二本の指では、掴めない その6
翌朝。すなわち侍女生活二日目のこと。
「よーし、今日もかわいいかわいい!」と、髪を結んでもらったライラからのお墨付きを頂戴したコーティ。しかしそのわずか半刻後、彼女はルイスの執務室で眉間に見事な皺を浮かべていた。かわいいが台無しである。
「意味が分かりません」
「だからマティアスと模擬戦してくれって」
「いえ、だからそれが何故かと聞いて……」
「楽しそうじゃん」
今日の彼は、足を組んで立派な椅子にふんぞり返っていた。机の上が既にごちゃごちゃだけど、侍女というからにはこれも掃除しなくてはいけないんだろうか。
「ほらさ、昨日フォル爺に図面渡してくれたんだろ?」
「ええ。殿下にご指示いただいた通りに」
「ちなみにフォル爺、なんか言ってた?」
執務机を挟んで、コーティは直立不動を崩さず淡々と答える。
「何と戦う気だ、なんとも答えにくいことを」
「おーおー、そりゃあの図面じゃ速攻バレるよね。で、コーティはなんて答えたの?」
「……殿下の護衛も兼任することになるので、と。もう二度と、腕を失うヘマをしないための準備を。いえ、まさか≪白猫≫のことを伝える訳にもいきませんでしょう」
うんうん、と答えてから、背もたれにぐうっともたれるルイスは、なんとも色気のある流し目を寄越してきた。が、亜麻色の癖っ毛に酷い寝癖がついているので何とも締まらない。これもコーティが直した方がいいんだろうか。
「じゃあ分かるっしょ」
「説明する努力を放棄しないでください……」
昨日の図面のことと言い、彼に説明する気があるのか甚だ疑問だ。
「別に難しい話じゃないさ。単純にコーティの癖を見たいってだけ」
「癖、とは?」
今度はルイスの目が爛々と輝いていた。どこからか鍵を取り出した彼は、机の引き出しにそれを差し込む。ちらと見えたその中には、紙の束が山ほど。その中から一つを取り出して、机の上に広げた彼が言う。
「これさ、昨日フォル爺に渡してもらったやつは写しで、こっちが図面の原本なんだけど」
「はい」
「何してんだよ。こっち来いよ」
「……はい」
手招きされたので、執務机を回り込む。ルイスの斜め後ろに立って、ぼさぼさの亜麻色の頭の後ろから髪と紙を覗き込んだ。この寝癖、コーティは左手だけでどうにかできるだろうか。
「≪白猫≫に対抗するための装備を色々考えててな、その図面の一つだ。元々は騎士団の新装備として考えて、没にした代物を流用したもので」
「……?」
「魔導複合兵装。簡単に言うと、こいつを腕に上から被せれば、一個で剣盾その他もろもろ全部賄えますよ、っていう万能兵器。これを元にした義手を考えてるんだ。……ただ正直、こいつは使用者のことを考慮に入れていない。いい所取りをしようとして、全部中途半端になっちまって、残念賞。この武器を義手の基礎骨格にかぶせて、最低限の重心の釣り合い問題だけを解決したものってこと。まあ、コーティにも図面見てもらったから分かると思うけど」
昨日も思ったが、この王子は意味不明なからくりとか機械の仕組みをしゃべる時だけ妙に早口で饒舌だ。コーティは最初からチンプンカンプンだったりするのに。「私図面とかさっぱりなんで……」と遮ろうとした侍女の話なんか聞いちゃいない。
「こいつにコーティの動きの癖を取り入れたい。刃は長い方がいいのか、短くするのか。盾は大型の出力重視か、それとも取り回し重視の小型にするのか。他の兵装や、魔導瓶の取り付け位置はどうするのか」
「へえ」
「それを知るための模擬戦さ。ご理解いただけたら、早速準備してもらいたい。よろし?」
なるほど、と侍女は頷いた。承知した、これ以上なく承知した。左手で義手の手首を弄りながら、コーティは彼ににこりと笑いかけてやった。
「よろしいです。ではまず盾、動きは私の方で合わせるので、跳弾を狙える出力があれば十分です。ある程度取り回しやすくしてください。他の兵装ですが、一つ付けてほしいものがあるので、後程現物持ってきます。魔導瓶ですけど取付位置の希望としては……」
「あー待って待って!」
「はい?」
なんだ、理路整然と説明してやったのに。模擬戦なんてこの鈍った体でできるものかという意味も込めて、要望だけ伝えてやったら、なぜか王子がものすごく慌てだした。
「そういうの、ちゃんと自分の目で見ないでどうするの! 百聞は一見にしかずって言うでしょ!? 昔の偉人の言葉だよ!?」
はじめて見る、彼の切羽詰まった目。思わぬところで想定外の反応が見えてしまって、侍女は面食らってしまった。
「どうしてそんなに必死なんですか……?」
「予定入れないと俺また会議に引きずり出されるじゃねーか!」
「えー……」
とっても情けないこと言っているのに、胸を張らないでほしい。
がっくりと肩を落しながら、返答を考える。何と言うか、彼の弱みが見つけられるかも、とか一瞬でも思った自分が馬鹿だった。
これはもう、侍女として諫める場面だろう。それは分かるのだが、何といえば彼が会議に出てくれるのかさっぱり思いつかない。
模擬戦の大切さを論ずるルイスの言葉を聞き流していると、半開きにしてある入り口の扉がノックされた。
そう。昨日義手をつけているときは閉めていたはずの扉だが、今日は開かれているのである。どうやらやはり、年頃の男女二人が密室にいるのは良くないという話、あれは本当らしい。
来訪者に向かってコーティが返事をする前に、王子が先にどうぞーと答えてしまった。それはコーティの仕事だと言うのははっきり分かる。こちらの仕事を取らないでほしい。
部屋に入ってきたのは近衛隊長のマティアスであった。げんなりしているコーティの顔を見るなり、彼は首を傾げた。
「おはようございます殿下、それにコーティ君」
「おはようございます、マティアス様。……そちらの書類は?」
彼が小脇に抱えた書類。それなりの分厚さだ。
「ああ、今日の北方運用会議に使うものだな。殿下、もう少ししたら行きましょう」
「あ、俺それ出ないんでよろしく。代わりに練兵場の視察行くから」
マティアスが動きを止めたのも一瞬のこと、すぐに幾分か低い声が飛んできた。
「……そんな予定は聞いていませんが?」
「今入れた。コーティの実力見たいからさ、お前が相手になってやってくれよ」
信じられない、と言わんばかりに首を振った近衛隊長。少しして、彼は何とも気の抜けた声を上げた。
「それを今言いますか……。会議はもう始まりますが、一体どのような言い訳するつもりですか、皆様に」
「えーだってさあ、北の復興部隊の引き上げ承認はこないだ入れたじゃん。みんな親父の二の舞になりやしないかピリピリしてるんだから、俺がその後の軍事運用に必要以上に口出したらヤバい気しない?」
「……本当に、言い訳を考える才能だけは達者で。その興味をもう少し建設的に使えないものかと、忠臣として苦言を呈させていただきたいのですが」
優美な仕草で頭を抱えたマティアス。その気持ちは侍女にもよく分かる。何か言ってやれと騎士から視線が飛んできたので、コーティも同じ顔で首を横に振ってやったのだった。
※次回は1/17(月)の更新になります。




