
それって、侍女頭の仕事だったっけ? 庭園づくりなら庭師がいるのに、ここだけはどうやらヴァリーが作り上げたらしい。
「グロメラータと呼ばれる花です。カンパニュラの中でも背があまり高くならないのが特徴ですね」
「グロメラータ……」
「ここには二色を。良い時期です。青と白、もうすぐ満開ですよ」
慰霊碑の近くにあった薄青の花に、そっと手で触れてみた。
感謝の花言葉を持つ青は、魔法の放つ薄青色によく似ている。ふと思い立って、水をやり始めたヴァリーにコーティは聞いてみた。
「あの、ヴァリー様」
「なんでしょう?」
「……明日から、私にも手伝わせていただいてもいいですか?」
なんでそんなこと言ったんだろう。自分に戸惑いを覚えながらも、自然と零れる言葉を止める必要もないかと、コーティは続けた。
「私、これから毎日始業前に城の外周を走るつもりなんです。だからその、お許しいただけるなら、ですけど……」
言いながら気付いた。わざわざ侍女頭その人が育てる庭だ。それなりの思い入れがあるだろう場所に、不躾だっただろうか。でも、侍女頭は笑って答えてくれた。
「ええ、もちろんです。私も趣味でやっているようなものですから、気が向いた時に来ていただけたなら、きっとここに眠る皆様も喜んでくれることでしょう」
ほっとして、コーティは息を吐いた。やった、早速戻って道具を探そう。ありがとうございます、と答えるその声は、普段よりも少しだけ大きく響いた。
※次回は1/24(月)の更新になります。




