侍女と少女と、看板娘と その5
≪影法師≫なんて、ない方がいい。これはロザリーヌの本心だ。
世の中が抱える負の側面、その象徴が≪影法師≫である。
暗殺、密偵、扇動。汚れ仕事は全て彼らの役目。「どんな時でも己を殺せ」というのは、この職に就いて最初に叩き込まれる決まり事だ。活躍が賞賛されることはない。どこかで死んだとしても、家族に事の真相が告げられることもない。
だから、本当は彼らのような者が仕事にあぶれるような時代こそが望ましい。「あなたたちの再就職先を探す日を楽しみしているんだけれどねえ」なんて冗談を、ロザリーヌは何度か口にしたことがある。
とは言え、そんな日は当分やってこないことも分かっていた。特に今のような不安定な時代には、隠密の力が必要になる機会がどうしても増える。
「ご苦労様、コンラッド。これだけの配置図があれば、詳細な予定が立てられる」
「申し訳ありません。もう少し早く手に入れられていれば……」
ロザリーヌの前で膝をついたコンラッドに、顔を上げるよう促す。隣でローレンがうんうん頷いていた。
「いやいや、俺からしてみりゃ、情報を盗み出した時点でとんでもないことっすよ。ね、お嬢」
「ええ。間に合うならなんの問題はないわ。……本命との連携に必要な情報共有の余裕はないけれど、こちらが彼らに徹底的に合わせることでどうにでもできる」
「ロザリーヌ様の人脈あってこその情報です。いくつか手を潰してしまいました」
如何せん、時間が足りなかったのだ。仕方のない事情があったとは言え、ほんの数日の準備期間ではどうしても限界はある。
机の上に散らばった紙の束は、二日前の夜に特別便で届いたもの。≪白鈴≫の蜜蝋は、廃王女エルシアからの親書の証だ。
自分以外にも、同じ封蝋の手紙が数か所に届いているらしい。例えば侍女頭ヴァリー、例えば冒険者ギルド本部の職員オーリカ。いずれもかつての戦争で≪傾国≫と志を共にした者たち。
そこに綴られた願いは、今も昔も変わらない。妹に手を貸してほしいと、≪傾国≫はそう言っている。
「……本当、エルシアは無茶ばかり押し付ける」
「ですが、流石としか言いようがありません。たった二人で、首都の防衛網を強行突破。こんな作戦、他の誰に思いつきますか」
「私が言いたいのは、考えてたなら先に言いなさいよってこと。ずっと頭悩ませたこちらが馬鹿を見るじゃない。まったく、準備にかけた費用請求してやろうかしら」
紙の束をめくったロザリーヌは、ため息を一つついてから苦笑い。彼らを悩ませている問題は、時間だけではないのだ。整った文字が描き出す作戦は、しかし途中で途切れた未完成品。その後のことを考えるのもまた、彼らの仕事だった。
「エルシアの筋書きは、やはり国を傾けるまでのものね。自分の役目を自覚している書き方だわ」
「あの方、本質的には田舎娘そのものですからねえ……」
「それを分かった上で滅茶苦茶をやるから、とにかく質が悪い」
部屋に広がる苦笑の波。自然と口角を上げたロザリーヌは、従者と隠密を交互に見つめた。表向きは静けさを保っている城ではあるが、一部の人間が一斉に動き出している。それはエルシアの人柄あってのものだと認める自分がいた。
「ヴァリーはライラと一緒に、使用人たちをかき集めている頃かしらね。会談中の時間稼ぎについてはアルフレッド様経由で、エレオノーラ殿下にも協力を要請している。合図は下町の冒険者ギルドから依頼を斡旋中。……ならばあとは、私たち」
「はい。戦闘面での支援は必要不可欠です。……ルイス殿下への直接的な接触が阻まれた以上、不安要素も大きくなっていますから。せめて、その他のことくらいはなんとかしたいものです」
ギリギリだが、やるしかない。
コンラッドの報告では、ルイス王子の牢への警備体制がかなり強化されているようだった。そのせいで、侵入が果たせなかったとも。そこばかりはどうすることもできず、ロザリーヌは分かったと頷くに留めた。
この状況を打開する鍵となるルイス王子は、今もなお収監の身。身柄を奪われないよう咄嗟の判断で牢に入れたまでは良かったものの、それも既に内通者に管理権を持っていかれている状況だ。こちらからの接点が持てなくなってしまったともなれば、本人の精神状態だって図ることも難しい。これから始まる混乱が未知数である由縁の一つだった。
「……信じましょう。うちの国の王子様は、そんなに柔じゃない」
彼が為さねばならない役割は、つきつめてしまえば単純なもの。
自らの主張を武器にして、脅威に屈しない背中を見せ続けること。それに尽きる。
たかだか十七歳の少年に、押し付けすぎだとは思う。王の一族に生まれたというだけで、彼にとってはとんだ貧乏籤、内心で恨まれていても文句は言えない。
「心配し過ぎなんすよ、お嬢は」
「……ローレン?」
そんな、胸の内の不安を吹き飛ばしてくれたのは、いつも隣にいた従者の言葉だった。どうしてそう言えるの、と視線で問いかけてみると、彼はなんのことはないと言いたげに白い歯を見せた。
「惚れた女が自分の元に来るんだ。カッコつけたくなるのが野郎ってもんです」
「……そんなに単純なものかしら?」
「お嬢は男の単純さを知らないんですよ」
気楽なことを言う、と眉根を寄せかけたロザリーヌは、しかし目の前の隠密もまた笑みを漏らしていることに気付いてしまった。
「まあ、一理あると思いますよ。私も」
「コンラッドまで……」
隠密が音もなく立ち上がる。夕闇に染まって久しい窓の外を見、薄く浮かびあがった≪六の塔≫に目を凝らした。
「王子様の説得はお姫様に任せておけばいいと、昔から相場が決まってる。我々は、我々にできることをするだけです」
「……なら、さしずめ私たちは、お姫様を想い人の元へ届ける騎士役ってところかしら」
「あ、いいですねえ、その例え」
おどけた様子の二人を見て、仕方のない人たちと苦笑い。
それを最後に、ロザリーヌは気分を一段階切り替えた。細い指で、とんとテーブルの地図を指し示す頃には、もう≪影法師≫の主人としての鋭い口調に戻っていた。
「では、作戦会議と行くわよ。貸しなさいな、あなたたちの力」
「仰せのままに」
どうやら、昨今の騎士様は鎧を着て剣を振るうだけではいけないらしい。時代に合わせて、戦い方も考える必要がありそうだった。
*
作業台の上には、ずらりと並べられた道具の数々。ここは熱の籠る鍛冶場、時刻は鳥が鳴き出した辺り。
技師の前で二人の娘が目を丸くしていた。
「……この二つ、いつから作り始めたんですか?」
「お前さんたちが来てからに決まっとろう。おかげで徹夜だ」
「よく、そんな短時間で……」
「天才小僧が理論は組み立てていた。作るものが明確なら、いくらでもやりようはあるさ」
ついでに言えば、フォルジは前に似たような道具制作に携わってもいる。二度目ならば、その分手際もよくなるのは当然のことだった。
こちらを見るコーティの顔には、ありありと「信じられない」と書いてあった。
彼女はあのルイスが頭を悩ませるのを間近で見ていたのだ。産みの苦しみはよく知っているのだろう。そんな顔をしてくれるなら、作った甲斐があるというものだった。
対してケトは単純に目を丸くしているだけ。根城のブランカは田舎もいいところだから、中々最新の技術に触れる機会も少ないのかもしれない。田舎町の少女だと思えば、微笑ましい反応だった。
机に置かれた物品は、二人が囚われの王子を救い出し、港町を守るためにに用意された道具たち。どちらも大量生産には不向きな一品ものだ。
ケトは剣の柄を手に取った。妙に慣れた手つきに見えるのは、彼女がこれを握るのがはじめてではない証拠だった。
「……起動させても?」
「伸ばしすぎるなよ。前に公爵家の天井をぶち抜いたことは聞いてるからな」
彼女がこくりと頷いた瞬間、剣の柄から光の刃が伸びていく。
「試製魔導剣二型、その改良版……まあ名付けもなくお蔵入りになった代物だ、好きに呼べ」
かつての戦争で、≪白猫≫が使った魔法の剣。熱と光を刃として大抵のものを焼き切るそれは、同時に効率の悪さもお墨付き。当初の想定通りに魔導瓶を使う場合、三度も振るえば水が切れる欠陥品だ。
≪傾国戦争≫の最終局面においてケトの手を離れ、国によって回収されたその剣。それを設計者自身が改造したものだった。
「どうせその剣はお前さんくらいしか使えないんだ。今更握り釦も瓶もいらんだろう、使用者が直接魔法を展開させる方式に変えてある。それと制御部も弄った。安全装置を外したから壊れるまで出力を上げられるし、出力自体の任意変化も楽になったはずだ。上手く使えよ」
「そんなことまで……」
青白く輝いていた刀身が、少女の手の中で半透明に移り変わっていく。熱量が下がり、代わりに反発力が増す。これなら使い方次第で、金属剣を焼き切ることなく受け止めることもできるはずだった。少女は長さを調節し、手元でくるりと回してみせた。
「ありがと。これで余計な気を回さなくても剣が使える」
「代金はツケとくぞ。子供が高い買い物をするもんじゃない。お前の保護者持ちだ」
「……ちなみにいくら?」
剣そのものを見た時には落ち着いていた少女は、値段を聞くなりただでさえ大きな目を真ん丸に見開いていた。
技術発展への感嘆より金額の方に気が向いたところは、なんとも微笑ましい。「大丈夫かなあ……」と不安そうにしているが、彼女の姉がちゃんと気を回していることはしばらく黙っておくべきだろう。姉から預かってきたという袋の中身、準備費用のことは本人には聞かされていないようだった。
「お前さんはどうだ。気になることがあれば今のうちに言っておけよ」
「問題ありません。あとはこちらで合わせて……あ」
自分のが抱えた獲物から目を離さなかったコーティは、そこで何かに気付いた顔をした。
「……以前とある方から、作り手は使いやすさを気にするものだと聞いたことがあります」
「ほう? あの小僧いいことを言いよる」
「少々お待ちください。気になるところを探します」
「阿呆、粗探しをしろとは言っとらん」
彼女が両手で抱えているのは、騎士団で使われる魔導小銃。正式採用品の中から精度のいいものを選んで、城から持って来させたものだ。
もちろんこちらも改造済みだ。魔法の圧力で飛ばすのは、銃弾ではなく小さな錘。銃身の下側に大きな金属の筒が取り付けられていて、そこから伸びる糸が錘の後端に括り付けられている。
龍神聖教会の精鋭が使う≪鋼糸弦≫を魔導銃に無理やり組み込んだ、≪鋼糸銃≫とでも呼ぶべきもの。以前、コーティの武装義手にも同様の機構を取り付けてはいたが、こちらはもっと大型だ。取り回しが悪くなった分、射程距離も相応に長くなる。
そしてコーティの足を覆うブーツ。こちらは足元に衝撃波を展開し、驚くような高さまで跳ね上がることができる代物。魔導鎧を元に機構を仕込んだものだ。工房の隅に元からあったものを引っ張り出してきたのは、侍女本人からわざわざご指名があったからだ。
「それはあくまで反発させるだけだ。制御はお前さん次第だということを忘れるなよ?」
「はい、ものは使いようです」
そして最後。国からの要請で、元々作り込んでいた小道具がある。こちらは少女と侍女、それぞれ一つずつ持ってもらうことになる。当初想定されていた使い方とは異なる運用になるのは、そもそも計画自体が全く異なるものへと変貌を遂げようとしている証拠であった。
「これが、例の?」
「元々、お偉方が悪あがきと言い訳のために作っていたものだ。……お前さんたちが加わったせいで、当初の計画はおじゃんらしいがな。振り回している自覚があるなら、後で謝っておけよ」
「……心に留めておきます」
頷く二人の横顔はどこまでも真剣で。そこに背伸びをする子供の色と、芯を持つ人の強さの両方を垣間見た技師は、小さくため息を吐いた。
年端も行かない娘たちを戦わせる不甲斐なさと、若者の願いを叶える道具を生み出せた達成感。混ぜこぜになった感情を隠すように、彼は布巾で手に付いた機械油を拭う。
「あちこちで、お前さんたちに手を貸そうとする輩が動いているらしい」
「……シアおねえちゃんだ。みんなに連絡をつけてくれるって」
ケトが声に感情を滲ませて、剣の柄を撫でる。隣で唇を引き結んだコーティも、握り心地を確かめるかのように銃身の木目を撫でていた。
「……フォルジ様。先程、こちらに来られた使者は何と?」
「お前さんたちが姿を隠しているせいで、みんなうちに話を置いていく。……まったく。いちいち仕事の邪魔なんだがな」
技師は皮肉一つをわざとらしく眉根を寄せてみせた。
「色々間に合っていないそうだ。どこもかしこもてんやわんや、そんなところだな」
「……やはりご迷惑をお掛けしていますね」
「はん、細かいことを気にする暇があるなら、今できることをせんか」
「……」
少しばかりシュンとした二人を前にしては、怒る気にもなれやしない。フォルジは肩を落して鼻を一つだけ鳴らした。
「お前さんたちに、伝言を預かっとるよ」
「……え?」
運命の日の早朝、町はずれの工房で。
たくさんの大人たちの努力を、技師は二人にこう伝えた。
「『合わせてやるから、迷わず進め』だそうだ」




