もう一度、彼の元へ その8
城壁に陣取る防衛部隊に発砲許可が下りたのは、≪白猫≫がネルガンの擬龍隊を蹂躙している最中のことであった。
状況を「準戦時状態」から「戦時状態」へ更新。
指標名≪白猫≫を最優先攻撃対象として指定。我の全力を以て、彼の侵攻を退けよ。
下された命令は、事実上カーライル王国と≪白猫≫との開戦宣言であった。街に避難勧告を出す余裕もなく、見下ろす大通りには、依然として空を見上げる人々の姿が見てとれる。もちろん街を巻き込む射撃は許可されていなかったが、空で化け物たちが絡みつく蛇のような軌道を描いている様子を見れば、この戦闘がどのような形になるのか想像もつかなかった。
とにかく、砲手たちは揃って砲口を上へと傾けた。
もちろん、彼らとて空を飛ぶ相手を直接狙うような愚は侵さない。敵の未来位置を予測し、そこに高火力の魔導砲の照準を向けておく。そこまで敵を誘導するのは、別の騎士たちの役割だ。
「仰角四十五、右四修正完了!」
「第三から第九、報告遅いぞ!」
「それぞれ仰角五、横軸〇.五ずつ修正!」
「よし! 当てようと思うなよ? ネルガンの飛行隊にも射撃許可は下りていない、間違っても国際問題にはさせないよう徹底させろ!」
計二十五発の連続射撃が可能な≪蜂の巣砲≫は、近づきつつある化け物の進路に照準を合わせてある。弾幕で≪白猫≫を誘導し、強力な魔導砲の射線に引きずり出す手はずだった。
「射撃用意!」
「来るぞ……!」
額に汗を浮かべた男たちが、眩しい空を睨みつけ合図を待つ。
彼らの視線の先、≪白猫≫は生け捕ったらしい将官を、擬龍へと投げつけているのが見えていた。指揮を執る隊長が大きく息を吸った。
「六番用意! 続いて五番、四番の順だ! ……まだ待て、まだ……」
子供の姿に騙されてはいけない。彼女はかつてこの国を破壊しつくした化け物、人の理解を遥かに超えた存在なのだから。
そうして酷く長く感じられる時間の後で、その時が来た。
「撃ち方はじめッ!」
途端、幾度となく響き渡る銃声。単発でも耳を弄する発砲音が、驚くべき間隔の短さで鳴り響く。銃口からは魔法の光と共に白い煙が立ち上り、それも次発の発射の爆風で煽られる。
六番砲の発砲から遅れること数秒、五番砲が射撃開始。その後も、四番、三番と≪蜂の巣砲≫が連射を始めた。
後から後から撃ち上げられる鉛弾の軌跡を目で追うことはできずに、観測手たちは揃って≪白猫≫の姿を空に探した。
≪蜂の巣砲≫の猛攻を回避しようと、≪白猫≫は大きく軌道変更。その鼻先を五番砲の弾幕が掠め、彼女は更に進路を変える。上昇は三番砲が抑え、そうして魔導砲の照準へと追い込まれていく白い姿。魔導砲の砲手たちは、その時を今か今かと待ち続けて。
「撃てッ!」
≪蜂の巣砲≫とは比較にならないほどの爆轟。いくつもの砲台から吐き出された光の奔流が、上空の≪白猫≫へと殺到していく。
そして、その数十秒後。
城壁の防衛陣地は悲鳴で溢れていた。
*
「畜生! 応戦しろ!」
「でえいやあっ!」
「退避ーッ!」
悲壮な顔で突撃してきた騎士が、援護魔法を全て吸収してみせたケトを見るなり、くるりと踵を返して逃げていく。まるで風刺の効いた喜劇みたいだ。
ケトが放り投げた魔導砲が、ひれ伏す男たちの頭上を飛び越えて城の庭へと落下していく。魔導剣の出力を上げ、鉄の塊と言った風情の砲身を焼き切る。こちらに≪蜂の巣砲≫を向けようとしている騎士がいたので、車輪を狙って衝撃波を叩き込み、砲それ自体を吹き飛ばす。
「複数でかかれ! 壁から叩き落とせ!」
「それはやめてほしいかも!」
ケトは叫んで、ぴょんと飛び上がった。左右から殺到した騎士たちが少女の脚を掴み損ね、つんのめってぶつかり合った。手近な男の肩を踏みつけてもう一度飛びあがったケトは、少し離れた≪蜂の巣砲≫のすぐ近くに着地。悲鳴を上げて逃げていく砲手は追わず、代わりに片手で砲身の後端を思い切り引っ張った。
数人がかりでゆっくり回すはずの鉄柱のような砲身が、まるで突風を受けた風見鶏のようにぐるりと回る。砲口の先には指揮官の姿。目を見開いた彼らが蜘蛛の子を散らすように逃げまどい、射線上が無人になったことを確かめてから、ケトは手元のハンドルを見様見真似で回してみた。
ケトの手の中で、銃声が何度も何度も鳴り響く。それは胸壁の石に片端からめり込み、欠片を散らし、仕様通りの制圧力を発揮した。
「……うわあ」
これは酷い、とケトは思う。先程自分が撃たれた時にも驚いたが、騎士を十人や二十人を並べたのと同じだけの制圧火力を、これ一門で出せる訳だ。威力自体は大したことはなくとも、牽制に使われたら厄介なことに変わりはない。
「うおおッ!」
「見えてるよ」
後ろから剣を抜いて突っ込んできた騎士を掴んで振り回し、別の相手にぶつける。その間に今度は浄水の樽を見つけたケトは、今度はそちらに向かって駆け出した。
カーライル側の迎撃にどうにも勢いがない、その理由を想像してみる。
真っ先に思い付くのは、彼らが突然の事態に戸惑っているということ。まあ、それを狙ってこんな電撃戦を仕掛けたのだ。そうでなってくれなければ困る。
そして、何よりも大きな理由としては。
「……コルティナが水道を壊してなかったら、もっとキツかったね」
呟いて、ケトは浄水の樽を思い切り叩き割った。水がぶちまけられ、周囲一帯が水浸しになっていく。慌てた顔をした騎士たちがそれでも魔法を撃ってきたので、ケトはひらりと躱して次の樽へ。
≪傾国戦争≫の後、この国の大型防御兵装は大きく変わったそうだ。
これまで通りの、浄水を手で運んで取り換える方式から、水道から配管を引いてきての直接供給方式。実質無限ともいえる動力源を考えれば、本来の迎撃はケトの想像を絶するものになるはずだった。
それが、どこぞの馬鹿な侍女がやらかしたせいでこれだ。水はすべて井戸に頼らざるを得ない状況になり、補給状況は一気に十年以上前の水準にまで落ちている。それは当然、魔法に頼った防衛体制にも支障をきたし、だからこそケトは易々と陣地までたどり着けたのであった。
石壁の上を縦横無尽に飛んで跳ねて、迫る魔法と銃弾は弾きながら、ケトは城壁を突き進む。
余裕があるように見せているのはわざとだ。本当のケトは心臓をバクバク言わせっぱなしで、理由がなければこんなところから一刻も早く逃げてしまいたいのだけれど。
今は≪白猫≫としての自分を演じているのだから、そういう訳にもいかないのだ。カーライルの悪夢≪白猫≫は、あらゆる攻撃を受け付けず圧倒的な力で蹂躙する、そういう化け物でなくてはいけないのだ。
……ひょっとして、≪傾国≫の廃王女としてふるまうシアおねえちゃんも、こんな気持ちでいるのかな。
だとしたら、ケトはなんだかちょっと誇らしい。尊敬する姉の背中に、ほんの少し追いつけたような気がするから。
とは言え、ずっとこの状態が続くのも厳しいものがある。ケトはちらりと城の方に視線を向けた。
「いつまでモタモタしてるのさ、コルティナ!」
様子を伺った≪六の塔≫。その中で暴れているはずの侍女の合図は、まだ視えない。今しばらく、ケトは防衛隊に対しての攻撃を続ける必要がありそうだった。




