かくして反撃の狼煙は上がる その3
ネルガン特使一行が去った後の大広間。
コーティは静かに息を吐き、マクライエンとその部下たちが去っていた方をぐるりと見渡した。
大きく開かれたままの正面扉の前にも、その向こうのエントランスにも、もう先程のパニックなど欠片も見当たらない。近衛騎士と使用人が肩を寄せ合い、貴族たちは呆然とした顔で立ちすくむ。居並ぶ群衆の合間にひょこりと覗いたライラの顔を認めたコーティは、他の人に分からぬよう口元を一瞬緩めてから、表情を戻した。
コーティの隣で、ケトが魔導拳銃をベルトに収めていた。
すべての戦闘が集結し、交渉もひとまずの決着を見た今、武力は余計な混乱を招くからこその動作である。
コーティも握った銃を離そうとして、動かない指に気付いた。どうやら義手の浄水切れらしい。際どいところだったと、内心で安堵のため息をつきながら義手の蓋を開ける。
そうして空の瓶を外していると、震える声が響いた。
「おい……」
壁際でへたり込むカーライルの高官の一人だった。
「今のは一体、どういうことだ……?」
震える声は、彼の動揺を引き写したもの。よろよろと立ち上がってよろめいて、その度に足元に散らばった紙とガラスを踏みしめながら、答えを求めて呟く。
「ネルガンは、元から条約締結など考えていなかったのか……?」
答える者は誰もいなかった。
そうだろうと、コーティは心の中で頷く。その問いに答えられる者が、この中にいるはずがない。事を起こしたコーティですら、驚き呆れるような惨状だと呆れているのだから。
「何が起きている? 何を、どうすればいい……?」
弱音とも疑問ともつかない呟きを最後に、痛いほどの静寂が場を包み込んでいく。みんな揃って、帰り道を見失った子供みたいだと、コーティはそんなことを考えた。
きっと誰しも、目まぐるしく変わる状況に追いつけないに違いない。
交渉中に乱闘を起こしたり、かと思えば≪白猫≫が襲ってきたり、目の前で侍女と乱闘を起こしたり。そして、挙句一周回って再開したネルガンとの会談が、まるで予想しなかった結末を迎えたり。なにがどうしてこうなった、誰か説明してほしいと言うのが本音のはずだ。
ただ一つ分かるのは、ネルガンがもうためらわないらしい、ということ。
何に躊躇していたのかも分からない状況で、その部分だけ理解が追いつくというのも甚だおかしな話だが、けれど取り返しのつかない結果を迎えたという事実だけは、紛れもない現実となって彼らを襲っていた。
誰も口を開かないのではない、開けないのだ。迷走の挙句、何が敵で、何と立ち向かわなければならないのかさえ分からなくなってしまったのだから。
「……生きている限り、誰もが迷う、か」
そんなケトの呟きが、コーティの耳朶を揺らす。なんだか教皇様が口にしそうな台詞だなと心の端で思いつつ、困惑に瞳を彷徨わせる貴族たちの様子にコーティは嘆息した。
少し前のコーティなら、なんて頼りない貴族たちだ、という感想を抱いたことだろう。偉いんだから、大変な時くらいしっかりしてくれと、据わった目で睨んだはずだ。
けれど今なら分かる。結局、彼らも人間でしかないのだ。理解が及ばない事象に戸惑うのも当然で、けれど民に対して責任を取らねばならない。己の決断が文字通り国の未来を左右するとなれば、失敗が許されない重圧に押しつぶされそうになるもの当然。
何かを変えようとする時、一番駄目なのは着地点を考えないこと。
そう教えてくれたエルシアの言葉を思い出す。彼女は果たしてどこまで読んでいたのだろうか、相変わらず底の知れない恐ろしい人だと、苦笑いを一つ漏らす。
国家の役目と建前、民の安心への希求、そして感情の問題。それらを理解し、一つの流れに集約する。
ただ悪知恵が回せる程度の人間では、ここまでのことはできない。それを遠く離れた田舎町にいながらにしてやってのけたエルシアには、どうやら本当に王の器があるらしい。もしかしたら、彼女が王家から排斥されたのは国にとってとんでもない損失だったんじゃないか。そう思ったらとてもおかしくなってしまった。
けれど、ここにいるのはコーティとケト。≪傾国≫の廃王女はこの場にいないし、いてはいけない。
だから、ここで言葉を発すべきはコーティの役目だった。
罪人として扱われていた王子を、もう一度国の中心へと導く。そのためにコーティが起こした革命なのだから、コーティの手で決着をつけなくてはいけないだろう。
もう他人事では済まされない。国に振り回されるのではなく、国を振り回す側へ移ったからには、この事態を収めるのもまた義務だった。責任の重さに押し潰されている暇はなかった。
「何が起きているのか。我々はどうすればいいのか。それは、これからお話すべきことかと」
極力落ち着いて、堂々と声を発する。途端浴びせられた広間中の視線は、縋るような、それでいて責めるような色を湛えていて、文字通りの威圧感となってコーティを突き刺す。震えかけた背筋を叱咤して、コーティは胸を張った。
「申し遅れました。私はコルティナ・フェンダート。どうぞコーティとお呼びくださいませ」
「だ、誰だね君は……?」
「ルイス様の侍女にして、≪白猫≫の敵。夏のはじめに、この街の水道設備を破壊した罪人でございます」
以前、叙勲式のために教えてもらったカーテシーを披露する。
当時は右手に指が二本しかなくて、スカートをうまく掴めなかったのだったか。ついこの間のことのはずなのに、なんだか遠い昔のことのようだ。
「お叱りはもちろん受ける所存です。しかしながら、今は先に片付けるべき問題があるはず。ネルガン連邦共和国、その侵略に立ち向かうため、どうか今というひと時を私と我が主にいただけないでしょうか」
壁際に退いた人々に語り掛けていると、隣にブーツの足音が響いた。
「わたしだって、なにも暴れるためだけに来たわけじゃない。驚かせたのは申し訳ないと思っているけれど、そこのコルティナと話をつけてここに来た。だから、あなたたちが襲ってこない限り、わたしもこれ以上は暴れないと約束するよ」
コーティは自分の左隣に視線を向けた。
ケトがちらと視線をこちらに寄越して、すぐに前へと戻す。エルシアが教えてくれた着地点の話、ひょっとして、彼女も自分と同じく思い出していたりするのかもしれない。
≪五本指≫と≪白猫≫。宿敵二人が、国の中心で振り返る。
「さあ、ルイス様。どうぞこちらへ」
「ここから先はあなたの番だよ、シアおねえちゃんの弟さん」
二人の視線の先、そこにいるのはこの国で最も王に近い男の姿。王子は微笑とも呆れともつかない表情を浮かべた後、ほんの一瞬だけ気の抜けた顔を見せてくれた。
「ったく、参ったな……。最後の最後までお膳立てとは」
王子もまた広間の中央へと歩み出た。再び口を開いた時、彼の横顔には生来の気弱さも軽薄さの仮面も、もうどこにも見えなかった。
「諸君、コーティとケト嬢が話した通りだ。色々ごちゃついた挙句、とにもかくにも面倒なことになっている。かく言う俺も俺で、ついさっきまで牢に押し込められてたって有様だ。こんな若造の話に価値はない、そう思う者も多いことだろう」
あらゆる視線を受け止めて、彼は重々しく言った。
「だが聞け」
有無を言わさない、王の貫禄が広間を反響した。
「悪いが俺にも悠長に我儘を気取っている余裕はないぞ。隠し事と足の引っ張り合いで無駄に過ごす時間は終わりにさせてもらう」
ルイスの声はよく通った。一切に遊びはなく、だからそこに立つのは国の主の姿。何か反論しようとしたのか、口を開きかけた者もいるにはいたが、それもまた音にはならず喉の奥へと消えていった。
こうなってしまえば、後はルイスの独壇場。一度は信用を失墜させた青年が、再び国の主として返り咲くため胸を張る。
「辛い話はもう十分だ。いい加減、反撃開始といこう。滅茶苦茶な理不尽に、うちの国の底力ってやつを見せてやろうじゃないか」
こうして、≪五本指≫の侍女が起こした革命は、ひとまずの決着を迎えることになる。
騒いで叫んで突き進み、暴れ回って演じた挙句、どさくさ紛れで主導権を奪い取る。そんな、なんとも締まらない方法で。
普段はへたれてることも多いけれど、裏ではしっかりと物事を考えている人。仁王立ちして堂々とふんぞり返るルイスの横顔を、侍女は静かに見守る。
きっと強国は迷わず攻めてくるはず。だからここから先、きっとまだまだ苦難が待ち構えているのだろう。
気を抜いている場合ではないと分かってはいたけれど、とはいえ目の前の戦闘は終わらせることができたのだから、少しくらい達成感を味わってもいいはずだ。主が国を掌握するまでの一幕、コーティはこっそりと肩の力を抜いたのだった。




