侍女は少女に負けられない! その8
誰もが自分を見ていた。
「喰らえッ!」
ケト・ハウゼンの一射をかいくぐり、彼女の左側、床近くに小規模な衝撃波。無残な残骸に姿を変えたシャンデリア、その破片を掬い上げ、即席の矢と変えたそれで少女を狙う。いかにケトであっても、鋭い破片はやはり神経を脅かされるものなのだろう。白い少女の動きがわずかに鈍ったのを見逃さず、コーティは懐へ飛び込んだ。
「うやッ!」
「でえい!」
ケトの持つ魔導剣は、その軌跡に光の残像を幻視させる。紙一重で躱したならば、肌を焦がすような熱が、チリチリとコーティを刺すのだ。
よほど相手の体勢が悪い時以外、その白熱した刃を金属で受け止めるのは自殺行為に等しい。ケトが本気になったら金属剣すらも一瞬で焼き切られるし、出力を絞っていたところで彼女の腕力を受け止める方法がないのである。
それでも、コーティにできることは確かにあって。
ケト・ハウゼンの強みが、人ならざる能力と、機動性の両立……すなわちすばしこさと体の小ささにあることを、もうコーティは知っている。であれば、コーティはコーティの強みを叩きつけるまでのこと。
コーティは手先が器用だ。
魔法制御の緻密さでは向かうところ敵なし、不思議な糸だって自由自在。そして、自分の技能を助けてくれる道具を纏い、手に入れた立場と明確な目的に突き動かされる今。いくつもの要素が合わさって形作られるコーティ・フェンダートという人間は。
「今度こそ、負けない!」
腰のベルトにつけた六基の≪鋼糸弦≫のうち、ここまでの連戦で二基を放棄している。現時点で使用可能なのは四つ。既にその三つから糸が伸びていて、広間の中に縦横無尽に張り巡らされたそれらは、部屋の壁飾りや残ったシャンデリアに巻き付けてある。一本一本を適切な時期に、適切な強さで手繰り寄せれば、人に不可能な機動を取り続けることだってできるのだ。
左手に握った最後の一つは、ケトの動きを阻害するための牽制用。距離を取りたい時、接近までの時間を稼ぎたい時に投げつけ、あわよくば武器の奪取を狙うもの。
「戦いようならいくらでもあるぞ、ハウゼン!」
そして魔導ブーツ。踏み出す時にちょっと展開してやるだけで、小さな歩幅が強力な突進に変貌を遂げる。それはもう、翼を持つ者の軌道に追いつけるほどに。
「変な動きばっかり……!」
ケトの唸り声を聞きながら、急加速、急制動。右へ、左へ、跳んで、転がって、引っ張って。
コーティの視界が激しく左へ、体のすぐ右側を輝く剣が切り裂いていく。ブーツを光らせてすかさず元の位置、体を微かに揺らしたケトに、銃剣の一撃を見舞いしてやる。欠片も動じないケトは、魔防壁で攻撃を弾くや否や、壁自体をこちらに叩きつけて来た。
「……ぐっ!」
咄嗟の回避が間に合わず、歯を食いしばったコーティを衝撃が揺らす。直撃こそ免れたものの、衝撃と共に圧力に右足を掬い上げられていた。
吹き飛ばされる直前、コーティは直感に従った。銃剣を床に突き刺し、それを軸に体の芯を固定。力を抜いて流れに身を任せる。ぐるりと体を回して斜めに宙返り、弾かれた脚に回転の勢いまでをも乗せて。
「うやあああああッ!」
「嘘ッ!?」
派手な音。金属で補強されたブーツで、渾身の一撃。ケトの無防備な左頬に吸い込まれた脚が、しかし見えない壁にぶつかって止まった。魔法の壁とも異なる、人の目に映らぬ物理的な何かだった。
翼。彼女だけが持っていて、彼女を人ならざる者足らしめている力。
「それがなんだッ!」
とどめと言わんばかりにブーツの魔法陣を最大出力で。駄目押しの一撃が炸裂。がこん、と人の体では立てようのない音が響き、ケトの小さな体が吹き飛んだ。
「……わっ!?」
弾け飛んだ白い少女は、驚きの声をあげながらも器用に空中で体勢を整えてみせた。人間相手なら命を刈り取る一撃であっても、この少女相手では有効打になり得ない。分かっていても、歯噛みの一つでもしたくなる。
けれど、確かにその一撃がケトの視線を変えた。
「今の攻撃、痛かった……!」
銀の瞳の圧迫感、コーティの全身が総毛立つ。
この異質感、この異物感。胸の奥をくすぐられるような、この感覚は、ひょっとして。
「こいつ、私の心を視ているのか……!?」
恐ろしいことのはずなのに。憎しみを抱いていた仇に、コーティは己の感情を曝け出しているはずなのに。
なのにどうして、こんなにもくすぐったいのだろう。
(すごい!)
すべてを伝えてしまった代わりに、こちらに届く思惟があるからだろうか。心に触れる感覚が、純粋な感嘆の感情をコーティに伝えるからだろうか。
そうか、ケトは今の攻撃を受け止めるつもりだったのか。それを真っ向から打ち破ったコーティに、驚いているのか。推測などではなく、そんな確信を抱いた。
「わたしだって……っ!」
そして、彼女が本気になったことも、その目が教えてくれる。
軌道が変わった。ケトはもう、己の移動を二本の脚だけに頼らない。稲妻のように残像を奔らせながら、小刻みに進路を変えた少女が飛び回る。
「ええい、受けて立ちます!」
だからコーティも跳ね上がる。相手の突進の進路を読んで体をひねり、天井に巻き付けていた≪鋼糸弦≫を引っ張る。空中で軌道を変え、天井に足をついたケトを真正面に捉えた。
視界に広がったのは、こちらへ飛び込んでくる熱の刃。構えた魔導小銃を傾けたコーティは、先端の銃剣に出力を絞った魔防壁を纏わせた。接触。薄い防壁をいとも簡単に破ったケトの一撃は、しかし力の向け先を微かに逸らされて、紙一重でコーティの体には当たらない。
逸れた斬撃はそのまま突き進み、下方で大机の残骸を叩き潰した。
「もう一撃……!」
鋭角の軌道を描くケトが再び迫る。なんて動き、こちらはまだ落下も開始していないのに。
それでも、教官が言っていた。動きの大きい敵なら、その勢いを利用してやればいいのだと。
「やああああああッ!」
一気に迫るケトの声に、もう一度≪鋼糸弦≫を引っ張る。ほんの少し上方へずれる体、必死に引き寄せた小銃の先から刃の欠片が吹き飛んでいくのを見ながらも、コーティは掴んでいた銃把を手放す。そのまま空いた手を見えない翼の付け根へと伸ばした。
「捉えた!」
「うわッ……!?」
革手袋を嵌めた左手が、透明な何かに確かに触れた。硬質なそれにぐんと腕を引かれ、ぎょっとした顔のケトが滅茶苦茶に翼を振り回す。すぐに弾き飛ばされ、コーティは地面に放り出された。受け身を取ってすぐに回避。向こうでは空中で姿勢を崩したケトが苦し紛れに魔法を撃ち放っていて。光弾魔法の六連射が、その手の中に青く瞬く。
両足に力を込める。走る、走る。跳んで転げて、すべての射線を見切る。魔法に集中する余裕がなくて、反撃に使う衝撃波は小規模になったが、なんとか舞い散る紙を吹き上がらせて目くらましに。その隙に落ちて来た魔導小銃を掴み取る。
「視えるのに、当たらない……っ!」
「やはり、強い!」
湧き上がる言葉は、もう呪詛ではなくて。ただ、純粋な意地が転げ落ちる。
コーティの中で、全身の血潮が滾る。なぜだろう、宿敵の動きが分かる。次に動く方向が手に取るように予測できる。極限まで集中させた黒い目で、宿敵の軌道を見切る。
ガラスの破片、衝撃波で蹴散らす。飛び散る光、気にせず体を前へ。さあ、次はどう動く。
進む先には龍の少女。親を奪われ、故郷を失くした子供。己が厭う力と否応なしに向き合わねばならない、そんな宿命を抱えた娘。人を超え、人ではない何かになり、それでも人として生きようとする女の子。
「だったら、私は……!」
立ち向かうのは、短絡的で直情的な侍女。馬鹿で、前しか見えないコーティだけれど。
彼の隣に立つには、それではいけないと知った。導かれた北の町で、龍の少女の悲哀と、彼女を包む愛情を見た。
そうしてここまで来たからこそ、見つけた答えがある。
ねえ、もしも。もしも、私が彼のように、人を統べる立場にあったなら。
その言葉に続く夢物語がきちんと意味を為しているのに気付いたのは、つい最近のこと。誰に言われた訳でもない、自然と芽生えたその望みは、正真正銘コーティの心が生み出したもの。使命だなんて格好つけるつもりもなくて、ただ自分の原動力となって噴き出していた。
「いつか、お前を……!」
魔導剣を銃剣で逸らす。ガタガタの鉄の刃が焼き切れないのは、ケトが剣の出力を絞っているからだと理解している。そう、こちらが向こうを殺せないように、向こうもこちらを殺せない。
技量と装備、そして目的に立場。ありとあらゆる要素を束ね、まとめ上げ、一つの体に収めた≪五本指≫の侍女は。
今というひと時、≪白猫≫に並び立つ唯一無二の存在であった。
*
正直に言おう。
舐めていた。ケトはコーティを舐めていた。
確かに、難しい状況にあったのは事実だ。
コーティとの戦闘は、言い換えるならちょっとしたお芝居に過ぎない。政治の場においてケトの立場を安定させるための演技であり、最終的に国との共闘関係を築くための、すなわち戦時状態を解除する儀式であることは重々承知していた。
ケトは不器用だから、力を抜く術を知らない。これまでの人生を振り返れば、いつだっていっぱいいっぱいで、そのすべてをもって敵へと挑んできた。
そんな自分が、協力者と一戦交える芝居をしなくてはいけない。
だから生まれてはじめて、魅せる動きを意識して、意図的に手を抜くのだろうと、そんな風に想像していた。
「……すごい!」
けれど、実際にはどうだ。
手加減なんてとんでもない。そんな余裕はどこにもない。
ケトが翼を使って飛んでいるというのに、何故かコーティは同じ高さにいる。足元を魔法で光らせ、腰元から伸びる数本の糸を使って縦横無尽に翔けてくる。
信じられない、信じられない。これではまるで、自分が力に驕っているみたいじゃないか。強いと自惚れているみたいじゃないか。
目の前に迫る魔導小銃。既にあちこち削れた銃剣が、ケトに向かって突き出される。それを魔法の剣で受け止めて、弾き飛ばす。
「まだです!」
ほらまただ。彼女は銃を手放して、回避行動を取った。追撃したいのに、相手は退きながらもこちらに体を向けていて、金属の右手には第四世代の魔法陣、左手には≪鋼糸弦≫。撃ち放たれた光弾と錘が時間差でケトに迫る。
どうする? ケトは自分に問いかけた。空を飛べる程度では、この敵に対して有利に働きやしない。コーティは飛べもしないのに空を翔け、見えていないはずのケトの翼まで掴んでくる女。油断すれば確実に足元をすくわれる。
そこまでされて、平常心でいるなんてもう無理だ。のらりくらりとやり過ごすつもりもなくなった。
口元が吊り上がっていくのを感じて、なんだか不思議な気分。
今だけは、今ばかりは、ケトの内に根付いた乱暴さを出してみたい。目の前の侍女はそれを望んでいて、取り巻く周囲がそれを見つめていて。そして今、自分もそうしてみたいと考えている。
(やりなよ、ケト。イイ子ちゃんでいるだけじゃつまらないだろう?)
己の内に巣くう凶暴性。いけないことだ、なんてずっと蓋をしてきたそれを心置きなくぶつける機会が、ケトの目の前にあって。白い紙とガラスの破片が荒れ狂う只中で、ケトはにやりと笑みを浮かべた。
「すごい、すごいよ……!」
頭上に叩き込まれた衝撃波を利用して急降下、叩き割れたテーブルの残骸を踏みつけて、ケトは地上へ。
「戦うのが楽しいって、わたしそう思ってるの……!?」
飛び込んでくる刃。先程弾き飛ばしたはずの魔導小銃が、いつの間にかコーティの手元に戻っていた。これも数度目となればもはや驚きもない。銃把にからげた教会の糸で引っ張っているのだ。同じ動きは、多分ケトにはできない。
だから、ケトは決めた。
魔導剣の出力を一気に上げる。途端、反発の刃から灼熱の牙と変貌を遂げた剣を振りかぶり、ケトは宿敵に飛び掛かる。
試製魔導剣二型改。新たな力となってくれた剣は、結局元のままの名前で呼ぶことにした。この世に一振りしかない、ケト専用の剣。折れることなく、出力次第で金属を容易く切り裂くことも、もしくは打ち合うこともできる、便利な道具。
その光の刃を己の背丈の数倍にまで伸ばして、一閃。天井には深々と切り傷がついたのに、コーティはお仕着せの裾すら破かない。接近を試みる侍女に構わず、刃を引き戻す。間合いを思いのままに切り替えて、矢継ぎ早に斬撃を繰り出す。
腕を付き出す、躱される。飛び上がる、ついてこられる。魔法を撃つ、逸らされる。一体何を食べたら、こんな動きができるのだろう。少なくとも今朝は、自分と同じものを食べていたはずなのに。
「これが、わたしの敵……!」
(ヒトは万物に変化をもたらす存在だ。良い悪いは別にして、変えずにはいられないんだよ。キミがあの人間にしたように、あの人間がキミにしたように)
はじめは龍のブレスだったはずのものが、人の手で衝撃波に変えられて自分を襲う。
はじめは師への憧れで真似たはずの技量が、人を龍の翼に追いつかせる領域へと届ける。
そうして侍女は少女に迫る。ケトが刃を弾いても、魔法で跳ね飛ばしても。何度も何度も。
「……負けたくない」
そんな宿敵の存在が、ケトにそう思わせた。生まれてはじめての感情だった。
「わたし、おまえにだけは負けないんだから!」
龍の意志なんてどうでもいい。人の世の複雑さなんて関係ない。今のケトにあるのは、ただただ己の意地だけ。
だから動きを変える。相手の動作を見極め応じる対応から、押して自分の流れに持ち込む戦術へ。そうしないと、目の前の只人には勝てない。ケトにはちゃんと分かってしまった。
「コルティナッ!」
「ハウゼンッ!」
なりふり構わず、少女は魔導剣を構えて突進する。
視界の先で、侍女も魔導銃を携えて駆け出した。




