かくして反撃の狼煙は上がる その1
「……」
プレータ・マクライエン海軍特務少佐。今も広間の片隅で数名の部下によって守られた女将官。カーライル王国に隷属か滅亡の二択を迫った張本人。
彼女は一切表情を変えない。何も答えず、代わりに鋭い目でケトを見るばかり。
「見慣れない服着てるし、あなたたちなんでしょう。ネルガン海軍の軍人さんって」
その問いかけにも、答えは中々帰ってこなかった。誰もが回答を待っているのは明らかで、息を詰めて待ち受ける空気にマクライエンは嘆息を漏らした。
「……おままごと、随分と派手にやるのね。おチビちゃん」
それまで静観を決め込んでいた女帝が、その一言で存在感を取り戻していく。冷ややかな視線を返してゆっくりと歩き出し、場を乱したケトを睨みつける。
「あなたがネルガンの人で合ってる?」
「ええ」
それ以上声を発さないプレータは、「ケト・ハウゼンです」と名乗った少女に眉一つ動かさない。
ただ、その目に溢れているのは不快感。騒ぎを起こした元凶に、ひたすら鋭い視線を注いでいる。
「プレータ・マクライエンさんでしょ? 会ってみたいって思ってた」
「残念ながら、我々はその必要性を感じない」
「そう? いきなりわたしを襲ってきた擬龍の部隊、誰も殺さないように撃退するの大変だったんだけど?」
わざとらしく首を傾げるケト。
まだ成人もしていない少女一人に、航空二個小隊が打ち負かされた事実。それはやはり信じがたいものがあるのだろう。護衛の軍人たちが視線を揺らしたのを視て取ったケトは、彼らの動揺が収まらないうちに本題を口にした。
「わたしが話したいのは、マイロのこと。襲うのをやめてほしい」
「これは国家間の交渉よ。子供がでしゃばることではない」
「それでもわたしは聞いて欲しい。あそこはただの港町、戦いに関係ない人たちだってたくさんいるの。話をしようともせず、武器も持たない人を一方的に撃って、住まいから追い出す。そんな権利、あなたたちにはないんだ」
マクライエン少佐の人となりは聞いている。つっけんどんな回答は、ケトにとって想定内だった。
だから怯まず、落ち着いて言い返す。ケトだって、なにも真正面から交渉しようなどと考えてはいない。ここにいるのはネルガンの軍人たちだけではない。こうして場を整えたのは、他にも聞かせたい相手がいるからでもあるのだ。
案の定、広間のあちこちで響いた息を飲む音を、ケトの耳はきっちり聞き取っていた。それがマクライエンのものではなく、異国の護衛の軍人のものでもなく、広間の端に追いやられたカーライルの人間たちから発されたものだというのは、視る必要もないことだった。
みんなきっと驚いているはずだ。
カーライルの重鎮からしてみれば、自分たちを蹂躙した化け物が、一転して至極まともなことを言いはじめたように感じられるはずだから。
「亡くなった人が大勢いる。今も傷つき、弱っていく人がいる……。その一つ一つを、わたしはあの町で見てきた」
ケトはマクライエンに向かって、一歩を踏み出す。護衛の軍人たちが慌てたようにサーベルに手をかけたが、その程度で怯むケトではない。止められるものなら止めてみろという意思を込め、胸を張ってやった。
「カーライルとネルガンがケンカしていることは知っている。もう、後戻りはできないところまで来ちゃったのかもって想像もしてる。……それでも、これ以上あんな辛いことを起こさないようにはできるでしょう?」
ケトが宿敵の町で教えてもらったのは、自分の無力さ。ただ力があるだけでは、何一つ守れないと知ったから。
「だから、やめて」
大切なのは、言葉にして相手に伝えること。
「もうやめて。あの町を襲うのをやめて。もしそれができないというのなら、その理由を教えて。あなたたちの国のことが分かれば、何とかできないかって一緒に考えることだってできる。戦うだけが道じゃない、襲う必要も、襲われる必要も、どこにもないんだよ。だから……」
「人の皮を被って、人間の真似事をするのはやめていただけないかしら、人外」
だが、ケトの訴えはバッサリと切り捨てられた。
「我々はカーライルの方々と交渉をしに来たの。人を模した悪魔を交渉相手には認めない」
冷たく響き渡った、抑揚のない平坦な声。それはマクライエン少佐のケトに対する無関心の表れ。言語の壁がなかったとしても、話が通じるとは限らない。それを少女に思い知らせるもの。
「ケト・ハウゼン。貴様は今、自分がどれほど非常識なことをしているか自覚はあるのか? ここは大人の世界だ。お子様はおねんねでもしているべきではないのか。……まったく、≪白猫≫だなんだとちやほやされて」
「……」
あまりの言われように凍り付いたのは、ケトだけではなかった。目すら合わせようとしない相手に、誰もが絶句する。
理解が追いつけば、当然のように生まれるのは怒りの感情。けれど、それ以上にケトは戸惑う。考えて、考えて、結局出て来たのは、単純な一言。
「なんなの……?」
ぶわと鳥肌が立ったのは、怒りすらも凌駕する気味の悪さのせいだ。得体のしれない相手の存在が、ケトの背を震わせる。
「なんでわざわざ、怒らせるようなことを言うの?」
どうして今、この状況で、侮辱の言葉を選ぶ?
言葉を交わしているにもかかわらず、考えが通じない不快感。こちらの考えが伝わらないだけじゃない、向こうの考えが理解できない。口から放たれる言葉が意味を失い、音ばかりが上滑りする状況。これは話をしているようで、意志の疎通が果たせていない。
「わたし、あなたが何をしたいのか、まるで分からない」
この感覚は一体なんだ。策略とか、謀略とか、大人が使う難しい言葉で恰好をつける以前の問題だ。
強いて言うなら、投げやり、という表現が適切か。上手くできない子供が不貞腐れているような、駄々をこねているような。先刻からの騒動で強国の傲慢という仮面がボロボロと崩されているはずなのに、相手はそれを気にも留めていない。
「言葉と行動がちぐはぐだよ、あなた。わたしを遠ざけたいなら、うまく会話を誘導してしまえばいいのに。あなたは大人で、わたしは子供なんだから、それくらい出来るでしょう? なのにそれすらしないで、代わりにわたしを怒らせようとする」
思えば、おかしな点はいくつもあるのだ。
カーライルの交渉でも、怒って当然の酷い条件を付きつけて、対案は認められないと切って捨てたらしい。特使暗殺事件も、碌な調査もせず、ルイス王子が犯人だと責め立てたそうだ。
そしてつい先日のこと。ケトが見たのは、マイロ制圧を途中で止めて防衛に転じた上陸部隊。その戦術を指して「見せしめ」と評した騎士もいたっけ。
それらは、一つ一つだけ見れば、バラバラの手掛かりに過ぎない。文化の違い、風土の違い。ネルガンはそういう自分勝手な国なのだと言ってしまえばそれまでで、そういう理屈も通せる態度。
けれど違う、それだけじゃない。ケトの龍の目はそう言っている。
「……なんだろうね。ひょっとして、カーライルが条約を受け入れたら困るって思ってる? わたしたちをあの艦隊と戦わせるために、いろんな良くない言い方をしていない?」
ケトだけじゃない。この国はみんな揃って、何かとてつもない思い違いをしていたのではないか。
何かが根本的に嚙み合っていない。そう感じられるのは、ネルガンという国の要求ではなくて、全く別の原因があるからなんて話、まさかとは思うが……。
「悪趣味なガキめ。嫌な目をする」
またしても、こちらを怒って当然の言葉を選んだマクライエン。異国の女の感情を掴もうと、ケトが銀の目を細めた瞬間、プレータは吐き捨てた。
「だいたい、本当に人の心を弄ぶ力があるなら、お前が私にかける言葉はそれじゃない」
「……わたしはほんの少し顔色を伺うのが得意なだけ。他人の心を弄ぶなんてこと、一度も言った覚えない。噂好きなのは構わないけど、そうやっていちいち嫌な言い方しないでほしいよ」
「断る。蛮族に私の言動を制限される謂れはない」
マクライエンは、すらりとした足をゆっくりと動かす。大机の残骸を挟んで部屋の中央へとたどり着いた。
「誰が思いついたのかは知らないけれど、これじゃ酷く悪質な素人の芝居じゃない。この茶番を仕組んだ理由によっては、これまで築き上げて来たものを無に帰す結果になる。その自覚はあるのでしょうね、カーライルの皆々様は」
ケトの方を見ようとすらしないプレータは、代わりにルイスとコーティへ体を向けた。
この場に乱入した主従が仕組んだことと、迷いなく確信している動作だった。マクライエンの足元で、軍用ブーツが砕けたガラスの破片を踏みしめる。ジャリ、と音を立てた。
「……悪いが、ケト嬢は俺たちの管理下における人物じゃない。よって彼女の発言を止める権限は、俺にはないんだがな」
ルイスが聞いたことのないような、低い声を出した。
間違いなく、彼も同じ違和感に気付いているのだろうとケトは思う。……いや、彼は誰よりも先に感付いていたのかもしれない。
「つまり、その化け物をカーライルでは野放しと? 呆れてものも言えないわ」
「芝居ってのは、マクライエン少佐が仕掛けた特使暗殺の方が悪質なんじゃないか?」
「ほら、すぐにそうやって話を逸らす。やはり滅ぼさなければその馬鹿は治らないのかしら」
「今日こそはっきり聞くよ。一体なんなんだあんた。……前からそうだった。どうしてそうやって、わざわざ一つ一つ俺たちの神経を逆撫でする言動を選ぶ? 確信犯だってのは分かってる、いい加減腹を割って話したらどうだ」
軽蔑の矛先を向けるマクライエンに、眉を顰めるルイス。
戦闘の熱から抜け出せない状況で再開された交渉は、取り繕うような文言をすべて封じている。直接的な物言いばかりで、貶し合いにも似た感情論ばかりがぶつかり合う。
もどかしい、とケトは思った。確かにおかしいと分かるのに、何がどうおかしいのか言葉にできない。
ただ一つ分かるのは、マクライエン少佐は断じて交渉するつもりがない、ということ。埒が明かない空気に当てられ、焦れた空気が漂い出した頃。
「……あの」
澄んで落ち着いた、それでいて恐る恐るという空気を感じさせる声が、戸惑う場にそっと分け入った。
「コーティ?」
「少しだけよろしいでしょうか?」
ルイスが言葉を途切れさせて、ケトも声の方へと振り向く。
「私、今のお話を聞きながら思ったことがあるのです」
佇むのは、五本指の右手を携えた侍女の姿。隣に立つルイスに軽く頷いてから、黒髪の侍女は静かな声で囁きかけた。
「マクライエン様。話すときには相手と目を合わせていただけませんか」
子供に言い聞かせるような、慇懃無礼な響きだった。
交渉とすら呼べない貶し合いの場で、今更視線もなにもないだろう。ケトですらそう考えてしまうような破綻した空気の中で、しかし何かを確信した様子のコーティだけが、臆することなく続ける。
「私には、ここにいる誰であろうと、あなたの目には映っていないように見受けられます。ですからそのような、とても変な物言いになるのでしょう。しかしながら、ここまで侮辱しているのです。こういうのはせめて、相手を見ながら言っていただきませんと」
「……」
「……そうですか。できませんか」
「コーティ、もう視線がどうこうなんて相手じゃないぞ」
酷く単純な、それでいて見当違いのように思える要求をするコーティ。流石のルイスも侍女の言葉に口を挟んだその時。
「ですよね。あなたには絶対にできませんよね」
「……コーティ?」
「マクライエン様は私たちに敵意を抱いているんじゃない。端から興味を持っていない。ただそれだけの話を、魔法技術だ条約だって、皆様揃って深読みし過ぎなんですよ」
コーティは迷いのない口調できっぱりと言い切った。ルイスの表情が固まり、それからマクライエンへと視線を戻す。
「……何を根拠に、そこまで言える?」
「根拠と言えるのかまでは分かりませんが……。まあ、簡単です。見る人が見ればすぐに分かる」
コーティ・フェンダートは、マクライエンから目を逸らさず答えた。
「だってその人、以前の私と同じ目をしている」
「……目?」
「はい。希望を奪われた者が辿り着く果て。憎しみだけを糧として、日々生き恥を晒す復讐者の目です」
その言葉に。
ルイスが、ケトが。貴族が、騎士が、使用人が。誰もが女将官の目を見る。静まりかえった時の中で、コーティだけが口調を変えずに語り掛けていた。
「マクライエン様、私と目を合わせていただけませんか」
「……」
「しないのではなく、できないのですよね? 自分が知らない人に、自分を知られる。それに耐えられない気持ち、私にも心当たりありますよ」
言葉の端に微かな皮肉、けれど声色には倍する悲しさを乗せて、コーティはマクライエンを見つめた。
「ねえ、あなたが憎むのは何?」
かつて憎しみに狂っていた侍女が問う。
「私たちの国を利用して、あなたは誰にどのような復讐をしようとしているのですか?」
≪五本指≫の侍女コーティ。
すべての元凶である女将官へと手を伸ばしたのは、王子でも、≪白猫≫でもない。他ならぬ、元復讐者の娘であった。




