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侍女は少女に負けられないっ!  作者: 有坂加紙
第七章 夜の向こうで会えたなら
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銃後の戦場 その3


 八方塞がりとは、こういう状況のことを指すのだろう。

 カーライル城の執務棟一階。議場の一席に収まる王女エレオノーラは、幾度も嚙み切って傷だらけになった唇を、もう一度噛みしめた。


「それで?」


 議場には、先程から一人の女性の声ばかりが響いている。こちらを嘲るような、絶対強者を自覚している人間の声色だった。


「ご返答は、まだいただけないのかしら? いい加減だんまりは飽き飽きしているのですが」


 ちらと見回す広間の中で、現実を突きつけられた動揺から立ち直れた者はどこにもいない。王女であるエレオノーラとてそれは変わらず、マイロ陥落なる、既に為された惨劇の報告に言葉を失うしかなかった。

 議場は既に、プレータ・マクライエン海軍特務少佐の独壇場。目の前で冷ややかに笑う軍人の言葉には、それほどの威力があった。


「……特使様の暗殺をルイスが命じたという明確な証拠は、今でも見つかっていないのです。である以上、貴国の要請は越権行為、認める訳にはいきません」

「この期に及んで、まだそんなことをおっしゃる」


 他にどんな反論ができるというのか。エレオノーラが必死に紡いだ回答は、しかし予想通り、プレータの非難の声にかき消されてしまう。

 プレータは目の前の机に、手に持ったものを放り出した。ガシャン、と乱暴な音が木霊し、エレオノーラは跳ねそうになる肩を必死に抑えた。


「魔導拳銃の回転式弾倉仕様……。こんなもの、王女殿下の弟君以外に持っている方なんていないでしょう?」


 弾丸も浄水も抜かれたそれは、今はただの重しとなって机の上に転がっている。

 あの銃がルイスの部屋から持ち出されたのは事実だった。彼の寝室のベッドサイドにあるチェスト、その最下段から影も形も消え去った魔導銃は、ルイスが昔設計図を書き、試作品として作り出したもの。複雑な機構になる分大量生産に向かず、高価な割に信頼性も低いという結果に終わり、だからルイスが引き出しにしまったそれが、現在この世界に唯一存在する一丁ということになる。


 それが血にまみれた状態でトーリス中将の射殺体の傍に転がっていた以上、この魔導拳銃がネルガン特使暗殺の凶器となった、というのは事実だった。


 問題は、それを握っていた人間が誰か。手掛かりは少なく、調査は遅々として進んでいない。

 ……というより、ネルガンが調査を拒否している。ルイスが矢面に立ったのは、使用された凶器の持ち主が彼だからという、子供騙しにも程があるお粗末な理由だった。


「だからと言って、それだけでは証拠になり得ません。彼の部屋に何者かが侵入した可能性だって払拭できていないのです。これについては我が国でも調査を続けています。ですから……」

「あのねえ、王女殿下」


 プレータは呆れたように言った。


「マイロの中心部の制圧。それをあくまで防衛行動の範疇に留めているのは、貴国を慮ってのことよ? あまりに我々ネルガンを舐めてかかっていらっしゃるようなら、現実を教えてさしあげるしかないの」


 論理が破綻している。まともに話し合うつもりが感じられない。それが分かっているのに、こちらは下手な主張すらできないなんて、と王女は歯噛みする。

 たった半日前の出来事ですら、遠く離れた王都で事実として話すことができる。それこそがネルガンが強国たる理由だ。擬龍なるネルガン独自の力が可能とした情報伝達能力の速さは、カーライルの持ち得るいかなる手段をも凌駕する。


「そ、それが事実かどうかの見極めも必要でしょう。マイロ制圧とてそちらのお話しか聞けていないのです。それを一方的に信じろと言うのは……!」

「私としては、あの町を焼野原にしても良かったのですよ。それこそ宣戦布告の文書も添えて」

「……!」


 今度こそ言葉を失ったエレオノーラへ、女軍人は固い表情を向ける。


「申し上げておきますが、我々が多少の損害を承知の上で上陸前の艦砲射撃を行わなかったのは、我が国の温情のようなものです。そんな戦場でもなお、カーライルの沿岸警備を打ち破るのはこれほどまでに容易かった。艦隊の総力を挙げれば、数日経たずにこの国の沿岸都市すべてを焦土にできる」


 確かにマイロ制圧の真偽は定かではない。だが、プレータのいうネルガンの戦力。それはまぎれもなく事実だ。

 カーライルにまともな艦隊なんてない。沿岸警備隊にだって、十分な魔導砲や銃器も行き届いていない現状がある。マイロの港を守る部隊は恵まれた方で、ようやく魔導銃が支給されはじめたばかりという有様なのだ。

 全面戦争になれば、まず勝ち目はない。そして、戦いにするかどうかの主導権も、今やプレータ・マクライエンの手中にある。


 だから、エレオノーラは、カーライル王国は、一切の反論ができない。

 今は牢に閉じ込められている、第一王子ルイス。天才と評される彼の頭脳をもってしても、≪白猫≫を引っ張り出して時間を稼ぐ策しか取れなかったように。ましてや凡人のエレオノーラに、打開策など思いつくはずはない。


 これ以上抵抗すれば血をいたずらに流すだけ。「できる限り穏便に制圧」などとプレータは言っていたが、それが果たしてどこまで本当のことか、それすらも把握できていない。


「……」


 やはり、向こうの条文を無条件で飲み込むしかないのか。国の主権を海の彼方の異国に渡し、その傀儡となるしかないのか。国家そのものが奴隷となる現実を飲み込んで、これ以上戦火を広げないためにも……。


「……たとえそれが事実であっても」


 議場のどこかから、そんな声が上がったのはそんな時だった。ノロノロと顔を動かしたエレオノーラは、アルフレッドが鋭い目で壇上を睨みつけていることに気付いた。


「先程も申し上げた通り、我がカーライルにそのような情報は入っていません。これからその報告がもたらされると言うなら、事実をしっかり見極めて判断をせねばなりません」

「くどいわね。言葉ばかりをこねくり回すのはもう結構。言いたいことがあるなら、お互い腹を割って話しましょう」


 アルフレッドが、エレオノーラをチラリと見た。「すまない」とその目が言っていて、エレオノーラから逸らされるのを為すすべなく見送った。


 今更だけれど、この条約を受け入れたら愛しい彼との結婚も白紙だろう。それを残念に思う自分に、やはり為政者の資格はない。民の命や国の行く末と比べたら本当にちっぽけなことだけど、今この場で、それがとてつもなく悲しく思えてしまうことこそ、エレオノーラが凡人である証。いたたまれなくなったエレオノーラは、耐えきれずに俯いた。


 添い遂げられず、すまない。先程の彼の視線の意味なんて分かっていた。

 アルフレッドはこの状況の打開策を考えているはずだ。そのためなら何でもすると言う、どこまでも政治家らしい決意の表れだった。


「なるほど。では、マクライエン卿。お聞かせ願おう」

「なんなりと」

「ルイス王子殿下への二度に渡る襲撃。そしてそれに先んじた≪傾国≫への国家転覆の打診。それぞれどう言い訳をつけるつもりですか?」

「ふふっ、今更そんなこと……。でも、ようやく持ち出してくれたわね」


 そこで初めて、プレータの目に嘲り以外の感情が灯る。彼女は嬉しそうだ、とエレオノーラの勘が告げていた。


「ではこちらからも聞くわ。我が艦隊の排斥策として、貴国が実施した鎖国政策。あんな馬鹿げた宣言はすぐに撤廃した方がいいのではなくて?」


 互いに被っていた猫をかなぐり捨てたのは、両国の関係が既に破綻している証拠。互いが互いの思惑を隠さず、だからこそ一触即発の空気が漂う。

 アルフレッドが立ち上がる。プレータが肩をすくめてみせる。


「そう。互いが互いに搦め手を使っている状況なのです。マクライエン卿、そちらのご報告は確かに受け取り、また要求の内容も理解しました。であれば我が国は、その裏を取る必要がある。これは国として当然の話と思いませんか?」

「つまり?」

「国内での審議に時間が必要だと言いたのです。我々の選択で国の趨勢を決めると言うなら、それ相応の手順を踏まねばならない」


 プレータは腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。

 この態度もまた、どこまで本心なのか分からなくなってきた。交渉を進める上での演技なのだろうか。この女はおそらく、その程度のことなら平然とやってのける人間だ。


「呆れた……。この期に及んで時間稼ぎ?」

「その通り。たとえ結論が変わらなくとも、この場でそちらの条件を鵜呑みになど出来る訳がなかろう」


 悲壮な顔をするエレオノーラの隣で、アルフレッドは静かに答えていた。


「……仕方ないわね。では五日あげましょう」

「短い。最低十日は必要だ」

「いいえ、五日。五日後にもう一度この場で答えを聞くわ。引き延ばそうとするなら、今度こそ本当に上陸作戦を敢行する。……ああそうそう、王都の上空にも擬龍は展開させておくから、援軍は無意味よ。妙な行軍でもしてみなさい。その場で叩き潰すわ」

「……」

「鎖国宣言の撤廃、ルイス・マイロ・エスト・カーライルの身柄引き渡し。そして、和親条約の締結。これが我々ネルガン連邦が望む最低条件」


 それは、この国を丸裸にするのと同義だ。

 和親、などとよく言ったもので、これを受け入れたら、カーライルは実質ネルガンの属国になり果てる。すなわち、五日間の猶予が、そのままカーライルという一国家の余命宣告でもあるのだ。


「さて、では部屋に帰らせてもらいましょうか。……もう貴国の護衛官はいらないわ。うちの部隊を城に駐留させてもらうから」


 どうか、賢明な判断を。そう言って、傍若無人な異国の使者は振り返らず議場を後にした。


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