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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第八章 革命の≪五本指≫ 前編
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侍女と少女と、看板娘と その2


 運命の日。

 それをエルシアは、カーライル・ネルガン和親条約締結日、と定義した。


 何の話かまるで分からず、二人そろって首を傾げたケトとコーティ。苦笑したエルシアの説明を簡潔にまとめると、どうやらこうなるらしい。


「貴女たち、二人で城へ乗り込みなさい」

「……は?」

「決行日時は明々後日の昼過ぎ、合図の鐘を鳴らすわ。向こうも一番警戒を強めている時間だから、城には厳戒態勢が敷かれていると思いなさい。迎撃はすべて実力で突破してね」

「……へ?」


 言い換えよう。

 条約が締結される会談の場に乱入し、交渉を白紙に戻す。それがケトとコーティに課せられた役割だった。

 もちろん、ただ交渉の場を搔き乱せばいいという訳ではない。望む方向へ導くためには、いくつもの条件を満たし、立ちはだかる壁を突破した上での話である。

 エルシア曰く、この策が成功すれば二つの結果を得られるという。


 一つ。作戦の過程で、ルイス王子を救出できる。

 一つ。作戦の結果として、マイロを守る準備が整う。


 ケトもコーティも、最初は耳を疑った。何を夢物語をと、半信半疑で話を聞いた。

 けれど、訝しんでいたのははじめのうちだけ。≪傾国≫の廃王女エルシアが組み上げた段取りと、その実現方法、それらを少しずつ理解していくうちに、ケトもコーティも思うようになった。


 ひょっとして、これなら、と。


「……まるで、革命でも起こすみたい」

「あらコーティ。何を腑抜けたことを言っているの。成功すれば、貴女たちが国の未来を変えることになる。それは革命そのものじゃないかしら」

「それだけの、覚悟を持たねばならない……」

「あのねえ、覚悟を決める段階はとっくに過ぎてるわ。その自覚もないのに、一国の王族を救おうだなんて笑わせる」


 コーティを鼻で笑ったエルシアは、しかしケトには甘い顔を見せる。


「わたし、前の戦争のときはそこまで考えてなかった。ただ守りたいって、そればっかりで……」

「ケトはいいのよ。だってケトだもの」

「でも」

「あの時の私は、まだ十歳のケトを戦わせたの。その責任くらい取らなくちゃ、私が貴女に顔向けできないわ」

「責任……」

「ええ。だから私は今も≪傾国≫って呼ばれているでしょ?」


 丸一日。

 ケトとコーティが、己の置かれた現状を理解し、これから為すべきことを落とし込み、向かう先を明確に見据えるのに、最低でもそれだけの時間が必要だった。


 その間に、ケトの膝の上から片時も離れようとしない猫のミヤは、あくびを何度もし、昼寝をした。いつもの時間にやって来たサニーは、コーティに預かっていた装備を返し、ケトに「おかえり」と抱き着いた。ギルドにやって来た常連さんは、決まって呆れ顔をこちらに向けた。地下食堂のマーサさんは、今日は特別とお昼の定食代をまけてくれた。


 午後もいい時間、エルシアは繕い物を完成させた。

 元は教会の修道着。コーティの教官の形見で、ビリビリに敗れたボロ布の塊。生まれ変わって、丁寧に畳まれたそれを渡されたコーティは、掠れた声でお礼を言ってから、両手でぎゅうっと抱きしめていた。


 お世辞にも、十分な時間があったとは言えなかった。これから起こす騒動の規模を考えれば、もっと綿密な計画を立てるだけの余裕くらい欲しいというのが、誰にとっても本音であった。

 それでも、弱音が吐かれることは最後までなかった。頭をひねり、文章の束をめくり、何度も問いかけ、時に立ち戻り、少しずつ理解を進める。

 針の穴に糸を通す繊細さと、通した糸で鉄を穿つ豪胆さ。どちらも求められることは明白だった。準備の時間が限られているのだから、願いを叶えるための努力を止めようとしなかった。


 そうして迎えた、次の朝。すなわち、運命の時まで、あと三日を切った頃。

 ケトとコーティと、そしてエルシアは、ブランカの南門にいた。


「……いい? 気をつけるのよ?」

「うん、分かってる」

「色々と言ったけれど、命さえあればなんとかなるの。貴女の後ろには私がいる。どうにもならなければ逃げたっていいんだからね?」

「大丈夫だよ。うん、大丈夫だから」

「……」


 暖かな手が髪を何度も梳いてくれる。そのくすぐったさと心地よさに、ケトは目を細める。

 エルシアの声には、抑えきれない感情が紛れていた。いつからか、そのことにちゃんと気付けるようになったケトがいる。


「ね、シアおねえちゃん」


 だからケトは、一歩だけ近づいて姉の背に手を回した。膨らんだお腹に負担をかけないように気をつけながら、そこにある家族の温もりを確かめるように、顔をうずめる。


「ありがと」

「……ケト」

「わたしの伝えたいことを、受け取ってくれてありがと」

「……いいのよ」


 抱き着いたままで顔だけ上げて、エルシアと目を合わせる。姉の瞳は、不安と、少しも変わらない妹への愛情の色。朝空の青色に栗色が良く映えて、ケトは綺麗だなと思った。

 その気になりさえすれば、ケトを諦めさせて、この町に囲うことだってできたはずなのに。エルシアはそうすることもなく、どこまでもケトの心を尊重してくれた。守りたい、そんな我儘に寄り添って、道を示してくれた。


「本当はね? もしも貴女が泣くだけだったら、今まで通り私のやり方で守ろうと思っていたの」


 抱きしめ返してくれた姉の手に、きゅうと力が込められた。


「でも、貴女は貴女の考えを、貴女の言葉でぶつけてくれた……。なら、おねえちゃんとして応えなくちゃ駄目だなって」


 それがエルシアの本心。これからはじめる未知数な可能性を選んでくれた理由。

 迷惑をかけてしまった、という罪悪感がケトをくすぐるけれど。ここで「ごめん」と口にするのは、なんだか違うように思えたから。代わりにケトは、にっこりと笑いかけた。


「やっぱり、シアおねえちゃんはすごいや」

「ううん、すごくなんてない……。私は最後まで手を貸すことすらできないの」


 苦笑の中に諦めたような色が混じる。それは、力の及ばない自分を認め誰かに託す、そんな大人の表情だった。それが伝わるから、ケトも伝えたい。


「必ず帰るよ、この町に。それまでに、赤ちゃんの名前、うんと考えておくね?」

「そうね……。帰ってきたら、貴女の考えた素敵な名前を教えて?」


 エルシアのお腹の子、これから生まれ出づる新たな命の名付け親になってほしい。ケトがそのお願いを引き受けたのはまだ春先の頃のことだ。エルシアとガルドスから頼まれた時の驚きと喜びは、ちゃんと覚えている。


 妹だったケトが、姉になる日がやってくる。それがどんな感じなのかはまだ分からない。まだ呼び名も分からない子に対して、立派な年長者として振舞える気もしない。

 それでも、ちゃんと「おねえちゃん」として胸を張れるように。全部成し遂げて、この町に帰ってこよう。


 抱擁を離す。

 北の町の隅っこで、旅立ちの朝を迎えたケトは背筋をピンと伸ばす。荷物をしっかりと背負い直し、最後に一つ頷いた。


「いってきます」

「いってらっしゃい」


 微笑んでくれたエルシアから視線を外して。振り向けば、そこはもう外の世界。

 その戸口に立つのは、侍女が一人。ケトの宿敵コーティは、ここから目的を同じくする者になる。それもまた、エルシアがいなければ実現できなかった今の一つ。


「お待たせ」

「……もういいのですか?」

「これ以上おしゃべりしてたら、せっかく決めたのに鈍っちゃうから」

「そうですか」


 この歳なのに、人前で姉に抱き着いていたのだ。どうせ内心では馬鹿にしているのだろうなんて思っていたケトは、どうやら最近少しひねくれてしまったらしい。コーティは軽く頷いただけで何も言わず、ただ当然のことと受け止めてくれたようで、穿った見方をした自分がなんだか恥ずかしくなった。


「じゃあ、繋ぐよ?」

「落とさないでくださいね」

「そんなことしないよ……と、これで良し」


 二人を繋ぐベルトを巻きつけ、バックルをしっかりと確認。ここから王都までは空路での移動になる。馬車で三日かかる道を、半日強で翔け抜ける計算だ。

 それはまあ、ケトだけならばもっと早くたどりつくこともできるだろう。けれど、ここから先で必要となるのは、ケトの力とコーティの立ち位置の二つ。どちらも欠かすことなんてできないから、ケトがコーティを運ぶのは当然だった。


 できる限り減らした荷物を確認。コーティの壊れた義手やら服やらは、別の馬車で送ってもらう徹底ぶりである。


「忘れ物はないね?」

「大丈夫。必要なものはすべて、この町の方々に分けていただきましたから」


 最後に二人で振り返り、エルシアの方を見た。

 コーティは丁寧に頭を下げ、ケトは行ってくるねと手を振る。少し離れたところで微笑むエルシアは、口を微かに動かして、無事を祈るおまじないを紡いでくれた。


 貴女に幸運のあらんことを。


 家族の言葉に背を押され、少女と侍女は、旅立ちの大空へと舞い上がっていった。


     *


 大きな空を見上げてみる。


 澄んだ高みは厳しい残暑の色。綿毛をちぎったような雲がいくつか目の端に映り、まるで白い魚が泳いでいるみたいだと思う。ふわふわ浮かんで、流されて、彼は果たしてどこへ向かうのだろう。


 そんな海のように濃い青の中を、白い雲に見送られて、背中が遠ざかっていく。ただでさえ小柄な体は、瞬く間に点みたいになってしまったけれど。

 両手を握りしめて、エルシアは妹の名前を呼んだ。


「ケト……」

「大丈夫さ。ケトはそんなに柔じゃない」


 並んで立つ旦那の言葉に頷いてはみせたけれど、それで不安が消える訳ではない。

 もっと他に手があったのではないのか。もっと確実で、安全に生きていける方法があったのではないのか。自分が選ばなかった一つの未来は今まさに消えつつあって、代わりに一つの可能性が空を突き進んでいく。


 妹が選んだのは混乱の未来だ。一歩間違えれば、破滅の道筋へと向かう。

 けれど同時に、希望に満ち溢れた未来にもなり得る、そんな道筋でもあった。


 そこに辿り着くまでに出会う苦難。立ちふさがるであろう敵の姿。いくつもの憶測と、それを肯定する情報たちが、エルシアの怯えを掻き立てる。妹の前で隠し続けていた感情は、どうやら本人がいなくなった途端に抑えきれなくなってしまったみたいだ。


「……」


 そう遠くない日に、ケトは気付くのだろう。

 意気揚々と、傍若無人に、≪傾国≫の仮面を張り付けている姉。これこそ我が望みと、他者の手を引いて道を示し続ける自分だって、本音は怖くてたまらないことを。


「……本当はね、ケトには私の傍に居て欲しいの」

「ああ」

「戦う必要なんてない。逃げ道なんていくらでも残されているんだから、わざわざ一番厳しい道を選ばなくたっていいのにって……」


 マイロなんてどうでも良い。異国の侵略なんてどうでも良い。

 エルシアにはエルシアなりの力がある。その限界も知っている。だから状況が悪化の一途をたどる今なら、カーライルを捨ててネルガン側につくという方法すらも選択肢に入れられる。

 もっとも大切なのは、ケトに危害が降りかからないこと。自分と夫とお腹の子と、この町も守れたなら……。


「……でも、それは私の我儘でしかないから」

「ケトは違ったみたいだな」

「ええ。ケトは私と違った、違う考えを持ってくれた。……分からず屋な私に、違うんだよって、ちゃんと伝えてくれた」


 私はそれを、嬉しいと思ってしまったの。そう呟いて、エルシアは夫の体に身を寄せた。


「なら、私だってできることをするしかないじゃない。……その結果、これまでのようにあの子を守り通せなくなるとしても」


 人々はエルシアを≪傾国≫と呼ぶ。かつてこの国を混乱に陥れた悪魔の名だ。

 悪を気取るつもりはこれっぽっちもない。ただ、望む世界に近づけるためには、自分はそういう役回りであるべきなのだと受け入れただけ。だからエルシアは、その異名を利用することも厭わない。

 けれど、それは同時にエルシアにとっての枷にもなる。≪傾国≫とは、すなわち国を傾ける者の意。その二つ名が示す枷は、一生外れることがない。


「私は≪傾国≫……。できるのは国を傾けることだけで、その先を紡ぐことはできない」


 どれだけ望んでも。どれだけ願っても。

 結局、エルシアは傾いた後の世界に対して、これ以上なく無力なのだ。立て直すなり、導くなり、新たな道を探すなり。そこにエルシアの存在は必要とされない。


 だからもうすぐ、ケトはエルシアの腕から飛び出すことになる。悪意と打算と厳しさと、それでも消えない小さな優しさが入り混じったこの世界で、一人の人間として扱われるようになる。

 心配だ。傍にいてやりたい。守ってあげたい。そう思うのは姉として当然だけれど、過保護が子を殺すことを知っている身としては、やっぱりこうして見送ってあげるのが正しい選択なのだろう。


「不甲斐ないな。隣にいてやれないってのは……」

「ガル……?」


 寄り添う夫はそんなことを言う。


「本当は普通の女の子なんだって分かってるのに、そんな子を矢面に立たせなくちゃいけないなんてさ」

「……私、声に出してた?」

「シアがまだちんちくりんだった頃に、俺がよく思ってたこと」


 彼がこちらを向く。そこに昔ながらのいたずら坊主の面影と、今の頼れる伴侶の姿、どちらも混じった大人の色を見てしまえば、エルシアは見入らずにはいられない。


「でも、だからこそ、だろ?」

「え?」

「だからこそ、俺たちも俺たちの全力を尽くさなくちゃな。ケトが笑顔で帰ってこられるように」


 夫の言葉は、エルシアの抱える想いそのもので。どうやら自分の心を分かってもらえたらしい、そんな幸福を噛みしめながら、エルシアは肩に回されたガルドスの手に、そっと自分の手を重ねた。


「……そうね。そうよね」


 既に世界は秋の入り口に立っている。この北の町では朝晩少し涼しくなってきたのがその証拠。

 きっと、そのせいだ。訳もなく夫に身を寄せたくなってしまうのは。


 空の彼方へと消えた影を探して、エルシアは囁いた。


「あの子はもう、この田舎町で燻ぶり続けるケトじゃないから」

「ああ」

「心配なんていらないわ。ちゃんと帰って来てくれる」


 ケト・ハウゼンは、どこまでも素直に育ってくれた。

 きっかけさえあれば、興味さえ向けば、彼女はそのすべててを吸収しようとする。それはまさしく歳相応の子供の姿そのもの。一つずつを経験して、一つずつに心を動かして、自分の中の価値観を育んでいく。

 終戦から三年。色々な人の心に触れ、沢山の人たちを味方につけて、多くの想いに支えられて。少女はちょっとだけ成長できたはずだ。


「……姉離れが早すぎるなあって、おねえちゃんとしては思っちゃうんだけどね?」

「もうすぐ、あいつもおねえちゃんになる。その準備だと思えばいいさ」


 人知を超えた少女を守るために、「政治的封殺」を作り上げたエルシアだけれど。


「少しだけ、大人になった貴女なら」


 これから、少女はその籠から飛び出すことになる。


「誰かのために泣ける貴女なら」


 きっと悩むことだろう。きっと苦しむことだろう。きっと挫折することだろう。きっと悪意に晒されることだろう。人と人が生み出す世界は、それほどまで救いようがなくて。

 それでも。ケトの一言で、エルシアは幸せになれる。ケトの何気ない仕草が、エルシアの心を動かす。そんな言葉で表せない暖かさを持つのもまた、人という存在だから。


 いい加減、この庇護から、解き放ってあげる頃合いだ。


「いってらっしゃい、ケト」


 姉は、いつまでも、いつまでも、妹の旅立った空を見上げていた。


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