もう一度、彼の元へ その2
よもや半年間も、時間稼ぎを許すとは思わなかった。
それが、ネルガン海軍特務少佐プレータ・マクライエンの、正直な感想だった。
前の戦争の影を色濃く残すこの国は、戦を必要以上に忌み嫌う機運が強いそうだ。交渉を開始する前に情報は得ていたが、それがここまで酷いとは。
王族に対する二度の暗殺未遂。一方的な条約案の提示や、譲歩の姿勢を一切見せない傲慢さ。
これほどまでにプレータが侮辱し続けているというのに、カーライルは頑なに一線を超えようとしない。こいつらの堪忍袋の緒はどこまで固いのだろう。いっそ信念と言い表した方がふさわしいその態度に、プレータは随分やきもきさせられたものだ。
横暴な条約に対しては、対案をまとめるという言い訳の裏で極秘裏に鎖国を、ひいては対ネルガン同盟の締結を画策してみせた。王子の暗殺未遂は、証拠不十分を理由に直接的な批判を避けられた。
何が蛮族の国だ。この国よりも忍耐強く、それでいて理性的に悪知恵の働かせる国をプレータは他に知らない。己の無知と田舎国家の卑屈さを前面に押し立てた態度と突拍子もつかない反撃、それこそがこの国の本質。彼らの狡猾さをこれ以上なく表していた。
けれど、そろそろ言葉遊びの時間は終わりだ。いい加減戦争を始めないと、プレータの努力が水の泡になるのだから。
和親条約締結会談。ネルガンがカーライルに理不尽な二択を迫る会議は、予想通りの紛糾を迎えていた。
「なぜです。我々は、決して貴国と後ろ向きな関係を築きたい訳ではないのです。究極的に、貴国が我が国に魔法技術の提供を求めて来たという事情も分かります。その技術供与が目的なのであれば、可能な限り便宜は図ると約束します。ですから十分な交渉もなく、一方的に尊厳を奪うような行為は……」
内通者からの事前情報によると、この数日間の紛糾の末にこの国が出した結論は隷属。条約を受けるというものだ。
それはネルガン本国や艦隊にとって歓迎すべき答えであっても、プレータ個人にとっては別の意味になる。だからこの場の主導権を握るため、プレータはあえて理不尽の塊を吐き出した。
「従属か、開戦か。その二択でお答えいただきたいのですが。この期に及んでその言い草、何かのおふざけですか?」
「違います! 私たちはただ……!」
「五日も時間をさしあげたのですよ? まさか結論すら出せていないなんてことないでしょうね。最後の最後で悪あがきなんて、聞いているこちらが恥ずかしくなる」
机に肘をつき、頬を乗せる。自分でも国同士の公式会談の場にふさわしい態度とは思わないが、こればかりは仕方ない。最後の最後で何とも締まらない結末に終わったものの、これもまた想定の範疇。あとはもう、情け容赦なく叩き潰すまでだ。
「とりあえず、条約は受け入れられないという回答でよろしいですね?」
「お待ちを……! 今のはあくまで確認をしただけで、交渉に応じる用意は……」
エレオノーラの顔に焦りが浮かぶ。ああもう、グダグダだ。冷めた心で睨みつけながら、プレータは決めた。ここまで滅茶苦茶にしておいて言うのもなんだが、元々面倒なのは嫌いな質だ。これ以上言い訳を並べ立てられる前に、とっとと宣言してしまおう。
「なにが交渉に応じる用意、ですか。王女殿下はマイロでの出来事は聞いてはいらっしゃらないようだ」
「何を……」
「マイロの我が軍は、激しい抵抗を受けているようですよ? 特に四日前、明け方には煙幕を使った大規模な騒ぎがあったとか」
この話はこの交渉でプレータが突き付ける、数少ない事実の一つだった。
マイロ侵攻の翌日。日の出直前を狙って、ひと騒動あったのだという。その出来事を騒動としか呼べないのは、戦闘にならなかったから。厳密にいえば、擬龍隊と数十発の砲弾と数百人の地上部隊が一方的に攻撃を行ったに過ぎず、敵は攪乱と威嚇射撃しかしてこなかったのだという。
惜しい、とプレータが歯噛みしたのは言うまでもない。一射でも撃ち返して来たら問答無用で開戦の口実にできたのに。敵からの攻撃なし、損害なし、つまりは資源を浪費して成果なし。こんな恥、犬だって食いやしない。
「それは我が国でも報告に上がっています。あれを行ったのは≪白猫≫……我が国とは別の意志に基づいた行動です。そして、≪白猫≫は貴国への損害を一切与えなかったとも!」
「だから許してくれ、なんて論法が通じるとでも? 今のお言葉に、はいそうですかと頷くほど、ネルガンは甘くない」
幾分低い声で脅してやると、場の空気が凍った。
「これは明らかな反抗行動です。我が国が侵攻を止めているのをいいことに、傍若無人な振るまい。我々はそれを許すつもりもありません。……貴国は条約締結を受け入れる、ということですが、我々の方から破棄させていただきます」
そんな滅茶苦茶な! と王女の後ろから声が上がった。その通りだな、とプレータは他人事のように思う。
「と、いう訳で。私はこれから艦隊に戻ります。マイロへの上陸は準備が整い次第決行ということで。はいこれ、宣戦布告の文書。持ってきておいて正解でした」
「なっ……!? ちょっとお待ちください!」
あまりに雑な話の進め方に、彼らもどうやら気付いたらしい。
そもそも、プレータに一切話を聞くつもりがない。ガタンと音を立ててエレオノーラが立ち上がる。その驚き顔に呆れた視線をぶつけてやれば、信じられない、という目が帰って来た。
それは壁際に並ぶ≪近衛≫たちもまた同様だ。話が違う、とでも言いたげな視線があちこちから注がれ、しかし彼らは音一つ立てられない。これも悪いのはプレータだ。事前の取引とまるで違うことを話しているのだから、当然の反応だろう。
「ネルガンは戦争を望むのですか!? そちらの条件を飲むと言っているのに、それでは筋が通りません!」
「そもそもが特使を暗殺するような国です。その罪を頑なに認めようとしない貴国に、どうして我々が遠慮しなくてはならないのですか? あの時点で、我が国の侵攻は決まっていたのですよ」
プレータの左右にずらりと佇む護衛は、微動だにしない。プレータの目的に賛同する者を選んで連れて来たのだから当然のことだ。
「本日はそれを伝えるために、この場を設けさせていただきました。お伝えしたい事項は以上ですので、我々はこれで退席させていただきます」
肩をすくめてみせて、それを最後に立ち上がる。一糸乱れぬ動きで続いた部下たちに「行きましょうか」と声をかけ、プレータは踵を返して。
「……ふざけないでよ!」
甲高い声が響いたのは、そんな時だった。
あまりに切羽詰まった声色は、これまでに聞いたことのないもので。プレータをして一瞬、声の主が王女だと分からないほどだった。
「マクライエン少佐、これを貴国では交渉と呼ぶのですか!?」
「ええ。今回は落としどころがなかった、それだけの話です」
「おかしいでしょう!? 少なくともカーライルでは、一方的な価値観の押し付けを交渉とは呼びません!」
どうやら、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。エレオノーラに呆れた視線をぶつけてやれば、キッと睨みつける視線が帰ってくる。
「エレオノーラ殿下、もう話は終わりです。我々は退出を……」
「いいえまだです、どうかお話をお聞きください! そもそも、こちらからも対案をお伝えしていたはずです。どの条件をどこまで譲歩すれば受け入れていただけるのか、それくらい教えてもらったっていいじゃないですか!」
殿下……? と横合いから戸惑いの声があがる。プレータは口を開いておらず、それはカーライルの重鎮の声であった。
王女の口調が崩れはじめている。目を燃やし、大声で怒鳴り散らす王女殿下は、鬼気迫る表情を見せていて。貴族たちが、それを信じられないとでも言いたげに見守っていて。
「……落ち着いていただけませんか? 王女殿下」
「それではこういうのはいかがでしょう。魔法開発に我が国の技術者を派遣する、カーライルですら実用化できていない理論はいくらでもあります。それさえもネルガン連邦に優先的に回すのです。決して悪い話じゃないでしょう!? 今なら水道建設とか魔導船とか、色々宝の山ですよ!?」
これにはプレータも戸惑った。今日という日を迎えるにあたって、様々な反応とその対応策を想定してきたのだ。が、流石にこのパターンは予想していない。
だってそうだろう。一国の王女ともあろう人間が錯乱し自国の技術を無条件で差し出しているなんて。そんな前代未聞の所業、思い至る方がおかしい。
プレータが答えに迷った一瞬で、異常を察知した王女の周囲がざわめき始めていた。
「殿下、どうされたのです! お収めください、ここは交渉の場なんですよ!?」
「それはそこの分からず屋に言ってやりなさい! こんなのあんまりよ!」
「お気持ちは分かりますが、今は……!」
貴族たちが顔を見合わせ、エレオノーラの左右に座っていた重鎮がギョッとして王女を覗き込む。
王女本人はまるで気にしなかった。ただ髪を振り乱しながら、彼女は机を叩いた。バン、と大きな音がして、唖然としていた幾人かがビクリと肩を震わせる。
「いいえ黙りません! 今更恥の一つや二つ、かいたところでどうとも思わない! 私は凡人で、それでもこの国の王女です! 地べたを這いつくばろうが、足蹴にされようが、その程度でこの覚悟が揺らぐとでも!?」
「殿下! どうなされたのですか、殿下!」
「ご乱心か、落ち着いて!」
貴族たちが慌てたように立ち上がる。隣で宰相が、後ろで数名。それに続くように次々と立ち上がるお偉方。止めに入ろうと動き出す者、オロオロと周囲を見渡す者、とにかく席から立ったところで止まってしまった者。
最後だから言いたいことでも言ってやろうとでもしているのか。プレータの左右でも部下が呆気にとられ、会場を固めるカーライルの近衛騎士が困惑する。自国の姫の奇行に驚いたのか、周囲の戸惑いが大きくなっていく。
「離して! いい加減、言ってやらなきゃ気が済まないわ!」
「殿下、殿下!」
「どうかお収めを……!」
完全に会談の進行を止めた大広間。怒鳴り散らすだけでは飽き足らず、席を離れこちらに向かおうとするドレス姿を、婚約者の宰相が必死に押しとどめる。
『……何かしらね、これ』
一歩を踏み出したところで足を止めたプレータは、一人違和感を口にした。
堰を切ったように怒鳴り出すエレオノーラ王女が、直前に一瞬だけ見せた表情。少し恥ずかしそうに、けれど何かを決意したようなその顔が、プレータに妙な感覚をもたらす。
あの時浮かんだのは、まぎれもなく恥の感情だった。すなわちエレオノーラは、声を荒げた自分の行動を恥ずべきものとして捉えている。王族として不適切だと認識した上での行為と理解した上で、騒ぎ立てているのだ。
どういうつもりだろう。命乞いをしているはずのこの場で、随分な余裕ではないか。
……というよりも、少々騒ぎが大きくなりすぎているような気がするのは気のせいか。プレータが訝しんだ数瞬で、広間には声が満ちている。
「殿下は正しい!」
「そうだ、これでは恫喝ではないか!」
「今さら何を言うか、国を亡ぼす気か!?」
「お前たちこそ、国を売ろうとしているだろうが!」
「ちょ、ちょっと……」
「そもそもいつまで我々は弱腰でいるつもりだ! だから打って出るべきと言ったのだ!」
「落ち着いて、一度座りましょう、ね?」
「いいから殿下を抑えろ! これ以上余計なことを言わせると……」
「余計なことだと!?」
いつしか声があちこちで弾け、いきり立った王女を先頭に座った目をした貴族がこちらに押し寄せる。慌てて止めようとした初老の男性が立ち塞がり、そこで手を伸ばしたのがいけなかった。
「狂ったか、殿下に手を上げるとは!」
殺気立った声が高らかに響き、二つに割れた陣営が一気にぶつかる。「馬鹿どもを止めろ!」「掴むなこの野郎!」と怒号と喧騒が一気に巻き起こる。きゃあと女性陣が部屋の隅に逃げ出し、近衛騎士たちは止めようと慌てて部屋の中央へ。武芸の欠片も知らない中年が、足腰の弱そうな老齢の紳士が、唾を吐き散らし、手を無茶苦茶に振り回す。
『……どうされますか、少佐』
戸惑いを隠せない部下の一人が、ネルガンの言葉でそう問いかける。騒ぎからは大机一つ隔てているとは言え、広間から退出するための扉は騒ぎの向こう側。乗り越えなければ外に出ることも叶わないと理解したプレータは、すぐには答えず広間を見渡した。
もう一度、エレオノーラの目を見てみたい、そう思ったのだ。
錯乱の直前に見せた表情。青い瞳、あのルイス王子と同じ色の目が、理性を失った女とは思えない深い色を湛えていたような気がしたのは、プレータの錯覚だろうか。
少なくとも、目の前に広がる醜態を笑うことなどしなかった。何か裏がある、プレータの勘がそう告げている。
罠か、新手の命乞いか。それとも刺客でも潜んでいて、この場でプレータに危害を加えようとでもしているのか。即座に脳内でいくつかの選択肢を上げてみたが、しかしそのどれもがしっくり来ない。
国同士の交渉の場とは思えない争いを広間に晒し出す。貴族たちがもみくちゃになる無様さ、誰かの袖から引きちぎられたボタンが宙を舞う様を見ながら、プレータは思いついた言葉をそのまま口にしてみた。
『待っているの……?』
異様な混乱を見せつける人々の上で、飾り時計の針がまた一つ進む。
それは騒ぎに紛れて、誰も気付かない微かな変化。けれど確かに何かがはじまった瞬間でもあった。
最初の知らせは、遠く街中で鳴り響く鐘の音。この議場に集う者たちに届けるには、あまりに小さな音。
だからまだ、ほとんどの者が気付かなかった。一堂に介した国の要人たちが無様を晒すというのは、すなわちこの国の政治機能に一時的な空白を生むことと同義。その間に取り返しのつかない事態が進んでいたとして、彼らは適切な判断ができない。
ネルガンの軍人たちにも、その鐘の音は届かなかった。それでも、プレータは決断した。
『……いいわ。これが回答だというなら、教えてもらおうじゃないの』
少なくとも、この場に火をつけた王女の声はもう聞こえない。取り押さえられたか、もしくは目的を達したのか。いずれにせよ、ここにいればその結果も知れよう。
だからプレータは、しばらく様子を見てから命令を下した。
『総員待機。カーライルの出方を見るわ』
『了解』
ネルガンの軍人たちは知る由もなかったが、結論から言えば、プレータの勘は正しいものとなった。
乱闘を挟んだ反対側。人の渦の中心から引っ張り出される王女が、手を握るロザリーヌに向かって「時間稼ぎ、できたかしら?」と問いかければ、才女は才女で「最高ですよ!」と囁く。若宰相は胃が痛いという顔をして「最悪ですよ」と呟いていたが、いずれにせよ、どの言葉も騒ぎに紛れて誰の耳にも入らない。
錯乱を演じて自国の重鎮を焚きつけるという、正直を疑われそうな行動を起こしたのにはもちろん訳があるのだ。
「この騒ぎで、ネルガンの特使一行は足止めされ、城壁の砲隊の迎撃指示が遅れます」
「あの子たちが空と壁から挟撃されない状況、作り出せていればいいのだけれど」
「十分でしょう。あとはもう、二人に託しましょう」
「よろしい。……ああもう! 我ながらとんでもないことを言ってしまったわ! これで、私を次期国王になんて言い出すお馬鹿さんもいなくなるでしょうね!」
「……なんで嬉しそうなんですか?」
「だってうちの国の王様、私より適任者がいるって知っているのだもの」
そう言って、王子の姉は申し訳なさそうににっこりと笑った。




