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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第八章 革命の≪五本指≫ 前編
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侍女と少女と、看板娘と その4


 微かなノックの音が聞こえたような気がして、技師は図面から目を上げた。

 作業の邪魔をされるのは酷く癪に障るが、とは集中できていた訳でもない。それなりの時間図面と向き合っていたにもかかわらず、遅々として進まなかった作業に、フォルジは深いため息をついた。

 だいたい、王都なら他にいくらでも似たような作業場があるのだ。わざわざこんな偏屈な爺がやっている工房を選ぶ客はほぼいない。冷やかしか、それとも聞き間違いかと扉に目を向けた先で、けれどもう一度ノックの音。


 なんとも奥ゆかしい音だった。表現を変えるなら、叩く力が弱すぎるとも言う。こんな音を立てるのは、大抵ろくでもない客と相場が決まっている。うんざりと口を曲げながら、けれどどこかで心の内がざわめくのを感じていた。


 荷物を取りに来たのかもしれない、と思い至る。

 三年前、とある少女に魔法の剣を横流しした時も、こんなノックを聞いた。国と教会が戦争へ突き進む中、武器を取りに来た隠密が教えてくれたものだ。周囲に気取られないように、けれど相手が気付いてくれる最低限の音を意識しているとか。


「……」


 こんなことを考えるなんて、どうやら年甲斐もなく感傷的になっているらしい。

 それなりに一目置いていた王子が馬鹿をやり、けれどそれ以上に愚かな大人たちの魔の手にかかり、今や虜囚の身になったこと。このまま身柄を異国の海軍に引き渡せば、彼が二度とこの国の土を踏むこともなくなるであろうこと。そもそも彼の一生自体が、他者と比べて余りに短いものになるはずだということ。


 そして何より、そこまで分かっておきながら、仕方ないと割り切っている自分がいること。これでは、宮仕えをしていた頃と何も変わりない。大きな流れに飲み込まれ、割り切るものばかりが増えていく。


 書き進めていた図面の隣に置いてあるのは、いつぞや城を抜け出してきた王子が義手の女とここを訪れた時に、しれっと置いていったもの。フォルジを驚愕させた宝の山だ。


 ルイス王子の執務室には鍵付きの引き出しがあると言う。王子が監獄に入れられた後、近衛騎士がそこもくまなく確認したらしいが、適当な落書きが二、三枚しか出てこなかったと、流れて来た噂で聞いた。

 それはそうだろう。めぼしいものは……この国を未来に進ませるはずだった天才の頭脳の図面は、全てここに置き去りにされているのだから。


 ノックの音が、もう一度。

 懲りない奴め。どうせ煙突から立ち上る煙が見えているのだろうが、扉を開かず声も返さないのだから、少し間を置くくらいすればいいのに。

 更に再びノックの音。届くまでは決して諦めないぞと、半ば強引にこちらをこじ開けようとする頑固さすら感じさせた。


「……ちっ」


 小さく舌打ちしてから、重い腰を上げて彼は立ち上がる。

 どうやら頑固さでは訪問者の方が一枚上手なようだった。相変わらずノックの音ばかりが鳴り響く鍛冶場で、のんびりとした動作で王子の図面を折りたたんで机の下へ。作業机の天板裏の狭い隙間に押し込んで、その上から板を一枚被せれば、傍目には何も分からない。

 立ち上がって、膝を払いつつ技師は怒鳴った。


「聞こえとるわ!」


     *


 しつこい奴め、とけなしてやろうと思ったのに。ドアを開けた瞬間、そんな文句は一瞬で吹き飛んでしまった。


「……お前さん」


 工房の前には、外套を被った影が二人分。

 無駄に歳を食っていれば、例え相手の顔が見えなくても、そいつが男か女かくらいは分かる。一人はかなり若く、もう一人に至っては子供だ。子供が鍛冶屋にやってくるなど、普通であれば冷やかし以外に考えられなかったが、しかし技師の注意がそこに向くことはなかった。


「ご無沙汰しております。フォルジ様」

「コーティ・フェンダート……?」


 若者が両手を持ち上げて、フードをゆっくり外す様を見る。

 その右腕に輝くのは、鉄と魔法の自動義手。王子が最後に作り上げた傑作が、目の前できちんと動いている。そのことに感じ入るところはあるものの、けれどフォルジはすぐに視線を背けた。


「失せろ」

「……」

「今更お前に話すことなどない」


 この黒髪の女がルイスとどういう関係だったのかまでは知らない。けれどこの元侍女が王都を滅茶苦茶にし、王子自身を苦境に立たせたという事実だけで、彼とっては十分だった。

 女は何も言わない。ただ目を伏せ、軽く顔を俯けただけ。


 顔も見たくない来訪者に付き合う道理はない。技師はドアノブを掴んだままの手に力を込め直した。そのまま身を引き、扉を閉めようとした時に。


「待って」


 今度は隣の子供から声が上がる。低めの身長にふさわしい少し高い声質で、けれどどこか落ち着きを感じさせる不思議な音色だった。


「お願いです。どうかお話だけでも聞いてくれませんか」

「話だと? それなら誰にも何も話さず≪白猫≫を襲ったこいつに言ってやれ」


 冷たく返して、しかしフォルジは子供をまじまじと見つめる。


「この人ウンと叱られましたから。多分ちょっとは反省してると思います」

「……事実ですがお前に言われると腹が立ちますね」

「話がしたいなら礼儀くらい弁えたらどうだ、小娘」


 あえて高圧的な言葉を差し向けると、子供は「そうですね」と臆することなく答えた。コーティに続いて、小さな両手で旅装のフードを外す。


「はじめまして。フォルジさん」


 途端に零れ出す銀髪。少し乱れた髪を、軽く頭を振って整えて。子供はその下からじっと銀の目を向けた。


「自己紹介を、させてください」


 少女は丁寧に頭を下げた。


「わたしはケト。ケト・ハウゼン。みんなはわたしを≪白猫≫と呼びます」

「……なっ」

「三年前、あなたがつくった剣に命を救われた者です」


 銀の髪に銀の瞳。猫で、絶世の美女で、翼があって、けれどただの女の子。午後の穏やかさは一瞬で吹き飛び、技師は突然叩き起こされたような気分を味わう。


「あ、あんたは……!」

「訳あって、わたしは今コルティナと行動を共にしています。あなたのことも、コルティナからお聞きしました」


 襲われたのではないのか。姿をくらましたのではないのか。国は彼女を敵として見ているはずなのに、どうしてわざわざ首都にいる。


「……こんなところまで、何をしに来た」

「あなたが生み出した道具を、もう一度わたしたちに貸してほしいんです」

「道具、道具だと? なぜ、何を……?」


 黒の侍女と白の少女。二人が互いに視線を合わせてから、揃ってこちらを見上げた。


「ルイス殿下を救うために」

「マイロの町を守るために」


 わたしたちの手で、国を傾けます。路地裏に吹く風が、そう言い切った娘たちの髪をさらりと靡かせた。


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