もう一度、彼の元へ その10
――貴様の体格で、大の男と張り合えるとは思うな。
コーティは石の床を蹴り飛ばす。
――だから、隙を見せるな。徹底的に、隙を見せるな。
教官の教えが耳元を木霊していた。
騎士の突進を躱しながら、コーティは≪鋼糸弦≫の一本を壁の燭台にひっかける。巻き取る力を利用して、一気に壁際へ移動。とん、と壁についた左足を踏ん張り、転がる。ロングソードの先が石の壁を掠めて一筋の傷をつける中、コーティは前転しながら魔法を連射。
――騎士も変わりつつある。騎士道など、既に廃れたと思って立ち向かえ。
ほんの十数年前まで、この国の戦いは剣と槍と弓が主流だった。
それが変わったのもまた、魔法の出現によるもの。一対一の決闘、互いが名乗り合って名を上げるための戦場から、連携と装備、戦略がものをいう集団戦へ。
だが、今ばかりは、その個対個の戦闘であった。
「なるほど、小回りが利く!」
「まだまだこれからッ!」
騎士が右手だけをこちらに向ける。魔法陣、光槍魔法。コーティの撃ち放つ光弾魔法は光の槍に次々と飲み込まれていき、すかさず跳ねたコーティのすぐ傍を焦がす。負けじと懐に入ったコーティは、騎士の剣さばきをしのぎ切り、右手のナイフをひらめかせた。
交錯。刃物が騎士の右腕に薄く血の筋を刻み付け、しかし侍女の腹に蹴りが飛んでくる。吹き飛ばされて、受け身を取る。左手からナイフが離れ、部屋の隅にぶつかる音が響いた。
「ぐッ!」
――死にたくなければ、動きの緩急を意識することだ。
「これ以上、国を揺らすな!」
顔を上げ、追撃の剣を視界に入れる。引き付けて、引き付けて、魔防壁。水が飛び散るように防壁が滅茶苦茶に波立ち、逸れた切っ先が床を叩きつける。その隙に跳ね起きながら、コーティは左手を引いた。燭台に絡みついていた糸が一瞬で張り詰め、引き戻された錘が騎士のもう一振りの剣の軌道を阻害する。
――糸はあくまで補助、あれば便利な道具と考えろ。重要なのは、その隙を活かせるだけの本人の目だということを忘れるな。
「……ちッ!」
「うやあッ!」
全力の回し蹴り、狙うは騎士の左腕。ただでさえ重い魔導ブーツが鈍器そのものになり、風を切って唸る。マティアスが剣を引き戻す直前、コーティのブーツの先がロングソードの刃の腹を捉えた。
銃弾の直撃でできた刃の傷に、鋼鉄で補強されたブーツの側面が直撃。鈍い破断音とともに、マティアスの手から剣が飛んだ。折れたロングソードが牢の壁に打ち付けられて、ガシャンと音を立てた。
「教官仕込みの技能とッ!」
下がる騎士の近くにある燭台に≪鋼糸弦≫の錘を投げつけて、動揺を誘う。すかさず展開された防壁魔法の横を取ろうと、目くらましの光弾を乱射しながら飛び込んだ。マティアスの手から防壁が打ち出され、光弾魔法を弾きながらコーティの方へ。すかさず回避、飛び上がる。
「この国の技術でぇッ!」
「その程度!」
振るわれたロングソードは、魔導ブーツの衝撃波で体を逸らして躱す。着地、体を反転させて動かしたナイフは、しかし空を切る。体の後ろから引き出されたマティアスの左手、そこに魔導拳銃を確かめたコーティ。咄嗟にナイフを手放した右手で、マティアスの手を横から掴んだ。
「舐めるなあッ!」
「舐めるなあッ!」
互いの声が重なり、発砲。射線を捻じ曲げられた鉛弾がコーティのおさげを揺らし、何もない虚空へと吸い込まれていく。伸びあがって頭のてっぺんを騎士の顎に叩き込みつつ、魔導ブーツの最後の浄水を使い切って跳ね上がった。
右手は相手の手と、左手は相手の肩と。マティアスと組み合ったままで、コーティの世界が上下反転し、歯を食いしばる騎士が視界のど真ん中に映る。勢いに任せて、コーティは死ぬ気でのしかかった。よろめく大きな体、無茶な角度からの負荷に堪えられなくなったように、マティアスが姿勢を崩した。
いけるか? 騎士を床に叩きつけながら問うた瞬間。侍女は空いた騎士の右手に魔法陣を見る。
「……っ!」
「滅ぼされては、困ると言ったッ!」
コーティの体勢はとてもすぐに動けるものじゃない。無理やり軌道を変えられる魔導ブーツは浄水切れ。回避は不可能で、となれば残された選択肢は防御か、攻撃か。
迷ったのは一瞬、突き動かされるように予備のナイフを抜き放つ。膨張する水球が、コーティの腹のど真ん中で起爆。ぐいと押し広げられた空気が衝撃となって迫る直前。青白く光る魔法陣の上から、コーティは刃を叩き込んだ。
「ガッ……!」
肺からすべての空気が絞り出され、コーティは宙に吹き飛ばされる。壁に腰を強かに打ち付け、そのまま落下。受け身を取れなかった体に重い衝撃。暗く染まった視界に星がいくつも瞬き、「コーティ!」というルイスの声を聞いた気がした。
「かはっ……」
やられた。怪我なんてしていられないのに……。
遠のく意識の手綱を必死に握り、しかしコーティは咳き込みなら教官の教えを思い出す。
――落ち着いて目を使え。自分が辛い時は、相手だって同じだ。
……教官のご遺体、そういえば目が潰れていたっけ。それに比べたら、こんなもの。
そう、相手の立場に立ってみろ。あんな近距離で衝撃波の魔法、自分にも絶対に影響が出る。この状況で、後々まで響くような負傷を貰う自爆など、あの男がするはずがない。
現に、腹に殴られたような痛みは残るも、結局はそれだけ。骨だって折れていないはずだ。唇を切ったせいで広がる血の味も喉の奥にまでは届かず、ならば内臓も潰れていない。
「けほっ、けほっ」
「……見事だ。まったく、見事だよコーティ君」
咳き込みながらも体を動かし、コーティは部屋の奥を見た。
離れ際の一撃を受けた騎士もまた、よろめきながら立ち上がる。彼は自分の右手に刺さったナイフを見て顔をしかめ、無造作に一気に引き抜いた。ぼたぼたと床に垂れる血もお構いなしで、壁際に落ちた剣を拾い直すのを見たコーティは、内心で戦慄した。
右腕を失ったコーティには、その痛みも想像がつくのだ。普通の人間なら、あんな手で剣など握れない。それもまた覚悟か、心の中で呟いた。
「正直、君が戻ってくるとは思っていなかった。例え未練たらしく城下に来たとしても、よもや我々の防衛網をかいくぐるほどの覚悟を持っているとは」
「……譲れないものを見つけたから。きっとマティアス様には分かるはずです」
マティアスはもう、揺らがない。文字通り、命を張って事を成し遂げるつもりだ。その意志はこちらに伝わり、また自分の意志の一端を伝えられた、それも確かに分かるのに。
ああ、人の善意を信じ続ける≪白猫≫に教えてあげたい。互いが互いを敵として認める。それがこれほどまでに悲しく感じられることもあるのだということを。
これだけ素直に話ができるのに、自分と彼は殺し合うのだということを。
「≪白猫≫以外の事柄であれば、君は感情を排せる者だと思ったのだがな」
「買いかぶりすぎですよ。私は泣きもしますし、怒りますし、笑いもします。ポンコツで、足りてない、ただの人間です」
「君が殿下を連れ出してくれたら、二人で自由な人生を送ることもできる。人並みの幸せを得ることだって……考え直してはくれないか」
「私は私の道を選びます。人から影響を受けることはあっても、意に添わない指示に従うことはできません」
マティアスが一振りの剣を構える。流れ出る彼の鮮血が、刀身を流れて赤く染めていた。コーティも落ちていたナイフを右手で拾いあげ、体の前に構える。次で決着をつける、互いにそのつもりだった。
床を蹴ったのは両者同時。コーティは短剣を振りかざし、マティアスは迎え撃つための長剣を構えた。
「うやッ!」
「ハッ!」
短い気合と共に、ナイフとロングソードがぶつかり合った。
もつれこませたのは真っ向からの力勝負。腕力で劣るコーティだが、相手は手から血を流している。今ばかりは押し切る力強さが必要だった。
ガチガチと刃を軋らせながら、コーティが一歩を踏み込む。マティアスの顔が痛みに歪み、一歩後ずさる。
この均衡が崩れた時が勝負だった。至近距離で睨み合う二人とも、その認識はあった。だからこそ、隠し持っていた奥の手を使う、その覚悟をコーティは決めた。
合図は、短く端的に。この空の元で暴れる戦友へ。
「今ッ!」
マティアスが何かに気付いたように、目を見開いた瞬間。
牢の中に光が満ち、二人の傍の壁が一気に崩れた。
*
押し込むコーティの先。マティアスの背後。
そこにあった小さな格子窓が、一瞬で消失する。周囲の石壁がごっそりと抜け、代わりに壁だったものが破片と化して吹き荒れる。その向こうから差し込んだ青白い光は、牢の隅々までもを煌々と照らし出した。
「なッ……!?」
「あああッ!」
ずっと睨みつけていたマティアスの目、視線が驚きと注意の逸れを示した一瞬。
コーティは動く。
渾身の力で押し込んで、ほんの少し崩れた姿勢。剣にナイフを持って行かれながら、コーティは五本の指を思い切り握りしめた。
「人を騙して、未来を語るなあああッ!」
金属の拳が、騎士の頬に吸い込まれていく。鈍い衝撃。コーティの右手が肉をひしゃげさせ、人の体を傷つける感触だった。
周囲に光と壁の欠片が吹き荒れる中、拳を受けたマティアスの足元がガラガラと崩れ出す。勢いはそのままで、騎士と絡まるように足場のない虚空へと飛び出したコーティは、しかし左手を腰元の≪鋼糸弦≫の箱へと伸ばす。燭台に絡みつけたままの糸が文字通りの命綱として機能し、コーティの体一つが破片の雪崩とは別の軌道を描いて揺さぶられた。
「……!」
睨みつける下方、目を見開いたマティアスが瓦礫と共に落下していくのが見える。その顔に浮かぶ単純な驚愕は、最後の一撃がマティアスの想定を超えたことの証拠。血の滴る手をかざし、魔防壁を張って破片を防いでいるようではあったが、その姿もやがて瓦礫の濁流に押し包まれて消えた。
「はあっ、はあっ……」
飛び散る破片が当たる。その痛みがコーティに現状を思い出させた。必死に防壁を張って石の破片を弾きつつ、コーティは体を支える糸を巻き取りはじめた。
煙と瓦礫の間にじっと目を凝らしても、もう近衛隊長の姿はどこにも見えない。その事実が、酷い罪悪感と、しかしこうするしかなかったと言う悲しい納得を呼び起こす。またしても一つ増えたやるせなさを胸に刻み込んで、コーティは呟いた。
「現実的な選択だとしても、そんなこれからが望む未来に繋がるとは思えませんよ……」
答える人はもういない。コーティの元へ帰ってくるのは、遥か下方で立ちのぼる土煙ばかり。
だからそれを最後に、コーティは自分の体を引き上げることに集中する。糸と手を頼りに、瓦礫を這い上って。ここで落ちたら、ここまでの努力が水の泡だ。注意して、注意して、少しずつ。
合間にちらりと伺った後方。濛々と立ち上る粉塵の間から垣間見えるのは、城壁の上で暴れ回る≪白猫≫の姿だった。
今しがた壁を崩落させた砲撃は、まぎれもなくケトの手から放たれたものに他ならない。コーティの要請を、彼女は特殊な力で察知してくれたらしい。
ようやく固い床に這い上がり、コーティは大きく息を吐いた。
「……本当に、とんでもない奴」
あれだけの数の騎士を相手にする片手間で、高出力の精密狙撃までやってのけるとは。手放しの賞賛と、いくばくかの呆れの感情を混ぜた表情を浮かべていたら、遥か彼方でケトがこちらに目を向けたのが分かった。
進め。彼女の目がそう言っていて。分かっていると、視線で返す。
あの様子なら、彼女もネルガンの擬龍隊を撤退させることに成功したのだろう。城壁の守備隊は戦闘状態にあり、≪六の塔≫内部は内通者、もとい近衛隊と≪影法師≫が剣と魔法を交わしている。
この短時間で、城が滅茶苦茶だ。
まさしく、≪傾国≫か。
ここにはいないエルシアの顔を思い浮かべて、コーティは苦笑した。ケトに負けるつもりは微塵もないコーティだが、エルシアにはまるで勝てる気がしないと、そんなことを思う。
けれど、そんな≪傾国≫の力が及ぶのは、国が傾くまで。
これからコーティが歩むのは、傾いた国に指針を示すための道。そこまでは≪傾国≫だって面倒を見てくれない。元よりエルシア廃王女にはその意志がなく、だからコーティたちが自分の頭で考え、勝ち得なくてはいけない未来。
外の戦況から視線を移した。
自分が望むこれからのために。大切な人と共に歩むこれからのために。
部屋の奥でこちらを見つめる瞳の青へと、コーティは足を踏み出す。
――彼の元まで、あと数歩。




