かくして反撃の狼煙は上がる その6
薄暗い部屋。魔導カンテラだけが明かりを灯す室内に、コンコンとノックの音が響いた。
「こんな夜更けに誰だろ?」
湿ったコーティの黒髪に、タオルを丁寧に当てていたライラがキョトンとした顔をした。「ちょっと待ってて」と告げて扉へ向かう後ろ姿を、コーティはベッドの端に腰かけたままで見送る。
使用人寮の自室は、コーティがブランカに発つ前と、何一つ変わらないように見えた。両端にベッド、ちょっとした書き物机と、一人用の衣装棚が二つ。
落ち着いてしまうと、この部屋からしばらくの間離れていたなんて、なんだか夢みたい。
けれど、変わらないのは部屋だけ。ここに帰ってきたコーティは、心も立場も、そして腕も、以前とはまるで別物だ。あの頃の自分は、一体なにをそんなに焦っていたんだろう。不思議な笑いがこみあげて来て、コーティは膝の上の義手を優しく撫でた。
「……」
細かい傷がたくさんついてしまったな。もっと大切に使うつもりだったのに、これがなかなかどうして難しい。五本の指についた傷の分、愛着が増した気がするけれど。
「コーティコーティ」
「どなたでした?」
戸口に立つライラが振り返る。問いかけてみると、蜂蜜色の娘は何故かとても嬉しそうに笑っていた。
「愛しの王子様がいらっしゃったよ」
「愛しの……えっ!?」
目を丸くして身を乗り出すと、扉の向こうからこちらを覗くルイスと目が合った。どことなくバツの悪そうな彼の顔を見つめ、中途半端な体勢のままでしばらく固まる。
「ほら、殿下も入って入って」
「あ、ああ……」
いやなんで彼がここに。女子寮なのに。
「じゃ、後はお二人でごゆっくりー」
「えちょっと、ライラ?」
とりあえず立ち上がったコーティは、扉の外で何人も鈴なりになってこちらを覗く同僚たちの姿を見た。溢れんばかりの興味を隠そうともしない彼らに背中を押されるようにして、ルイスが中へ。
ライラはといえば、なぜかルイスと入れ替わるように部屋の外へ出てしまった。廊下でくるりと振り返って、両手をこちらに差し出す。
「ささ、どうぞどうぞ」
「何がどうぞなんです……?」
「あ、そっか! 見られてると話しづらいよね!」
「そういうわけでは……あ」
こちらの言葉を聞きもせず、パタンとドアが閉じられた。しばらくガタガタ音が聞こえたかと思うと、「きゃーっ」と黄色い声が響く。なんでそんなに楽しそうに、と思ったのもつかの間。コーティははたと気付いた。
これって彼と二人きりってことじゃないか。それはみんな黄色い悲鳴の一つでもあげたくなるもの。意識した瞬間、心臓がうるさく鳴りはじめ、扉に向かって思わず左手を伸ばした拍子に、同じように困った顔をしたルイスと目が合う。
「悪い、こんな夜更けに」
「い、いえ……」
まったく心構えができていない。いつも通りの余裕なんて持てる気がしない。
というか、そもそもいつも通りってなんだっけ。私は今までどうやって彼と話していたんだっけ。跳ねる鼓動も、頬へあがってしまう熱も、私はどうやってやり過ごしていたんだっけ?
そうだ。自分はルイスに好きだと言ったのだ。それで、彼も自分を好きだと言ってくれて……。それってよく考えると、自分と彼は恋仲、ということになるんじゃないか? けどそういえば、恋人になりましょうみたいなことを言い合った記憶がなくて、そういう場合はどうなるんだろう? でもでも、当時はとにかく必死だったし仕方ないっていうか思い返してみると勢いでとんでもないことをたくさん口走ってしまったような気がしてきたしちょっと待ってこれって一体どういう状況……?
お風呂あがりよりもずっとのぼせた頭。くらくらして、なんだか目が回りそう。途方に暮れて見つめた彼も彼で、視線をソワソワ動かしていて、そこでようやくコーティは気付いた。
このまま仮眠を取るつもりだったから、化粧もしていなければ、髪も湿ったまま。着ているのはさらりとした綿の夜着で、胸元のボタンもいくつか開けちゃったりして。
「……!」
慌てて左手で服の胸元を押さえる。頬が限界まで熱くなって、鼓動が耳元にまで響いてきた。やだ、恥ずかしい。こんなはしたない恰好を、彼に見せてしまった。
「す、すみません。すぐ着替えるので、一度部屋の外に……」
「いや、このままでいい」
よくない。この人女心を全然分かってない。
「こっちがこんな時間に押し掛けたんだ。……非常識だって分かってたんだけど、他に時間が作れそうになくてさ」
「それは、まあ、分かりますけど……」
「でも、ちょっと役得かも。飾らないコーティを見るのははじめてだ」
「……今すぐ出てってください、変態」
「ひでえや」
言葉とは裏腹に、落ち着きを取り戻した様子の彼が、くすりと微笑んでいた。どうやら自分がどれだけ常識知らずなのか、自覚はあるらしい。
「隣、いいか?」
「え、あっ、はい……」
コクリと頷くと彼がコーティの隣に腰を下ろす。ギシリとベッドが軋む音、重みで少しだけコーティのお尻も沈んだ。
「今後のこと、大枠をまとめて来たよ」
そう切り出したルイスの表情には、やはり隠しきれない疲れの色が滲んでいた。国の有力者たちの説得に、体勢の立て直しと作戦の立案。どれも生半可な問題ではなく、ずっと休みなく頭を使っていたのだろう。コーティにはやっぱり難しいことは分からなくて、けれど一つの国を動かすことがどれほど大変か、思いを巡らせることはできて。申し訳ない、と心の底から思った。
「すみません。昼間は威勢のいいこと言っておきながら、私なんにもお手伝いできなくて……」
隣の彼が少しだけ目を丸くし、やがて嬉しそうに目元を和らげた。
「そんなことはない。俺はコーティに頼みたいことがあって来たんだから」
「頼みたいこと……」
「ああ。さっき言ったろ? 後で話すから、今のうちに休んでくれって」
コーティはコクリと頷く。
バタバタと走り回る人々を尻目に、コーティとケトの二人だけが先に休息を取らせてもらったのだ。きっとそれ相応の理由があるはずと想像くらいはする。
「私は、何をすればいいですか?」
囁くようにコーティは問いかけた。本当は、自分の頭で考えて、為すべきことを自分で決めたくて。でもやっぱり今はこれが限界。彼の方が身長が高いから、ちょっと上を向いて見上げる形になった。
「……正直に言う。俺、すごい悩んだんだ。本音を言うなら、コーティをこれ以上危ない目に遭わせたくない。他の誰かに頼んでしまおうかって」
「ルイス様……」
「でも、それじゃ前と同じだ。お前を厄介事から遠ざけて、大事なことを全部隠して。利用して、裏切って……。そういうの、もう繰り返すのは嫌だって思った」
彼が恥ずかしそうに目を逸らすのは、何度か見たことのある素の臆病心が表れたものだろう。
コーティは短絡的で直情的だ。だから頭のいい彼ならば、これからやろうとしていることをコーティに隠すことだってできただろう。けれど今、彼はここに来てくれた。彼が隠さないでいてくれることを、コーティは嬉しいと思う。
「だから他の誰でもなく、コーティに頼みたい。これは紛れもない大任だ。お前の行動が、町一つの運命を、そこに住まう何千何万という人々の運命を左右する。そして同時に、今後のカーライルの行動指針となる一手でもある。コーティの後に国が続く、そういう役回りなんだ」
「は、はい」
頼みごとの中身は想像がつかなくてとも、生半可な覚悟では為せないことだというのは痛いほど感じられた。ごくりと唾を飲み込み、姿勢を正したコーティ。覚束なくとも、どんなことにも怖気づくつもりはない。彼が自分に望むこと、一語一句聞き逃さないように。
身を乗り出して覗き込むと、彼はそこでちょっと顔を赤くした。
「けどその前に」
「え?」
「頼むにあたって、はっきりさせておきたいことがある」
ルイスが半身をこちらに向けた。整った顔が間近まで迫り、意識せずに膝の上に置いていたコーティの左手が、伸びてきた彼の左手によって持ち上げられた。
「俺はこれから、お前をこの国のゴタゴタに巻き込もうと思う。それは間違いなく、お前にとって苦難の連続になるはずだ。今だけじゃない、ネルガンのことだけじゃない、これから先もずっと。悩ませるだろうし、苦しませるだろうし、辛い思いもたくさんさせるかもしれない。……率直に言って、コーティを幸せにする自信が、俺にはない」
「……ルイス、様?」
「それでも今日、俺の元に来てくれたお前を見て思った。俺はコーティと一緒にいたい、隣にいたい」
至近距離、彼の瞳に吸い込まれてしまいそう。
「俺は今まで、他人を必要以上に近づけさせないために我儘を使ってきた。でも、コーティに限って俺はそれをやめる。俺がこれから言うのは、お前を必要以上に近づけさせるための我儘だ」
心臓がはち切れそうなのに、彼の声はどこまでもはっきりと聞こえた。
「コーティ。昼間、俺に聞いたな、これからどうしたい、って」
「は、はい……」
確かめるように自身の右手を見下ろしてから、ルイスは握りしめたそれをそっと差し出した。
「これが、俺の答えです」
ゆっくりと開かれた手のひらに、輝く金色。それが何かをコーティは知っている。
「これからも続く厄介事だらけの人生、俺の隣で戦ってくれませんか?」
王印。王家の人間が、一人一つずつ持っている金の指輪。
それを持つのは王家の一員として認められた者だけ。歴史やしきたりを知らないコーティだけど、男性が女性に、指輪を贈る意味が分からない程初心じゃない。
どきり、と一際大きく心臓が跳ねた。じっと見つめてくる彼。答えを返さなくちゃいけないと思うのに、あ、とか、う、とか。意味をなさない声がコーティの喉から飛び出して。
「そ、それってつまり……」
「君が想像した通りの意味で合ってる」
何か言いたくて、何を言えばいいか分からなくて。口を開けたり閉じたりした挙句、コーティは蚊の鳴くような声で問いかけた。
「わ、私、侍女ですよ……?」
「それは今の話だ。これから変えることだってできる」
「でも、こんなにいきなり……」
「さっきの今で、話が早すぎるって自分でも分かってる。お前を戸惑わせてしまうことも想像してる」
ぐいと迫る彼の顔。
「だから今すぐにとは言わない。一歩ずつだ。お前が良ければ、まずは恋人からはじめないか?」
「こ、恋人?」
「この指輪は俺が王の一族であることの証。俺の名前が彫ってあるものだ。当然コーティの指には合わないし、だから首から下げる飾り紐も持ってきた」
コーティをまっすぐ見つめて、彼は言う。
「俺がお前にふさわしい男になったら、コーティの指に合う、コーティの名の刻まれた指輪を渡す。だからそれまで、俺の王印を持っていて欲しい」
「……!」
ここまで言われては、なあなあで済ませてなんていられない。王印を渡す、それはすなわち、コーティが王の一族に迎えられるということで……。
「わ、私が……」
「逆にコーティはどんなつもりで俺にキスしたんだ」
「み、身分差!」
「いやそれ今更すぎるだろ」
オロオロしながら、緊張を滲ませた彼を見つめる。はち切れそうな心臓を抱えて、何かないか、何かないかと言い訳を探す。だってそうでしょ? こんな風に詰め寄られるなんて想定外。
……まあ、言い訳なんてあるはずないって、コーティが一番よく分かっているのだけど。
静かに、意識して、深呼吸。少しだけ力を抜いて、彼へと囁く。
「……あなたの手で、結んでいただけますか?」
彼が心底嬉しそうな顔をして、コーティも心の底から嬉しくなって。
「もちろん、喜んで」
必要以上に近づいた二人。コーティの体にそうっと回される大きな腕。彼の手はコーティよりも長いけれど、当然首の後ろで紐を結ぶにはもっともっと、限りなく近づく必要があった。自分が振り返れば結びやすいって分かっているのに、彼が見えなくなるのが嫌で、コーティはそっと彼に体を預ける。
うなじのすぐ近くを幾度も熱い手が掠めて、その度にコーティは恥ずかしくなる。
「……ルイス様」
「うん」
「不束者ですが、よろしくお願いしますね」
いつしか、コーティの胸に、彼の鼓動が直接伝わっていた。もう彼の顔しか見えなくて、世界が彼で覆い尽くされて。
「コーティ……」
「ルイス様……」
なんとなく目を伏せれば、ルイスの大きな手が、頭を優しく、それでいて有無も言わさず引き寄せてくる。狭まる視界に彼の息遣い。とろけるような熱に誘われて、コーティはそっと目を閉じようと……。
「ほわあ……」
「うわー。やーらしいんだ」
ルイスと二人、ぱちりと目を開いた。互いに顔を見合わせてから、揃ってドアへと視線を向ける。
いつの間にか扉に細い隙間が開いていて、そこにはポッと頬を染めたライラと、呆れ顔のケト。その他にもわんさか同僚たちがこちらを見つめている。それぞれ口元を押さえたり、指の隙間から覗いていたり、思い思いの顔をしていて。
「……」
「……」
完全に固まった二人を他所に、誰かが「ひゅーひゅー」とはやし立てた直後。大騒ぎする使用人たちが一気にコーティの部屋になだれ込んできたのだった。




