侍女は少女に負けられない! その3
カーライルとネルガン、二国間の会談が行われていたはずの大広間。そこにはもう、交渉の場とは思えないほどに酷い有様が広がっていた。
「第二砲隊は駄目なんだな!?」
「撃てる砲が残っていないと! 浄水保管庫も直撃を受けて壊滅状態で……」
「見失った!? あれが見当たらないとはどういうことだ!?」
「建物の影に入られたら分からないでしょ!? 城内に隠れてるかもしれないんですよ!」
あちらで顔に引っ掻き傷を拵えた法相が騒げば、こちらも額のたんこぶをさする男爵が負けじと声を張り上げる。服のボタンが引きちぎられたままの騎士団幹部が怒鳴るように部下をしかりつけ、商会と付き合いの深い伯爵家の跡取り息子が呆然と部屋を眺めている。
床にはちぎれたボタンや、布の切れ端、きらびやかな衣装の飾り金具が散乱している上に、資料の紙の束すらばら撒かれている始末。
国家の趨勢を決める、なんてお題目からは程遠い状況。
もう、取り繕うのはやめるべきだろう。これは醜聞なんて生易しいものじゃない。他国との交渉の席で、いい歳したお偉方が乱闘騒ぎ。人の殴り方も知らない老人から、たるんだ腹に日々悩まされる中年まで。滅茶苦茶に手を振り回すものだから、打撲やらひっかき傷やらみみず腫れやら、赤く膨れた顔の貴族たちの醜い会合だ。
今より遡ること数分。貴族たちの大暴れを止めたのは、警護の近衛騎士の尽力でも、権力者の鶴の一声でもなかった。
外から駆け込んできた騎士団の伝令。彼の尽力によるものである。
血相を変えて息を切らし、ついでに広間の外で警護に当たっていた近衛に取り押さえられかけ、やっとのことでたどり着いた広間がこの状態。
扉を勢いよく押し開き、「緊急!」と叫んだ伝令が、必死の形相のままで固まってしまったのも頷ける。よりにもよって、彼の所属する部隊の上役が胸倉を掴まれている様を見てしまったのが、不運に拍車をかけていた。
それでもまだまともな感性を保っていた伝令は、上役を助けに行くなどという愚行は選ばなかった。何やっているんだ、という罵る代わりに、全身を声にして叫び散らしたのである。
「報告! ≪白猫≫襲撃! 至急対応の指示を乞う!」
流石にその声は広間中に響きわたったようで、皆がぴたりと動きを止めて。
そこからは、ちょっとした見ものだった。
頭に冷や水をひっかけられたように、はっと我に返っていく彼ら。取り繕うにはあまりに遅すぎる状況ではあったが、だからと言って逃げ出すわけにもいかない。各々こほんと咳ばらいをしたり、「やりすぎた」などと叩いた相手に呟いたり。ケンカを窘められた子供のような不貞腐れ方で伝令の報告を聞いたのである。
鐘が鳴り始めて数分。ここでようやく、カーライル王国首脳部は≪白猫≫との戦闘開始を把握した。
件の≪白猫≫は一度城の上空から離脱、ネルガンの擬龍たちと戦闘を開始した段階である。既に、ネルガンの航空隊とカーライルの砲隊による挟撃は不可能であった。
そこから更に少しばかりの時間を挟んだ頃には、二国間協議など、もう誰の眼中にもありはしなかった。少なくともカーライル王国側の人間がそれどころではなくなり、自分たちの行いのツケを支払う羽目になっていたのだ。
次々に伝令が走って来ては、まるで冗談のような光景を伝えていく。≪白猫≫の娘の、あり得ない移動速度、ありえない機動、縦横無尽に飛び回るその軌跡。状況の更新速度に、判断が追いつかない。
城壁の守備隊が壊滅した上、大暴れする≪白猫≫を見失った。擬龍六騎が手玉に取られた、という報告だけは、傍観者であるはずのネルガンの軍人たちも息を飲むほどである。
三年前の悪夢が、化け物そのものになって襲ってきた。これは夢か誠か、現実だったとしてどういう対策を練るべきか。この場が鋭い声で満ちているのは、想定外の方向へと狂い始めた状況に、戸惑いを隠せないことへの表れだった。
「せめて奴の目的だけでも分からんのか!」
「決まっている! どう見たって先日の報復だろう!」
誰かが指示を出そうとすれば、我も我もと言わんばかりに他の重鎮も口を出す。唯一彼らの上に立つ立場にある王女に関しては、先程ヒステリーを起こした以上、誰も頼ろうなどと思わない。頭を失った状態で、カーライル王国は対応を迫られたのである。
すなわち。
王女エレオノーラの視点で見れば、この滅茶苦茶な状況でもある程度の自由が約束されている、ということでもあった。
「ネルガン航空隊とうちの防衛部隊に死者なし。この情報は確定ね、ロザリーヌ?」
「はい、エレオノーラ様。状況に多少の遅延は見られますが、大枠は予定通りです。今頃ケトさんはヴァリーから補給を受けている頃でしょう」
「であればいいのだけれど。……それで、そこの裏口も大丈夫なのでしょうね?」
「予定通り、外側から施錠済みです。この広間から誰一人逃がしませんよ」
誰も自分に注目していない。それがこんなにも清々しい気分にさせるなんて。臨時の対≪白猫≫指揮所と化した中央の大机を眺めるエレオノーラは、ロザリーヌの報告を聞きつつ、広間の隅で吐息を吐いた。
大声を出して暴れ回るなど、エレオノーラにとって産まれてはじめての経験だった。ぎゃあぎゃあ好きなことを喚き、他人の迷惑を顧みることもしない。王族の枷を引きちぎったひと時、王女ははじめて自由というものを味わうことができた気がする。
他者の期待をことごとく打ち破る痛快さと、その奇行が巡り巡って国の未来を紡ぐ一手になる皮肉。総じて評するなら、愉快痛快。恐らくもう二度と同じ手を使うことがないのが、ちょっと残念だ。
責ある者の重圧を理解しているであろうロザリーヌが苦笑を漏らしながら、視線を部屋の中央に戻す。それにならって王女も重鎮たちの顔を伺う作業に戻った。
中央の大テーブルの人だかりの中、今もそれとなく妨害活動に勤しむアルフレッドの横顔に、少しだけ見惚れてみる。
魔導小銃を抱えて慌ただしく走り回る近衛騎士たちも、隅に追いやられた王女たちを気にする素振りは見せていない。実際彼らは内通どころではなく、総力を挙げてこの会議室の防備を固めねばならなくなったのだ。なんとも気の毒な有様だった。
「気になるのはネルガン側の動きね。空飛ぶ龍の部隊、撤退した後の様子は?」
「距離を保って静観しているそうです。あの速度であれば城まで来るのも一瞬だと分かっているからでしょう」
「そう……。それでも今のところは近づいてこない。様子見は当然の判断かしら」
大きな懸念の一つであった異国の龍部隊もどうやらすんなり引いてくれたようだ。体勢を整えて第二波攻撃をかけるつもりなのかもしれないが、今のところ動きはない。
そして、事態の推移を見極めようとしているのは、広間の片隅で存在感を消しているプレータ・マクライエン少佐一行も同じだ。
いずれにせよ、侍女と少女の大立ち回りが、この場を整えつつあることだけは確かだ。近衛隊の伝令が騎士に何事かを伝える様子を遠目に見ながら、エレオノーラは首を振ってみせた。
「……本当に、誰も殺さず突破するなんて」
「流石です。もう、私たち人間にあの子を抑える術なんてないのかもしれません」
「ゾッするわ。……ケトさんがああいう人柄でなければ、私たちは本当に滅んでいてもおかしくないのね」
「そうならなかったことを、我々はあの子とお姉さんに感謝しなくてはいけませんね。本当に必要な奇跡は、私たちが気付くずっと前にもう起きているんですよ」
力ばかりが語られることの多い≪白猫≫だが、彼女の人となりを知る人は皆、口を揃えて言う。
「……ケトさんの素直さ。あれこそ、龍の少女の力の根本にあるものなのでしょう」
少女の願い事。それが昔から変わらない素直さと優しさに根付いたものであることを、王女も才女も知っている。
国の上層部、内通者、そして異国からの侵略者。誰が敵で、誰と戦うべきなのかすら分からなくなった大人たちの頬を引っぱたき、現実へと目を向けさせようとする娘たちの一撃。
この戦闘が、権力者たちの勢力図を書き換えるかもしれないとなれば、確かにこれは一種の革命と呼んで差し支えないはずだ。
「龍の少女と人の少女。もうすぐ、対を為す二人がここに来る。ここからが正念場です」
そして、気にすべきことはもう一つある。ロザリーヌが幾分静かな声で、王女に問いかけた。
「で。エレオノーラ様。あのマクライエン少佐のこと、どう思われますか?」
王女はすぐには答えず、しばらく考え込むように視線を落とした。
「さっき私、騒いだ時に鎌をかけてみたつもりなのよ……」
先刻までの会談で、王女がヒステリーを装いながら放った言葉。国のすべてを切って売るような条件の羅列は、ネルガンから見て理想的なものの提示だったはずだ。
もちろんカーライルとしては受け入れられないと分かった上での発言だ。もし相手が乗ってくるようなら自身の錯乱を理由にのらりくらりと躱すつもりだった。
それを敢えて聞かせてマクライエン少佐の様子を探ってみたのは、結論から言えば、どうやら良い手だったらしい。
「あの人、少しだけ困っているように見えたわ」
「……困っている?」
「ネルガンの付きつけた条件を飲み、和親条約を締結させる。それをどうやらマクライエン少佐は本気で嫌っている。私はそう推測する」
「この交渉が始まった時の態度は、やはり演技ではなかったと……」
ネルガンから和親条約締結をもちかけられて以来、半年以上感じていた違和感。
それが何かは言い表せないものの、目に見えないそれが無視できなくなってきた様を、エレオノーラはこう表現した。
「一体何を望んでいるのかしらね、あの少佐は」




