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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第九章 革命の≪五本指≫ 後編
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侍女は少女に負けられない! その9


 少女が舞う、侍女が舞う。

 二人の娘が、国の中心で踊るように戦っていた。


 議場の端で為すすべなく震えている貴族たち、打ちのめされる近衛騎士たち、乗り込んで踏ん張る使用人たち。その場の誰もが、いつしか食い入るように二人の戦いを見つめていた。


 人ならざる力を見せつける≪白猫≫の少女。その能力は想定以上の一言に尽きる。人が束になっても勝ち目はない、それはつい先刻までの防衛戦が示す通りだ。

 なのに、黒いおさげを靡かせた侍女だけが、少女と互角に戦っている。周囲の目には、そんな光景が映る。


 間違っても、≪白猫≫の動きが悪くなっているという話ではない。体が小さくすばしこい、そんな厄介な戦い方はまるで変っていない。それどころか一つ一つの動作に惑いが消え、動きが洗練されていくようにすらに思えるのだ。


 けれど、そのことごとくが侍女に当たらない。むしろ、侍女もまた人間離れした動きで、≪白猫≫へ飛び掛かっていく。


「はあッ!」

「でぇい!」


 侍女が光槍魔法を撃ち放つ。少女の魔防壁で弾かれて、飛沫になって消えていく。

 応射の衝撃波、種別は連射。侍女は跳ねて五発を回避。最後の一発を踏むように、彼女は高く跳ね上がる。滞空中を狙う射撃は、しかし糸を使って軌道を変えた侍女には当たらない。

 今度は侍女が飛びかかる。少女は地に足つけて迎え撃つ。


 続く応酬は、苛烈を極めた。


 どちらの刃も、相手の体を捕らえられない。侍女は器用に体をひねり、少女は小さな体を転がし、刃は宙ばかりを切り裂く。金属のブーツはことごとく防壁に阻まれ、見えない翼が侍女服のフリルを掠める。


「なんて動きを……!」

「これが≪白猫≫か!」


 流石は私の宿敵、と。そんな二つの声が相乗していた。


「うやッ!」

「甘いよ!」

「これなら!」

「隙だらけだ!」


 互いの魔法が、床を砕いていく。


「力押しでくればいいものを!」

「そっちこそ、ちょこまかして!」

「厄介なんですよ、いつもお前は!」

「おねえちゃん仕込みだもん、当ったり前!」


 互いの刃が、机の残骸を削っていく。


「姉共々、ひねくれすぎでしょう!」

「そっちにだけは言われたくない!」

「お前よりはまともです!」

「どこが! わたしを追っかけてばっかりのくせに!」


 互いの腕が、相手の体を掠めていく。


「当然! 私と教官の宿敵が何を言うか!」

「一周回ってわたしのこと好きなんじゃないの!?」

「はっ! いかにも自意識過剰な小娘の言うこと!」

「口が悪くて素直になれないやつよりマシ!」


 互いに、退くことなど微塵も考えていない。互いに、互い以外目に入っていない。


「もう一回言ってみなさいっ!」

「人んちで何してたの! 居候!」

「ちんちくりんには教えません!」

「ちんちくりんじゃないもん!」


 やがて子供のケンカのような問答をはじめた二人。しかしその戦闘を見れば、誰もが委縮する。

 多少腕に自信があった程度で、この二人の間に割って入ることなどできない。それを本能的に理解させる、ここにはそんな空気があった。


「うるさい、このバカ女っ!」

「バカって言った方がバカっ!」

「バカの言うことっ!」

「ばーかばーか!」


 だからきっと、それは見間違い。

 戦う二人がどこか楽しそうに見えるのは、きっと周囲の見間違いに違いないのだ。


「はあッ!」

「うやッ!」


 白の少女が、黒の侍女に剣を突き出した。銃身のど真ん中を貫き、圧倒的な熱量で木目を弾けさせた魔導剣は、しかし同時に柄に絡みついた糸によって小さな手から引きはがされる。

 両者が開いた手をかざす。一際大きな衝撃波。それは少女と侍女、果たしてどちらが放ったのか。もしかしたら、二人で衝撃波をぶつけ合ったのかもしれなかった。

 侍女の照準は少女の魔法の圧の向きを逸らし、少女の出力は莫大な圧力で侍女の一撃を押し潰す。机とガラスの残骸を根こそぎ吹き飛ばし、バラバラになった破片が周囲に降り注ぐ。


 少女の体が吹き飛ばされた。体勢を整えようとする翼が滅茶苦茶な乱流を生み出し、紙という紙を飛ばす。

 侍女の体が放り出された。咄嗟に引っ張った≪鋼糸弦(ドラート)≫が部屋の端の国旗の支柱に絡み、その余波を打ち消す。


「っ、まだあっ!」

「今度こそっ!」


 直後、姿勢を整えるのもそこそこに、二人が飛び出した。宿敵の懐へと、少しでも有利な位置を取るために。

 広間の床が少女の着地で叩き割れ、紙吹雪が侍女の魔法で四方八方に飛び散る。銀の目が黒の瞳を射抜き、黒のおさげが銀の長髪と共に滅茶苦茶に揺れる。


「いいか、よく聞け!」

「届いて、お願い!」


 魔法の余波で加熱された空気が、二人の周囲に揺らぐ陽炎を生み出す中で。

 武器を失った侍女が、懐から金属の塊を抜き出した。両手の開いた少女もまた、腰の後ろから金属の塊を抜き放つ。両者が手に握るのは、技師が生み出した回転弾倉型の魔導拳銃。


「お前にどれほど人と力が寄り添おうとも!」

「あなたが人と技術で立ちはだかるなら!」


 至近距離、それぞれがそれぞれに向かって、その銃口を突き付けた。


 発砲。互いの銃口から弾が放たれ、すぐに反対の手で銃を叩いて薬室を転がす。

 発砲。寸前に互いが互いの手首を弾き、射線を逸らす。

 発砲。二人が放つ弾丸が、二人の髪の数本を散らす。


 そして、くるりと回って、再照準。

 この国の中心で二人は叫んだ。


「私はお前に、負けられない!」

「わたしはあなたに、負けられない!」


 侍女の銃は、少女の眼前に。

 少女の銃は、侍女の眼前に。


 ピタリと付きつけ、二人の娘が並び立つ。

 黒の瞳が銀の目を睨み、銀の瞳が黒の目を視通したその瞬間。


「そこまでだ」


 広間の入り口から、澄んだ男の声が響きわたった。


     *


 すべての視線が、一斉に彼へと向いた。


 奥の方で震えていたはずの法相が、いつの間にか身を乗り出してこちらに見入っている。悲鳴を上げて縮こまっていた伯爵が、体勢そのままに目と口を見開いている。引き攣った顔をしている近衛騎士が、怯えたように視線をこちらに移す。


 なぜここに。群衆のどこからかそんな声が挙がった。馬鹿な、と別の誰かが呟いていた。誰もが夢から叩き起こされたような顔をして、何度も瞬きを繰り返して、戦場に乱入した男の存在に気付いていく。


 そんな視線を一身に受け止めて、王子は部屋の様子に目を凝らした。


 完膚なきまでに壊された大机。天井の魔導灯はそのいくつもが割れ、つり下がるシャンデリアのほとんどが床で無残な姿を晒している。書類のすべてがガラスの破片と共に床にばらけて、数枚の紙がひらりひらりと舞い落ちたのを最後に、動くものはなくなった。


「……」


 彼がこんな光景を見るのは、はじめてではない。


 場所は違えど、荒れ果てた惨状は記憶に刻まれているのと同じ種類のものだ。三年前の≪傾国戦争≫、その最終局面に今の空気はよく似ている。

 気品とか、荘厳さとか。そういう着飾った雰囲気など、もうどこにも残されていない。代わりに満ちているのは、飽和し尽くし剥き出しになった、生々しい感情ばかり。


 彼は知っている。

 こうなってしまえばもう、打算や謀略などというものはその大半が機能を止めることになる。そういった類の臆病な概念は、盤石な地盤と一種の信用があるからこそ成立するのであって、今みたいな不安定な状況で縋るものにはなり得ない。


 だからもう、回りくどい言い回しなんて必要ない。素直に、直接的な言葉で伝えるのみ。


「騒がしいから来てみれば……。何してんだよ、滅茶苦茶じゃないか」


 遠く離れた北の町にいるであろう、勘当された姉へ。この状況を演出し、ここぞというタイミングで彼に主導権を委ねてくれたエルシアに、目いっぱいの感謝を。

 定められた流れを壊し大番狂わせの状況に持ち込んだのは、一重に彼女の手腕によるものだ。なるほど、名実ともに彼女は≪傾国≫と呼ぶにふさわしい。


 一騎当千の≪白猫≫が起こした襲撃と、それと互角に渡り合ってみせた≪五本指≫。

 国を司る者たちを巻き込んで行われた、二人の娘の乱闘。これこそが反撃の合図となる。エルシアの描いた策は、まさに今この瞬間を作り出すためのもの。


 王子は足を向ける先、広間の中央には、微動だにしない影が二つあった。互いに銃を突きつけ合う侍女と少女、ここから先の鍵となる二人の元へと、王子はゆっくりと歩み寄る。

 そうして、彼――ルイス・マイロ・エスト・カーライル王子は言葉を発した。


「銃を下ろせ、コーティ」

「ですが」


 ≪五本指≫は、視線を≪白猫≫から逸らさない。だからルイスは、厳しい声で重ねた。


「もう一度言うぞ。銃を下ろせ、命令だ」

「……は」


 ≪五本指≫のコーティが動く。静かに銃口を床へと下ろし、ケトから一歩離れる。それを見届けたケトもまた、一つ吐息をついて引き金から指を離した。銃を持つ手をだらりと下げて、視線をルイスへと向ける。


「時と場を弁えろ。ここは剣ではなく言葉を交わす場所だ」

「申し訳ありません、ルイス様」


 専属侍女は深く深く頭を垂れた。踏みつけていた机の残骸から足をどかして、静かにルイスの隣へ。金属の右手に拳銃は握ったままで、生身の左手を上から軽く重ね合わせて、主の隣に控える体勢へ。


「皆様が人質に取られている状況でしたので。まずは≪白猫≫を抑えることが最優先と判断いたしました」

「事情は把握している。よくやってくれた」

「はい」


 肩で息をしながらも、ルイスに向かってかすかに微笑んだコーティ。一見して真面目一辺倒な仕草だったが、その目の端に一瞬だけ愛嬌が覗くのをルイスは見逃さなかった。


 主従が白々しく言葉を交わしてみせるのは、それを周囲に聞かせるために他ならない。

 ≪白猫≫と対等にやり合ってみせた暴走侍女、その手綱を握るのはルイス王子その人。この広間にいる人間には、そのように理解してもらう必要があるのだから。


「ひょっとして、わたしに対して怒ってるの? 心外だね、先に仕掛けて来たのはそっちじゃないか」


 対する≪白猫≫は、少し離れたところに落ちていた魔導剣の柄を拾い上げて、ソードベルトに差し込んだ。

 不機嫌そうにこちらを睨みつけているのは、決して演技ではないのだろうとルイスは思う。彼女にとって、カーライルは幾度となく自らを襲う国。例えコーティと手を結んだ彼女であっても、それでこちらに対する警戒心が消える訳ではないはずだ。


「その通りだな」


 だから、ここで国と≪白猫≫の敵対関係を変える。そのために自分が何をすべきか、ルイスはきちんと心得ていた。


「ケト・ハウゼン嬢。君への襲撃に関して、まずは俺から謝罪させてもらいたい。常日頃から我々が君に特別の警戒を置く事情は理解いただきたいが、その上で前回の奇襲、今回の対応、どちらも過剰であったことを認めるよ」

「まさか、言葉だけで謝まって済ませる気? あなたたちの武力なら、わたしを殺すことだって簡単なの。普通に怖かったんだけど」

「最初に謝罪の意思を見せたかっただけだ。今後の対応はまた別の話になる、俺はそう考えていると伝えておきたい」


 そこで、ルイスは壁際に退いた群衆の顔を見渡した。周囲の注目がこれ以上なく自分に向いていることを再度確認。高らかに、言い放った。


「さてケト嬢。君がここに来るまでの道中、死者を一切出さなかったという報告を受けている。……で、考えてみたんだ。君の意図は我々への敵対以外にあるのではないか、とな」

「わたしの気配りに、ようやく気付いたって?」

「誰も亡くなっていない事実、心から感謝するよ」


 人垣がざわめきに揺れる。その上から被せるように、ルイスは「そこで、どうだろうか」と一際高らかな声を上げた。


「これからのことを君と相談する、というのは」

「相談?」

「君と話がしたい。剣も銃も、収めた上で」

「……へえ」


 ケト・ハウゼンは、すぐには答えなかった。

 何かを噛みしめるように目を閉じ、小さく深呼吸。誰もが息を詰めて見守る中、やがて彼女が視線をこちらに向け直した時、その銀の目に籠る敵意は鳴りを潜めていた。


「……あなたはわたしの言葉を聞いてくれるみたいだね、良かった」


 ケトもまた、声を張り上げる。


「わたしもね、お話をしたくてここまで来たんだ」

「お話?」

「あなたたちカーライルと。そして……」


 最初に鐘が鳴り始めてから、既に数刻。

 擬龍隊、城壁の防衛砲隊、あちこちに蔓延る内通者たち。それらを突破しねじ伏せて、特使と国の有力者たちが集められた、二国間会談の場で。国を傾け、全ての人間の心を揺さぶったその果てに。


「ここに、ネルガン連邦共和国って国の人、いるよね?」


 銀の少女が、事の元凶たる侵略者へと視線を向けた。


「わたし、その国の人に伝えたいことがあって、ここまで来たんだよ」


 強者と弱者。

 二者しかいないはずの交渉の席に、第三の人物が名乗りを上げた瞬間だった。


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