かくして反撃の狼煙は上がる その5
ライラ・バッフェに、難しいことは分からない。けれど、胸を張って言えることの一つくらいはある。
国と国であろうが、人と人であろうが、結局本質なんて変わらない。
まずは話をする。どんな相手とだって、そうしなければ始まらないのだ。
「……」
「……」
とはいえ、事情によってはそれもなかなか難しいらしい。今、ライラを間に挟んで左右に座る二人の娘も、どうやら何を話せばいいのか思いつかないようで、互いにちらちら様子をうかがってばかりだ。
まったく、つい先ほどまでの貫禄はどこに行ったのだろう。名だたる貴族を翻弄し、国の中心で暴れまわっていた娘たちだって、素を晒してしまえばこれである。湯船に浸かったまま気まずい沈黙に浸る二人に、ライラは軽く苦笑を漏らしてしまった。
天井から落ちてきた水滴が湯舟の湯気を揺らす。それを機に、ライラは口を開いた。
「もう。二人とも、いつまで黙り込んでるつもり? お互い、相手のことが気になってしょうがないんでしょう?」
ライラの右側でコーティが白い肩をピクリと揺らし、ケトが左でくりくりした視線を逸らす。いざこうして向き合うとになると、踏ん切りがつかなくなる気持ちは想像できる。心持ち小さな声でコーティは呟いた。
「別に、そんなことは……」
「嘘つけ。ケトさんのこと、一人だけ不思議な呼び方してるくせに。意識してなきゃ、そうはならないと思うけど?」
もごもごと呟くコーティにニヤニヤ笑いかけると、黒い目をした友が固まった。反対側でケトが「確かに……」と呟けば、湯の熱ではない何かのせいで、その顔が朱色に染まった。
「わたしのこと『ハウゼン』って呼ぶの、コルティナだけだよ。何か理由があるの?」
「……それは」
口元までお湯につかり、プクプクと泡を吐いたコーティは、ややあってケトと視線を合わせた。
「この間、お前のご両親のお墓参りをしました」
「え……」
「エルシア様の許可はもちろん得ました。道を教えてくれたガルドスさんから、教官の仇が誰であるかも教えていただきました」
体はこちらに振り向けたままで、ケトが絶句する気配。しばらく続いた無言の時間を急かすことなく、ライラはコーティの言葉を待つ。
「……私は龍神聖教会の教徒です。祈りの言葉はいくつも知っていますが、あのお墓に手向ける言葉を、私は最後まで見つけることができなかった」
「……」
「だって、どれもお前の故郷を滅ぼした者の言葉ですから。私たちが殺した人を私たちの言葉で弔うことは、どうしてもできなくて」
コーティが視線だけを持ち上げる。所々でつっかえながらも、彼女は頬を紅潮させて、感情を滲ませた声で続けた。
「ハウゼン。私たちが私たちの身勝手で壊した家族の名です。その一人娘が必死に生き延び、そして私の前に現れた時、私たちが消してしまった家の名で呼ぶのは至極当然のことだと思ったから」
「……」
「この呼び名は、私たちが犯した罪へのけじめです。そして戒めでもある。……詰っていただいて構いません。許せないなら呼び方は変えますし、そもそもこれで許していただくつもりもない。ただの自己満足ですから」
憂いを混じらせた娘が、祈りを紡ぐように言った。
「私、自分がしたことをハウゼンに謝るつもりはありません。けれどそれ以上に、自分がしたことを謝る資格なんてないのですよ」
目を伏せ、吐息の混じった声でコーティは囁く。
「……確かにライラの言う通りです。私はお前を強烈に意識している。もちろん敵として、けれどそれだけじゃない、私と異なる道を歩んできた一人の人間として」
途中から、ケトは俯いていた。揺らめく水面を見つめる表情は伺い知れないけれど、お湯の下で小さな手をぎゅうと握りしめているのは、ライラにだってちゃんと分かる。
しばらくの無言の後、少女は視線を上げる。そこには悲しみとも切なさともつかない、複雑な表情を浮かべていた。
「……遠かったでしょ? あそこ、道もあんまりよくないから」
「ええ。夏なので草も大分伸びていて、掃除にずいぶん時間がかかりました」
「そっか……」
銀の目を閉じて、開いて。
「わたしね、目とか髪とかお母さんと同じ色で、のんびり屋なところはお父さんにそっくりなんだよ……」
湿った声で噛みしめるように呟いた後、水を両手で掬い上げてバシャバシャと顔を洗い、「よし!」と一言。
ケトはそうして口調を変えた。
「言っとくけど、わたし、あなたを許すつもりないから」
その言葉にはもう、悲壮感も、責める響きも、どこにもなかった。
「……」
「すっごく怖かった。すっごく悲しかった。わたしはそうやって育ってきたし、それ以外の生き方を知らない。だから忘れるなんて無理だよ。できやしないんだ」
ケトがざばざば音を立てて、硬い顔をするコーティの隣に移動する。ちゃぽんと黒髪の娘の隣に収まると、小さく深呼吸して、ほうと息を吐いて。
「……あなたも、きっと、そうなんでしょ?」
コーティが息を飲んだ。目の前にいる少女の顔を伺って、目を見開いて。
やがて力を抜いて、二人、眉を下げて、ぎこちない笑みを浮かべる。世の不条理に向き合って、憂いも酸いも飲み込んで、その先でほんの少しだけ成長した、大人の表情だった。
「なぜでしょうね……。分かってしまうのが、悔しいんですよ」
「あ、でもこれは言っとく。わたし絶対あなたより強いからね」
「その一言で台無しですよ、まったく」
ケトは肩をすくめて、コーティは口元を吊り上げる。互いが互いを微笑みながら睨んで、それで、十分だった。
「コルティナだけじゃ不公平だ。今度はわたしの番だよ」
「え?」
きょとんとしたコーティに、ケトはむう、と唇を尖らせてみせる。
そのどことなく無理をした仕草で、ライラは思った。ああ、この子は一つ、自分の中の葛藤に折り合いをつけたんだな、と。
「わたしだって、何も考えずコルティナって呼んでるわけじゃない。いろんな人から話を聞いて、わたしはそう呼ぼうって決めたんだ」
「そうだったんですか?」
目を何度も瞬かせるコーティに、ケトはため息を吐いた。
「ひょっとして、わたしがわざわざ本名で呼んでること、気づいてないの?」
「だってそもそも、本名で呼ぶのは当然でしょうに」
ライラは笑いを噛み殺して、ケトは呆れた顔を隠さなかった。ややあって小さな声で呟く。
「『コーティ』って呼ばれても直さなかったって、あれは素なのかあ……」
その話をライラはよく知らないけれど、なんとも彼女らしいと笑ってしまった。ケトはライラに向かって、そのままの口調で問いかけた。
「ねえ、ライラさん。コルティナって、割とポンコツ?」
「……え?」
「あ、気づきました? 真面目そうに見えるの、外側だけですよ。中身は単純一直線です」
「え?」
「あーやっぱり……」
きょろきょろとケトとライラを見比べていたコーティが、一拍遅れて慌てた顔をする。
「ポンコツ?」
「うん」
「私が?」
「そう」
ケトを見、ライラを見、そうして信じられないという顔をしたコーティ。彼女はややあって、何故かふっと笑った。
「やれやれまったく……。周囲に鈍感な人が多いのも困りものですね」
その言葉に、もう一度ライラはケトと目を見合わせた。
「ダメだこりゃ」
「かわいいでしょう? コーティって」
「ちょっと!」
ぱしゃと水音を立てて、コーティが慌てた顔をする。そんな黒髪を見て、銀と蜂蜜色は声を上げて笑う。
それからしばらく、三人はぎこちないながらも他愛ないおしゃべりをした。教会の子供たちのことや、ケトの姉のとんでもなさや、水道の出ない城での生活。気付けば長話にのぼせてしまって、三人でフラフラしながら風呂からあがった時には、少しばかり居心地の悪さが薄れたような、そうでもないような、そんな気がした。




