かくして反撃の狼煙は上がる その7
死に損なったと、そう思っていた。
剣を振るう相手を見失い、魔法を撃つ先も分からなくなり、ただ立ち尽くすしかなかった近衛騎士隊。≪白猫≫襲撃に端を発した戦闘が収まればできることは何もなく、抵抗の仕方にすら迷う彼らは、揃って武装解除を受け入れるしかなかった。
それから、もうすぐ丸一晩が経つ。
彼らは剣も鎧も外され、両手を縛られた状態で、練兵場に集められていた。見上げる夜空はじきに仄かな明るさを見せ始める時間帯だったが、聳える城の建物は光の途絶えた黒々とした窓で彼らを威圧するばかり。練兵場を照らす明かりと言えば、あちこちで焚かれるかがり火と、監視する一般騎士の持つ魔導カンテラだけという有様だ。
それでも、その一つ一つの光ですら、今の近衛騎士たちにはあまりに眩しい。だから男たちは虚ろな目をして、逃げるように地面へと向けた視線を動かすこともできずに蹲っていた。
きっと状況が落ち着いたら、審判の時が来るのだろう。だから自分たちはもう何もせず、待っているだけでいい。
……そのはずだったのに。
「あなたですね、この鎧の持ち主」
「どうして……」
なのに、なぜ。
「どうして、侍女殿が……」
「あなた、伯爵家の分家のご子息様でいらしたんですね……。すごく偉い方ではないですか。何度か訓練でご一緒したのに、私全然知りませんでした」
地べたに蹲る近衛騎士オレットの目の前に差し出されたのは、真ん中がべっこりと大きくへこんだ胸鎧。そしてそれを持つ右手もまた金属製。時刻が明け方に移ろうかという頃、彼の前で鎧を抱えた侍女が、風におさげ髪を揺らしていた。
「お話を聞きに来ました。今、少々よろしいですか?」
「……話? 私の?」
コルティナ・フェンダート。
二本指改め、≪五本指≫の二つ名で呼ばれるようになった侍女。
オレットだってもちろん彼女のことは知っている。半年ほど前に城にやってきて、王子殿下の我儘に振り回された彼女は、近衛隊の訓練に混じって短剣を振るっていたのだ。かく言う彼も、手合わせしたのは一度や二度のことではない。
そして、彼女は復讐者としての側面も持ち合わせていた。
≪白猫≫襲撃を目論んでいたことが発覚したのは、彼女が王子の側近に登用された直後のこと。マティアス隊長が疑ってかかれば、どんな秘密だって一瞬で白日の元に晒される。
その上で彼女を泳がせたのは、その蛮行がもたらす王子失脚という結末が、彼を国の中枢から引き離したい近衛隊の思惑と一致したからに過ぎない。そうでなければ、殿下の側にこんな危険人物、誰が近づけさせるものか。
なのに、今はどうだ。
≪白猫≫を襲い、王子を貶めた専属侍女。そんな評価はたった一日でひっくり返された。
幽閉されていたルイス王子を≪六の塔≫から解放、防衛の近衛たちを突破し、≪白猫≫と互角に渡り合ってみせた侍女。交渉の場に乱入し、異国の女将官と唯一対等にやり合ってみせた娘。昨日の大番狂わせは、最初から最後まで彼女の存在なしに語れない。
なぜだ。行方不明になっていたのではないのか。二国間会談の場に乗り込んでくる理由も分からなければ、いつの間にか≪白猫≫と戦っている経緯も分からない。ただただ状況に翻弄されながら、オレットをはじめとした近衛騎士たちは、二人の娘の戦いと王子の仲裁を見つめるしかなかったのだ。
そして再び姿を見せた侍女は、オレットに潰れた胸鎧を差し出す。
後ろに立つのは、腕組みをしたルイス王子殿下その人。投降し捕縛された近衛に状況は分からなかったものの、いずれにせよ王子を国の中枢から逃がそうという目論見は失敗し、彼が実権を握り直した事実は明らかだった。
と、なれば。やはり自分たちは、内通の罪で罰せられるらしい。その証拠に、コーティは騎士が扱うロングソードを携えている。近衛隊の正式採用品でもあるその剣で、自分たちの首を落とすのかもしれない。
けれど彼女はまだ剣を抜かない。代わりに地面に膝をつき、オレットと目線の高さを合わせてみせる。そして糾弾するでもなく、詰るでもなく、こんな言葉を投げかけて来た。
「先程は、広間に向かう私たちを見逃してくれましたね。その理由をお聞きできれば、と思いまして」
「……は?」
「あなた方にとってルイス様は国の中央から遠ざけたい人で、私はそれを阻む敵。近衛隊の立場なら、どちらも止めるべき人間ではなかったのですか?」
まるで予想外の言葉に、声が出ない。それでも目を見開いたのは、質問に心当たりがあったからだった。
「お陰で私は≪白猫≫と戦うことができました。ルイス様は戦闘を止めることができました。感謝してもしきれないのですが、腑に落ちない部分もあって。あなたが道を開けてくれた、その理由を教えていただきたいのです」
「……」
確かに、侍女の言う通りだ。
先刻の滅茶苦茶な騒動の最中、オレットは王子を連れてエントランスを突き進むコーティの姿を認め、その上で見逃がした。
自分の中の葛藤に気付かれていた驚きと、一度は定めたはずの芯すらも全うできなかった覚束なさ、それらが入り混じってオレットを責め立てる。なんだか、子供の頃いたずら起こして咎められた時、あれに近い気分だった。
「それは……その……」
振り返ってみれば、あれは咄嗟の行動でしかなかった。だから後ろに並んで繋がれた僚友たちに、気付いている者はいないかもしれない。
近衛隊の面々が揃ってオレットに視線を向けている。酷く居心地が悪かったが、今更隠すような気分にはなれなかった。
仕方ないだろう。自分は国を裏切ったどころか、最後の最後で志を同じくする者にすら背を向けたのだ。僚友たちから恨まれようと、それもまた自分の侵した罪の一部。この場で懺悔する機会をくれたのならば、断れるはずがなかった。
「……自分でも、理由が分かりません」
コルティナ・フェンダートは教会の出身。
ひょっとしたら、懺悔を許す修道女というのは、今の彼女のような雰囲気を纏っているのかもしれなかった。
「ただ、直前に≪白猫≫から言われたのです」
「≪白猫≫?」
「はい。その鎧をへこませた、≪白猫≫にです。彼女は倒れた私に言いました。……『撃つ前に、周りを見てみて』と」
伝説の≪白猫≫が、何を思ってそう言ったのか、オレットにはすべてを察することができなかった。けれど、王子と侍女を撃たなかった、あの判断だけは間違えなかったのではないか。今もなお、そう思えてしまう自分がいる。
「……落ち着いて、周りを見ました。そうしたら、押し寄せる者たちが一か所を目指していることに気付いたんです。そして、その中心にはルイス殿下とあなたがいた」
コーティがそっと目を眇め、騎士の成れの果ては目元を歪める。
「我々の裏切りが、巡り巡って国を生き延びさせる。そう信じ突き進んだ我々ですが、本当は嫌に決まっていましょう。こんなものは断じて、私が憧れた誇り高き騎士の姿ではない。常にそう思っていました」
「……」
「とはいえ現実は甘くなく、いつしか物事には裏の事情があることに慣れ切っている自分もいて。仕方ない、仕方ない、こうしないと国は回らない、滅ぶよりはましだと、そう自分に言い聞かせて……。けれど、迷いはいつだってあって」
唇を噛みしめてから、続く言葉を絞り出す。
「そして迎えた昨日です。私は別の可能性があることを知った。その中心にいたのが、この国の王子殿下と、その方を導く侍女の姿……。お二人が何をするのか知りたい。そう思うのが、人情です」
後ろの同僚たちは、どんな顔をして独白を聞いているのだろう。項垂れたオレットは、後ろの騎士たちが自分と同じ表情をしていることにも気付かずに、ただ懺悔するしかなかった。
「侵略者との裏のかき合い……嘘をつかれている、それは常に懸念していました。何かがおかしい、ずっと前から分かっていたのに、騙し合いならそれも仕方ない、と……。今更弁明はいたしません。どうか、あなた方の手で罰していただきたい。この国から我々が未来を奪ったのであれば、この場で自刃することも厭いません。せめて、最期は自分に素直に逝きたいのです」
「罰を望むのですか?」
「私は国を裏切った罪人ですから」
縛られた手を前に突き出し、オレットは頭を垂れた。後ろで空を仰いですすり泣く者たちの立てる声の中で、やがて侍女が囁いた。
「……ひょっとして、皆様の中にも、この方と同じ考えの方がいるのでしょうか。であれば、どうか私に教えていただきたいのです」
いくつも響いた衣擦れの音、地面と頭が擦れる音は、後ろの同僚たちが頭を垂れた音だろうか。地面に額を押しつけ、目をつむったオレット。もう周囲の様子も分からず、ただただ己の不甲斐なさと、これで終わるという空虚な解放感だけが胸中を満たしていくのを感じた。
恥も外聞もなく跪く男と、それを見つめる教会の女性。その様は、赤子をあやす聖母のように、そんな風に思えてしまって。
「……分かりました」
コーティが立ち上がる。パンプスが地面を踏みしめる音が、跪く騎士の前で聞こえる。目を閉じた分余計に敏感になった聴覚が、駄目押しと言わんばかりに、鞘から長剣を抜き放つ音を捉えた。
少し離れたコーティの声、彼女が主に問いかける。
「ルイス様。本当に、よろしいのですね?」
「ああ」
それまで黙り込んでいた王子が、一言、低い声を出す。首が落ちることに対する恐怖の感情と、ようやくこの苦しみから解放される安堵感。そして、目の端から涙が一粒零れ落ちた直後。
何かが擦り切られる音と一緒に、オレットは自分の両手が自由になったことに気付いた。
思わず目を開けて振り仰いだ先、ロングソードで手を縛る縄を切り落としたコーティの姿が映る。呆気に取られていると、彼女は持っていた抜き身の長剣を、オレットの目の前に置いた。
目の前には、騎士団で昔から採用されている鋼鉄の剣。柄頭にカーライルの文様が刻まれている、少年の憧れの的である騎士剣。
しばらくただただポカンと見つめて。ひょっとして、人生のけじめは自分でつけろと言いたいのだろうかと、思い至って。
「それ、早とちりして自分に向けたらぶん殴りますからね」
そして、厳かさの欠片もない言葉に再び思考を止められた。
「……え?」
思わず見上げた視界に入ったのは、侍女の浮かべる呆れ顔と、ニヤニヤ笑う王子殿下だった。
「いやあ、殊勝な心掛けじゃないか。感動したよお前ら」
「……悪趣味ですよ、ルイス様」
「こっちは一度裏切られてんだ。これくらいしたって罰は当たらないだろ?」
意味が分からない。なんだこれは、どういうことだ。
目の前に置かれた剣は何だ。自分を傷つけるなというなら、どういうつもりで縄を解いた。どうして剣を渡す。
「お前らの拗らせた事情は理解した。国の存続を第一に考えた結果、一周回って馬鹿なことしたってな」
教会の聖母がつくった厳かさなど、もうどこにも残っていなかった。
代わりに、何とも気の抜けた、それでいてどこか知っている空気が周囲を漂い始め、オレットは混乱する。
「お前たちに対して思うことは色々あるが、時間がないんで全部後回しだ」
続く言葉を聞くオレットは、こんな時だと言うのに、なぜか与太話を思い出してしまった。
ルイス王子は≪我儘王子≫。傍若無人に騒いで、周囲を巻き込む。
「もう一度聞くぞ。お前たちの所業は、国を守るために取った行動で、しかし結果的に俺を裏切ることに繋がった。この主張に、嘘偽りはないな?」
ぽかんとしていたオレットは、ふと気付いて慌てて顔を下げた。王子の前に参じた条件反射のようなのものだった。それを肯定の意味に受け取ったのだろう。王子が続けた。
「なら、罪だのなんだの阿保なこと言ってないで、いいから手ぇ貸せよ」
「……は?」
「これから俺たちは無茶をやる。破綻した交渉を再開させるための大馬鹿な作戦だ」
頭が理解する前に、どくり、と心臓が音を立てた。
昼間、王子を見逃した時に知りたいと願った疑問の答え。彼らの王子が、それを教えてくれようとしているのだと分かったからだった。
「立案者の俺が言うのもなんだが、ヤバいくらい滅茶苦茶な策だと思ってくれ。誰一人として死んでほしくはないが、正直それは綺麗事だろう。出来る限りの手は施すが、現実問題として生きて帰る保証のできない者も出ると思ってくれ」
彼が、オレットの目の前で胸を張った。
「それを、罪人であるお前たちに頼みたい。今のコーティの質問に、頭を垂れて応えてくれた奴にな」
「……!」
「それを受け入れる馬鹿がいたら、剣を取れ。この場でもう一度、俺に忠誠を誓ってみせろ」
信じられなかった。目の前に置かれた剣は、自らに罰を与えるためのものではなく、もう一度国を守るためのもの。裏切り者の自分たちに、裏切られた主はそんなことを言う。
「で、殿下……?」
「あん?」
「ほ、本気でおっしゃっているのですか……?」
「冗談で言えるかこんなこと」
膝をついた体勢のまま、思わず身を乗り出した。混乱が鳥肌を立たせるのをオレットは感じ取っていた。
「どうかお考え直し下さい! 我々は反逆者ですよ!?」
「そうです、一度寝返った者に剣を与えるなど……!」
「また御身に剣を向けると思われないのですか!?」
後ろで次々に悲鳴のような声が挙がった。許可も得ずに王子の前で発言するなど、普通なら絶対にやらない暴挙だが、そんなことを気にする余裕は誰にもなかった。
おいおい、国の側近たちは何をしているんだ。滅茶苦茶な策だと? この人がヤバいと言う程の無茶をどうして許す。それも、自分たちのような連中に剣を持たせたりして、本格的に意味が分からない……。
「はっ、その程度の裏切りでグダグダ言ってんじゃねえよ」
今度こそ頭が真っ白になった。「それ、さっき私がルイス様に言った台詞……」と侍女が呆れ顔のまま何事か呟いていたが、その意味に考えを巡らせるだけの余裕はなかった。
「どうだお前ら、俺のこと、とんでもない奴だと思ったろ? だからお前らが守れ。これから向かうのは砲弾と龍が飛び交う戦場、俺と一緒に突っ込んで、砲火を退け突き進む役目だ。生きて帰れる奴の方が少ないかもしれないな」
待ってくれ。彼は何を言っている? 何も分からないが、そういうことは捨て駒にやらせるべきだろう。なのにこの王子、自ら突撃すると言っているのか? おいこら隣の侍女、呆れている場合じゃないぞ。いいから彼を止めてくれ、今すぐに。
「プレータ少佐の物言いを聞いたでしょう? ご理解いただいているとは思いますが、今更ルイス様の首を持っていったところで上陸部隊は進軍を止めませんよ? これ以上裏切っても、この国を守る方法はない。まったくの無駄です」
そんなことは知っている。言いたいのはそうじゃない、彼を止めて欲しいのだ。
そう思って縋るように視線を向けた先で、コーティは近衛が望むのとは異なる正論しか吐かない。
彼らと接点を持っていた中将は殺され、マクライエン少佐の嘘が次々に明らかになっていく今、ルイス王子の身柄云々が大局に影響を及ぼせるとは思えない。それはすなわち、強国に媚を売るという逃げの一手は全く機能せず、だから、もう近衛にできることなどない。
ただ、国の決定を地獄か牢獄から見守るくらいのことしかできないと思っていたのに。
マズい。このままじゃ王子がまた馬鹿をやる。
「悪いが悩んでもらう時間はない。牢に入り、沙汰を待つか。俺と共に国を守り国のために死ぬか。どうするかは、お前たちが選べ」
促されるように、目の前の剣をじっと見つめた。鈍い輝きを放つ刀身は、しかし何も答えてくれず、どうやら握る手を持つ自分が決めなくてはいけないのだと、そんな覚束なさを噛みしめた。
「力には責任が伴う。≪傾国戦争≫の後、私たち教会が国に何度も言われた言葉です。力を使うならば、その使い方を。使わないなら使わない理由を、どうか考えてください。ルイス様がそうしているのと同じように。私がそうしようと努め始めたように」
この侍女が聖母のように見えていた、先程までの自分の目はどうやら節穴だったらしい。この侍女も大概常識が通用しない。
罪とか裏切りとか、そんな自罰的なこと考えるのは後回しだった。目の前の我儘主従を止める権利をオレットは持っておらず、けれど行動を始めた二人には何か策があるみたいで。なら、その我儘に最後まで付き合うのもまた臣下の役目ではないのかと、頭を抱えた。
それでもって、何よりも厄介なのは。
「あ、そうそう。もう一つ聞きたいんだけど」
この国の王子は、やたらと頭が回るのだ。本当に、困ったことに。
「お前らさ、あの怪しすぎる少佐の言うこと、一から十まで信じてたなんてこと、ないんだろ?」
「……!」
「色々賢しく動き回ってたお前らだ。何もせずあの少佐の言いなりになってた、とは思えないんだけどなあ」
見つめた鋼鉄の刃は、やはりもの言う口を持たない。けれど周囲のかがり火の光を反射して、燃えるように輝いているように、オレットの目には映ったのだった。
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