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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第二章 新米侍女は掴めない
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彼のことが、掴めない その1

挿絵(By みてみん)



「教官!」

「なんだ、≪百十四番≫」


 そうだった。あの頃の私は、まだ番号で呼ばれていた。

 当時十三歳だった≪百十四番≫――コルティナ・フェンダートという名すらなくした小娘は、目を輝かせて言ったものだ。


「とうとうですね! ついに……ついにこの日が!」

「いいか≪百十四番≫、貴様の目の早さが戦局を左右することもある。心して励めよ」

「はいっ! 教官直々に教えていただいたのですから!」

「お前の隊は≪二十三番≫が指揮を執る。……できる男だ、指示には従え」


 自分が着ているのは、普段の白い修道着とは全くの別物。いかにも王都の住人、それもあまり金のなさそうな人間が来ていそうな簡素な普段着。

 子供がつけるにしては明らかにゴツすぎるベルト。それはともかくとしても、その腰元に括り付けられた箱は一見した程度では武器に思われる心配などないだろう。

 けれど、ひとたび錘が手から放たれたなら。そこから伸びる糸を駆使して超人的な機動を取ることができるし、敵の不意を突けば武器だって奪うことができる。特に敬愛する教官が使ったならば、それはもう戦神のごとき戦果をもたらすのだ。

 ≪鋼糸弦(ドラート)≫という名のその武器を扱える人間は、教会内にもほとんどいない。だから手先の器用さを買われて、教官から直々にその使い方を教えてもらえたことは、私にとってこれ以上ない名誉。


 そしてやってきた、今日この日。龍神聖教会(ドラゴニア)の、そしてその英雄である教官の名が、この国中に轟く日だ。

 その一助となることが、果たして自分にとってどれほどの喜びか。自分は興奮してしまって、前の日の夜寝付けなかったほどだ。


「……決して油断はするな。騎士に貴様の剣術は通用しないと思え。魔法と≪鋼糸弦(ドラート)≫で攻めろ」

「分かっています。私はまだ三桁番台。腕を過信などしません」

「見た目を活かせ。貴様は普段着の子供、いざとなったら剣を捨てて見せればいい。それで敵は油断する。不意を突くための目は持っているはずだ」


 今にして思えば。

 たった十三歳の子供にすら剣を持たせる。それこそ、教会の戦力が困窮していたことの表れだったのだろう。

 足りぬ力を埋めるために子供を使い、そして難民すらも作り出す。利用できるものを全て使ってでも、悪しき王を討ち取らねばならないと突き進んだ。それが当時の実情。

 それがまともな大人のやることであるなどとは口が裂けても言えない。それは後になってから思えるようになった訳で。


 当時の自分は、その栄光を無邪気に信じていた。

 龍神様の代弁者で在らせられる枢機卿閣下。そのご意思の元で力を振るう。心配なんていらない。きっと上手くいく、龍神聖教会(ドラゴニア)のあるべき未来を切り開く剣になれる。


 なんて誇らしいんだろう、と。見ていてください龍神様、と。必ずや役目を果たしてみせます、と。

 あの時の私は、本気でそう思っていた。


 ただまあ、人間生きていれば我儘の一つも覚えるもので……。


 コーティは、自分よりずっと背の高い教官の顔を、ちらと見上げた。直視するには眩しすぎる憧れの存在だ、じっくり目を合わせることなんてできやしないし、そのお顔を見られただけで十分。


「あ、あの、教官……」

「なんだ」


 抑揚のない声で、必要最低限の助言。いつだって誰にだって興味はなさそうな彼だけれど。それでもちゃんと自分の質問には答えてくれる。それが嬉しくてコーティは聞いてみた。


「次の作戦には、私も教官の部隊に連れて行っていただけますか?」

「……それは貴様の戦果次第だ」


 コーティは、ただ枢機卿閣下の刃になるだけでは物足りないのだ。精鋭の一人として、教官の傍に立ちたい。彼の背中を守れるくらいに強くなって、彼と肩を並べて戦えたならば、夢にまた一歩近づける。そんな気がしてしまう。


 本当の、本当は。いつの日か、自分は教官のことを、こう呼んでみたいから。

 お父さん、と。


 なんて恥ずかしいんだろう。ちょっと考えるだけでくねくねしてしまいそう。自分と彼に、血の繋がりなんか欠片もない、正真正銘の教官だというのに。そんな人を、お父さん、だなんて。


 でも、もしも。コーティがそれはもう、ものすごく頑張ったとして。

 よくやったと褒めてもらえたなら。頭なんか撫でてもらえた日には……。


「……」


 チビのコーティの、誰にも言えない密かな夢である。この間の礼拝だって教官の姿を見つけてしまって、枢機卿閣下のお言葉を聞き逃してしまった、ダメなコーティの切なる願いである。


「お前には期待している、≪百十四番≫」


 だから彼からそんなことを言われてしまったら、ほんの少し口元を緩ませてくれるところを見てしまったら、自分は舞い上がってしまうのだ。とても無邪気に、顔を綻ばせてしまうのだ。


「ありがとうございます! ≪十三番(ディクトリ)≫様っ!」


 それが、教官と交わした最後の言葉。

 それが、自分が洗脳を受けていたと知る、少し前のお話。


     *


 ありもしない右腕がずきりと疼いて、コーティ・フェンダートは目を開けた。


「っつ……」


 夢の残滓は掻き消えて、カーテンの隙間から差し込む光から、朝も随分早いことを悟る。二度と見ることのない右手の指先に走った押し潰されたような痛みは消えず、眉根を寄せて耐えた。

 この現象、幻肢痛というらしい。体の一部を失ったことに頭が追いつかず、存在しない腕が痛む現象。腕や足を失った怪我人にはままあることだと、お医者の先生も言っていた。こういう症例があるからこそ、人は頭でものを考える生き物だということが分かったのだとも。


 今日も今日とて仕事が始まる。ルイス王子のお付きの仕事だ。

 午前に一回、午後一回。それぞれ予定されている会議に、彼は果たしてちゃんと出るのだろうか。また何かしら理由をつけてサボってしまうのかもしれない。


 ずきり、ずきり。うっとおしいことこの上ない。


 バネ仕掛けのからくりのように、えいやと起き上がった。どうせ出血もしていないし、命に関わる怪我をしている訳でもない。日によっては動けなくなるくらいに痛いけれど、今日はそれほど酷くない。どうせコーティの頭が残念なだけなのだから、後遺症は後遺症と割り切って、さっさと起きてしまえ。


「……」


 簡単に朝のお祈りを済ませて、コーティは戸棚を開けた。

 一人で侍女服は着られないし、髪もおさげにはできない。だが、侍女コーティ・フェンダートではなく、復讐者コーティ・フェンダートとしてなら、どんな格好でも問題ない。手早く着替えている間に幻肢痛もおさまっていた。


 数少ない私服の中から動きやすい一着を選んで身に着ける。髪を片手で結ぶ方法があるなんてついこの間まで知らなかったコーティだが、壁やら髪やらに苦戦しつつ簡易的にまとめる術を覚えた。義手は一人でもつけやすいようにと、ベルトの穴が前にある。作ってくれたルイスに感謝だ。


「まずは、この鈍り切った体を何とかしなくては」


 まだ毛布に包まっているライラを起こさぬよう、彼女はそうっと部屋の外へ出た。

 時間の許す限り、王城の外周を走ってこよう。体力がないと、何をするにもひ弱な肉体が追いついてきてくれないから。


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