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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第七章 夜の向こうで会えたなら
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ファースト・コンタクト その4


 咄嗟の軌道変更。辛うじて回避した砲弾が空気を切り裂き、その余波で体が軋む。急激な負荷に内臓がふわりと浮かび上がる気持ち悪さを押さえ込み、ケトは砲撃の飛来した方向を睨みつけた。


「ネルガンの武器なら、魔法じゃないの!?」


 港に停泊中の軍艦が七隻、そして湾内にはゆっくりと波に揺られる二隻。ケトだってもちろん、その存在には気付いていた。小指の先ほどに見える兵士たちがあちこちで動き回り、大砲らしきものを動かしているのは見えていた。

 船上、まるで魔導砲のような見た目の、文字通りの大砲が火を噴く。飛ばしているのは小銃弾を遥かに大きくしたような鉄の砲弾。重量のせいか、龍の目なら見えるような速度で飛んでくるそれを躱したものの、巻き起こった乱気流がまたしても進路を乱した。


 港側から逃げるということは、すなわち彼ら海上戦力も相手にするということ。地上と空からの火線に、海からの砲撃まで加わるとなれば、いかに小さなケトと言えどもすべての攻撃を躱し続けるのは至難の技だった。


 どこもかしこも敵だらけで、周囲全てが火を噴く。どんどん明るさを増していく空に黒い煙が幾筋も上がり続け、ブレスの光、小銃弾の擦過音、大口径砲の発射音が耳を弄する。

 砲弾を咄嗟に魔防壁ではじき返す。ぐわんと地響きのような振動が腹の底を揺らし、受け止めた防壁に揺らぐような跡を波立たせていた。

 小銃やブレスよりも艦載砲の射撃頻度が少ないのは、装填が間に合わないからだろう。それに、ひょっとしたらケトの移動速度に砲の照準が追いつかないというのもあるかもしれない。

 甲板上で右往左往する兵士たちを見れば、火薬式の大砲にもいくつか種類があるみたいだと分かる。こちらを向くものもあれば、ほとんど上を狙えない、仰角を制限されるものもあるようだ。


 おそらくは、これが上陸部隊の本陣。

 大口径の砲弾を撃ち出す砲を所狭しと並べる軍艦が、全部で九隻。注視すれば、それぞれの船にとんでもない数の兵士がいるのが見て取れる。ある者は帆の上の足場でこちらを指さし、ある者は大砲を必死に動かし、ある者は小銃をこちらに向けて叫び……ああ、いつだったかアキリーズが教えてくれたっけ。百や二百の人が乗っていて、言うなれば動く町、それが船というものなのだと。


「町だなんて。これじゃまるで砦だ……!」


 砲火をかいくぐり続けるのもかなり厳しい。今やありとあらゆる敵意がケト一人に向けられていて、それはすなわち陽動作戦が成功したということだろう。ケトが守りたいと願う人たちは、きっと逃げ延びてくれているはず、そう信じるしかなかった。

 そしていい加減、ケトも自分の身の安全を考えるべき頃合いだった。


 擬龍のブレスを三射立て続けに躱したものの、回避先を狙った四射目が眼前に迫っていた。それを正面から防壁で受け止めて、その圧力に押し込まれるように降下。下方からの小銃弾がいくつか体を掠め、数発が翼に当たって火花を散らす。


「……この!」


 いよいよもって激しさを増した十時砲火。たまらず体全体を覆った防御魔法が今度は砲弾の直撃を幾度も弾き、その度に魔防壁が歪な音を立てていた。こうなると個人の技量なんて関係ない、人ならざる力と海水の量に頼るしかなく、防壁に集中して猛攻をしのぐ。

 日の出を控えた空の元、凪いだ海を背景に、幾本も突き立つマストを見る。その上で見張り員がこちらを指さし、口々に何かをがなり立てる。前方には航空部隊のブレス、下からは小銃弾と砲弾の嵐。力任せに防ぎ切る。


 自分は確実に追い込まれていた。ブレスの照射が収まるのを待って、直撃した砲弾を押し込みつつ、ケトは翼と体を丸め込んだ。機動を変えれば、重力に従い落下を始める小さな体、どんどん近づく水面へと大声で怒鳴り散らした。


「見えなくなっちゃえッ!」


 途端、海面が暴れ出した。港の一部が一気に泡立ち、膨れ上がり、それらは真っ白な霧となってケトの周囲を荒れ狂う。

 沸き立った乱気流が落下するケトの軌道を滅茶苦茶に乱した。追撃を図って急降下をかけた擬龍が慌てたように散開、隊列を解除した航空小隊を、まるで雪崩のような勢いで煙幕が襲う。


 先程といい、今といい、霧に埋もれてしまうと、人間の視力など欠片も役に立ちやしない。代わりに龍の感覚で方向を見定めて、ケトは体と翼をピンと伸ばした。

 羽ばたきが莫大な量の霧をかき回し、少女の体を南へと運びはじめた。向かうのは、港の先に待つ大海原。どこまでも教会と反対側に逃げて、姿をくらますための逃走経路へ。


 濃霧の中、飛翔するケトの前に木製の壁が現れた。停泊する軍艦の一隻、左舷側の船体を覆う外装板だった。手を伸ばせば触れられそうな距離にある船体に沿うように、速度をどんどん上げていく。

 その端に刻まれた、恐らくはその船の名前であろう文字が一瞬で通り過ぎて行く。ちらりと読めないそれに視線を向かわせ、思わず叫んだ。


「分かる文字で書いてよッ!」


 異国の侵略者。海の向こうからこの国に攻めて来た軍隊。

 カーライルのような小国では逆立ちしたって勝てない。だから戦争を避けねばならない。そう教えてもらった、遥か西の国の軍隊。


 言葉の通じない相手では、目的も要求も理解のしようがない。どれだけケトがやめてくれと叫んだところで、何も伝えられやしない。先刻だって、二人の兵士ですら意志の疎通ができなかったのだ。船一隻に数百人、それほどの人数を説得することなどできるはずもなく、だからケトは尻尾を巻いて逃げるしかなかった。


「どうすれば、やめてくれるの……」


 声に弱気を混じらせながら、停泊中の艦艇群を突破。その先を微速で前進する二隻の間をすり抜けて、少女は港の中央を翔け抜ける。もうすぐ霧の出口ともなれば、目の前も見えないからと言って速度を下げる理由にはならなかった。


 やがて、少女の視界が開けた。

 夏は昨日で終わり。暦の上では季節が変わった、その最初の日の出の時間だった。とは言えまだまだ暑い季節。人の悲哀など知ったことではないとでも言いたげに、波の立たない海面がキラキラと輝く。

 南進を続けるケトの右手から、太陽がようやく顔を見せようとしていた。世界中が真っ白に染まる一瞬、ちっぽけな少女は眩しさに目をくらませ、そして。


「……うそ」


 少女は、ただ茫然とするしかなかった。

 霧を超えた先、港の向こう側。外洋に広がる光景は、ケトの想像をはるかに超えたものだったから。


 秋の初めの朝日が、海上の艦隊を横合いから照らし出そうとしていた。


 海の上の砦、それを軍艦と言うらしい。

 砦顔負けの頑丈な船体、その上にも側面にも、数十を超える砲の数々。マストは高く聳え立ち、たたまれた白い帆が日差しを浴びてその存在を引き立たせている。

 そんなネルガンの力の象徴ともいえる、巨大な船が。


 海上を埋め尽くしていた。


「なに、これ……?」


 その船舶数は、目で数えられる量じゃない。

 ネルガン海軍は世界最強、なんて謳い文句は耳が腐る程聞いてきた。へえそうなんだって、誰が言う度にケトは他人事みたいにそう思った。


(わあお、船だらけだね)

「こんな、こんなことって……!」


 龍の感覚が、ケトへの認識を促す。

 艦艇総数、実に、百と二十一。うち大型戦列艦は四十余り、布陣の後方に位置する艦は人の目では霞むほどに遠い。空に次々と浮かび上がる小さな点は、その一つ一つが擬龍に違いなく、そちらは既に二十騎以上が展開。更に大型特殊艦の幾隻かから順に発艦中。


「これが、ネルガンの機動艦隊……?」

(無敵艦隊、だっけ。いかにも人間らしい、傲慢な名前つけるだけはあるね)


 港にいた十隻近くの戦闘艦なんて、町に展開していた数騎の擬龍なんて、ただのおまけみたいなものだ。本隊は未だに沖合に待機していて、静かにこちらを見ているだけ。


(ほらほら、早いとこ逃げないと)

「……」

(ケト・ハウゼン!)

「……わ、分かってる」


 ケトが戦ってどうこう、なんて次元の話ではなかった。百を超える砦相手に、一体何ができる。戦いを始めた時点で、滅びの道は確定している。


 ルイス王子の行動の意味が、ようやく理解できた。

 国と国との交渉事のはずなのに、どうしてケトが引っ張り出されるのかずっと不思議だったのだ。鎖国がどうとか、なんてまどろっこしいことをしなくても、方法なんていくらでもあるのではないのかと。


 だが、この光景を見てしまえば、納得せざるを得ない。

 王子はこの戦力差を知っていたのだ。彼が考えていたのは勝つ方法などではない。いかに有利な条件で国交を開くかでもない。ただ、いかに総力を挙げてこの国を生き延びさせるか。


 ネルガンにとって、カーライルは格下の田舎国家もいいところ。どうあがいても埋められる国力差ではなく、だからこそルイスは搦め手で解決しようとした。

 それが、≪白猫≫を言い訳にした鎖国体制の構築。

 馬鹿で、愚かで、救いようのない策だ。誰も幸せにならず、ただ終わりの時を先延ばしにしただけ。こじつけもここに極まれり、ケトにしてもネルガンにしても、そしてカーライルと言う国そのものにしても、ただの迷惑でしかない。


 それでも、ルイスが取れる手は他になかったのだ。

 従属か、滅亡か。結局ネルガンが求めるのはその二択なのだろう。その中で必死にもがいた結果が、≪白猫≫襲撃という、回りくどい蛮行だったのだろう。


 そんなこと、今更知っても何にもならない。

 そしてケトも、ルイスと何も変わらない。己以外のすべてが敵である状況で、自分にできることはなかった。


「……」


 唇を噛んで、大艦隊から目を逸らす。そろそろ行かなければ、包囲殲滅の未来が容易に想像できた。


 南に突き進んでいた進路を変える。高度を落とし、もう一度霧で姿を隠してから軌道を変更する。艦隊とはまだ距離がある。少しだけ西に向かって、それから追撃を振り切ろう。


 ひと夏で得たはずの大切な何かを、滅び行くこの町に置き去りにしてしまったような罪悪感。そんなやるせなさには蓋をして、ケトは追撃から逃れるため、空を蹴り飛ばす。


「……どうかみんなに、幸運のあらんことを」


 誰に言うでもなく、ケトは最後にそう呟いた。

 教会のみんなが神様にお祈りする理由、ケトにもようやく分かった気がする。


 限界を超えた理不尽に晒された時、己の愚かさと無力さを思い知らされた時。

 今のケトがそうであるように、人はただひたすらに、祈ることしかできないのだ。


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