二本の指では、掴めない その1
カーライル王国が誇る王城カルネリア。今のこの場所において、政の中心地と言えば、敷地の北に位置する執務棟を指す。
中心が支城と言うのもおかしな話ではあるが、これには単純かつ明確な理由がある。本城は今なお再建の目途が立っていないのだ。
三年前の春に起こった傾国戦争。
これまで二十年以上も燻っていた前国王と枢機卿の確執が、ついに弾けて巻き起こった戦乱。そして、その全てがたった一日で鎮圧されたという珍事である。
両陣営ともに、何年もかけてあれやこれやと謀略と策を巡らせていたはずなのに。蓋を開けたら午前中に開戦し夕方には決着がついていたのだから、当事者たちにとってはやりきれないものだろう。
この時最も被害が大きかったのが、王城カルネリアであると言われている。
街と城を隔てる内壁には多くの傷がつき、配備されたばかりの魔導砲台と、大型の弩は大半を消失させた。北の城門からは頑丈な門扉が消え去り、棟と棟を繋ぐ渡り廊下はそのほとんどが崩れ、東支城の壁には流れ弾の弾痕が数えきれないほど刻まれた。
ただし、特に悲惨な有様となったのはそのいずれでもない。真ん中も真ん中、カルネリア本城である。≪玉座の間≫を有する本城は、戦争が終結した時点で完全に瓦礫の山と化していたのである。
これこそが、≪傾国≫とその手下≪白猫≫の仕業であると言われている。
「……ですから、このままでは復興経費が予算が完全に超えてしまう、それはお判りでしょう?」
「予算を立てた時と今では状況がまるで違う。当時は魔導船団がここまで早く必要となることを想定していなかったのだから」
代わりに日の目を見るようになったのは、執務棟の大広間。国政を論じる本会議場として使われているその場所には、今日も今日とて国の重鎮たちが集まっている。
あれやこれや、あれやこれや。時間は有限、問題は尽きることはない。
彼らの前に置かれた薄手の陶器のティーカップには、もう何度も熱い紅茶が継ぎ足し続けられている。喉を湿らせるだけでなく、考えをまとめる時間を作り出す小道具にもなるそれらは、驚くような勢いで飲み干されていた。
「……最悪、本城再建は後回しにするしかないでしょうね」
空色のドレスを纏った若い淑女が、論説を展開する。
ピンと伸びた背筋には、しかしどこか疲れも滲んでいるように見えた。華やかなドレスの色彩とは裏腹に、その表情は硬い。その向かいでも、額にしわを刻んだ重鎮が机に身を乗り出していた。
「エレオノーラ殿下、お言葉ですが私は反対です。本城こそ国の顔、戦争から三年経ってなお立て直せないとあれば、国外の増長を招きかねません。カーライル王族、ひいてはこの国そのものが舐められる事態となりましょう。絶対に避けるべきです」
「そうは言うけれど、支城のみでも国の運営が可能だということは、この三年という実績が示しているのではなくて?」
政は男がやるもの。長らくこの国に存在していた慣習は、既に有耶無耶になりつつある。国内の二大派閥が戦争で失脚したせいで、どこもかしこも人材不足。わざわざ性別で人を選んでいる余裕はどこにもないのだ。
侍女が注いだばかりの紅茶を一口だけ含んで喉を湿らせながら、王女は言う。
「内情を軽んじ、真に求められているものを己の独断だけで決定する。それは父の政治そのものよ。今の我が国が最も避けるべきことではないかしら。現に城下街や新水道の復旧と整備は順調、私たちに対する民からの評価も決して悪くはないの」
「ですが……」
エレオノーラ・マイロ・エスト・カーライル第一王女。ルイス王子の姉にして、戦後この国を立て直した王女である。御年二十二歳になる彼女は、肩の力を抜いて重鎮の一人に視線を向けた。
「リュングマン伯爵、せめて目途だけでもつけたいと言うあなたの主張も分かります。いつまでも国の中心に柱だけが突き立っている状態は好ましくないのだという感覚には同意するわ。……けれどね、そこに割ける予算はもうどこにもないの」
「騎士団の再編、そして装備の近代化更新……。せめてこれさえなければと思わずにはいられません」
「私も同じ気持ちよ。まさかこれほど早く自衛の剣が必要になるなんて、一体誰に想像できて?」
「せめて建造中の魔導船団の規模縮小は叶わないものでしょうか。あれの緊急予算が国庫を圧迫しているのは自明です」
「無茶だわ。先日のマイロ開港を見てみなさい? 私たちは彼らに対して既に遅れをとっているのよ?」
空気が重いなと、新米侍女コーティは思った。
他家の侍女や使用人に交じって会議室の端に佇むことができるのは、何を隠そう王子ルイスの差し金だ。顔合わせからわずか半日しか経っていないコーティに対して、「俺だけ面倒な目に合うくらいなら、同じ空気を味わってみろ」とかいう我儘を振りかざした彼。結果コーティはこの場で手持ち無沙汰を味わっている。
――私は教会から派遣されているんですよ?
――何を今更。
――裏切るとか、思わないのですか?
――≪白猫≫を潰すまでは裏切れねえだろ、お前。
以上が先程交わされた、ルイスとの執務室でのやり取りである。
彼を相手にすると、一事が万事そんな感じでのらりくらりと痛いところをついてくる。実際彼の言うことは正しいので、コーティはぐうの音も出ない。
前に座る主の背中を見つめながら、コーティが意識を遠くに飛ばしている間に、いつしか会議室に沈黙が訪れていた。どうやら本城再建の予算は凍結されたみたいで……、あれ? 結構大きな決定がコーティの目の前で為されていた。
若干ピリピリした空気が薄れ、あちこちで飲み干したカップに紅茶を継ぎ足すため、侍女が一斉に動き出す。……そういえばコーティも侍女である。ルイスの席に行って、何かしなくてはいけなかったりするのだろうか。
そうは言ってもこれまでの人生、茶器などとは無縁の世界で生きて来たのだ。どうすればいいのかはさっぱり分からず、しかし結論から言って、コーティが動く必要はなかった。
書類をまとめる者、椅子にもたれる者、紅茶に息を吐く者達の中で、一人の男が脈絡もなく立ち上がっていた。突然のことに皆の視線を攫って行った彼を目で追ったコーティは、一拍置いて目を見開いた。
ルイス王子、コーティの主だ。どうした。会議の議題はまだ残っているが、お手洗いでも行きたいのか。
髪を整え着飾った彼を見ると、コーティの目にも若々しさと思慮深さを兼ね備えた美男子に映る。けれどその口から放たれたのは、何とも気の抜けるような一言だった。
「あーごめん。俺、飽きたから帰るわ」
一瞬だけ、空気が凍り付いたように思えた。
「ちょっと、ルイス……」
隣の王女直々に彼を諭すが、彼は一切顧みやしない。
「だからごめんってば、姉上。どーせ俺に難しいことは分からんしさ、後はまあみんなで上手くやってよ」
へらり、と笑みを浮かべながらのたまうルイスに、椅子を軋ませる重鎮から苦言が呈される。
「お言葉ですが、殿下。今がどれほど大切な時期か、よもや理解されてない訳ではないでしょう。正しくこの国の命運を決める時期であると……」
「あーあー。お小言は勘弁勘弁。そういうのは、政治の大事さを分かってる人がやった方がいいでしょ」
両手を組んで、気持ちよさそうにぐっと伸びをして。
≪我儘王子≫はのたまった。
「じゃ、お先にー。ほらコーティ、行くぞ」
「えっ、ちょっ……」
つかつかと寄って来たルイスに、コーティはどう動けばいいか分からない。
戦後、国を立て直した錚々たる面々相手に、この舐めた口調。後先考えないにもほどがある。しかもわざわざ侍女の名前を呼んだせいで、重鎮のお方々の注意が一斉にコーティの方を向くのが分かった。
王子が侍女にした、教会の娘。それはもう好機の視線だらけである。
流石のコーティも非常に居心地が悪い。あちこちから向けられるのは、こいつが、という値踏みの視線と、お前の主人どうなっているんだ、という無言の圧力に違いない。いくら主人が相手と言えど、これくらいは言わなくてはいけない気がした。
「恐れながら殿下、私も皆様に賛成です。流石にここでご退席されるのは……」
「ほーい。明日から注意しまーす」
見事に興味のなさそうな声で、適当に答えたコーティの主。
近くまで寄ってきた彼は、侍女の義手を思い切り鷲掴み。そのままズンズン進んでから、重い扉を押し開けて、目を白黒させる侍女と共に廊下へと突き進んでいった。
※次回は1/10(月)の更新になります。




