二本の指では、掴めない その7
骨組みの目立つ本城から見て、南西側。西棟の向かいには小さな練兵場が広がっている。
どちらかと言えば、激しい訓練を行うというより式典用に整えられた場所らしい。もちろん一通りの訓練設備は揃っているものの、騎士団が行う大規模な演習には狭すぎるのだとか。従来の訓練は、王都郊外の大演習場を使うそうだ。
つまり、見栄えのために敷地を割いている訳で、なんとももったいないものだとコーティは思ってしまうのだが。
そんなだだっ広い場所に、コーティは所在なさげにぽつんと突っ立っていた。
右手に義手を括り付け、左手には訓練用のナイフを握る。これまで魔法主体に扱ってきたコーティだから左手の剣術に覚えがない訳ではないが、それでも何だか違和感が強い。
その前には一人の騎士の姿が見える。騎士の中でも精鋭だけを選りすぐった近衛隊。その隊長マティアスである。
コーティは侍女のお仕着せ、彼は騎士団の略装のままだ。そして二人の共通点をあげるとしたら、どちらも同じくらい戸惑っていること。
「本当に、この子と戦えと?」
「なんだよマティアス、察しが悪いな」
「察し以前の問題ですが」
「言っておくが、彼女は五人もの刺客から俺を守り抜いた腕利き、遠慮の必要はないぞ?」
「もちろん存じていますが、そうではなく……」
守り抜いた、とか言わないでほしい。正確には腕を吹っ飛ばされた上に王子に庇われた、である。なんという大失態。
マティアスは腰の左右にそれぞれ一振りずつの騎士剣を携えていた。もちろん刃引きした訓練用の剣である。護衛の仕事上普段から剣を身に着けている彼のこと、外見の印象は特に変わらない。そういえば、彼は世にも珍しい二刀流の剣士だったか。
「よーしはじめだ! いいぞーやれやれー!」
「はあ……」
向こうで無責任な掛け声を上げている王子を見て、コーティはため息を吐いた。昨日の今日でこれである。まったくもう、勘弁してほしい。
「すみません、マティアス様。こんなことにつき合わせてしまって……」
「謝ることはないだろう、君はむしろ巻き込まれた側だ」
コーティの動きを見たい、というのは確かに王子の本音だろう。
対≪白猫≫用の義手とやら。その設計に改良を加えるなら早い方がいい。そのためにコーティの癖が知りたい。彼の言うことに、一応の筋は通っているのだ。
でも一方で、会議がサボれたら何でもよかったというのもまた、彼の本音だろう。
相手役に少しばかり申し訳なくなって、コーティは苦笑を見せてみた。
「でも、少し楽しみです。騎士団でも五本の指に入ると言われている閣下にお手合わせいただけるのですから」
「ああ……。やっぱり変な噂は知っているのか」
更に憂鬱そうな顔をしたマティアスが、手慰みのように剣の柄を撫でた。
「……もしかして、そう言われるのお嫌いなのですか?」
「元が屋台骨の揺らいでいる国、誰かが英雄を求めただけだろう。それより、短剣で良いのかね? 剣も貸すことはできるが……」
申し出はありがたいが、筋力の衰えてしまった左手では短い片手剣ですら振るうのは一苦労だ。肩をすくめてみせたら、マティアスもあっけらかんと笑った。
彼は右手で剣を抜く。左の剣は鞘に収まったままだから、有名な双剣術を見せてくれるつもりはなさそうだけど、きっとそれも気遣いなのだろう。それくらいの方がコーティも気楽だ。
せっかくの機会だ。病み上がりの鈍った体でどこまで動けるか試してみよう。
「なにしてんだー、つっこめー!」
外野がやかましかった。初めて手合わせする相手にいきなり突撃する馬鹿がどこにいる。「うるさいです、≪我儘王子≫」と口の中で呟きながら、コーティは軽くステップを踏んだ。様子見で突き出された剣先を躱す。
「あー、これは……」
一歩、二歩。地面を踏みしめて、コーティは痛感する。関節が硬い、とんでもなく硬い。体力も落ちているし、いきなりの機動に体が驚いている。これは早めに終わらせないと、後の仕事に響きそうだ。
一振り、二振り。彼もこちらの動きを図りかねているのだろう。当てることよりすぐに引き戻せることを重視した牽制。ちらりと見定めた視界の先でマティアスが重心を落としたので、コーティも短く声を発した。
「では、いきますっ!」
動きを変え、突き出された刃を短剣でさばく。そのまま一旦屈んでから、コーティは一気に飛び込んだ。刃引きした剣とナイフが擦れる音と共に、義手の金属板を鈍器代わりにして、騎士の腹を狙う。
マティアスは欠片も慌てやしなかった。すかさず剣を引き戻し、義手の一撃を受け止める。
「なるほど、そう来るか」
「……次です!」
「おわっ! 馬鹿たれ!」
互いに目を見て唸った瞬間、後ろからなんか変な声が聞こえた気がした。ここで王子が叫ぶのは意味が分からないが、注意はもう相手にのみ向いていた。
緩いおさげをふわりと靡かせながら、もう一度左手の刃を突き出す。別に致命傷など狙うつもりはない、腕を傷つけ、手から血を流させ消耗させる、それが短剣術の基本だ。狙い通り、騎士の腕に向かうコーティの剣先。紙一重で躱しつつ、騎士はロングソードをかざした。刃と刃がぶつかって、再び火花が飛び散る。
「ハッ!」
「やッ!」
略装の裾を靡かせながら、騎士が軽い足払い。飛び上がって回避しながら、コーティは義手に仕込んである魔導瓶にそっと語り掛けてやる。
出力、そこまで必要なし。指向性、つける必要なし。
義手の先端に魔法陣を描き出し、コーティは軽く力を込めた。
「さあ、今!」
魔法とは、水を瞬時に気化させるもの。同時に損失として光と熱を発するのがお決まりだ。
ポンっ、と小気味いい音。少量の水を気体へと変える。静かに囁きかけて、あえて効率を極限まで悪くしてあげたなら、ほら。
途端に、コーティの魔法がまばゆい光を発した。
「うおあっ!?」
だからなんで見物人の王子が叫ぶのか。マティアスは左手で目をかばいながらも何も言わず、迷いなく牽制と後退を図ろうとしているのに。
今が好機と言わんばかりに、コーティは地を蹴った。もう一度、左手のナイフをまっすぐに突き出す。
「……随分と繊細な魔法だな、コーティ君!」
目を細めるマティアスだったが、そう呟いた瞬間、動きが変わった。彼のしなやかな左手が、腰元の柄へと動く。もう一振りの剣も抜く気だ。
「……ッ!」
進路変更。勘が叫ぶ。回避、距離を取れ。
コーティは慌てて自分の右足に集中。すかさず魔法陣を地面に展開し、その猛烈な圧力を使って跳ね上がる。
大の男の身長を超す高さ。そこまで跳ねたコーティの足元を、二振りの斬撃が通り過ぎる。歯を食いしばったコーティと、驚いたように目を開いたマティアス。「おおっ!?」と叫ぶのは外野の王子だけ。
着地点に待ち構えるのは騎士の双剣。けれど侍女だってその程度は読んでいるのだ。
あえて体を丸めつつ体の前後に薄い魔防壁。刃と防壁が擦れる音。必中の突きを防壁で受け流せば、そう、これでコーティは懐に飛び込んだことになる。ナイフと長剣の、間合いの差が埋まった瞬間だった。
「よく動く……!」
「うやッ!」
左手のナイフを叩き込む。騎士が巧みに剣を傾け、力を受け流される。二手、三手、いずれも受け止められたコーティは、あえて反撃のロングソードを受け止め損なうフリをして、ナイフを後方に落ちるように手離した。
元々、正攻法で押し切ろうなんて考えてはいない。自分の位置、落ちたナイフの位置、見極めてからが勝負。
気合で義手を一閃。わずかに体を逸らせた騎士に入れた蹴り。これも避けられる。ふわりとスカートをなびかせつつ、今度は魔法、衝撃波。コーティの怒涛の踏み込みに、けれど騎士は引かずに剣を掲げた。
「これならどうかね!」
「っ!」
迫る刃に、侍女はすかさず回避を選択。右へ、左へ、軽やかなステップを踏む。
今度はマティアスが連撃に繋げてきた。上段、上段、突き。袈裟懸けの次は下段。侍女服を靡かせて、下がる、下がる。三歩後退、足元をちらりと見て。追撃する騎士に視線を戻し。
「えいやッ!」
一気に身をかがめて、頭上に騎士の剣が巻き起こす風圧を感じながら。
左足で先程手放したナイフを蹴り上げる。体の脇で跳ね上がって回転する訓練用ナイフ。胸の高さまで来たところで、コーティは柄のすぐ後方に衝撃波の魔法を叩き込んでやった。
「なんとっ!」
マティアスの感嘆の声。
特大の矢じりと化した刃が、騎士に向かって突っ込んでいく。咄嗟に右の剣で受け流したマティアスだが、同時に突き出された義手に目を見開いた。
間髪入れない同時攻撃。これこそが、コーティの得意とする間合い。
……そのはずだったのだが。
「わっ!」
「いやはや、驚いた!」
ナイフが離れたところに弾き飛ばされる音。長剣を地面に落とす音。とっさに柄を手放したマティアスの左手が、目の前に迫るコーティの義手の手首を掴んでいた。慌てて手を引き戻そうとしても、既に後の祭り。長身の彼にそのままグイっと引っ張られたら、コーティがどれだけ踏ん張ったところでどうにもならない。
せめて脇腹に蹴りをお見舞いしてやろうと思ったものの、その前に首元にぴたりと剣を突き付けられてしまった。
勝負あり。それを理解した侍女の口から、思わず悔し気な息が漏れた。
「……参りました、マティアス様」
「いや」
こうなってしまえば仕方ない。至近距離で呟くと、マティアスがそっと義手を手放してくれる。
「正直、想像以上だった。……まさか、君がこんなに動けるとは」
「……いいえ、今のを防がれたんです。もう手も足も出ませんよ」
足元に転がるロングソードを近衛隊長が拾い上げる。コーティのナイフはどこかと探せば、かなり離れた場所に飛んでいた。そうか、マティアスはわざわざこちらの届かない場所に弾き飛ばしたのか、とようやく理解が追いつき、侍女は完敗を悟った。
「なるほど、これなら刺客とやり合うこともできるな」
「あの、ほんとやめてください。うっかり腕吹っ飛ばしちゃったんで……」
ホッと気を抜いた侍女。肩を上下させながら、息を整える。
ほんの短い機動でも、衰えた体には中々の負担だった。荒い息を吐きながら、左手を握ったり開いたり。慣れない両肩が、ビリビリと痺れていた。
予想はしていたものの、たったこれだけの訓練でここまでへばってしまうとは、なんて情けない。やはり早急に体を鍛える必要がありそうだった。
そういえば、とコーティは思い出す。
訓練の間中、王子が奇声を上げていた気がする。一体どうしたのだろう。そう思って振り返る。ちょうど、ものすごい勢いで走ってくるルイスの姿がそこにあった。
「おまっ、お前!」
「殿下、気は済みましたか?」
「な、なんて使い方してんだ!」
「はい?」
へたり込むコーティに、走ったせいで息を切らしたルイス。模擬戦相手のマティアスだけがケロリとしているせいで、端から見たら侍女と王子との模擬戦後のように勘違いされそうだな、なんてことを考えてしまう。
ずんずん迫る彼は、額に汗を浮かべながらコーティの目の前で仁王立ち。
「見せろ、その義手」
「別に壊してませんよ?」
「そういう問題じゃねえ……」
半ばひったくるようにコーティの右腕を手に取ったルイス。意外に力強い彼の腕に引っ張られ、侍女はたたらを踏む。
突然やめてほしい、その義手はコーティの体に繋がっていると分かっているのだろうか。訓練でも何でもないときにいきなり引っ張られると驚く。
「ちょっと歪めば動かなくなるんだぞこれ!」
「はあ、そうなんですか?」
「当たり前だろ。これがどれだけ精密な機構してると思ってるんだよ……」
そこで気付く。なるほど、彼が焦っている理由が分かった。
そういえば以前、歯車一つ取っても擦り合わせが必要だとか言っていたっけ。壊す前に良いことを聞いた。
義手を掴んでひっくり返したり、撫でまわしたり。どこもへこんでいなければ、傷ついてもいないことが分かったのだろう。可動域を一通り動かして、ルイスは引っ掛かりがないことを確認したようだった。
彼の気が済むまでぼんやりとしていたコーティは、しかし王子から向けられた非難混じりの視線に、静かに目を合わせた。
「お前、これ壊したら弁償だからな」
「……一応聞きますけれど、いくらなんですか」
「そもそも売ってるもんじゃないからな。俺の言い値だ」
ふむ、と頷いた後で。コーティはにっこりと微笑んでやった。
なるほど、百聞は一見にしかずとはまさにこのこと。模擬戦をやってよかった、大事なことに気づけたから。
「では、新しい義手はもっと頑丈なものにしてくださいね?」
コーティがそう言うと、剣を鞘に収めたマティアスが噴き出し、目の前の王子はあんぐりと口を開けていた。




