もう一度、彼の元へ その4
背中のケトが強引に羽ばたく。眼下では、騎士やら使用人やら、とにかく沢山の人がこちらを見上げて叫んでいたが、コーティが注意を振り向ける余裕はなかった。
「……直撃!?」
「ハウゼン!」
ケトが何かに気付いたように叫んだ瞬間、コーティは最後に一度大きく揺さぶられた。
直後、背後で弾けるブレスの光。ぶわと広がった熱い空気の層がコーティの全身を押し包む。片手で防壁魔法を張ったケトが、コーティの手を放り投げた。
「行け、コルティナッ!」
光、熱。爆発的な気流が荒れ狂い、それに押し出されて空を蹴る。
吹き付ける風が一気に変わった。制御された突風から荒れ狂う暴風へ。その中を単身、空を切り裂く。
体に巻き付けていたベルトを脱ぎ捨てたなら、もう縛り付けるものなんてどこにもない。剥き出しになったコーティの心を映すかのように、青空に現れるは侍女が一人。
眼下には、再建が凍結した本城跡地。東棟と西棟はいつも通りの姿。雨の夜にライラと身を隠して進んだ灌木に、城の端の緑は慰霊碑のある場所。少し離れた使用人寮、見栄え重視の小さな練兵場。会談が行われているはずの広間がある執務棟。
どれもちゃんと見える。どれもちゃんと分かる。自分を変えた半年間を、コーティはここで過ごしたのだから。
そして、真正面。
おさげを靡かせ、両足を地面に向け、両手で銃を構えた体勢のまま、一直線に。
目指す場所は、塔の天頂。
三年前、あそこに教官がいて、≪白猫≫がいて、≪傾国≫がいて。
そして今、コーティの主がいる。
「……っ!」
右手で銃把を握りしめ、左手は銃身を握りこむ。銃床はしっかりと肩で固定し、頬を付けて照星を覗き込んだ。下から掬い上げる風を銃身で押し込めば、風切り音と共にドクンドクンと血潮が脈打つ。コーティを突き動かす命の鼓動、意志の輝きだった。
一発勝負、暴れ馬のように荒れ狂う照準を睨みつける。
錘を飛ばすための特別な銃と、体を引き寄せてくれる特別な糸と、引き金を引く特別な腕と、ここまで運んだ特別な翼と。
コーティ一人では手に入らなかった力が、技術が、意志が、まさに今、寄ってたかって自分の背を支えてくれている。その全てを全身で受け止めた侍女は、己の意志を右手の人差し指に込めた。
大丈夫、やってみせる。私ならできる。教官、どうか、私を見ていて……!
「当たれ……ッ!」
発砲。浄水が一気に膨れ上がり、鉄の管を荒れ狂う。それは出口を追い求め、筒の中で一筋の方向を見出した。その先に据えられた錘が一気に圧力に押し出されたなら、あとはあっという間のこと。
衝撃、炸裂音。糸の尾を宙に奔らせ、銀の軌跡を残して、金属製の魔弾が飛ぶ。侍女の心を乗せて、主の元への道を作り出すため突き進む。
後ろで轟音。擬龍隊のブレスが幾度となくケトの妨害で逸らされる。視界の端に続けて光が通過し、しかしコーティは気にも留めなかった。
キラキラと午後の光を反射した錘は、しかし無情にも塔の先端の右上方を通り抜けていった。やはり空中で放った錘が狙い通りに絡むなんて、そうそう都合のいい話はないのだ。外した、それはちゃんと分かっていた。
それでもコーティは止まらない。そもそも二撃目なんて考えはないのだから、当たらないなら落ちるだけ。それが嫌なら、最後まで藻掻くしかない。
「うやあああああッ!」
渾身の力を込めて、両腕で銃を引き寄せる。まるで魚を釣りあげるかのように振り回される銃口、釣り上げるのは自分自身。銃から繋がった糸が錘の進路に変化をもたらす。勢いに押されるだけのはずの錘が、コーティの意志によって軌道を動かしていく。
鞭のように、≪鋼糸弦≫が大きくしなっていく。錘が斜めに振られたならば、糸の中ほどが、尖塔の先に触れた。進路を乱された錘は横に振られ、障害物に沿うように力の向け先を刻一刻と変えていく。
錘が、糸が、塔の屋根に巻き付く。一周だけではなく、何度も何度も錘は塔を回り、やがて屋根の端に引っ掛かっていく。
絡んだ。手元の感覚でそれを理解したコーティは一気に魔法を起動する。銃身の下に取り付けられたドラム式の巻き取り機が一気に動き出し、コーティの体を錘へと引き寄せる。がくんと向かう方向が変わり、景色が一気に横へと流れて。
「届けえええええええええッ!」
もう一度、あなたの元へ。
今、行きます。この心地の良い感謝を、胸を焦がすような、それでいて滾り渦巻く熱を。
伝えたい。会って、顔を見て、笑顔で……!
目の前に迫った塔の屋根を見、足元に衝撃波。弾けるように軌道をずらせば、かつて教官がいたという屋根を、今度はコーティの体がすり抜けて。
侍女は空を舞う。
尖塔を起点に、振り子のように体をしならせ、目指すは一番上の小窓。
かつてここを通った≪傾国≫の姫君が、教えてくれた。
塔の最上階、突き当りは牢にするには狭すぎて倉庫になっている。倉庫なら余計な設備は必要ないから、その部屋にだけ、窓に格子が施されていないと。
技師の作り上げた魔導ブーツに力を込めた。足元に展開する衝撃波は、元来地面から飛び上がるためのもの。着地のことは考えていないからどこに飛んでいくか分からない、なんてことを技師は言っていたけれど。
こうして、空から着地する時にだって、使えるはずだ。
「……!」
全力で腹筋に力を込め、両足を前に向ける。最大出力で魔法陣を起動。発生した衝撃波越しに揺らぐ視界。小窓がぐいと迫る、話の通り鉄格子がない。が、こんなに小さいとも聞いていない! そういうことは、先に言って欲しかった……!
「うやああああああああああッ!!!」
叫び散らしながら、足で窓を蹴破る。同時に銃把から手を放し、目の前の部屋へと飛び込んだ。飛散するガラスの破片が、空と魔法の青を乱反射して、まるで夜を照らす星のごとくキラキラと輝いた。
着地点を確かめる余裕はなかった。死ぬ気で受け身を取りつつ、止まらない勢いに身を任せる。防御魔法も全力で展開、積んであるガラクタを弾き飛ばし、体を弾ませ、室内をゴロゴロと突っ切り、木の扉に障壁ごと体を叩き込む。コーティの全体重に防壁の圧力、真正面から受け止めたドアが紙細工のように吹き飛んだ。これが鉄だったら吹き飛ばされたのはコーティの方かもしれない。情報を貰っていて助かった。
右足を石の床に無理やり叩きつけ、魔法の圧力を上から叩き潰すようにして勢いを殺す。両足の下を驚くほどの勢いで床が過ぎ、目の前まで迫った壁が視界一杯に広がって、しかしギリギリで姿勢の復帰に成功する。
けれどもう、コーティの注意はそこになかった。
「誰だッ!?」
そう。今日のこの場所は、異国と手を組む内通者たちの巣窟。
「侍女です!」
口を大きく動かして、はきはきと当然の答えを叫び返す。暗さに慣れない目であっても、コーティは廊下の向こうにいくつかの人影を捉えることができた。
これまで裏で暗躍していた内通者たちにとっても、今日は鍵になる一日。ここをしのげば、二国間の条約は正式なものとなり、カーライルとネルガンの関係は決定的なものとなる。
彼らもまた、ルイス王子の影響力は認識しているのだろう。妨害の可能性も考慮に入れ、彼らはこの≪六の塔≫に厳重な警戒態勢を敷いていることも先刻承知の上。だから、ここからだって一瞬たりとて気は抜けないのだ。
右足で床を蹴り飛ばす。体中がジンジン痺れているのは、無理やり着地の衝撃を殺したせいか、それともようやく戻ってこられた感慨のせいか。
「こいつ!?」
「止まれ! おいお前……!」
狭い通路を脇目もふらずに駆け抜ける。敵に考える隙を与えるつもりはなかった。
騎士の姿をした内通者、数は四。戸惑いながらこちらに銃口を向けようとする、その懐に飛び込む。左手で銃身を思い切り掬い上げ、右手は開いたまま鉄の掌底を叩き込んだ。大の男がもんどりうって転げて、まず一人。
「借ります!」
「貴様ッ!?」
慌てて銃を向けようとする二人目。こんな狭い通路で、わざわざ小銃で狙うなんて自殺行為だ。コーティがもぎ取ったばかりの銃を振り回すと、銃床が騎士の頬を強打し、壁に叩きつけられる。
「敵だと!?」
間髪入れずに魔防壁を展開する。直後に銃声、跳弾の音。広げた防壁を男の顔面に叩きつけて、三人目を無力化。
「なっ……!?」
最後の一人が驚愕に目を見開いていた。兜の下の顔を見て、おや、と思う。
見たことのある顔だ。まだ城にいた頃、訓練の時に何度か相手をしてもらったことがある近衛隊の人。
「お前、まさか!?」
「通していただきます!」
すかさず左手を腰元へ。通常型の≪鋼糸弦≫を投げつけて敵の小銃をもぎ取った。呆気にとられた相手の顔は見ず、コーティは通路の奥の階段目掛けて走り出す。
「えっ、おいどうして……!」
迷いながらも剣を構えた騎士だが、気にする必要はない。
今まで向けていたはずの銃が手元から消え、そしてなぜか侵入者は顔見知り。この状況で迷わず撃てる人間がどれだけいるのだろうか。結局魔法の追撃もなく、コーティは石の階段へと飛び込んだ。
推測はしていてもそれなりにショックは受けるもので。しかし欠片も衰えないコーティの熱が、腹の底から声となって噴き出すような気がした。
「やはり、敵は近衛隊……!」
彼の牢は、この塔の中ほどにある。ここからあと、下へ三階層――。
*
呻く男たちを後に残し、服をはためかせた女が階段へと消えていく。
突然で風のように突っ込んできて、嵐のように暴れた娘。
奥の倉庫でけたたましい音を立て、直後扉を蹴破った侵入者だ。当然上げた誰何の声に、「侍女です」などという意味不明な回答を投げてよこした彼女は、しかし知った顔だった。
唯一被害を免れた近衛の一人。彼が侵入者の正体に気付いたのは、僚友の三人目が倒された時のこと。なぜここに、とようやく認識が追いついた時にはすでに遅く、妙な糸でこちらの銃を奪った彼女は背中を見せていた。
「通していただきます!」
白と黒の侍女服、胸元で激しく揺れるリボン。上から肩を覆う白マントを身に着けたその姿は、確かに王子の元専属侍女のものだった。ここにいるはずのない娘を前にして目を疑った彼は、慌てて剣を抜き放ったものの、動くことを一瞬躊躇してしまった。
コーティ・フェンダート。≪白猫≫襲撃を画策し、王子と共に実行に移した女だ。
以前は要警戒人物とされていたものの、≪白猫≫襲撃後駒としての役割を終えた彼女は、近衛隊から見た優先順位もかなり落としていた。
国内の情勢が落ち着いたら、探し出して口を封じる。そんなことを隊長は言っていたが、そこまで急ぐほどの人物ではない。いずれにせよ価値のない女のはずだった。
近衛の一員である彼個人にとって、あの侍女は訓練で何度か手合わせした間柄でもある。
片腕を失ってなお、その目に闘志を燃やしていた娘。侍女なのだか護衛なのだか本人も分かっていなさそうな口ぶりが、記憶によく残っている。
とはいえ、戦闘員としての実力は確かで、その時は二本指の癖にえげつない戦い方をするものだと思ったものだ。二度目の王子襲撃に介入し刺客を退けた時、その状況判断能力と言い、適切な対処方法と言い、やはり只者ではないのだなと皆で舌を巻いたこともある。
そんな彼女の後ろ姿を目で追った彼は、ふと気付いた。
「……二本、じゃない?」
侍女の右腕、覗く指がどう見たって五本ある。見覚えのある二枚の金属板はどこにもなくて。そうか、だから一瞬誰だか分らなかったのかと、妙な納得をしてしまった。
「何事だ!」
先程の騒ぎが聞こえたのだろう。階下から報告を求める大声が響いて、彼は我に返る。
そうだ、いずれにしたって侵入者だ。他の同志に一刻も早く伝える必要がある。倒れたまま呻く僚友の元へ駆け寄った彼は、多分慌てていたのだろう。とにかく危機を知らせようと、声を張り上げた。
「侵入者だ! 突破された!」
「なんだと!? ……うわっ、何だ!?」
階下の空気が一気に棘を帯びる。あの侍女が突っ込んできたのだろう。明らかな異常事態に加えて、緊張から敵意に変わった階下の声色は、確かな状況の変化を感じさせた。
平常心が一気に崩されたのは、その変化がこの塔に留まらないのだと、本能的に察知したからだろうか。しがない一騎士でしかない彼は、自分を落ち着かせようと叫ぶしかなかった。
「侵入者は単独、侍女! 五本指だッ!」
後から考えてみれば。
人間は基本的に五本の指を持つ。何を当たり前のことを、と突っ込まれても仕方がない。
けれど、彼女が腕を失ったことを知っている者にとって。
そして二本指に苦労する彼女を見ていた者にとって。
コーティの右腕に燦然と輝く五つの指が、彼女に纏わりついていた影をかき消しているように見えてしまったのも、また事実だった。




